週刊READING LIFE vol.199

いつも取材をしている人は、実はどんな考えを持つ人なのか? 逆取材をして見えたものとは《週刊READING LIFE Vol.199 あなたの話を聞かせて》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/12/26/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
普段、会社や家庭などでよく目にする読み物と言えば、新聞が頭に浮かぶ。一般的に、新聞記者は、日々起きる出来事をスピーディーに取材し記事にすることを仕事としている。それが当然の役割のように思えるが、記者の心は単なる客観的な事実を伝えるものだけではないようだ。記者はどんな思いで取材をしているのか……地方紙記者の大平賢二さんに、取材活動に対する思いを聞いた。
 
大平さんは元々、新聞記者を目指していたわけではなかった。大学卒業後は営業職として2社で働いた。最初は地元のプラスチック製造メーカー、次は東京で不動産仲介の仕事だったが、どちらの会社も大平さんには合わなかったという。
 
「将来は両親の世話をしたい」長男の大平さんは、茨城県内で仕事を探した。偶然、地元新聞社の求人があり、周囲に勧められて入社試験を受けてみることになった。結果は不合格。次の仕事を探しながらアルバイト生活を続けていると、半年後に新聞社から欠員が出たと連絡が届いた。そして、26歳で記者としてのキャリアをスタートさせることになる。
 
当時は、研修システムもなく、入社3日目にして現場取材に放り込まれる状態だった。何も分からないまま取材相手の話を聞き、300字の原稿を書くのに2時間もかかるような日々が続く。記者の基本を教えてくれる先輩は、とても厳しい人だった。当時について、大平さんは「1年半の間、毎日4時間のお説教が本当につらかった」と振り返る。
ただ、そのお説教は、取材の「いろは」が学べるものであった。先輩から徹底的に叩き込まれた大平さんは、次第に記者としての問題意識が生まれ、仕事の面白みを感じ始めた。1年を過ぎる頃には自分の考えをぶつけることもできるようになっていた。
 
問題意識を持ち始めるようになると、今度は自身の知識不足に悩み始める。日々の取材に知識量が追いついていかない。そんな悩みを先輩に打ち明けると、意外な答えが返ってきたという。
「何も分からなくてもいいんだ。何が分からないかが分かっていればいい。あとは、知っていそうな人に聞けばいいじゃないか」
大平さんの気持ちが楽になった。
それからは「新人で何も分からないので、教えてください」。
大平さんは、取材相手に頼みながら取材をするようになった。「知らない」ことを前提に取材をすると、不思議と相手との心の距離も縮まるようになり、情報も集めやすくなった。
 
先輩から取材の基本を学んだ大平さんだが、足りないものがあった。それは事件事故の取材だ。先輩は警察を担当したことがなく、それを教えられなかった。ところが、異動した県内の支局で、今度は警察取材に精通した別の先輩に出会う。
 
当時の茨城県内は事件が多く、異動先では、その先輩にマンツーマンで指導を受けることになる。大平さんは次第に「事件を追う」魅力を覚え、その先輩が別部署に異動した後は、担当エリア外の事件にも関わるようになった。そんな暮らしを数年続けていた大平さんに告げられた次の異動先は、県警本部の担当だ。事件事故や裁判を扱う専門部署だった。
 
児童の殺人・死体遺棄事件やある駅で起きた無差別殺傷事件……連日のように全国ニュースとなっていた凶悪事件の取材も担当した。警察よりも早く事件解決の糸口を見つけたい。犯人の手がかりを探る取材を通しながら、記者としてのやりがいを感じ、睡眠を削る日々を送る。
 
事件取材は、他社との競争も激しい。いかに早く犯人に近づく情報を手に入れられるか、毎日、他社の動きも気になる。最新情報を手に入れるためには、刑事に直接話を聞くのがいい。だから、彼らが帰宅する深夜、家の前で待つ。取材をしながら、他社の動きもうかがう。情報戦で負けたくない。
 
当時は、全国紙の「特ダネ」は、当日の午前3時に一足早く各新聞社のサイトで流されていた。大平さんは、他社がどんな情報を出してくるかを確認するため、午前3時まで眠らなかったという。知らない記事が出ていれば、出勤前の刑事に話を聞くため、そのまま出勤し、朝も刑事の自宅前で待つ。その後、取材の整理をしてから眠りにつく日々の繰り返しだった。
「今思えば、よくできたと思います」大平さんは懐かしそうに語る。
 
残業時間は多いときで月150時間、ベッドで寝る時間は2〜3時間だ。だから、日中の空いた時間に仮眠をしながら働く。大平さんは「その頃が、記者として一番充実していた」としながらも、そんな激務を4年続けた頃、心身のバランスを崩してしまう。
 
その後は、体調を戻すために別の部署へ。学芸部では、高校生の文化活動や芸術、歴史関係の記事を書くことになる。担当した業務には「釣り」を扱う、ユニークな取材もあったようだ。長い海岸線のある茨城県の新聞社として、地元の釣りを盛り上げようという考えがあったらしい。釣りの記事を担当するようにはなったが、大平さんは船が苦手だった。乗るたびにひどい船酔いに苦しみながらも、釣具店スタッフに助けられながら未経験の釣りに挑み、その経験を記事にしていた。
 
心身が落ち着いてきた頃、上司から「報道部へ戻らないか」と声がかかる。大平さんは、6年ぶりに古巣へ戻り、今度は経済面を任される。銀行頭取の取材や県内企業の動きを取材するようになった。ある時は、頭取の「番記者」として、事件担当の時と同じように頭取の自宅前で待ち、取材をするようになった。
 
記者生活が25年になる大平さんは、取材対象を変えながらも、事件取材を担当していた時が一番充実していたという。事件事故の現場を歩くことで、大平さん自身の正義感が大きく刺激されたからだろう。
「弱い者いじめが嫌いなんですよ。だから、社会的弱者と言われる人が悲しむ姿を見たくない」それが大平さんの取材の原点かもしれない。
 
なぜ長い間にわたって記者を続けているのか……大平さんは、こう語る。
「知らないことを知る喜びは、誰にも大なり小なり存在します。自分は、知りたいと思う興味の範囲が人よりも広かったのかもしれない。好奇心旺盛な性格が、新聞記者としての仕事に合っていたのでしょう」
 
さまざまな記事を書き続ける中で、新聞記事を作る際の、記者の心について聞いてみた。
大平さんは、一つの「事実」をカップに例えて、話をしてくれた。
「カップが目の前にあるとします。そのカップは、正面から見た場合、後ろから見た場合、横から見た場合、見え方がそれぞれ違うでしょう? カップであるという事実は一つしかないけれど、その見方はいく通りもあるわけです。そのいく通りもある見え方から、今伝えるべき情報をピックアップするのが、記者の仕事だと思っています。どれを選択するかは、記者の感性の問われるところとも言えるでしょう。選んだ情報をパズルのように組み立てるのが、記事の作り方です」
 
その日のニュースとして、何を伝えることが大切かを選び取っていく。好奇心を持ち、取材対象者へ心を寄せ、取材を重ねる。そして、その中から、読者に伝えるべきものが何かを考えて切り取っていくようだ。
「事実は一つだけでも、真実は人の数だけある。新聞で出した情報は、あくまで判断材料にしかすぎない。その材料をもとに、読者に考えてほしいんですよ」
 
以前、ある新聞社がキャッチコピーに「新聞を疑え!」という言葉を使ったそうだ。大平さんは、そのフレーズについて、次のように語った。
「新聞は、事実が書かれてあるという思い込みがあるんです。もちろん取材を丁寧に行い、嘘を書くことはありません。でも、記者が書いた記事をそのまま受け取るだけで終わってほしくはないのです。新聞は読者に判断材料を提供する存在。その材料を基に、読者自身が考えてほしい。読者が自分で判断するきっかけを提示するのが、新聞記者の役割ではないかと思います」
 
新聞は、客観的事実をそのまま伝えてあるものだと思っていたが、そうでもないことが伝わってくる。一番ドライな読み物のような気がしていたが、その背景には記者の心が存在していることに気づく。大平さんの話を聞くうちに、新聞に対して抱いていた印象が少し違ってくるのを感じる。
 
現在は県内の支社で地域の取材をする大平さん。今後、やってみたいこと、目指すべき記者像について尋ねてみた。
「事件の取材をしていた日々は、今でもいい経験となっています。でも、学校や地域の集まりなどを取材する今の仕事も、決してやりがいがないわけではないのです。僕たち地方紙の存在意義は、『まちの応援団』でいいのではないかと思うからです」
 
25年の経験を得てきた今、大平さんは「まちの応援団」でいる決意を示し、さらに新たな役目についても考えている。それは、若い記者を育てることについてだ。自身が25年間取材をしてこられたのは、毎日のようにお説教をされた日々があったからだという。記事の書き方、取材の仕方、あらゆることを先輩から教えてもらえたからこそ今がある。記事を書く技術は、会社の財産でもある。だから、それを次の世代に教えていくことで、財産を伝え続けていきたい。
現在は、記者としてスタートしたばかりの部下を連れ、取材現場に足を運んでいる。時に厳しい言葉をかけることもあるようだ。
 
「テレビの歴史は70年、ネットは20年あまりでしょうか。それに対して、新聞は江戸時代の瓦版から続いて400年余り生き残ってきました。紙媒体を扱う産業は衰退しつつありますが、ページをめくりながら、物語を読んだり、情報を得たりする人の行動はなくならないと信じています」
 
まちの応援団であり続けたいと決意を新たにする大平さん。話を聞くうちに、ドライな文章で書かれていると思っていた新聞が、温かいものに思えてきた。
新聞に対する新しい見方が得られたような気がする。もう一度、じっくり新聞を読んでみたい。そんな気持ちになれた、記者への逆取材だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、25年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEOを受講。

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2022-12-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.199

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