週刊READING LIFE vol.202

私と結婚しなければ……《週刊READING LIFE Vol.202 結婚》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/1/30/公開
記事:秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
月曜祝日の午前11時。突然かかってきた電話のせいで、目の前の家族団欒は台無しだった。公園を冷たい風が吹き抜けて、左腕にぶら下げた朝マックの袋をカサカサと鳴らしていく。電話に出る前から嫌な予感はしていたのだ。こういう時の直感は、何故かよく当たるらしい。

 

 

 

今日は家族4人で公園に来ていた。小学校の自然観察でその公園に行ったという長男が、
「いつも遊んでいる広場ではなくて、裏の森の方へ探検に行きたい」
と数週間前からしつこくオススメしてくれたのである。冬場は一切、外に出たくないと思う私も、熱心な長男の姿に感化され、こうして朝マックまでテイクアウトして、休日を満喫しに来ていた。お腹を満たした子どもたちはすぐに遊び始め、それを大人2人がコーヒーを啜りながらぼんやり眺めている。
「はぁ、これ、さいこー!」
芝生に寝転んで光合成している長男を見て、最近、屋内ばかりだった休日の罪悪感が消え、最高の休日だと思う。大人たちのお腹も満たされ、いざ探検を! そう立ち上がった時である。
 
知らない番号からの着信が鳴る。
 
誰だろうかと思うと同時に、胸の奥がスンっと落ちるような嫌な予感がする。見知らぬ番号からの着信など珍しくもないはずなのに、この時はとにかく嫌な予感がしてすぐに通話ボタンを押した。
「訪問看護のものですが、小夜子さまが高熱を出されておりまして……」
電話は祖母がお世話になっている訪問看護の方からだった。93歳の祖母が高熱を出しているらしい。
 
緊急事態発生。もちろん、この後の予定は全て狂った。
 
先を歩いていた夫と子どもたちに事情を説明する。
「え……」
とこぼしたきり、文句も言えずうつむく長男の顔にギュッと胸が締め付けられるような気がした。来たばかりの公園を後にして慌てて家に引き返す。バタバタと2人に留守番をお願いして、夫と共に再び車に乗り込んだ。最悪の休日だ。

 

 

 

高齢のおばあちゃんは心配だ。
コロナかもしれない、インフルエンザかもしれない。
祝日に診てもらえる病院はどこにあるだろうか。
 
向かう車の中で、ぐるぐるといろんなことを考える。祖母は父と同居しているのだが、その父も10年ほど前に脳出血をおこしてからというもの半身不随である。母も私が高校生の時に亡くなった。祖母を病院に連れて行けるのは、私たちしかいない。
 
それは、仕方のないことだ。
 
むしろ色々なサービスの手を借りて、父と祖母の生活が保たれていることに、もっと感謝をするべきなのだろう。「おばあちゃんも高齢なのだから……」と暗に言われることも多くなってきた。確かに、そのとおりだ。良い大人なのだから、おばあちゃん孝行、親孝行をするべきで、それは、みな当然に通る道なのだ。
 
そこまで辿り着いたところで、ふと、長男の顔が頭をよぎる。
 
父が倒れたのは、彼が1歳の時だ。以来、何度彼はこんな目にあったのだろう。私は父の娘であり、祖母の孫なのだから、母がいない代わりに私が自分の時間を差し出す。
 
それは、それで、仕方のないことだ。
 
けれど、その皺寄せが子どもたちに及ぶのはどうにも我慢できない。今となりで運転する夫に対してもそうだ。だから、ずっと思っているのに口にできないことがある。
 
「私と結婚しなければ……」
 
そう、思わずにはいられない。もしも私と結婚していなければ、こんな苦労を味わなくてすんだのにと考えてしまう。夫が私との結婚を決めた時、この現状は想定になかったはずである。もちろん、付き合い始めた当初から、私が母を亡くしていることは知っていて、歳の離れた妹のことを考え、彼女が大学を卒業するまで待って結婚を決めてくれた。そういう人だ。ただその当時、父は健康だったし、それ以上の家庭の問題はなかったから、将来いつか介護の問題があるにしても、まだ遠い未来の話だった。だから、育児ともに、現時点でここまで問題が押し寄せてくるとは思いもしなかっただろうと思う。私がそうであるように、想定外だったに違いないのだ。本当はこんなはずじゃなかったのに、そう思うのが普通だろう。

 

 

 

実家に着くと祖母はとても辛そうに見えたが、幸いにも意識はハッキリとしていた。
「おばあちゃん、休日診療で診てもらえるみたいなので一緒に行きましょう」
なんでもっと早く連絡してくれないのかと、父に怒りをぶつける私の横で、夫は冷静に状況に対応してくれている。ふらふらとする祖母を半ば抱き抱えるようにして運び、病院の手配もすませてくれていた。その姿に私もふっと息を吐き、少し冷静さを取り戻した。
「こういう言い方が良いのかはわからないけれど、義理の関係は程よく他人だから冷静になれる部分があるんだよ」
そんな事を昔、夫が言ってくれていたような気がするなと思いながら、夫と共に病院に向かった。
 
その後、幸いにもコロナやインフルエンザではなかったものの、2日がかりで病院を行き来して、結局、祖母は入院することになった。病院の先生の話では、足から入った細菌が原因で、足が腫れ、高熱が出たのでしょうとのことだった。高齢なので油断はできないものの、ひとまず命の危険がないことにホッと一安心する。こんな世の中の状況で、祖母がスムーズに入院できたことはとても幸運だった。それは、たまたまの結果だったかもしれないが、私はそっと心の中で夫を拝んだ。
 
きっと私1人だったなら、今も沼の中心で足掻いていているに違いないと思うからだ。
 
祖母を病院に連れて行った日、結局、休日診療で診てもらえたのは、コロナとインフルエンザの検査だけだった。どちらも陰性だったことに安堵しながら家へ帰ったものの、翌日熱が下がったが吐き気が止まらないという連絡を受け、再度、夫が祖母を病院へ連れて行ってくれた。実家からの連絡を受けて、私から怒涛のLINEを受けた夫は、折り返しの電話で、開口一番、

 

 

 

「大丈夫だから」
 
とだけ言った。
状況の説明やその後の段取りを話す前に、まず、たった一言を私に言い聞かせるように、言った。その一言で、前日から張り詰めっぱなしだった糸がプチンと切れて、私は会社の更衣室でポロポロと泣き出したのだった。自分ではテキパキと状況に対応しているつもりだったけれど、夫によれば、私はなかなか取り乱したLINEを送っていたようだった。
 
結婚すると、喜びは2倍で、悲しみは半分になんていうけれど、それは違うだろうと思う。確かに、2人の人生を重ね合わせた分、喜びの機会は増える。自分のことでなくても、嬉しい話を聞くことは幸せな気持ちになるし、まして幸福な思い出を共有することは、何年経っても美味しいお酒のつまみになる。ただ、悲しみだって出会う回数がふえるのだ。お互いの家族・友人や悩みの数々だって共有することになる。悲しみの大きさは、結婚したって、別に半分にはならない。同じ大きさで、2人で共有することになる。やっぱり、2人とも辛い。でも、逃げられない2人で共有できることは、意味があると思う。

 

 

 

祖母の病院から帰る車の中で、ふと夫が口を開いた。
 
「俺と結婚しなければよかったのにって思うことないの?」
 
一瞬意味がわからずに聞き返す。
 
「いやさ、俺が転職したり、病気したり、いろいろ苦労かけてるわけじゃない……。後悔したりしないのかと思って」
聞き直しても、何を馬鹿な事を言っているのかと思う。
「私の方が苦労かけてると思うのですが……」
散々、祖母の入院でバタバタしたのだ、私の方がその言葉を使うに値すると思う。
「それは全く思った事ないな! 確かに大変だけど、別に君のせいじゃないじゃない」
なるほど、そういう理屈なのか。今まで私のせいで彼に苦労ばかりかけていると思っていたけれど、どれもこれも私の周りが起こした事であって、彼の理屈では自分の方が迷惑をかけていると考えていたらしい。
 
「私も思った事ないよ。苦労や迷惑というよりは、共に『闘う』ってイメージ」
 
もっともらしく答えるが、本音を言えば、私の方がどう考えても苦労をかけているので、多少こちらも迷惑を被った方がバランスが取れてちょうど良いと思っていた。そんなところである。むしろ苦労をかけていると思ってくれるほど、私が夫の人生の戦闘力に貢献できているようで安心した。
 
「「今後ともよろしくお願いいたします」」
これからも共に戦う事を約束して、2人で、長い2日間を終えた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1984年愛知県生まれ。会社勤めの2児の母。

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2023-01-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.202

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