週刊READING LIFE vol.203

「大先輩」の背中を追いかけて《週刊READING LIFE Vol.203 大人の教養》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/2/6/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
しーんと、ロビーが静まり返った。
さっきまでのざわめきは、何一つ聞こえなくなった。
 
「納得がいかないんだよ!」
中年の男性が窓口で怒鳴っている。対応している新人の若い男性は、縮こまってしどろもどろになっている。ロビーで待っているお客様も互いに顔を見合わせながら、どうなることかと成り行きを窺っている様子だ。
 
ああ、困ったことになった。別の窓口にいた私も、同僚と顔を見合わせた。
こんな時に限って、新人くんの直属の上司は席を外しているようだ。言われっぱなしでますます委縮する男性が再び説明を始めようとしたとき、奥から素早くYさんが飛び出してきた。
Yさんは、新人くんが所属する部門の総責任者だ。
 
「私が、お話を伺います」
Yさんは新人くんの横に腰掛けながら、よく響く声でお客様である中年男性と向き合った。明らかにほっとしている部下に頷き、まわりで様子を窺っていたお客様に笑顔で会釈をすると、Yさんはそのお客様に堂々とした態度で、かといって偉そうでもなく真摯に話を聞き始めたのだった。
 
Yさんが話を聞き始めて30分後、中年の男性は穏やかな表情で帰っていった。
「また何かあったら、遠慮なく聞いてくださいね」
お客様の帰り際に、Yさんは笑顔でそう付け加えた。中年の男性は、「わかった」とでもいうように片手を上げて去っていく。一体この間に、Yさんはどんな魔法を使ったのだろう? 来た時とは別人のようなお客様の姿に、私はすっかり驚いてしまった。
 
「よかったね」
私は同僚と一緒に溜息をついた。クレームを寄せられるのは、仕事とはいえブルーになる。いくらこちらが一生懸命に説明をしたとしても、世の中には様々な人がいて、一つの事柄がすべての人に同じように受け取ってもらえるとは限らない。説明の仕方にも工夫がいるし、相手に合わせた対応が必要になる。
 
バックヤードで、窓口対応していた新人くんとたまたま一緒になった。バツが悪そうにしている彼に何と言ったらいいか迷ったが、ひとまず「大変だったね」と声をかけた。彼は力強く頷くと、「Y課長のおかげで、助かりました」と笑顔を見せた。
 
「すごいんですよ。あのお客様あんなに怒っていたのに、Y課長が話すと落ち着いていったんです。課長は直接の担当じゃないので細かい内容まで知らないはずなのに、どうしてあんなに説得力があるんでしょうか?」
そう言われれば、そうだ。Yさんは責任者だが、取りまとめている部署も幅広く、そうそう全ての細かい内容まで網羅できるとは到底思えない。できるとしたら、私たちから見れば超人レベルである。
 
「それはすごいよね。あのお客様の情報も詳しく知っていたわけじゃないんだよね?」
「はい。でもY課長と話していると、腹を立てていたお客様が頷くようになっていったんです」
 
Yさんが話し始めると、一方的にまくしたてていたお客様の顔つきが変化した。にじみ出る安心感と穏やかだけれど堂々とした口調のYさんに、お客様の態度が軟化した。Yさんだって、初めから今日のような対応ができたわけではないかもしれない。きっと、これまでの経験値がものを言っている気がした。細かいことを知らなくても、相手の様子を見てどのように対応すれば落ち着いてくれるのか、Yさんは積み重ねた経験から察し実行できる人なのだろう。けれど、たとえ管理職であっても、Yさんのような対応ができる人ばかりではないことも確かだ。
 
私は今回のことで、Yさんをかなり見直した。見直すだなんて上から目線のようで申し訳ないのだが、普段のYさんは、別の部門の私たちにも調子よく冗談を飛ばし、宴会になると歌って踊り出す、いささかファンキーな人だ。だから私の中で、Yさんは「楽しい大先輩」という印象だった。コミュニケーション能力が高い人だとは思っていたけれど、一緒に仕事をしたことがなかった私は、Yさんのことをよく知らなかったのだ。そして、数か月後の部門統合で私はYさんの部門に所属することになり、改めてYさんのすごさを目の当たりにすることになった。
 
いくつかの部署を統括するYさんの守備範囲は多岐にわたる。ヒラの私から見ても、その範囲の広さと忙しさには、げんなりする程だった。なのに、いつもYさんは楽しそうにしている。奥のデスクからよく響く声で冗談を飛ばし、私たちの報告書類で不明に思う点があると、自分の子どもくらいの年齢の私たちの隣に腰掛けて、素直に「教えて」と言うのだ。話していて、Yさんが話のポイントを押さえるのがとても速いことに驚いた。1を言えば10を理解してくれる感じだ。話している私も分かってもらえるのが嬉しくて、ついついいろんなことを話してしまう。上司だからとこちらに気負わせることもなく、自然と話を引き出してくれるのだ。
 
道理で、あの窓口で怒鳴っていたお客様とも、すんなり話ができたはずだ。先輩に聞いたら、Yさんは幹部が集まる会議でも、言うべきことはきちんと言い、わかりやすく伝えるのが上手いらしい。年齢や性別に関係なく、フランクに人との関係を築くのが上手なYさん。けれど、たとえ相手が年下であっても決して軽んじることはなく、尊重してくれる姿勢が伝わってくる。だから、Yさんの話を真剣に聞きたいと思うし、Yさんの周りには穏やかな雰囲気が漂っている。そうかと思うと、なかなかに鋭い指摘をしてくることもあった。けれど、それをこちらが素直に受け入れられるのは、Yさんの人徳だと思う。
 
剛柔併せ持つYさん、今まで「楽しい大先輩」だとしか思ってなくて、すみませんでした。私の中で、Yさんが次第に「憧れの大先輩」に変化していった。そんな上司が後ろにいてくれると思うと、どんな仕事が来ても安心できた。器の大きな人が身近にいると、仕事も一層頑張ることができる。私は見習いたくなって、Yさんを観察することが増えた。
 
お客様への対応の仕方、交渉の持っていき方、部下への接し方。事あるごとにYさんの行動を横目で盗み見て、こっそり頭のノートに書き込んでいく。
あるとき、お客様の対応に感動した私は、Yさんの前で思わず心の声を漏らしてしまった。
「やっぱり、すごいです!」
「え?」
不思議そうに私の顔を見るYさん。尊敬の眼差しで見つめる私から視線を逸らすと、Yさんは照れ臭そうに笑った。
「何、言ってるんだよ。何も特別なことしてないやん」
真顔に戻ったYさんは、そっけなく言い放つ。いやいや、なかなかそんな風にはできないんです。そう心の中で私はつぶやく。Yさんのちょっとツンデレなところも、人間味があっていい。
 
それから1年くらい経ったころ、私は人事異動で別の部門に移った。Yさんが上司である安心感が無くなり、新しい分野の仕事に慣れようと私は必死だった。毎日が飛ぶように過ぎていく。覚えなければならないことや処理をするスピード配分など、部門によって全く違う。とにかくがむしゃらになって、自分で掴んでいかなくてはならないことばかりだ。早く戦力になりたくて焦る気持ちと、自分のキャパの狭さに悩む日々だった。一歩ずつ確実に進むしかないことは分かっているけれど、もどかしい気持ちが空回りする。
 
その日も、私は遅くまで残って作業していた。疲れた体を引きずりながら、守衛さんに挨拶をして裏口から出ようとしたとき、向こうからYさんがやってくるのが見えて足を止めた。
「お、今帰り?」
相変わらず気さくな笑顔で、Yさんは話しかけてきた。
「はい」
短い返事を返すと、私は笑って見せた。
 
「新しい仕事は、慣れた? 無理するなよ。頑張っていることは分かってるから」
Yさんは私の目を真っすぐ見て、そう言った。暖かく私を思いやるような眼差しを見ると、グッと胸が詰まった。Yさんの顔をちゃんと見られなくなって、私は俯いてしまった。
「なーに、すぐ慣れるって。すぐできるようになる。大丈夫、大丈夫」
明るい声色で私の肩をポンポンと軽く叩くと、Yさんは「気を付けてね」と裏口から出ていった。薄暗い廊下に取り残された私は、ゆっくり顔を上げた。暗がりでよかった。赤くなった目をYさんに見られたくなかった。けれどYさんのことだ。私の状態をきっと察していたに違いない。
 
私はYさんにもらった言葉をお守り代わりにして、あれから新しい部署に早く馴染もうと努力した。
「大丈夫、すぐにできるようになる」
スッと変な力みを抜いて、両手で額にできたシワを伸ばす。笑顔で、相手を尊重して真摯に話を聞く。知識は積極的に取り入れて、実際に応用してみる。そして、そこで学んだことを知恵としてストックしていく。いつも謙虚な姿勢を忘れずに。Yさんから学んだことを、できるかぎり再現したいと自分なりにあがく毎日だった。思えば、Yさんは大人としての教養をしっかり学べと、部下の私に背中を見せてくれていたのだと思う。
 
Yさんは、定年を迎えて職場から去っていった。もう一度、同じ場所で働きたいという希望は叶わなかった。辞めた後も別の団体で責任者を務め、その後は地域の世話役として活躍されていたらしい。風の噂でしか聞くことはできないけれど、Yさんが生き生きと活動されている姿が容易に目に浮かぶ。きっと何歳になっても、軽やかに日々を楽しまれていることだろう。
 
あと数年もすれば、私はあのときのYさんと同じ年齢になる。少しは、近づくことができただろうか? いや、きっとまだまだだろう。けれど、そんな「大先輩」の背中を、やはり追いかけてみたいと思ってしまうのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、推し活、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2023-02-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.203

関連記事