週刊READING LIFE vol.203

見方を変えることで過去の認識が劇的に変わる教養の使い方《週刊READING LIFE Vol.203 大人の教養》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/2/6/公開
記事:前田光 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部NEO)
 
 
教養を身につけようなんて壮大な目標を掲げながら本を読んでいるわけじゃないが、読書することで結果的にそうなることに異論はない。
 
教養とは単なる知識の蓄積を指すのではなく、知識や学問を得ることによって身につく心の豊かさや深い理解力だなどと言われている。
 
たとえば、もう起きてしまって今からは変えようもないできごとであっても、心の在り方や見る角度が変わることで、それが頭の中でまったく別な形に再定義されることがある。過去は何一つ変わっていないにもかかわらずだ。
その変化を触発してくれるものが教養だともいえる気がする。
だったら読書はむしろ、教養の湧き出る泉だ。
自分にはない視点や、今まで考えたこともなかったようなアイデアを惜しげもなく与えてくれるからだ。
一人では到底たどり着けなかったような結論が、本を読んだことで「さあどうぞ、あなたが欲しかったものはこれですよね?」とポンと目の前に差し出されることもある。
出口のないトンネルの中にいるような人が、本の中のたった一つの言葉によって救われることもある。
だけど、本から与えられた答えや言葉を咀嚼して自分の血肉とするには、そのための土壌をあらかじめ用意しておく必要がある。
己の中に受け入れる準備ができていなければ、どんな金言だって心には響かないからだ。
その役割を担っているのもまた、教養だと思う。
 
「過去は変えられない」ことと「それに対する自分の理解も変えられない」ことを同義だと思い込んでいて、何十年も罪悪感として胸に抱え込んでいたできごとがあった。
 
多分あれは、保育園か小学校低学年ごろだったんじゃないだろうか。
祖母がある日、目に涙を浮かべて私にこう言った。
「〇〇子さんがワシに辛くあたるけえ、ワシは悲しゅうて辛うていけん。じゃけえ光ちゃんから〇〇子さんに、『おばあちゃんに優しゅうしてあげて』と頼んでくれえ」
 
「〇〇子さん」とは私の母だ。
祖母には息子しか生まれず、私が生まれるまでは孫も男しかいなかったから、私は生まれた瞬間に祖母にとって「たった一人の愛すべき孫娘」になった。
だったら単に可愛がってくれるだけでよかったのだが、祖母はかなり嫉妬深い人で、私への溺愛は、私の母に対する強い対抗心と嫉妬心の裏返しでもあった。
だが「おばあちゃん」はどう頑張っても所詮、「母親」にはなれない。
だから母の悪口を吹き込むことで、私の気持ちを自分に向け、同情を買おうとしたのだろう。
 
おめでたいことに当時の私は、祖母の話をそのまま信じて母親のところに行き、
「お母さん、ばあちゃんがお母さんが冷たいけえ辛い、優しゅうしてほしい言うとったよ。じゃけえ、ばあちゃんに優しゅうしてあげて」
と無邪気に伝えた。
私のことを可愛がって大切にしてくれる人が、私の大切な人を攻撃することがあるなんて、そのときまで意識にも上らなかったのだ。
 
そのときの母の顔を、私は今でも忘れられない。
悲しそうにゆがんだ顔。
何かを言いたそうにしながらも、結局言葉を飲み込んで何も言わなかったあの顔。
涙をこらえているような、湧き上がる悲しみに無理矢理蓋をしているような顔。
 
私は最初、祖母の話を聞いて、二人の間にちょっとした行き違いがあったんだくらいにしか思っていなかったから、母からは、
「あらそうだったんね、そんなつもりはなかったんじゃけど、おばあちゃんはそう思うたんねえ、今度から気を付けるわあ」
みたいな軽い返事が返ってくるくらいに想像していた。
 
だから母を見たとき直感的に、あ、ばあちゃんは嘘をついたんだと分かった。
そして、私は決して言ってはいけないことを言ってしまったのだということにも気が付いた。
 
だけど私に何ができる?
いったん言葉にしてしまったら、なかったことにはできないのだ。
でも、お母さんごめんなさいと謝るのもなにか違うと思った。
だって私、悪くないじゃん。
でもお母さんは私のせいで傷ついた。
私は悪くない。でも悪い。
気持ちの落としどころがつかないまま、母を傷つけてしまったことで自分も傷ついていた、当時の小さな自分をずっと放置していた。
 
ところで先日、『ミステリと言う勿れ』という漫画を読んだ。
ドラマ化もされたので、ご存じの方も多いだろう。
この登場人物のなかに、小さな姪っ子に「お菓子をあげるからお母さんには内緒で教えてくれないか」と、ある秘密をしゃべらせようとする男がいた。
すると主人公が「こういうことやっちゃダメです」と制止した。
彼の言ったのはこういうことだ。
 
子どもをスパイにしてはいけない
その子が一生悔やむことになるから
自分がうっかり話してしまったことを
親の足を引っ張ってしまったことを
一生悔やむ
 
男はそれに対し、あんな小さな子供に分かるわけがないと反論した。
すると主人公は、
子どもはバカじゃない
自分が子供の頃バカでしたか?
と男に問いかけた。
 
この部分を読んだとき、
長年凝り固まっていたものが一気に氷解した気がした。
と同時に、以前に何冊も読んだ「子どもの頃に負った心の傷を癒す」系の本に書いてあったけど、どうしても自分のこととして捉えられなかった、「小さな自分を癒してください」の言葉の意味がようやく分かったと思った。
私はあのとき、大人の誰かから、
「あなたは悪くない。
悪いのは、あなたを使ってお母さんを傷つけようとした人。
あなたが悪かったんじゃないよ。
そしてあなたは、そんな風に見くびられるほどバカじゃない」
と言って欲しかったのだ。
それが今、漫画の主人公から言ってもらえたことで、ありがとうそうなんです! そして私を利用しようとした大人を叱ってくれてありがとう! と小さな自分が喜んでいると思えたのだ。
 
この瞬間に私は、起きたできごとは何一つ変わらないけど、それに対する見方が変わる、という体験をした。
「人のことは変えられない。変えられるのは自分だけ」という言葉がある。
そのとおりだ。
だけど、自分にそもそもなかったもの、まったく知らなかったものをゼロから生み出すことはとても難しかったりする。
だが本を読み、教養を積むことで、自分以外の誰かが示してくれるものの見方やヒントによって、誰かの力を借りてそれがまるで、パズルのピースが一気にはまるみたいに実現することもあるのだ。
得た知識がいくつも重なり合って、あるときまったく予期しない形でサプライズをもたらしてくれる、そんなことが起きたとき、教養を使ったと言えるのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部NEO)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2023-02-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.203

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