週刊READING LIFE vol.207

未来が楽しみで仕方ない、人生を生き切るということ《週刊READING LIFE Vol.207 仕事って、楽しい!》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/3/6/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「0.1秒でも早く『働かない人生』を実現したいあなたへ」
 
本屋の店頭で手に取った本の1ページ目を開くとこう書いてあった。
 
本のタイトルは、『FIRE~最強の早期リタイア術』。クリスティー・シェンとブライス・リャンの共著である。
 
この本には、二人が貧困の幼少期からさまざまな経験と仕事を経て、経済的自由を手に入れるまでの経緯が書かれている。
 
FIREとは、”Financial Independence, Retire Early” の頭文字をとって生まれた言葉で「経済的自立」と「早期リタイア」を意味している。
 
収入を企業に頼らず、資産運用の運用益で生活していけるようになった段階で早期リタイアするライフスタイルのことだ。
 
若くしてリタイアというと億万長者でなければできないのではないかという思い込みがあったが、アメリカでは常識なのだそうだ。日本ではこの本が火付け役となり、FIREという言葉がブームとなった。
 
私のまわりでも多くの人が、FIREを目指すようになった。なかにはすでに十年以上前からこの本に書かれているアメリカ式の方法を実践して40代、50代でFIREのライフスタイルを実際に叶えた人もいる。
 
私もFIREを追いかけている一人である。とはいえ、金融に疎いと言うこともあり、実現にはまだまだほど遠い。一歩を踏み出したばかりだ。
 
そんな憧れのFIREだが、そのことについて考えるたびに自分のなかでカンカンカンと警鐘が鳴るのを止められない。
 
リタイアのあと、働かずしてどうやって生きていくのかという不安が頭をもたげてくるのだ。
 
「お金に困らないのだから海外旅行をして暮らせばいいのでは?」
そうおっしゃる方もいるかもしれない。
 
しかし、その生き方が自分としてはどうもしっくりこない。『働かない人生』はもちろん素敵だが、それ以上に最期まで自分らしくあるために仕事は人生に必要なのではないかという考えが頭から離れないのだ。
 
私のなかでFIREを富士登山に例えるなら、中腹の五合目に滞在できる山小屋を確保するイメージだろうか。最終目標が富士山の頂上に登り、無事に下山することだとすれば、安全な山小屋からじっくりと頂上を観察して、周囲の様子を知ることができれば、成功の確率は高まる。
 
しかし、いろいろな雑誌やブログを読むとFIRE自体が目的になっている傾向が強い気がしてならない。早期リタイアして、のんびり余生を過ごすことは人間なら誰もが夢見ることだが、それが最終目標として語られているケースが目立つのである。つまり、五合目に山小屋を建てることが人生の目標とされているのだ。
 
「では、あなたの人生の最終目標は何なの?」
よくぞ聞いてくださった。80歳まで働き、そこから書道アーティストとして生き、人生最後の日を迎えることである。
 
私は、大学を卒業してから30年を会社員として過ごした。両親も会社員だったので、自分も二人と同じように定年を迎えて、家で余生を過ごして亡くなるのだろうと漠然とイメージしていた。
 
「あなたの人生は充実していたのか?」
そう聞かれると答えに詰まる。人生の大半を過ごしたのは会社ということになるが、肝心の仕事を楽しいと思ったことは、お恥ずかしい話だが数えるほどしかない。
 
どういうタイミングで楽しさを感じたのかと言うと、今思えばラッキーだったのだが、20代から30代のはじめまで頻繁にヨーロッパに出張をさせてもらっていた。そのようななかで美しいものを見たとき、美味しいものを食べたとき、美しい音を聴いたとき、そう、自分の五感を通して自分のなかの核が震えるような経験をしたときに「この仕事をさせてもらっていてよかった」と喜びを感じることができていた。
 
それ以外は、自分の評価を高めるために仕事の効率化や顧客満足について考える毎日を送っていた。乱暴な言い方ではあるが、経営する側ではなく、雇われる側の社員は皆そうだろうし、そうやって企業の運営はまわっているのだ。
 
そんな私の人生が変わったのは、35歳のとき。ある人と出会ったのがきっかけだ。
それは、料理教室の先生だった。60代の彼女は、自宅のキッチンでのマンツーマンの料理教室に加え、ファッションデザイナー、アンティークショップの経営、ヨガの講師を務め、画家、陶芸家の顔も持っていた。
 
教室で教えていたのは、節約料理が中心であったが、彼女のセンスを活かしたテーブルセッティング、照明のもとに一皿が置かれると、あっという間に映画のようなドラマティックなワンシーンとなり、ごちそうの味わいへと変化した。
 
そういった料理教室だったので盛況であった。60代を過ぎると仕事を持たずに過ごすのが当たり前だと思っていたが、彼女はいつも忙しそうであった。
 
「なぜ、そんなに働くんですか?」
生活に困っている様子に見えなかったので、不思議でたまらず聞いたことがある。
 
「私の目標は、最後の瞬間までいかに社会のお役に立てるかなの」と彼女は答えた。
 
まだ若かった私は、いまひとつ返答の意味がわからなかった。しかし、どこかその言葉に大切なことが含まれている気がしてならず、それが何かを知りたくて丁稚奉公のようなかたちで料理教室を手伝うようになった。
 
一度、彼女が自分の手帳を見せてくれたことがある。
そこには、福沢諭吉の心訓七則が貼ってあった。
 
世の中で一番楽しく立派な事は 一生涯を貫く仕事を持つという事です
 
世の中で一番みじめな事は 人間として教養のない事です
 
世の中で一番さびしい事は する仕事のない事です
 
世の中で一番みにくい事は 他人の生活をうらやむ事です
 
世の中で一番尊い事は 人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
 
世の中で一番美しい事は すべてのものに愛情をもつ事です
 
世の中で一番悲しい事は うそをつく事です
 
聞けば、地方の中学校を出たあと、かけおちして上京したのだと言う。すぐに妊娠してしまったので、子供を育てながら、昼も夜も働いたそうだ。ファッションデザインは見様見真似ではじめ、偶然大手のブランドのバイヤーの目に留まり、そこから少しずつ人並みの生活ができるようになった。だから仕事があることがありがたいし、生きるために自分の能力のすべてをマネタイズすることだけを考えてきたと言う。
 
料理教室以外の、アンティークショップもヨガ教室も盛況だった。特に私のようにかなり年下の人間に人気が高く、いつも彼女の家には誰かが訪れているような状態であった。
 
「ああ、ありがたい。皆に必要とされて」彼女はよくポソッとつぶやいた。そして、「私が健康でいないと皆が困るから」と言って、日課の腹筋、腕立て伏せを欠かさなかった。
 
類は友を呼ぶとはまさにその通りで、彼女の友人は60歳を過ぎてもバリバリ働く人ばかりであった。彼女と数年付き合ううちに、自分も人生の最期まで働けるようになりたいと思うようになりそのことを告げると、次々と知り合いを紹介してくれた。
 
「なんでも聞いてね」と皆気軽に言ってくれたので、私は真剣なあまり振り返ればプライベートに立ち入る失礼な質問をしたと思う。しかし、彼らは、ざっくばらんに答えてくれた。独身で通した70代のデイトレーダーもいたし、3回の結婚と離婚を経験した80代のピアニストもいた。2度の心臓手術を乗り越えた90代の会社経営者もいた。
 
年が子供ほど離れた私の質問にていねいに答えてくれる姿勢を見て、いつか私も彼らのように後進の人の疑問に答えられるようになりたいと思ったものだ。
 
そして、彼らのなかに一つの共通点を見つけることができた。流されるというより、自分の意思のもとで淡々と仕事が充実するように生きていたら今に至ったという点である。
 
それ以降、人生のなかで仕事の存在がどれほど大事かと痛感するようになり、福沢諭吉が言うように最後まで仕事を持つためにどうすべきなのかを時間さえあれば毎日考えた。
 
ちょうど人生100年時代という言葉が流行りだした時代であった。私は自分の人生プランを会社に依存するかたちから、自分の手にコントロール権を取り戻すかたちへ練り直した。
 
このまま会社にいることができたとしても60歳で定年になる。そうすると仕事を失ってしまう。一生できる仕事を持つには自分で何かを始めるしかない。そういった決意で会社を辞めて個人事業主となり、ご縁があったアートの仕事をスタートした。
 
幸いにもいろいろな方の導きがあり、美術を見て回るなかでさらに人生を変える画家たちとの出会いがあった。
 
画家というのは絵を描くことが生業であり、草原に座って優雅にキャンバスに絵筆を走らせているイメージがあるかもしれないが、命をかけて仕事をまっとうしているのだ。
 
私が目標としている、100年の仕事人生を貫いた2人の女流画家を紹介しよう。
 
最も影響を受けたのは、篠田桃紅(しのだとうこう)さんだ。1913年生まれ、2021年に107歳で亡くなった。書道と日本画を融合させた作風が特徴で、和紙の上に、墨、金、銀、朱といった限られた色彩だけを使って生み出された多様な表現は、一目見ただけで桃紅さんの作品だとわかる。
 
初めて彼女の作品と出会ったのは、初期から生涯を追った個展だった。幼い時から独学で書を学んだ桃紅さんは、30代で日本の前衛書の作家たちと交流を持つが、文字のルールを離れたさらに新しい墨のアートを模索するため、40代でニューヨークに渡って作品の制作を開始する。
 
そのときのニューヨークでは、「抽象表現主義絵画」が全盛であった。具体的なモチーフを持たず、巨大なキャンバスに描かれ、感情を表現したスタイルのアートだ。特に有名なのが、。絵具をまき散らしたり、注いだりするアクションペインティングで自分を表現したジャクソン・ポロックである。
 
彼の影響を強く受けたことが、桃紅さんの作品を見ていると伝わってくる。彼女の作品は、いつも試行錯誤しながら模索し、答えのかけらを見つけた途端、さらに激しく追求していく様がすさまじく、また、それがかっこいいと感じた。そのとき、まさに私の五感を通して自分のなかの核が震えるような経験をしたのだ。
 
桃紅さんは、海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであった。国内に彼女の名を冠するギャラリーが開館し、認められたのは、80歳を過ぎてからであった。
 
特に活動が集中したのは、100歳を迎えた2013年だった。白寿を祝って国内外で個展が開催されたのだ。
 
2021年にはエッセイ『これでおしまい』が発刊された。老衰で亡くなる年に、こういったタイトルをつけるとは、なんとウイットに富んだ人生のとらえ方をする人なのだろうか。
 
老いても何かを内側から生み出し続ける彼女のようになりたい!
 
そのように突き動かされて書道をはじめたのだ。80代で書道アーティストになるという目標は彼女の影響である。
 
さらに私の背を押してくれたのは、日本画家の片岡球子(かたおかたまこ)さんだ。1905年生まれ、2008年に103歳で亡くなった。
 
彼女の作品を初めて見た人は無言になってしまうかもしれない。それほど型破りで色使いが大胆だからだ。実際にその作風は一部の人々から「ゲテモノ」と呼ばれた。球子さんは、思い悩む。
 
ある時、日本画家の小林古径が彼女に言った。
 
「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ。あなたの絵を絶対に変えてはいけない」
 
この言葉により、彼女は美しく描くことが全てではないと信じ、自身の信念にのっとった創作を続け、やがて自分にしかなしえない表現を確立したのだ。
 
今ではその作品は、国立近代美術館をはじめとする全国の美術館に所蔵されている。
 
100歳で脳梗塞に倒れたが、そのあとも絵筆を取り続けていたという。なんてすばらしい仕事人生なんだろう!
 
そう。私にとって生きることとは、最期まで働くことなのだ。
 
ちょうどこの原稿を書いているときに喫茶店の隣のテーブルに80代とおぼしきおしゃれなご婦人が2人座られた。
 
一人が言うのだ。
「私、70代から洋裁を始めたでしょう。この間娘にすすめられてつくったものをインターネットのストアっていうのかしら、出したの。そしたら、3枚売れたのよ」
 
その気になれば身近なところに、いかに生きるか働くかというヒントが満ちているのではないだろうか。
 
時々思うのだ。平和な日本で暮らせること、何歳になっても生き方の選択ができることほどすばらしいことはないと。
 
その与えられた環境を存分に生かして、仕事を楽しみたいし、人生を生き切りたい。私は、今、50代半ばだが、これからの未来が楽しみで仕方がない。
 
そう、100歳になったとき、皆で声を合わせて言おうではないか。
 
「仕事って楽しい!」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。アートディーラー加藤昌孝氏との出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。加藤氏の富裕層を顧客としたレンブラントやモネの絵画取引、真贋問題についての講演会をシリーズで主催し、Kindleを出版。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催、自身も幼少期より芸術に親しむなかで身に着けた知識を生かし、「対話型芸術鑑賞」という新しいかたちで絵画とクラシック音楽の講師を務める。アートがもたらす知的好奇心と創造性の喚起、人生とビジネスへ与える好影響について日々探究している。

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2023-03-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.207

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