週刊READING LIFE vol.211

マダムはおせんべいがお好き《週刊READING LIFE Vol.211 お気に入り〇〇ベスト3》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/4/4/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
春は弥生も半分が過ぎ去り、早くも桜は満開、春本番である。
そして2022年度はまもなく終わろうとしている。
 
今年の年度末を迎えるタイミングがとりわけ早く感じられるのは、単に仕事が忙しいからだけではない。同じ部署の大先輩が、この年度末で退職されるからだ。
 
仮に大先輩のお名前を、美佐子さんとでもしておこう。美佐子さんはこの職場に勤めて20年、定年を過ぎてもなお再雇用で奉職され70歳まで働かれた方だ。
 
うちの職場に勤める前のことはあまり詳しくは伺ってはいないけど、前職のことなどはあまり聞いたことはないから、恐らくは3人の子どもを育てる主婦だったのだろうと推測する。子どもたちもある程度大きくなったし、何か仕事をしようかしらと思った時にこの職場に出会って、そこから20年も働くことになろうとは、美佐子さんご本人も思ってはいなかったのかもしれない。ご自宅から近く、週3日のパートだったから続いたのかもしれないけど、それでも1つの職場に20年勤めることそのものがなかなか大変なことだから、そのこと自体に素直に尊敬している。
 
美佐子さんはどんな方か。そう問われたら彼女を知る人は様々な印象を述べると思う。私からみた美佐子さんは、まず第一に「品のある人」だ。
 
ありふれた言い方だけど、見た目がまずきちんとしている。週に何回かジムに通ってトレーニングをしたり、ウォーキングを欠かさずにやってきたりしたため体型管理もばっちりだ。膝から下は、細いけど筋肉質で形のよい脚が伸びていて、今でもストッキングとハイヒールで、膝より若干下のタイトスカートを履きこなし、ブランドもののコートを羽織って颯爽と出勤してこられる。朝、廊下をコツコツと歩く音がすると「あ、美佐子さん来た」とすぐにわかる。
 
ショートカットの髪はシルバーグレーのカラーに若干ブラウンのグラデーションがかかっていて、いつも綺麗に整えてカチューシャをつけている。
デパートにお買い物に行くと、どうも店員さんと話が噛み合わないので「おかしいな」と思っていると、どうやらパリ帰りのマダムというか、フランス人というか、そんな感じの人に間違えられていたというエピソードにはみんなで爆笑した。
 
要するに外見がマダム風で、世間の人が考える「70歳のパート女性」とはまるで違うイメージの人、それが美佐子さんだ。
実際、70代になっても健康に時間とお金をかける余裕があってルーティーンで仕事がある、多少なりともあちこち加齢のために身体のメンテナンスは必要だけど健康に働けているって、すごいことじゃないだろうか。
 
そして美佐子さんの言葉遣いや物腰は、私のような一般庶民からするととても上品に感じることばかりである。
例え同じ職場に自分より若い人、後輩が後から入ってきたとしても、あくまでも美佐子さんの言葉遣いは礼儀正しい。「〜〜していらっしゃるの?」などという感じだ。こちらが何か便宜を図った時などはとても丁寧にお礼を言ってくださる。先に入職したからといって先輩風を吹かさないところがとても素敵だ。
 
とはいっても、美佐子さんはただおとなしいだけのマダムではない。仕事となるととても真剣に取り組む。取り組み過ぎてこちらが話しかけても気がつかないくらい集中することがある。
そうかと思うと「ワイドショーを賑わせている、あの芸能人をどう思う?」などと尋ねてきたり、話題のスポーツの試合の結果が気になって仕方がなかったりしている。礼儀正しいけど仕事には一途でお茶目な一面もあるのだ。
 
私が現在の部署に配属されてから約4年半になる。美佐子さんには実にたくさんのことを教わってきた。
美佐子さんは2年前に定年を迎えたが、勤務を延長して欲しいと頼まれ、再雇用制度としてこの3月末まで勤務する。だから美佐子さんがいつ職場を去るのかはわかっていた。まだまだ先のことと思っていたけど、振り返れば本当に風のように、あっという間に過ぎ去った年月だった。
 
今の職場では美佐子さんが最年長だから、年下のわたしたちを見ていて、恐らくだけど物申したいこともたくさんあったと思う。それでも、美佐子さんが誰かを大っぴらに叱りつけるようなことは見たことがない。仕事のことを教える時はとてもキッパリと厳しい口調だけど、その代わりにむやみに注意することもなかった。
 
だから美佐子さんが注意をするときというのは、よっぽどのことである。
 
あるとき、職場の人から香典返しをいただいたことがあった。ロッカーにしまわなければと思いつつも、後から後から要件がどんどん入ってきて、いただいたものを半日くらい机上に置きっぱなしにしていたことがあった。
「あのね、あなた、いただいたものは、しまっておくものよ。出しっぱなしは失礼に当たりますよ」
突然美佐子さんがそう話しかけてきた。あ、しまった、注意されたんだ。
「ああ、すみません。気がつかず申し訳ないです。大変失礼しました」
慌ててロッカーへ香典返しをしまいに行った。職場では仕事が円滑に進むように、極力注意されないように気を配っていたつもりだったけど、このように基本的な、人として知っておかないといけないことでご注意を受けるのは結構情けない。「結構いい年をした人なのに、そんなことも知らないなんて、親に躾を受けてこなかったの?」と言われるに等しいからだ。
 
他にも仕事以外の、本当に基本的なことで、美佐子さんから教えていただくことは本当に多かった。
その時は、顧客に出す手紙を数十通作っていた。振込用紙を同封するものだった。その作業を見ながら、美佐子さんは私たちに声をかけてきた。
「さっきから見ていると、そのお手紙の入れ方がてんでバラバラなようだけど、何か決まった入れ方はあるの?」
「いえ、特に入れ方は決めてはいないんですけど」
「あのね、これって、振込用紙を同封するんでしょ? 相手にお支払いをしてほしいお手紙ですよね。だったら、相手が開けた時にすぐに大事な書類だって気がつくように入れないといけないと思うわよ」
「……確かにそうですね。気がつきませんでした」
「お手紙から少し見えるように、振込用紙を挟んで、向きを揃えて入れないとね」
「そうします。教えていただいてありがとうございました」
もう少しで封入が終わる数十通の手紙を点検すると、確かにあっちに向いたりこっちに向いたり、入れている方向がまちまちなのだった。美佐子さん、そこまでよく見ているなと感心した。仕事とはダイレクトに関係がないことだから、黙って見過ごせばそれで済むかもしれない。でも気がついて直した方がよければなおよいようなことを、美佐子さんはいつも教えてくれた。
 
あと忘れられないのは、職場の人間関係に関するアドバイスだ。長年勤務なさっていて職場の人間関係については熟知しているから、「この人に対してはこういうふうに接したらいい」というようなことを即座に教えてくれる。
「あのね、このお部屋で話したことは、よその部屋では喋っちゃだめ」
部署ごとに事業計画もあり、公になるまでは他部署には話せないこともたくさんある。そして誰かに対しての評価なども、気軽にいろんな人には話してはいけないのはもちろんのことだけど、こうして具体例を出してくれるのが一番わかりやすいのだ。口は災いの元とわかっていても、うっかり誰かに何かを言ったことで自分の立場が危うくなることがある。美佐子さんのアドバイスはそれを防ぐための第一歩である。
 
温かくも厳しく、メリハリのついた意見をくださる美佐子さんだけど、必ず毎日していることがあった。それは、おやつを持ってきてくださることだ。
おやつの習慣がある職場なんて、一体何時代? と思われるかもしれないけど、女性が多い職場なのでそんなことが習慣にもなる。美佐子さんの家には到来もののお菓子が多く来るらしく、今日はこれを持ってきましたよなどと皆に分けてくれるのだ。あるいは買い求めたものもある。そんなに値が張る金額ではないけど、毎日だと大変だろうとは思う。そう問うと「私が食べたいから持ってくるのよ」と明るく答えるのだった。
 
私と美佐子さんとは、おせんべいが好物ということで時々盛り上がっていた。世に出ているおせんべいには本当に様々なものがあるけど、私と美佐子さんの好きな味のおせんべいがかなりの確率で一致するのが面白かった。
 
今まで職場のおやつの時間に持ってきたものの中で、ご一緒に食べたおせんべいのうちベスト3を挙げるならばこうなるかもしれない。
 
第3位 サラダ系のおせんべい
第2位 しょうゆ系の厚焼せんべい
第1位 しょうゆ系のげんこつせんべい
 
第3位と第2位のおせんべいは、ほぼどの店でも見かけることができるけど、私たちが一番好きだったのは京都のお菓子屋さんが作っている「あばれげんこつ」というおせんべいだ。しょうゆが、ひび割れたところに入ってしっかりと濃い味で、固い。かみごたえがあってとても美味しい。
この「あばれげんこつ」を売っていたお店が、昨年の6月に閉店してしまった時は、それはそれは2人で嘆き悲しんだものだ。もう関東では買えないかもしれないわね、売っている店があったら報告しますねなどと、ものすごく熱の入った会話が真剣に繰り広げられたものだ。
 
美佐子さんがいると、部屋の雰囲気が明るくなる。美佐子さんといると楽しいし、得をすることが多い。休み時間などは、昔の職場の面白い話をしてくれて大いに笑わせてもらった。
 
優雅だけど楽しく、だけどキリッとしていて、どこか一目置かざるを得ないような雰囲気をまとわせて、謙虚にみなさんからの信頼も厚い美佐子さんが、もうすぐ職場を去る。
様々な場面で、時に優しく、時に厳しく、時にユーモラスに後輩を指導してくれる美佐子さんがいなくなった4月以降のことがまだ実感として湧いてこない。わかっていることは、この、内外の難しい人間関係の中で生き抜いていくための知恵を授けてくれる先人がまた一人去っていってしまうことだ。
 
4月以降は、今の部署では私が一番職歴が長くなってしまう。長いと言ってもまだ5年目に過ぎず、いろんな困難を切り抜けないといけない時は必ずやってくる。困った時に意見を訊ける人がいないということは、自分たちでどうにかしないといけなくなるということだ。
 
正直、美佐子さんについて、時代遅れなんじゃないかと思うことがなかったといえば嘘になる。それでも、なんでもかんでも白か黒かをつけたがる私のような人間が、果たしてうまく仕事の波をくぐり抜けて行けるのだろうかと思うこともしばしばある。「これはどうしようか?」ということがこの先出てきたら、「白か黒かではなく、グレーという色もあるんですよ」「なんでもはっきりいえばいいってもんじゃないのよ」という美佐子さんの教えを思い出しながら、働いていけたら幸いである。そしていつかどこかで「あばれげんこつ」が手に入ったら、美佐子さんにお送りしてみたらどうだろう。どんな返事がくるか、楽しみである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。文章と写真の二軸で勝負するライターとして活動中。言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2023-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.211

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