週刊READING LIFE vol.216

それでもやっぱり愛してる 私が出会った甘くキケンな果物たち《週刊READING LIFE Vol.216》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/5/22/公開
記事:前田光 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
美味い果物に巡り合うためなら、肉体的にも金銭的にも多少の痛みは覚悟している。
だから日本では、リンゴやミカン、バナナといった一部のメジャーなものを除きフルーツがべらぼうに高いが、それについて文句を言うつもりもない。
実家がミカン農家だったから、果樹栽培に手間や時間、コストがかかることも、その割に大して儲からないこともよく知っているからだ。
だがそうはいっても、振れる袖には限りがある。
だから海外に出たときはチャンスとばかり、その土地の市場や露天商をはしごして、珍しい果物を探し歩いていた。
ドリアンやライチ、マンゴスチンといった、国内で爆買いするにはかなり勇気のいるフルーツが、海外の産地だと安く手に入るのもその理由だが、現地の人しか食べないとか傷みやすいとかいったことで、そもそも流通ルートに乗らない果物もあるからだ。
そんな体験を通じて分かったことがある。
それは、果物はただ「甘い体験」をくれるだけじゃないってことだ。
 
生まれて初めてマンゴーを食べたのは、西アフリカのマリ共和国を最初に訪れたときだった。
マリの隣国のセネガルを旅したことのある友人からは出発前に何度も、
「向こうに行ったらぜひマンゴーを食べて欲しい。めちゃくちゃ安いし天国レベルの美味さだから私は毎日食べていたよ。過去に食べたどんな果物とも全然違うから」
と念押しされていたこともあって、期待値がマックスまで高まっていた。
今でこそマンゴーは国内でも簡単に手に入るが、これは今から30年も前のことで、私の周りで食べたことのある人は彼女しかいなかった。
 
だから、パリ発バマコ行きのアルジェリア航空が、乗り継ぎ先のアルジェリア国際空港で謎の遅延を起こし、いつ来るともしれない飛行機を待ちながら空港の硬いベンチに座って一晩明かすことになったのも、真夜中のガランとした空港で喉の渇きに堪えていた私たちに瓶入りのジュースが機内食と一緒に配られたけれど、空港職員が誰一人として栓抜きを持っていなかったのも、マンゴーとの出会いを盛り上げてくれるイベントの一つなのだと思った。
困難があるほど、愛は燃え上がるというじゃないか。
 
念願のマンゴーに初対面したのは、マリの首都・バマコとセネガルの首都・ダカールを結んでいた国際鉄道ダカール・ニジェール鉄道の列車の中だった。
現地の友人と二人で国境の都市カイに向かうためこの列車に乗り込む前に、友人に露天商で買っておいてもらったものだ。
友人は、マンゴーは行儀よくカットして食べたらダメだ、そのままかぶりついた方が美味いんだと言うし、そもそもナイフなど持っていなかったので、促されるままに大口を開けた。
マンゴーの味なんか、わざわざ説明されても……と言われるかもしれないが、今思い出しても、マリのマンゴーは日本で手に入るそれとは「育ち」が違うため、より原種に近いワイルドな気質を色濃く残していると思えてならない。
サハラ砂漠の強烈な太陽の日差しがマンゴーの甘みを極限まで凝縮しているのはもちろんのこと、雨の少ない過酷な自然環境でもたくましく根を張って高さ数メートルにも成長した巨大な「野良」マンゴーの木が、太陽と大地のエネルギーをオレンジ色の果実に変えているのだと、私は今でも信じている。
 
もちろん、美しい思い出に昇華された懐かしの味は、その後にどんなに探し求めても、決して巡り合えないのを知っている。
だから私の記憶も、かなり美化されているかもしれない。
だがそうとばかりも言い切れないのは、あの数日後にあるトラブルに見舞われたからだ。
 
ある朝目を覚ましたら、口の辺りが腫れぼったいような感じがした。
そしてやたらと痒い。
鏡を覗くと唇が1.5倍くらいに腫れあがって、小さな水泡がたくさんできていた。
掻きむしるとそれが弾けて汁が出る。
傷になるからなるべくそっとしておきたいが、痒みが激しくて掻かずにはいられない。
友人に相談したところ、そんな病気は見たことも聞いたこともないと言って現地の医者にも連れて行ってくれたが、医者も原因が分からないと言う。
幸い患部がそれ以上広がる気配はなかったが、かといって治る様子もなかった。
毎日唇をゴシゴシこすりながら、心は不安でいっぱいだった。
 
変な感染症にかかったんじゃないだろうか。
この症状はいつまで続くんだろうか。
帰国しても治らなかったらどうしよう。
日本の税関で「あなた変な病気を持ち込もうとしてますね」などと言われ、隔離されるかもしれない。
悲観的な妄想ばかりが膨らみ、不安は募る一方だったが、とにかく今の自分にできることは、しっかりと体力を温存して体調を整えることだと思い、毎日よく食べよく寝て、相変わらず現地の果物も存分に堪能していた。
 
数日後、私は友人と一緒にまたあの列車に乗り、バマコへの帰路に就いた。
首都に着いたところで友人が、
「もう一回だけ病院に行ってみないか。フランス人御用達のクリニックで診てもらったら、何か分かるかもしれない」
と言った。
クーラーのない座席に一晩中座り通しで体はヘロヘロに疲れていたが、この痒みから逃れられるのなら何でもしますと思っていた私は、友人と一緒にそのクリニックの門をくぐった。
 
流暢なフランス語を話すマリ人医師は、私の友人の説明をひととおり聞き終えるとこう言った。
 
「最近、なにか変わったものを食べませんでしたか? たとえば果物とか」
「マンゴーは食べましたけど……」
「それですよ! あなたたち外国人の中にはマンゴーの果汁に弱い人がいる。食べるときにはきちんと皮を剥いて、一口大に切って、フォークで刺して、唇の周りに汁がつかないように一口でパクっと食べないといけません」
「皮ごと食べたんですけど」
「Oh là là !(ウーララ。フランス語で「あっちゃー!」、「やっちまったね!」の意味)」
 
医師は天を仰ぐような恰好をすると、
「皮の部分が一番いけません。皮は絶対に食べてはいけませんよ。いいですね。ちゃんと小さく切って、一口で口に入れるのですよ、分かりましたか?」
と言いながら、マンゴーの皮を剥き、小さく切ってフォークで指して美味しそうに食べるまでの身振りを、何度も繰り返した。
この医師の「何が何でもこのことをあなたに伝えたい!」という強い意志のおかげで、私は友人の通訳なしで医師の言うことを100%理解した。
 
クリニックをあとにした私は、友人をじろりとにらんだ。
友人は視線に気づくと、
「だって知らなかったんだからしょうがないだろ。マリ人でマンゴーにかぶれるヤツなんて見たことないし、外国人がそんなにヤワだなんて、思いもしなかったんだから」
とバツの悪そうな顔をしながら釈明した。
 
そんなことは分かっている。
そうだよ、避けられなかったことだ、仕方ない。
だけど、人は痛い目に遭ったとき、誰かのせいにしたくなることがあるんだよ、あなたにだって身に覚えがあるだろう?
だったら私の八つ当たりくらい、黙って耐えなさいよ。
ブツクサと理不尽な文句を垂れ流しながらも、自分が変な病気にかかっているんじゃないことが分かって、私は心底ほっとしていた。
そして、それから帰国までの間、やっぱり私はマンゴーを食べ続けた。
原因が分かってしまったからには、我慢する理由はない。
それに「小さく切って一口で食べろ」という医師の渾身のアドバイスもいただいたのだから。
 
数年後、私は再びマリの地を踏んだ。
このときは村落開発に携わっているNPOの活動を見学させてもらうのが主な目的だった。
ある村を訪れたときに、現地スタッフからこれ美味しいよと渡されたのが、その変な形の果物だった。
 
見た目は黄色いパプリカのようだが、手に持つとずっしりと充実感がある。
そしてパプリカの「へた」があるべきところには、勾玉のような形で、そら豆のような色をした物体が、実にめり込むようにくっついていた。
これは何かと尋ねると、カシューアップル、つまりカシューナッツの果実だと言う。
ということは、この薄緑色の勾玉のような部分に、あのカシューナッツが入っているのか。
このナッツは生では食べられないので、食べろと勧められたのは果肉だけだ。
果実をかじると、桃のような風味がした。
だが完熟していなかったからだろう、やはり未熟な桃や渋柿をかじったときのような渋みの方が、より強く舌を刺した。
この感じは昔どこかで経験したことがあると、頭の中の警報機が鳴った。
そうだ、皮つきのマンゴーに初めてかぶりついたときに感じた、あのエグみに似ているのだ。
嫌な予感がした。
 
案の定、それから数日後に私の唇は腫れあがり、水泡でびっしりと埋め尽くされてしまった。
あとから知ったことだが、マンゴーもカシューもウルシ科の植物だった。
かぶれるわけだ。
今回は果物が原因だと当たりがついていたので慌てることはなかったが、痒みで寝不足が続いていた。
それを解消するため、この村にいる間はマンゴーの木の下で昼寝をするようになっていた。
外の方が部屋よりも風通しがよいからだが、マンゴーの木陰でなければならない理由もあった。
 
マンゴーの木は、果実ばかりが人の役に立っているわけではない。
巨木に育ち、四方八方に枝を広げて葉を豊かに茂らせた木は、地面に濃い影を作る。
そのため人間や動物にとって、マンゴーの木の下は暑さをしのぐのに欠かせない場所になっていて、一日で一番日差しがきつくなる昼下がりには、その木陰で家畜も人も一緒になってよく昼寝をしているのだ。
 
しかしある日、私が横になると、わずか数センチのところに上から何かがドスッと落ちて転がった。
見ると、マンゴーの実だった。
体の位置があと少しずれていたらと考えたら、猛烈な眠気も一気にすっ飛んだ。
そういえば私のもう一つの好物のドリアンも自然落下する果物で、東南アジアなどのドリアン農園では、落ちてきたドリアンの実に直撃されて人が亡くなることもあるそうだ。
ドリアンの重さは1キロ以上、しかもトゲトゲした硬い外皮で覆われている。
そのことを考えると、マンゴーがドリアンのような狂暴な姿をしていないだけ、ラッキーだったと言うべきだろうか。
 
このドリアンを始めとする、日本なら清水ダイブ級のお値段がつく果物も、現地以外だと香港で安価に手に入る。
香港はほとんどの物品に関税が発生しない自由貿易港だからだ。
しかも世界中から食材が集まるため、種類も豊富ときている。
香港に滞在中、よく買っていたのはマンゴスチンとドリアンとロンガンだった。
ある日、枝付きのロンガンを何束か買ってホテルに戻り、袋から出してベッドの上に広げた。
泊まっていた重慶マンションのゲストハウスは、部屋の8割をベッドが占めているという究極の狭さで、ほかに食べる場所がなかったのだ。
すると一緒にいた友人が、
「ねえ、何か虫がいるみたい」
と言った。
そこで無造作にほっぽったロンガンの束をほどいてばらしてみると、体長1センチくらいの小さな蠍が、枝の上でしっぽを立ててこちらを威嚇していた。
 
「ぎゃっ! 蠍っ!」
 
ぞの瞬間に私は蠍がしがみついている枝をつかむと、靴をつま先でひっかけながら、部屋にわずかに残された床の部分に蠍を払い落とし、かかとを踏んで履いた靴のつま先に全体重をかけて踏みつぶした。
 
「……今、すごい速さで踏みつぶしたね」
友人があっけにとられた顔で言った。
「何言ってんの当たり前でしょ、こんなところでこいつに逃げられたら、今晩ここで寝られないじゃん」
 
蠍に刺されるとどうなるかは、マリで聞いたことがあった。
「大したことないよ、大の大人の男が三日三晩うんうんうなって脂汗をかきながら眠れないくらい痛いだけで、そうそう死ぬことはないから」
男たちはそういって笑っていたが、私たちは過酷な環境を生き抜いてきた屈強なマリ人でもなければ、蠍の毒に耐性があるわけでもない、か弱い日本人女性なのだ。
無事でいられるわけがないじゃないか。
あのとき、とっさのことにも体が動いた自分自身を、私は今でも褒めてやりたい。
そしてあのあとも私たちは、帰国の日まで毎日、市場を歩いては口福をかみしめていたのだった。
 
果物のことを私はこれだけ愛しているのに、ときに向こうは私を苦しめる。
甘い果実はこんなにも人を魅了するのに、それを取り巻く体験がいつも甘いとは限らないのだなあ。
いや、自分はそこまで果物は好きじゃないのでその気持ちは分からないなという方は、どうか「甘い果実」を「甘い人生」に、もしくはあなたの愛する何かに読み替えてみて欲しい。
あ、そういうことねと納得してもらえるんじゃないかなと、私はひそかに期待している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2023-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.216

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