最後に会いたかった人は、にっくき嫁だったのかもしれない《週刊READING LIFE Vol.224 「家族」が変わった瞬間》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2023/7/24/公開
記事:ぴよのすけ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
死んだ人のことを悪く言ってはいけないというが、事実なんだもの。
あったことをありのままに説明しただけで悪口のように聞こえてしまう場合は、どうしたらいいんだ。
控えめに言って私の祖母は、世界は自分を中心に回っていると信じているような、常に自分ファーストの人だった。
こういう人を、世間ではなんとかばばあと言うらしい。
「なんとか」の部分は言わない。言うと本当に悪口になってしまう。
たとえば、孫がちょっとよそ見している隙に、孫の皿からおかずをかすめ取る(しかし、被害に遭うのはもっぱら私の弟だった。その理由は後述する)。
孫が焼いたケーキを、たまたま家に来た近所の人に勝手に持たせる(私が激怒したため、母がその人に電話をして事情を話して返してもらった。祖母は知らん顔をしていたのに、なぜかその人が平謝りしていた)。
高熱でウンウン言いながら寝込んでいる孫を「私のご飯を用意してくれないのか」とせっついて、台所に立たせようとする(これも被害者は弟だ。私の家は両親が家業の都合で留守がちだったので、私が家を出てからは祖母と弟だけの日が多かった)。
テレビのチャンネルを絶対に譲らない。
そして、こうしたことに不満を言うと必ず「おばあちゃんは年寄りだから、もう長くは生きられないのに……」と、泣き落としでごまかす。
あからさまな孫差別をする。
二言目には「おばあちゃんを大切にしろ」と脅す。
孫に嫁の悪口を吹き込む。
思い出した順に例を挙げてみたが、こうしてみると祖母のエピソードはむしろ、ギャグ漫画のネタになりそうな話ばかりだ。
だが、洒落にならないレベルで祖母から被害を受けていた人もいて、それが嫁であり家族の中でただ一人、他人である私の母だった。
たとえば母は新婚早々、祖母から「嫁に虐められている」と近所の人に言いふらされ、その話を真に受けた怖ーいオバサマたちからマイルドにつるし上げを食らったと聞いた。
また、母と父が仲良くおしゃべりしていると、唾を付けた指を障子に突っ込んで穴をあけ、隣の部屋からその様子を盗み見するような人でもあった。されている方はぞっとするような話だが、最終的に私の父がそれに気づき、いきなりふすまを開けて「何してるんだ!」と一喝したことで止んだ。
マグロの刺身を食べたくなると「まゆこさんがマグロを食わせないから頭が痛くなった。まゆこさんのせいだ」と母に怒っていた。もちろん、マグロの刺身が頭痛に聞くなんて話は、祖母以外から聞いたことがない。
その他、小説やドラマのなかの意地悪な姑が嫁に言うような大小の嫌味や小言も、もちろん欠かさなかった。
それなのに、どうしようもない底意地の悪さがある人でもなかったのだ。不思議なことに。
祖母ウォッチャーとして長年、観察と分析を続けて分かったことだが、祖母は悪意のある人ではない。むしろ、正義の人だった。
ただ自分がこの家で一番の年長者だから一番偉く、嫁は姑に仕えるものだと信じていただけだった。
だから嫁いびりも、人として未熟な嫁を教育し直してやらねばという義務感と親切心と正義感に突き動かされてのことだったのだろう。その基準が人とかなりズレていたのが、母にとって悲劇だった。
何しろ、嫁いできた母から「お母さん」と呼ばれたことに気分を害し、「その呼び方は冷たく聞こえる。おばあちゃんと呼べ。その方が親しみを感じる」と母を叱り飛ばした人だ。姑をいきなり「おばあちゃん」呼ばわりする方がよほど失礼だと思うが、祖母の感覚ではそうなのだ。
とはいえ私は、ある程度の年齢まで祖母が変だなんて思ったことがなかった。
一つには、私が祖母から偏愛されていたからだ。
息子も孫も男ばかりだった祖母にとって、私は待望の女の子だったため、祖母は私が生まれたときに熱狂したらしい。その様子に、母は私を奪われるんじゃないかと危機感すら覚えたそうだ。そして祖母は、私をえこひいきし続けながら、私の弟には大して興味を持たなかった。
生まれたときから当たり前にあるものに対し、人は疑問を抱かない。祖母の関心を一人で集めていた私は、祖母は口こそ悪いが根は優しい人だと思っていた。
母が祖母に対する愚痴をこぼさなかったのも、祖母に対して疑問を持たなかった理由の一つだっただろう。
「うちのおばあちゃんはちょっと変かもしれない」と最初に感じたのは、小学校低学年の頃だったか。
ある日祖母は私を呼ぶと、「お前のお母さんが私に冷たくするから、悲しくてたまらない」と涙目で言った。
だが祖母の口から聞かされた母は、私の知らない人みたいだった。
それまで私は、母が祖母に辛く当たっているところを見たことがなかったし、祖母の性格からして、誰かから何かされて黙っているようなタマじゃないのも知っていた。
それで、二人の間でなにか行き違いがあったのだろう、話せば分かるはずだと信じた。だから母に、ありのままを伝えた。
「おばあちゃんが、お母さんが冷たくするから悲しいと言っていたよ」
こう伝えたときの母の顔は、今でも忘れられない。
無言で、しかし悲しそうにじっと私の顔を見つめる母の表情にいたたまれなくなって、逃げるようにして私は台所を出た。
祖母という人間が、私の中でちょっと違う人になった瞬間だった。そして、言わない方がいいことを言ってしまったんだと悔やんだ。
それから数年後、祖母は完全に別の人になった。祖母が自分のもう一人の息子、つまり私の叔父に電話して、母を悪く言っているのを聞いてしまったからだ。
そのころ私の両親は、離れの建て替えを計画していた。ジャズ狂でオーディオマニアの父が、趣味が高じて巨大スピーカーを購入したが、大きすぎて置ける隙間がなかった。普通ならその時点で返品するところだろうが、我が家の場合はスピーカーのために家を建て直すことになった。当時我が家には、古い離れを解体するだけの貯えしかなかったため、家系をやりくりする人間からしたら胸ぐらをつかみたくなるような話だが、要するにすべての発端は父である。繰り返すが、我が家で何か起きるとき、ほとんどの発端は父なのである。
それなのに祖母はその電話口で、「嫁が息子をそそのかして家を建てさせようとしている、嫁の腹の内が分からない」と話していた。何をどう間違ったらそうなるのか、私にはさっぱり分からなかった。すべての発端は、ほかでもないあなたの息子ですぜ? それに祖母が懐を当てにされているわけでもないのだ。息子夫婦が自分の家をどうしようが、二人の勝手ではないか。
その日を境に、私は祖母と極力口を利かなくなった。祖母の目には、かわいい孫が別の人間になったように映っただろう。
いっぽう母は、祖母と対立する道は一度も選ばなかった。私が成人してからようやく、ぽろぽろと愚痴をこぼすようになったが、だからといって祖母への態度が変わるわけでもなく、つまり、表面的には何の波風も立たなかった。そんななかで私だけが、まるで母の心の代弁者のように憤り、祖母への怒りを吐き出していた。だから高校を卒業して家を出たのは、今でも大正解だったと思っている。あのまま家に居続けたら、私は勝手に母の代理になって、祖母に大戦争を吹っ掛けていたかもしれない。
祖母と母の関係性が変わったのは、それからさらに十年以上が過ぎ、祖母がほぼ寝たきりになってからだ。
母は仕事をしながら、祖母の介護を何年も続けていた。
祖母は幸い、完全な痴呆症にはならなかったが、「今日は何月?」などとちょっとトンチンカンなことを言うようになり、そのオトボケ化が進むにつれて、母に対する態度が変わっていった。
一日の終わりには必ず、「まゆこさん、明日は仕事に行く?」と聞き、早朝のパートに出ていた母はそのたびに、「行くよ。お昼過ぎに帰るよ」と同じ答えを繰り返していた。
その様子はまるで、これから一人でお留守番をする小さな子どものようだった。
祖母の部屋は台所のすぐ横にあったので、母に用事があるならちょっと声を掛ければ済むのだが、あるときから祖母は、部屋の照明の点けたり消したりを繰り返すようになった。その部屋の照明はスイッチ紐でオンオフをする昔ながらのタイプで、寝たきりの祖母が使いやすいよう、紐を延長して枕元まで長く垂らしてあった。祖母は寝たままそれをカチカチ引っ張って、照明をパチパチやっているのである。
「おばあちゃん、何してるの? 遊んでるの?」
「こうしたら、まゆこさんが来てくれるでしょう?」
「まあ~! 私の顔を見たかったの? おばあちゃん、私忙しいのよ?」
「ははは」
私なら、いい加減にしてくれよとうんざりしそうなやり取りだが、母に言わせると「おばあちゃんが最近面白くなってきた」とのことだった。昔あれだけ泣かしてくれた相手を、よく介護していられるものだと感心していたが、「これは人類愛」であり「おばあちゃんから手を引いたら、私が後悔すると思うから、できることはやる」のだと言っていた。実際、手伝ってくれる人もいなかったのだ。
ところがある年の夏、母も父もいない間に、祖母が家から連れ去られた。
仕事中の母のところに突然、こんな電話が入ったのが始まりだった。
「おばあさんは今日から、うちで面倒を見るから」
「どういうことですか? それはうちの主人も知っていることなんですか? おばあちゃんがそうしたいと言ってるんですか?」
「長男が自分の親を連れて行くのに、誰に断る必要がある」
「困ります。せめて主人が帰宅してから、ちゃんと主人と話をしてください」
ところが仕事を終えた母が急ぎ帰宅すると、もう祖母はいなかった。留守の間に父の兄が連れて行ったのだ。
なかなかに、理不尽である。
母がその足で祖母のところに駆けつけたところ、祖母はなぜ自分が長男の家に連れてこられたのか分かっていなかった。
「おばあちゃん、お義兄さんはこれから自分がおばあちゃんの面倒を見ると言っているけど、おばあちゃんはそうしてほしいの?」
「えっ、そんな話は聞いてない。私はまゆこさんのところがいい」
「おばあちゃん、家に帰りたいのね?」
「帰りたい」
「じゃあ、ちょっと待っていてね、必ず連れに来るから」
ひとまず母は、祖母を残して帰宅した。連れ去った方は祖母を帰そうとしなかったし、父に連絡したところ「兄貴は言い出したら聞かないから、好きにさせろ」と言われていた。それに母も仕事が繁忙期に入っていたので、ピークが過ぎるまでの数週間預かってもらえば、義兄夫婦の気も済むだろうと考えたからだ。
ところが祖母は、母のお迎えを待てなかった。
お盆を少し過ぎたある日の早朝、向こうの家で誰も知らない間に祖母は旅立っていたのだ。
祖母の遺体はその日のうちに、軽トラの荷台に乗せられて我が家に運ばれてきた。
「おばあちゃん、待てなかったねえ。もう少しだけ頑張ってくれたら、家に帰れたのに……」
葬儀が終わって、母はぽつりとつぶやいた。
祖母と一緒に生きた三十年の間に、私の中で祖母は二度、違う人間になったが、祖母の死後に子育てをしてようやく、祖母は心が幼児のまま大人になった人だったのだと気が付いた。祖母の言動は、家族の関心を集めようとする小さな子どもとまるで同じだった。あとからやってきた母に辛く当たったのも、兄弟が生まれた上の子が嫉妬するのと同じ理屈だったのだろう。最後に長男の家で「まゆこさんはいつ来てくれるだろう」と言い続けていたのも、母親を恋しがる子どものようだったなあと、今なら分かる。
祖母が亡くなって少ししてから、母は祖母の夢を二度見たそうだ。
一度目の夢は祖母が亡くなって一週間くらい過ぎてからで、夢枕に立った祖母の後ろから、後光が射していたと言っていた。
母は「ああ、おばあちゃんは本当に亡くなってしまったんだなあ、お浄土に行くんだなあ」と思ったそうだ。
二度目の夢は四十九日のころで、祖母は母を見るなりすごい速さで走ってきて、「まゆこさんありがとう! 私はこれがしたかったのよー」と言いながら、母に抱き着いて頬にチューされたと言うのだ。さすがに母もびっくりして「えっ、何? おばあちゃんちょっとやめてよ!」と夢の中で声を上げたそうだが、祖母はとても嬉しそうだったと言っていた。
たかが夢の話だ。
だが祖母はおそらく、死ぬ前に母にありがとうを言っていない。
もしかしたら生きている間に、一度も言ったことがなかったかもしれない。
死にゆく人の気持ちは分からないが、祖母が最後に会いたかったのは、偏愛していた孫の私でも、実の息子でもなく、母だったんじゃないかと私には思えてならない。
そして同時に、母の思い出の中の祖母の姿も、あの夢を見たことで、「生きている間はいろいろあったけど、最後には『ありがとう』を言って旅立った人」に変わっていたらいいな、変わっていてほしいと願ってしまうのだ。
たとえその夢が、母自身から生み出されたものであったとしても。
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