本を買って影響されたら、家を買っていた話《週刊READING LIFE Vol.229「魅力的な相棒」が出てくる小説》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/8/28/公開
記事:久田一彰 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
今日も仕事が定時までに終わらなかった。いや、正確には仕事は終わったのだが、次から次に湧いて出てきて、いつまで経っても終わらないのである。仕事が入ってくる量と、終わらせる量のバランスが悪く、いつまでも痩せない私の体のように、脂肪ばかりが溜まっていくように、仕事がたまっていった。
せっかく42.195キロのフルマラソンを走り切ったのに、ゴールした瞬間、次のフルマラソンが始まっているような無残な状態が、もう10年近く続いている。いや、走っている途中で次の競技がいくつも始まってしまっているようでもあった。
あたりが暗くなり、もう今日は仕事を終わらせて帰ろう、車を仕事場へ返そうと走らせる。せめて暗くなった気分を変えようと、カーステレオをつける。会社の車なのでCDなどの装備はついておらず、ラジオだけがせめてもの楽しみだ。
ラジオのチャンネルはルーレットを回すように適当に変えていて、たまたまその日は、NHK-FM放送だった。ちょうど何かの番組が始まる頃だった。
「ラジオドラマ青春アドベンチャー。原作、梨木香歩。脚色、丸山智子。家守綺譚、第一回」
ゆったりとしたBGMとナレーション、わずか15分ほどの番組で、舞台は現代ではなく、100年ちょっと前の話だった。普段の仕事のあくせくした状況とは違い、落ち着いたナレーションは、ヒーリング効果のあるような耳に心地よかった。売れない物書きで主人公「綿貫征四郎」の話し声、死んでしまっているがこの世に現れたその親友である「高堂」。
やりとりを聞いていると、高堂の父親から和風の風情あるこの家の守りをしてくれ、ということから物語は始まる。北側には山や疏水、南側は田んぼが周囲を巡り、庭の木々やサルスベリや桜が綺麗な花を咲かせている魅力的な庭だ。ラジオドラマなので声だけの描写ではあるが、その様子は私の頭の中のキャンバスに、住んでみたいとも思えるような和風な家が描かれた。
嵐の晩、サルスベリが「イレテオクレヨウ」と枝を家に叩きつけ、床の間の掛け軸から死んだ高堂が現れる。普段なら怪異的な物語なのかと思ってしまうが、そうではない。この世とあの世をつなぐ床の間の掛け軸は扉の役割を果たし、そこが2人の唯一の接点でもある。
道で偶然あった野良犬を「ゴロー」と名付け家に迎える。友との約束を果たそうとしたり、また会えるよな、と確認したりする様子は、お互いが友であり信頼し切っている相棒のような存在なのだ。暗い車の中でひとりぼっちでいる私にとっては、うらやましい2人だ。
そうこうしている内に、ラジオドラマは終わり、会社の駐車場へ車を返し、その足で本屋へ向かった。話のその先がとても気になったのだ。車の中でとっさに付箋に「いえもりきたん』と書き殴り、メモを片手に書店員さんに本のありかを尋ねた。
案内された文庫本の本棚に『家守綺譚』(新潮社)はあった。これがあのラジオドラマの原作かと思うと、続きが気になり読みたくて、おもちゃを買ってもらった子供のように嬉しく、足速に本屋を後にした。帰りの電車の中で読み、帰ってからベッドの上で読む。
物語がどう展開していくのかはもちろん、庭の木々や家を守れるのか、高堂との絡みはどうなるのか、最後の結末はどうなるのか、それこそサルスベリのスベスベとした木肌のようにツルッと一気に読んでしまった。
一度読んだ後、目次をペラペラと見返すと、そこにはある法則のように、目次の名前が木や草花で統一されているのに気がついた。サルスベリに始まり、白木蓮やダァリヤ、萩にススキにふきのとう、サザンカ、桜、そして葡萄。知っているもの知らないもの28種類もの植物が登場している。そこにまつわる物語が展開されている。なるほど、この植物たちも物語の中では外せないもので、この家の庭における相棒のようなものでもある。話を読めば読むほど、この植物たちが気になり、エイヒレのように噛めば噛むほど味が出てくるものだ。
この本は私にとって、お気に入りになり、通勤電車でのお供はもちろん、休日の日のカバンにも必ずといっていいほど入っている。メガネを手放せない私のように、肌身離さずこの本を身につけていたい。
しかし、カバンを変えた日のあるあるだと思うが、仕事のカバンから休日用のカバン本を移し替えるのを忘れてしまった。スマホを忘れて出かけたような心細さになり、電車に乗っている間も、どこか落ち着かない。
駅に着いてからは本屋へすぐさまダッシュした。新潮社の文庫本コーナーに走り、すぐに同じ本を買った。なんだかもったいない気もするも、精神安定剤のように本があると安心感を得られた。
なんだかんだ同じことを繰り返して、とうとう文庫本が6冊にもなってしまった。同じ本を2冊買ってしまった経験はあるが、6冊は最高新記録である。しかもある日見つけてしまったハードカバー版もあるから、同じタイトルの本が7冊あることにある。うっかりもここまでくれば、大したものだと自分を褒めてやろう。
本を7冊所有し、何度も読み返すうちに、植物に目をやることが多くなった。街路樹にプレートがあると名前を探してみたり、日本庭園に行って探偵が事件の手がかりはないか、目を皿のようにするように、木々や草花のプレートを見て回る。特に国分寺駅から5分ほどの殿ヶ谷戸庭園には、年間パスポートを買って通うほどお世話になった。
サイトには「大正2年~4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となり、昭和54年には都立庭園として開園」となっており、どことなく本の設定、100年とちょっと前が、舞台の物語に出てくるような雰囲気が漂う。ここの紅葉亭の縁側に座ってこの本を読むのが何よりのストレス解消にもなった。
こう何度も通っていると、やはり日本庭園が家として欲しくなってくる。現実的には宝くじで1等が当たらないと無理だが、せめて本に出てくる数本の木々や草花でもいいから、庭付き一戸建てに欲しい。
そして、チャンスはやってきた。自分の想いがそうさせたのか、引き寄せたのかはわからない。ありがたいことに結婚して、妻との将来設計で庭付き一戸建てが欲しいと合致したのだ。35歳を越えて、子供のこと、家のことを考え、仕事と家庭を両立させたくなる。仕事で疲れた体を休める場所として、『家守綺譚』のように、和風で和室や床の間があり、サルスベリがあるような庭に住むことが、家を買う条件となった。
できれば街が新しい新興住宅地で新築庭付き一戸建てが欲しいのだが、なるべく駅近で、かなりの広さを担保できる敷地となると、値段がかなり跳ね上がってしまい、とても将来をかけて支払いできるような金額ではなかった。となると、駅から徒歩20分以上離れ、自転車や車で20分くらい駅から離れないと、なかなか見つからない。
毎日不動産のサイトをいくつも回り、朝早くや仕事が終わってから、気になっている駅で降りてみて街を歩き回る。もはや刑事ドラマで出てくる刑事になったかのように足で街を散策している。何かいい条件が見つかると、悪い条件も見つかり、えんえんとモグラ叩きをしているように、庭付き一戸建てを探す旅が続いている。
そうこうしているうちに、条件を新築から中古住宅へと切り替えた。すると値段は下がり、条件に合うような物件をいくつか見つかってきた。駅から近いか、和室はあるか、床の間はあるか、庭に木々や草花はあるのか手入れされているのか。お見合い写真のようにいくつも不動産サイトとにらめっこしていく。
銀行とローンの金額交渉、家主との値下げ交渉、不動産との話し合い、通勤や休日の過ごし方のシミュレーションもする。家の見取り図や建築図面、植栽配置図をなど見せてもらい、かつてのラジオドラマでぼんやりと描いた理想の家が、徐々に形となって現れてくる。こうしてどんどん話を進めていき、ついに、理想の家を手に入れることができた。
和室横の側を庭に抜ける。いくつかの植栽と小さな飛石は日本庭園を思わせてくれる。ひらけた庭には、物語に出てくるサルスベリではないものの、樹齢約30年の立派な枝垂れ桜がある。「これからよろしくお願いします」と枝垂れ桜に手をおき、あいさつをする。これで庭は整ってきた。お次は和室を自分好みにしようと張り切る。
本の中で床の間の掛け軸から、綿貫征四郎の相棒、高堂は出てきた。となれば、我が家にも掛け軸が必要だ。幸いなき祖母から掛け軸を譲り受けていたものもあるし、リサイクルショップで手に入れた掛け軸もある。これを飾ってひとまず完成だ。
もうひとつやってみたいことがある。物語で出てきた、七輪の上で鉄鍋をおき肉を焼くシーンだ。もうひとり(?)の相棒、犬のゴローとの出会いの場であるこのシーンを再現してみたかった。しかし、我が家には七輪も鉄鍋もない。
そこでホームセンターにいき、七輪と炭を買う。鉄鍋の代わりに網を買う。ここで思わぬ落とし穴にハマった。炭には外用と室内用の2種類があるのだ。私が買ったのは外用だ。これではダメだと、室内用の炭をもう一度買う。はやる気持ちを抑えて、これで大丈夫だろうな、と太鼓判が欲しくて、ネットやYouTubeなどで検索する。
すると、長火鉢でおっさんが肉を炙っている、なんとも魅力的な動画が出てくる。
これだ! 物語を現実にするためには、この長火鉢が必要だ!
思い立った私は、長火鉢を求めて、古物やアンティークを扱っているお店を探して、ロケットのような気持ちでお店に向かった。すぐにお店の方に長火鉢があるか聞き、長火鉢と五徳や火鋏、匙も一緒に買った。
準備は整った。これで物語を自分でも追体験できる。
和室で長火鉢に火おこし器で暖めた炭を入れる。竹筒に穴を開けた簡易的な火吹き棒で、ゆっくりと空気を入れる。炭は赤みを帯びて、その周りの温度が上がる。徐々に空気を送り込み、炭全体に火が行き渡ったところで、網をのせ、鉄鍋の代わりのスキレットで肉、まずはベーコンを焼く。卵を落とす。じっくりと火が食材に絡むので、いつもよりおいしく感じる。
お次は、すき焼きだ。直火をかけてもOKの器に、具材とたっぷりの肉をのっける。じわじわと煮立っていく様子は、いつもよりも時間がかかっているが、食べる楽しみもそれだけ蓄積されていくように思える。よく溶いた卵に、肉をさっと潜らせると、もう絶品だ。「これが文明開化の味か」と言いたくなるような気持ちだ。
ぺろりとたいらげ、和室の床の間を見る。もちろん物語のようにそこから高堂は出てこないし、犬のゴローが外にいるわけでもない。でも、確かにそこには本の雰囲気を感じられ、本の中に自分が存在しているかのようにも感じられる。
まるで天狼院書店が、本の先の体験『READING LIFE』を提供してくれるように、『家守綺譚』も、本の先の幸せな時間を提供してくれた。《おわり》
□ライターズプロフィール
久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科卒。
会社員とオヤジとライターを両立中。仕事・子育て・取材を通じて得た想いや、現在、天狼院書店『Web READING LIFE』内にて連載記事、『ウイスキー沼への第一歩〜ウイスキー蒸留所を訪ねて〜琥珀色がいざなう大人の社会科見学』を書いている。
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