週刊READING LIFE vol.230

本当に忘れたいことは忘れることができない《週刊READING LIFE Vol.230 忘れられないこと》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/9/4/公開
記事:都宮将太(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「忘れられないことって何だろう」
今回の記事を書くにあたって考えた。
高校時代の失恋か?
大学時代の失恋か?
社会人になっての失恋か?
 
失恋のことしか考えられない。
何か幸せなことはなかっただろうか。
志望校に合格したときの喜び!
目標とする企業に入社できたときの喜び!
 
プラス面でもマイナス面でも忘れられないことがある。
だが、今回記事にするのは私にとって最も忘れたいこと。忘れたいけど忘れられない悲しい記憶。
『母親の涙』だ。
私は記憶力が悪い。昨日勉強したことでさえ、翌日には忘れている。だが、あの日の記憶だけは、二十年近く経つ今でも記憶から消えてくれない……。

 

 

 

「学校に行きたくないって言うんです」
あの日、部屋の外から声が聞こえてきた。
声の主は母親だ。
誰に言っているのだろう? 家には私と母親しかしない。そうか。学校に電話しているのか……。
「学校休む」と言った日、欠席の連絡をするために学校に電話をしているのだ。
 
 
私は中学生の頃引きこもっていた。
平日で皆が授業を受けている時間に、昼のニュース等を見ていた。
夏のテレビ画面に映る高校球児によく嫉妬したものだ。
「自分もあんな風に学校に行って、皆と楽しく過ごしたい」と。
引きこもった原因は、いじめだ。
よくある理由だが、いじめの辛さは、当事者以外には決して分からないと思う。肉体的にも精神的にも辛かったが、自分が原因で母親が涙する姿を見るというのは、それ以上に辛いものだ。
 
 
いじめの原因はなんだったろうか?
記憶の糸を手繰り寄せる。
キッカケは私が学校を風邪で休んだ日、母親と買い物をする姿を見られたことだ。
今思うと実にくだらない。だが当時は、学校に行っていない自分が外出している姿をクラスメイトは良く思わなかったようだ。
その日をキッカケにいじめが始まった。
暴力を振るわれ、無視され、文房具を隠される。なんてこともあった。
「いじめられている人にも原因がある!」
なんて得意げに言っている評論家を見たことがある。今思い出しても呆れてしまう。いじめられている人を、さらなる地獄に突き落とすことが目的であれば大成功かもしれないが……。
教師は気づいていなかったのか。そんなはずはない。
加害者もコソコソいじめをしていただろうが、今思うと分かる。中学生が隠れてやっていることなど、大人はお見通しだ。
ベテラン刑事が、初心者犯罪者の悪事を見抜くくらい簡単だろう。
事務業務、保護者への対応等、仕事に追われ見て見ぬ振りをしていたのだろう。
 
 
母親の涙声を聞いた学校の職員が二名自宅にやってきた。当時の担任と学年主任だ。
私もその場の面談に同席したが、何を話していたのかは正直覚えていない。
かろうじて覚えているのは担任が言った一言、
「クラスの授業でいじめのことを話していいか? もちろん名前は出さない」
といった言葉だった。
「ふざけているのか?」
当時の私は思った。たとえ実名は出さずとも、しばらく登校拒否していた人間など、私しかいない。
担任の提案を断った記憶だけは鮮明に覚えている。
話しが決着する前に自室に戻った私は、その後、母親とどんな話が繰り広げられたかは分からない。
だが、何かしらの進展はあったのだろう。母親の暗い雰囲気が晴れているのが分かった。
 
 
私は担任たちが家に来てから、いや、母親の涙声を聞いた数日後、学校に行った。
中学生という幼い年齢が功を奏したのか、
「しばらく学校に行っていない自分が学校に行って皆からどう思われえるだろう?」
「皆は自分のことをどう思っているのだろう?」
なんて気持ちは一切無かった。
数ヶ月後の不登校期間を終えた登校初日、正直まるで記憶がない。
「嫌な記憶というのは思い出せない」
なんて言葉を聞いたことがあるが、そんな感じなのだろうか。
これが学園ドラマであれば、私はHEROになれる。
私が来たことで学校が大きく変化したり、不登校期間で鍛えぬいた体でいじめっ子を倒したり、クラスのマドンナと付き合えたりと……。
だが、現実は甘くない。
登校を再開した数日後から、いじめられる日々も同時に再開した。
 
 
「学校に行きたくない」
何度も思ったが、再び不登校になるわけにはいかない。
母親の涙を、もう見たくなかった。
あのときの、中学生ながらに感じた、心臓が大きな手で潰さるような感覚。
あの感覚を味わいたくなかった。
「母親を悲しませるわけにはいかない」と言った使命感が私を後押ししていた。
学校に行きだした私を見て、母親も笑顔と元気を取り戻したと思う。思うと表現したのは、本音を聞いてないからだ。
学校で辛い経験をしても、それを家で決して見せなかった。
もしかしたら気づいていたかもしれないが、その答えは分からない。今後も答え合わせはしないだろう。
 
 
そんな私でも、いじめっ子に一点だけ感謝している点がある。
それは、『公立高校に合格』したことだ!
不登校だった私は、当然ながら勉強が追いついていない。毎回行われる中間試験や期末試験など、最高得点をとった教科であっても三十点を下回っていた。当然とはいえば当然だ。
中学一年生の数学の内容を理解したのは、中学三年生だった。
私をいじめていた人間がいた。
この世から消えてほしいとまで思った人間だ。
そのいじめっ子も、私と同程度の学力だった。
ある日のこと、中学卒業後の進路ついて話し合いが行われた。公立高校に行く学力のなかった私は専願入試で私立高校を受験する予定だった。
そこで分かった。いじめっ子と私が進学を目指していた高校がなんと同じだったのだ。
同じ学力のため、必然的にそうなってしまう。
「高校も一緒やね!」
なんて言葉をかけられた。あの日の感覚が今でも忘れない。
 
 
中学生ながらこの世の終わりくらいに焦った。
高校でもいじめを受けるわけにはいかない。そう思った私は必死に勉強した。模擬試験で公立高校の総合判定「E」と最下位の判定だった私は、中学一年生レベルの内容から勉強しなおした。
家でも必死に勉強している私を母親は嬉しく思ったのか、応援の言葉を毎日かけてくれた。
勉強の動機については、今でも言えていない。
結論、努力の甲斐あって、私は公立高校に合格した。
目標通り、いじめっ子と進路は別々になった。
だが、それ以上に嬉しかったことがある。
合格発表当日、母親と合格パネルを見に行ったが、私の合格を目の当たりにした母親が泣いてくれた。
母親の涙で始まった、不登校からの再登校。辛いスタートは、嬉し涙という形でゴールすることができた。
 
 
この公立高校合格は私にとって人生の大きな転機だった。
私は高校で剣道部に入部した。高校での部活動経験者なら分かってくれるだろうと思うが、放課後に土日に部活三昧だ。
だが、それは私にとってとても良い経験だった。部活で忙しかった私の記憶から、いじめの記憶が消えていた。正確には思い出す暇もないくらい必死だった。
部活もいじめも辛かったが、辛いの意味合いに天地の差があった。
ともに辛い経験をした部活の仲間たちとも親しくなり、お互いに切磋琢磨して目標を追いかける経験もできた。
中学時代、不登校がった私がテレビ越しに嫉妬していた、高校球児のようになれた感覚だった。
高校で剣道部に入部した私は、おかげで、精神的にも体力的にも強くなった。
高校に入学して一年近くが経過したとき、いじめっ子と最寄り駅で偶然にも遭遇した。
自分でも驚くほど冷静で何も感じなかった。
「お疲れ!」
そう言うと、いじめっ子の反応を待たずに去ることができた。

 

 

 

母親が涙する姿を見た日から二十年近くが経った今、思うことがある。
それは、
「私がいじめられている事実を知った母親はどう思っただろう」
ということだった。
中学時代は学校を欠席する際、保護者が学校に連絡していた。
頻繁に学校を休んでいた私は、そのたびに母親が学校に電話をしていたが、一度も泣いている姿を見たことなかった。にもかかわらず、あの日、突然泣き出した。
学校に行かない私のことで、相当悩んだはずだ。夫婦で話し合ったりもしたことだろう。
自分の仕事もある中、相当な負荷だったはずだ。
そんなストレスが急にはじけての涙だったのかもしれない。
私は結婚していない。子供もいない。そのため、自分の子供がいじめられている経験をしたことがない。
母親がどう思っていたかは分からない。
だが、ある日、いじめのニュースを見ていた母親が口にした言葉を今でも鮮明に覚えている。
「いじめられていることは言ってほしいよ」
これは完全に親目線の言葉だ。
中学時代、私はいじめの事実を隠していた。隠しきれておたかは分からないが、母親に知られるわけにはいかない。そう思っていた。
そんな過去の自分に向けられ言葉のようにも感じた。
 
 
いじめの前兆があった早い段階から恥ずかしがらずに母親に相談していたら。なんて思ったこともある。
もしかしたら、いじめの事実を知っていた母親は私から相談してほしかったのかもしれない。そうすることで、母親の悲しみや負担も減ったのか知れない。そう思うと心が痛んだ。
学校のテストのように、答え合わせはしていない。
当時、母親がどう思ったのか。なんてことは今でも分からない。
だが、一つだけ私の中で確固たる決心が生まれた。
決して母親を悲しませてはならない!
ということだ。
この答えがゼロ点であっても、私は本望だ!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
都宮将太(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県生まれ。福岡県在住。
自慢できる肩書き・出版実績・メディア掲載は一切なし。
2023年4月開講のライティングゼミ、2023年7月開講のライターズ倶楽部に初参加。
東野圭吾さんの「ガリレオシリーズ」をキッカケに、推理小説を好きになって約六年。自分でも推理小説書きたいと思い、「このミステリーがすごい!」の大賞受賞を目標としている、ビールと本と漫画が好きな三十歳。

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2023-09-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.230

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