勘違いの記憶は、父からの贈り物《週刊READING LIFE Vol.230 忘れられないこと》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/9/4/公開
記事:ぴよのすけ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
子どものころ、うっかり口を滑らせてエライことになってしまい、「私のせいで両親はこのまま離婚してしまうんじゃないか」と、不安と罪悪感で押しつぶされそうになった思い出がある。そのときのことは私の中で「振り返りたくもない暗黒の記憶ファイル」に分類されてしまったので、誰にも話さず家族の中でもその話題には触れずにきたが、この間私と弟と母の三人でおしゃべりしていたとき、誰言うとなくその話になった。結論から言うと、三人が三人とも「あれは自分のせいだった」と思っていたことが分かり、同じ時間と場所を共有していたのに、どうしてこうも話が食い違うのかと大いに驚いた。人の記憶なんてあてにならないし、鮮明に覚えているからといってそれが正しいとも限らないんだなとつくづく感じた次第だ。
あれは小学六年生の夏だった。母が晩御飯の支度をしていて、私と弟はそれを手伝っていた。父は仕事柄、家で夕食を取る日が二日に一回しかなかったため、父が帰ってくる日、母は食卓に五~六品はおかずを並べていた。この日の主菜は天ぷらで、二つ年下の弟が天ぷら鍋の前でせっせと揚げ物をしていた。母と私はそれぞれ、別のおかずを作っていた。
ガラガラっと玄関の引き戸を開ける音がして、父が帰宅した。ここからは私の記憶だが、父は台所に立っている弟を見るなり「男が料理なんかするな! みっともない!」と怒った。父には瞬間湯沸かし器みたいなところがあり、「え、ここで?」と周囲がびっくりするようなシーンで突然怒り出すことがある。このときもそうで、父が怒り出した瞬間、真夏にもかかわらず、その場の空気が一気に凍り付いた。私たち三人、イラストにしたら白目に縦線の入った顔になっていたはずだ。そのとき、こうなった父の機嫌はあくる日にならないと直らないと分かっているのに、ついうっかり私が言ってしまったのだ。「父さん、そんなん古いわー」という余計な一言を。
もしかしたら今日に限って「お、そうか? ワシが古かったか。ハハハハハ」などとコロッと気分を変えてくれるんじゃないかと一発逆転・起死回生を狙って放った一言は、悲しいことに火に油にしかならなかった。父は「なにぃ!?」と私をにらみつけると、今度は母をなんだかんだ怒鳴りつけたあと、くるりと踵を返すとそのまま玄関から出て行った。バシン! という引き戸をたたきつける音とともに。
それから父は何日も家に帰ってこなくなった。いや、いったんは帰宅するのだが、車庫で仕事用の車から自家用車に乗り換えると、ブオーンとエンジンを空ぶかししてどこかに行ってしまう。布団の中でその音を聞くたび、私はなんてことをしてしまったんだろう、このままお父さんが帰ってこなくなったら私のせいだと震えていた。
母も相当参っていて、ある日の夜、母は私を目の前に座らせると「どんなに謝っても父さんが許してくれない。母さんはもう、どうしたらいいか分からない」と泣き出した。謝る? いったいなぜ母が謝る必要があるのか。みんな父のためにご飯を用意していただけじゃないか。謝るなら私のはずだ。母は悪くない。と言いたいことはたくさんあったが、「うん、大丈夫、大丈夫だよ母さん」と私は母の背中を撫でながら言い続けた。
それから数日が過ぎて、小学校の一泊二日キャンプの日がやってきた。家の中がそんなことになっていたものだから、普段ならウキウキして出かけるはずの行事もちっとも楽しみじゃない。願いごとを書いた紙をキャンプファイヤーで燃やすから用意しておくように先生に言われていたので、悩んだ挙句「家内安全」と書いた。言わずもがなだが、家内安全とは家族の無病息災を祈る言葉だから、かなりズレたお願いだと自分でも分かっていたが、友達同士で「ねえ、何て書いたか見せてよ」という話になるに決まってる。だから、「お父さんが家に帰ってきてくれますように。私たちを捨てませんように。離婚しませんように」とはさすがに書けなかったのだ。「神様スミマセン、そんなわけなんで現状に合わせて適当に読み替えてください!」と頭の中で祈りながら、私はその紙を燃え上がる火の中に放り込んだ。
翌朝、みんなで朝御飯を作って片付けをした。帰りたいけど帰りたくない。「家に帰ったらまた、あのピリピリした空気のなかにいなければならないのか……」と憂鬱な気持ちで帰宅したら、なんと父が食卓に座って昼ご飯を食べていた。えっ、こんなに早くお願いごとがかなったの? 父と母の間に流れる空気はまだギクシャクしていたが、もう大丈夫だろう。今私がすることは、何事もなかった顔をしてフツーに食卓につくことだ。それにしても、キャンプファイヤーの願いごとの威力はすごい。すごすぎる……。
……と、ここまでの話をしたところ、弟が「姉ちゃん、それは違う。父さんが怒ったのはオレのせいだよ。天ぷら油がはねたのにびっくりしてオレが天ぷらを落っことしたことに怒ったんだよ。で、姉ちゃんが『古いわ』って言ったのは、オレは記憶にない」と言った。私は私で弟が天ぷらを落とした覚えはないし、父が弟を怒鳴った記憶もない。いったいどうなっているのか。すると今度は母が、「違うよ、あのとき父さんは夕飯を食べたらすぐに出かける用事があったのに、帰宅してもご飯ができていなかったから母さんに怒ったんだよ。で、あなたが『父さん古い』と言ったことは私も覚えていないし、君が天ぷらを落っことしたのも記憶にない。それに母さん、あなたの前でそんな泣き言を言ったの? それも全然覚えてない」と言い出した。
母によると、あの日は父から「帰宅したらすぐ夕食を食べられるよう用意しておいてくれ」と言われていたため、母が私たちを総動員して、てんやわんやで夕食の支度をしていたのだそうだ。その最中に帰宅した父は「頼んだことができていない!」と怒って出て行ったあと、夜中過ぎに帰宅した。だがその日以降、仕事には行くが帰ってきたらまたすぐどこかに出かけ、真夜中を過ぎて帰ってくる、しかし母とは口を利かないという日が一週間ほど続き、最終的に、母が謝り倒してやっと許してもらったのだと聞かされた。
三人の話を総合すると、母の記憶が一番真実に近そうだが、本当のところは父に聞くしかない。だが、聞いたところで覚えていない可能性が高いし、覚えていたとしても「もう昔のことは時効にしてくれ」と口を濁すだろう。
児童心理学ではよく知られた話だが、何か問題が起きたとき、子どもは「それは自分に非があったからじゃないか」と疑ってしまうという。それは主に、問題が起きた理由が分からないという状況に耐えられないとか、相手を責めたくないといった心理が働くからだ。たとえば夫婦喧嘩を見た子どもが「私が悪い子だから、お父さんとお母さんが喧嘩した」という理由をつければ、「私がいい子でいれば二人は喧嘩しない」という解決策が見つかり、大好きな両親を責めずに済む。大人なら、問題が起きたその理由を推察したり想像したりして、「たまたま虫の居所が悪かったに違いない」などと、それが自分のせいかそうでないかを冷静に分析できるが、子どもは相手と自分の境界線が曖昧だから、相手の問題=自分の問題ととらえてしまうのだそうだ。
このことは知っていたが、まさか弟も私もその罠にはまっていたなんて思ってもみなかった。記憶があまりにも鮮明だから、それが不完全だなんて想像もしていなかったのだ。人は自分が思いたいように思い、記憶したいものだけをふるいにかけて記憶するのだと改めて思い知った。
さて、誤った情報を記憶していたと分かったのだから、それを上書き修正する必要がある。今の私は12歳の小学生じゃないのに、「あれは私のせいじゃなかった」と分かってもなお、あのときのことを思い出すと罪悪感が湧いてくるからだ。こんなもの、持っておく必要がない。記憶だけが残ってくれればいいのに、記憶はいつだって感情とセットになっているから厄介だ。
当時の父は41歳で子育て経験は一応12年。だがあの時代の男親だから、子どもと大して深く関わってはいない。一方私は、52歳でガチな子育て経験19年。少なくとも今の私にとって、当時の父は若輩者である。
父には欠点を補って余りあるほどの長所もあるが、今日はそれは脇に置いておいて、このときのことだけを分析してみる。客観的に眺めてみると、まあずいぶんひどい話じゃないか。今の私が当時の父と対面したら、いったい何と言うだろう。
食事の用意が終わっていないのなら、あるものだけ食べればいいだろうが(腹減ってたんだろうな)。
人の失敗を責められるほど、自分は完璧な人間なのか(完璧じゃないから責めちゃうんだよな)。
「男が台所に立つのはみっともない」だと? 自分の食い物を自分で作れない男の方がみっともないわ(そういう価値観の親に育てられたんだよな)。
言いたいことがあるならちゃんと口で言え。妻を無視しながら身の回りの世話だけはキッチリさせるとは片腹痛い(母に甘えてるんだろうが、甘え方が違うぞ)。
自分の機嫌は自分で取れ。家族を自分の不機嫌に巻き込んで当たり前だと思うなよ(家族の機嫌を抜群に取る力もあるのにな)。
母を泣かせるな。惚れた女を泣かせるな(そんな自分を情けなく思っていること、知ってるぞ)。
……キツイ。今の自分の目線から見えたものを言語化すれば内側でくすぶっている罪悪感を払拭できると思っていたが、そうではなかった。大人になった今でも、それが昔のことであっても、親を批判するのはこんなにしんどいのだ。もうしたくない。すればするほど、父のいいところばかりが浮かんできて、ますます胸が痛くなる。今の私はもう、欠点だらけでも昔の父を受け入れたいらしい。
結局のところ、程度の差はもちろんあるが、完全な人間もいなければ、完璧な人間もいないし、完璧な夫婦関係、完璧な子育てもないのだから、怒ったり、傷ついたり、言い返したり、泣いたり、わめいたりしたあとは、それらを自分の肥やしにするしかないのだ。
起こったできごとは一つでも、そこから学べることは無限にあるのだから、どんなことを学び取るかは自分に決定権がある。「こんな目に遭わせやがって」「あいつがこうだから、私はこうなった」と相手を恨みつづけることを選ぶ? そんなのはイヤだ。だったら相手が謝ったり償ったりしてくれなければ、私は永遠に幸せになれないじゃないか。
それを踏まえて12歳のあのできごとを振り返ったら、私のすることは明白だ。
お父さん、私の反面教師になってくれて、本当にありがとう。
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ぴよのすけ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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