週刊READING LIFE vol.236

多くの教訓と為った旅《週刊READING LIFE Vol.236 私のベスト・トリップ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/10/23/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
シンガポールという国は、北緯2度に位置する。
このことを忘れた場合とんでもない事に為ると、その旅は教えてくれた。
痛い程。
 
「はい、ちょいと悩んでいます」
 
と、旅の参加可否を問う電話に、私は気の無い返答をしていた。
何故なら、私は暑い所が何より嫌いだったからだ。
更に、40年弱前の私は未だ若く、折角海外へ行くのなら少しぐらい危ない所の方が面白そうだとも考えていた。
 
その旅行は、私の会社が加盟していた組合に対する、取引先である総合商社の接待だった。今考えると、バブル期前に海外旅行、それも団体での招待とは、かなり豪華だったと言えよう。
招待旅行の行き先は、シンガポールだった。
 
もう一度申し上げるが、40年近く前の話だ。
当時からシンガポールは、綺麗で安全な街として知られていたが、現在の様に高層ビルが立ち並ぶ街では無かった。
空港は、現在、アジアのハブ空港として活用されているチャンギ国際空港が開港したばかりだったと記憶している。何せ広い空港だったので、やたらと歩かされたことを記憶している。
 
総合商社の招待だったので、参加費用は掛からなかった。無論、成田空港迄の往復交通費や、滞在中の雑費や土産代は自腹だった。しかし、会社名義で招待されたので、私はそれらを経費で落とすつもりでいた。
 
最早完全に、義務としか思えない旅行だった。
しかし、折角の海外旅行なので、私は盛り上がらない気持ちを奮い立出せて参加することにした。
 
何でそこ迄、躊躇したのか。
そこには、上記した二つの理由以外にも、思い当たる節が在った。
 
私は元来、団体行動が苦手なのだ。
というか、自分の行動を他人(ひと)に合わせると、妙に窮屈を感じて仕舞うからだ。
しかし、そろそろ大人として行動をしなければならない年齢に為っていたので、この時を機に行動を改めねばと考えたのも事実だ。
 
そしてもう一つ、学生時代に申請したパスポートの使用期限が、迫っていたことも有った。
 
「ま、最後にもう一度使っておこうか」
 
と、私地自分に言い聞かせてみた。
 
当時のパスポートは現在と違い、一度の渡航しか有効ではない単次旅券(たんじりょけん)と、5年間有効の数次旅券とに分かれていた。
確か、19歳の初渡米の際に申請したものが、もうすぐ切れるからと自分に言い訳した記憶が残っている。
 
意を決した私は、総合商社の担当者に、
 
「折角の機会ですので、参加させて頂きます」
 
と、連絡した。
1983年の年明け早々のことだった。
そうと決まった以上、私は徐々に旅行の準備を始めた。
 
問題は服装だった。
行程は、3月18日から5日間だ。
『暑さ寒さも彼岸まで』という諺が有るが、東京は未だ未だ冬の様に寒かった。
しかし、北緯2度のシンガポールは、真夏の気候だと伝え聞いたからだ。
私は仕方なく、シャツ一枚の上に冬用の厚手のコートを羽織り、成田空港へ向かった。未だ、軽いダウンが一般的では無かった時代だ。
当時の国際線は、首都圏では成田発着便しか無かった。
私は、荷物を手に厚いコートを着て箱崎のエアターミナルに向かった。5日間用の、小型のキャリアが無かった時代だ。荷物は大変重かった。
丁度通勤時間と重なったので、箱崎までの地下鉄も混みあっていた。いくら寒いといっても、3月の満員電車に、厚手のコートは暑過ぎた。
私は箱崎に着く迄に、大汗をかいてしまった。
 
成田空港迄のリムジンバスの中で、私は既に疲れ始めていた。
元々私は、バスが苦手なのだ。
まるで帰国後のような足取りで、私はリムジンバスを降車した。そして、手荷物預かり所へ向かった。
これから、真夏の北緯2度の地へ向かうのだ。分厚いコートなんぞ、持って行く訳にはいかないのだ。そこで、手荷物預かり所へ真夏の地に旅行中の真冬のコートを預けることにしていたのだ。少しの費用で、真夏からの帰りの服装に困ることは無いと考えていたのだ。
 
服装はそれでよかった。
問題は、その他の荷物だ。
 
団体行動が苦手な私は、必然的に旅行中は孤独になることが予想された。
ネット社会の現代なら、ライティングを始めた現代なら、ラップトップPCと、精々スマホが有れば孤独を解消することが出来る。書き物をするもよし、調べ物をするのもニュースを知ることも自由で可能だ。
時間は幾らだって使うことが出来る。それどころか、時間が足りなくなる恐れだってある。
 
ところが、40年も前のことだ。小型のキャリーすら無かった時代だ。
旅行中の孤独は、読書で解消するしかない。
私はこの5日間の旅行の為に、12冊の本をセレクトし荷物に詰め込んだ。真夏の地で、外を出歩くことがないと考えてのことだ。
もっともその為に、荷物が異常に重く為って仕舞ったのだが。
 
想定外のことが私に起こった。
元々、南の地に興味が無かった私は、シンガポール迄は4時間程のフライトと思い込んでいた。グアム迄が、確か4時間半程だったからだと思う。
 
ところが、聞いたところによるとシンガポール迄は7時間のフライトだそうだ。
前年、NY迄11時間のフライトを経験していた私は、
『シンガポールって、どんだけ遠いんだ!』
と、早くも気持ちが沈んでいた。
 
しかも、気落ちした私に追い打ちが掛かった。
予定していた日航機の到着が遅れた為、キャセイパシフィック機へ乗り換えと為ったのだ。しかも、このCP便は途中、香港で給油の為に降りるというのだ。
結局、私の真夏行きは、都合で10時間を超えるフライトと為った。
『同じ10時間も使うのなら、SFにでも行きたかった』
私は一人、悪態を吐きたくなった。
 
10時間を超えるフライト中、私は周りの同業者を余所(よそ)に、ただただ読書に勤しんだ。
他の者は、飛行機が水平飛行に為った途端に酒を煽り始めたからだ。
私は、生粋の下戸だ。
 
飛行機が、香港上空に差し掛かると、機内に嫌な臭いが立ち込め始めた。
返還前の香港独特の臭いだ。
私は途端に、気分が悪く為った。
 
香港の空港に一旦降りた際も、私は本を読み続けた。
少しは気分を逸らそうとしての行為だ。
その御蔭で私は、何とか醜態を晒すことなく再度搭乗し、無事シンガポールに到着した。
 
想定外だったのは、フライトが予想より長過ぎたせいで、持参た本の内3冊を読了して仕舞った。
 
シンガポールの地は、予想通りだった。
ただただ暑かった。
接待で出てくる食事は、南国らしく辛かった。酒を嗜む他の方々には、取れも好評だった。
しかし下戸の私には、食べられる物が殆ど無かった。
御腹は空くので仕方なく、ホテルに帰投した後、向かいのマクドナルドへ行くことにした。
私はこの後3日半、日本とは違い味付けのハンバーガーで耐えねばならなかった。その上、飲み物は、ホテルに用意された御茶だけだった。
 
現代なら、ペットボトル飲料が、世界中どこでも簡単に手に入る。
ところが、コンビニがまばらでペットボトルすら出現していなかった当時、私が飲むことが出来る飲料は皆無に等しかった。
私は、炭酸が入った飲料を飲むことが出来ない。ガスに弱いからだ。
さらに、甘みの付いた飲料も好まない。飲む物といえば今でも、ブラック珈琲か無糖の御茶だ。
ペットボトルが無かった当時、それ等の飲料は目にしたことがなかった。
有ったのは精々、190cc缶の御茶位だった。しかもそれは、日本国内での話だ。
しかも当地では、コンビニすら未だ無かった。当然、私は好む飲料は何処にも売ってはいなかった。
マクドナルドですら、炭酸が入った甘い飲み物しか販売していなかった。
 
私のシンガポール引き籠りは、拍車が掛かっていた。
 
招待旅行といっても、形ばかりの視察は有った。
私は可能な限り、屋内に居る様に務めた。
何しろ彼岸の頃の北緯2度は、太陽が本当に真上に在るのだ。
小学校の時に習った、地球の地軸を考えれば御解かり頂けることだろう。
寒暖計の気温は、45℃近くまで上がっていた。
 
私の読書は増々進み、遂には2日を残して持参した本を全て完読してしまったのだ。
『さあ、どうしよう』
と、考えた私は、日本大使館へ電話を掛けた。
日本語の本を購入できる場所は無いかと尋ねる為に。
大使館員は丁寧に、街の中心部に在る書店を紹介してくれた。
私は早速、その書店へ向かい、文庫本を3冊ほど購入した。それも、坂口安吾と安部公房、そして大江健三郎の著作を。
なるべく精読して、時間を稼ぐことを目標にしたからだ。
 
この目論見は見事に当たり、その後、読書に苦労することは無かった。
苦も無く、時間を使うことが出来た。
 
文豪に作品は、時間を掛け精読するのに丁度良かった様だ。
 
殆ど、読書に費やした1983年のシンガポール旅行、帰りの機内アナウンスは、同行者に衝撃を与えた。
『機長の○○です。新東京国際空港(成田)への到着時間は、定刻通り16時を予定して居ります』
『東京の気温は2℃。天気は雪です』
と、いうものだった。
 
周りの乗客は、口々に、
 
「2℃だって!」
「雪だって!」
 
と、驚きの声で会話していた。
私は一人、
『成田には、冬用のコートを預けてあるものね』
と、ほくそ笑んでいた。
 
 
ところが、『見ると聞くとは大違い』の言葉が在る通り、実際の2℃と雪に出遭うと、想定外の結果と為ることがある。
 
それは、真冬の2℃と、春先の2℃では、体感が違って来るからだ。
特に私の様に、真夏に居た者がほんの数時間で真冬の気候に戻されると、一気に体調を崩す場合があることだ。
 
私は、成田空港から一歩外へ出た直後、悪寒に見舞われた。
箱崎に着く頃には、クシャミが止まらなくなった。
 
やはり、40℃を超える寒暖差は、只事ではない。
 
私は帰国翌日、40℃近い高温の体温と為って仕舞った。
年度末にも拘らず、3日間も寝込んでしまった。
 
多くの人に、迷惑を掛ける結果となった。
 
 
そこで、この旅行で得た教訓。
 
・いくら無料だからといって、気が進まない旅行は避けた方が良い。
・飲むことが出来る飲料は、現地でまず確保すること。
 
そして、
 
・旅行中は、精読出来る文豪の作品を携帯した方が身の為だ。
 
と、いうことだ。
 
 
私は懲りた為か、その後は二度と、南方へ向かったことがない。
 
いい教訓を与えてくれた旅だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2023-10-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.236

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