第27章 こっそり食べる悦び〜背徳の味は蜜の味《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》
2022/10/31/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
ついつい隠れて食べてしまう、そんな食べ物はないですか。
例えば夜、家族が寝静まってからこっそり作って食べるインスタントラーメンとか、小腹が空いた時につまむファストフードとか、体に悪いと一般的に言われたりするし、一応それなりにメタボや健康に気をつけてはいるつもりだけれど、ついつい食べてしまうんです、というものの一つや二つ、ありますよね。
背徳的なものは、美味しいのです。
いわゆる健康食、自然食と言われるものや、オーガニックと言われるもの、自然の栄養分をしっかりと蓄えた農作物は、もちろん美味しいものです。一昔前だと自然食は美味しくない、と言われることもありましたが、ここ十数年の料理研究家の台頭、ブログ文化、SNSの普及により、レシピの交換や情報の交換が個人レベルでも頻繁に行われるようになったことも手伝って、体にいいと言われるものも、そういう自然食に対して馴染みがなかったり、また懐疑的ですらある人たちにとっても、美味しいと感じるものになりました。素直に美味しいものは美味しい、これはれっきとした事実です。
しかし、こっそり食べるもの、イケナイものほど、なぜか美味しく感じてしまう。
いわゆるジャンクと言われるものほど、なぜか食べ出したらやめられない。太る、とわかっているのにスイーツやスナックはやめられないし、二日酔いになるとわかっているのにお酒をやめられなかったりする。
一体、美味しいというのはどういうことなのでしょう。
そしてなぜ、イケナイものに限ってそんなに美味しいのでしょう。
人生も50まで生きてきたならば、背徳的に食べる喜びの一つや二つ、持っていたいものです。
食べてはイケナイと言われるほど食べたくなるのはなぜ?
だめ、と言われるととたんにやりたくなる、それが人の心というもの。心理学ではこれをカリギュラ効果というそうです。
浦島太郎の玉手箱や鶴の恩返しの織物、舌切り雀のつづりやギリシャ神話のパンドラの箱のように、やってはいけないと言われたらやりたくなる、それは誰しもがもっている人間の習性、性です。
これはつまり、禁止されることによってストレスが生まれ、そのストレスから強い反動、反発が生じるために、禁止されたことをどうしてもやりたくなってしまうという、心の動きが起こるためです。このことを心理リアクタンスと呼んだりもするのですが、簡単にいうと、人は禁止されればされるほど、それをやりたくて仕方がなくなるという生き物なのです。
よく、「食べてはイケナイもの」というような表現をします。
例えば、自然派の方達がよく、スナック菓子やファストフードは食べてはいけない、とか、揚げ物や脂っこいもの、塩分の多いものは食べてはいけない、と言ったりします。これは健康になりたいのであれば、体によい影響を及ぼさないと思われるものはなるべく排除したほうがいい、という考えに基づいているのですが、そういうものはわかっちゃいるけどやめられない、という方が多いのはそのためです。
ダメ、と言われるほど、やめられない。
しかも少々のスナック菓子やファストフードを食べても即死するわけではありませんから、いくら体に悪いともし言われても、まったくピンと来ないのです。食べてすぐにお腹を壊したり、頭痛がしたりするのであれば、その不快感が嫌だから次回は食べないようにしようと人は本能から判断しますが、それがない以上その食べ物を食べない理由が、持つことができないでいるのです。
そもそも「美味しい」って何?
美味しいか、美味しくないか。食べ物を表現するときはほぼこの二択で全てが決まる、と言っても過言ではありません。どんなに見た目が美しい食べ物でも、食べて美味しくなければ終わり。また反対に見た目が美しくなくとも、食べて美味しかったら万事オッケーですので、いかに「美味しく」あることが大事か、がわかります。
しかし、美味しいというのは、一体どんな基準なのでしょう。
例えばレストランの格付けをする機関があります。世界的に有名なミシュランやザガットといったものもあれば、国内で圧倒的な支持を得ている食べログやぐるなびがあります。それぞれがそれぞれの基準やスタイルでレストランの評価をし、その店が美味しいか美味しくないか、良い店かどうかを判断、そして格付けしているものですが、これらの基準はそれぞれ違っていて、ランキングも異なります。媒体ごとの基準があるのでしょう、それぞれが特徴を持ち、ベストレストランを選んでいます。
こういったランキングは確かに、人気店かどうか、美味しいかどうかの判断材料にはなりますが、あくまで決定打にはなりません。なぜなら、それぞれのガイドでも順位が違うこともそうですが、究極、食べてみたら人によって意見が変わることは珍しくないからです。
人にはそれぞれ、好みというものがあります。
卵焼きは砂糖入りかかなしか、唐揚げは片栗粉か米粉か、パンは食パンかフランスパンか、というように、その微妙な違いによって私たちは簡単に自分の好きなもの、好きな味、つまり嗜好をもっています。味の好みの違いは案外大切で、人が自分と同じ感覚をもっているだろうと思って接するとえらい目に遭います。
自分も好きだから相手も好きだろう、と思ったら大間違い。
人の好みは千差万別、多種多様ですから、むしろ自分と同じもの、同じ味を美味しいと感じる人を探す方が困難かもしれないぐらいです。
人は生まれ育った環境が違います。住んでいる場所や親が違います。自分と同じ「ような」人はいても、自分と同じ人は存在しないわけですから、そうなると味覚が全く異なってもおかしくはありません。
味覚の形成は3歳になるまでにそのほとんどが完成します。また9歳までに覚えた味は一生忘れることがないと言われるぐらい、幼少期の食生活や食習慣が、その子の一生の味覚に関わります。
この時たくさんの味を体験、経験していたり、また素材の味に触れる機会があればあるほど、食べ物の細やかな味の違いに気づくことができます。
そして面白いことに、細かい味がわかるようになればなるほど、「美味しくない」と感じて食べられないものが増えていきます。つまり、味覚に敏感であることと、美味しさがわかることはまた全く別の次元の話、ということができます。
美味しさ、というものは、個人の主観や意見、感覚にものすごく左右されるものですから、実はなんとも当てにならない、不安定な表現であると言えるのではないでしょうか。
なぜか英語ではたくさんの「美味しい」がある
美味しい、という表現は、日本語だとこれ一つしかありません。
味がいい、とか美味とか、若干のバリエーションはあるものの、究極テレビの食レポでも、晩御飯の食卓でも、レストランのテーブルでも、使われる単語は「美味しい」の一択です。
一方英語だと、delicious, good, tasty, scrumptious, rich, flavoursomeなど、かなり多くのバリエーションがあります。何が皮肉かって、英語圏の食べ物はイギリスを筆頭に、アメリカ、オーストラリアと、美食やグルメや食べ物の美味しさが顕著に評価されている場所ではないことです。
どちらかというとイギリスは「美味しくない」が代名詞(注1)ですし、オーストラリアも基本はイギリス文化がベースにあるから然り、アメリカに至ってもハンバーガーにステーキが代表的な国民食であることを考えると、なぜそんなにたくさん「美味しい」を表現する単語が存在するのかと不思議になるほど、美食の国ではありません、
一方日本はというと、和食はユネスコの無形文化遺産に登録されるほどに評価されていたり、また海外では「ヘルシー」と、健康に気を遣うアッパーからミドル層の人たちを中心に人気です。もちろん国内でも、日本全国で食べるもののバリエーションがものすごく、同じ日本の食べ物とは思えないぐらいの食材や料理に恵まれています。またミシュランの星つきレストランも本場のフランスに次いで世界2位。それほどまでに美食と謳われている国の、美味しさを表す形容詞が「美味しい」一つしかないというのは、一体どんな意味があるのだろう、と想いを馳せてしまいます。
もしこれを東洋哲理、陰陽五行の理論で考えてみると、実際の味覚体験にバリエーションがない国ほど、言語で豊かさを補おうとするのかも知れません。
日本は豊かな食文化がありますから、それをわざわざ言語で表現する必要もなく、美味しいか美味しくないかの一言で片付いてしまう。しかし大雑把な食文化を持つ英語圏の国は、言語で豊かさを補おうとしているのかもしれないと、少し穿ったものの見方かもしれませんが、やはり私は日本人の、少しストイックとも言えるような美味しさへの執着を、垣間見ずにはいられません。
美味しいではなく「気持ちいい」
そこで、背徳の味が美味しいとはどういうことかを考えてみたい。
食べちゃダメと言われるものほど美味しいと感じる、というのは先ほども述べたことですが、これをもう少し深ぼって考えてみると、美味しい、というより、気持ちいい、心地いい、が正しい表現のような気がします。
なぜなら、明らかに、美味しさの基準からすれば、インスタントフードやジャンクフードは、どう考えてもミシュランの星付きレストランのテーブルには登らないし、そういう味の基準から言えば、明らかに美味しくない。
つまりこれらは、「美味しい」のではなく「いい気持ちになる」が、正しい表現なのではないかと思います。
深夜3時にラーメンを食べるのも、お腹いっぱいなのにケーキを食べるのも、家族がこっそり隠して食べているお饅頭を食べるもの、美味しいから食べるのではなく、そうすることで自分の気持ちが心地よくなるから、だから私たちはこれらを「美味しい」と表現してしまっている。
美味しいと心地いいは、なんとも曖昧な違いなのだろうか。
確かに美味しいものを食べると幸せになるし、それはつまり心地いいということになります。私たちは美味しいから食べるのではなく、心地よくなりたいから食べるのだと、改めて人間の食べるという行為の意味を考えさせられてしまいます。
お腹を満たすために食べるのであればただの動物と同じですが、人は心地よくなるため、そして幸せになるために食べるんだということが、こういうところにも表れているのかと驚きます。
人は何のために生きているのか、という哲学的な質問に対する答えは、誰も確実なものを持ってはいません。
しかしだからこそ、その人なりの基準があるし、意味がある、ない、という議論すらあったりします。
全ての存在に意味があり、価値があると考えるとするならば、私たち人間の存在価値とはなんだろうかと考えてしまいます。
ただ毎日のルーティンをこなしていて、それでも生きていけはするけれど、果たしてそれが本当に人が幸せに生きる道なのか、やっぱり考えてしまうのです。
美味しさの基準が人それぞれなのと同じように、幸せの基準もそれぞれです。
自分の基準を人に押し付けるものではありませんが、それでもやっぱり、これだけは押さえておきたい。
人は、幸せになるために生まれてきたし、人が生きる目的は自分も他人をも幸せにするためです。人生はさまざまなステージで、嫌なことやキツイこと、苦しいことが起こりますが、それは誰にでもある人生の一面で、自分だけが辛いわけではありません。
そのような人の一生の中で、人は毎日必ず何かを食べます。
ちょっと体調が悪かったり、食べる時間がなかったりで1、2日食べないことはあるかもしれないですが、基本的に人は毎日、食べてその日を生きていくのです。
食べることは生きること、そして食べることは幸せになることです。
日々いろいろな出会いがあり、いろいろな苦しみや悲しみがあるなかでも、それでもまた笑って過ごせるようになるのには、きっと食べることがなんらかの役にたっているんじゃないかと思います。
人は幸せになるために食べています。
健康になるために食べる、も、間違っているとはいいませんが、食べて健康になるのはあくまで一つの結果にすぎません。
それよりも人は、日々幸せを感じ、その日を充実した日にするために、その日のご飯を美味しく食べようとする生き物なんだと思います。
人生の後半戦に差し掛かる年齢ならば、いかに時間が貴重か、また健康や、笑顔で過ごせることが大事で貴重かを、骨の髄から感じているはず。
だからこそ、何がなんでも自分を幸せにするために、人は毎日食べ続けるんです。
夜な夜なこっそり、愉しみながら。
(注:1)
あくまで一般論を述べているのであり、英語圏の国にも美味しいものはたくさんあります。
《第28章につづく》
□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
READING LIFE編集部公認ライター、経営軍師、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。一般社団法人食べるトレーニングキッズアカデミー協会の創始者。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。
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