老舗料亭3代目が伝える 50までに覚えておきたい味

第36章 食べる?食べない?鯨肉という文化《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》


2023/7/25/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「ちょっと鯨でも、食べにいく?」
 
という会話にはまず、ならないのではなかろうか。
私世代、アラフィフであれば幼少期に食べた記憶がある人もいれば、ない人もいるだろう。しかし今の20代、30代の方であれば、食べたことがあるという人のほうが少ないと思います。それなのに伝統的な日本の食材としての立ち位置を持つ鯨、捕鯨を長らく禁止されていたことがきっかけで、今の日本人の暮らしの中から、ほぼ消えてしまいつつある食材です。
 
過去には安い食材として給食にのぼるほどだった鯨肉。年代によって体験経験がまるで違うし、意識も認識も大いに違う。しかし今改めて、鯨を食べること、それ自体を見直す時期にきているのかもしれません。
 
 

食べたことありますか?鯨の歴史


鯨は日本人にとって、古くから慣れ親しんでいる食材です。捕鯨の歴史は縄文時代(約6000年前)にまで遡り、12世紀には手銛による捕鯨がスタート。17世紀には鯨組による組織的な捕鯨が始まり、網取り式捕鯨が生まれてからは急速に捕鯨が普及しました。
 
しかし20世紀になり、グローバルな環境問題などが取り沙汰されるなか、資源の枯渇や種の保存が謳われるようになり、捕鯨を禁止する国が現れ始めました。アメリカやヨーロッパの反捕鯨諸国が続々と捕鯨を禁止していきますが、その中で日本は持続的利用を支持し、捕鯨を継続する道を探ります。しかし結果、1987年には南氷洋での商業捕鯨を中止、調査捕鯨を開始するものの、翌年にはミンククジラ、マッコウクジラの捕鯨を禁止します。
 
それから31年に渡り商業捕鯨を禁止してきましたが、2018年にはIWC(国際捕鯨委員会)から脱退、2019年に商業捕鯨を再開しました。
このようについ最近までさまざまな事情で漁が禁止されたりしてきたために、鯨を食べる文化そのものが一旦忘れ去られてしまったかのようです。私も子どものころ、実家が料理屋だったこともあり、鯨の肉を食べていた記憶はうっすらとありますが、なんせ子どもでしたから、好きで食べていたという記憶はありません。ただ子ども心に両親が「尾の身」は高級で美味しいのだ、とだけ伝えてくれていた記憶があります。また近所の錦市場では、魚屋に並ぶ鯨肉をなんとなく眺めながら歩いていた記憶もあります。私が京都人だからかもしれませんが、幼少期は普通に鯨肉の存在がありました。しかし大人になるにつれ、ますます海外の文化が日本に入ってきた時期でもありましたし、また私自身も外国かぶれしていく時期でもあったので、「鯨」の存在はほとんど忘れ去られてしまい、人生の中から消えてしまっていたような気がします。
 
しかし、そのような歴史と人々の認識の中でも、脈々と鯨の味を伝え残していきたいと考える料理人がいます。東京都内にも数件、鯨肉を主に扱う料理屋が存在します。
 
 

渋谷のどまんなかで鯨を喰らう


店名もずばり、元祖くじら屋。若者の街、渋谷になぜ?と思わなくもないですが、創業1950年、文化村通りに店舗を構えていましたが、ビルの老朽化を機に2019年には道玄坂に移転、現在は元祖くじら屋はなれ、として営業しています。
 
メニューは豊富で、唐揚げ、お刺身、白ベーコン、ステーキ、チーズカツ、はりはり鍋など、鯨をまるごと、頭から尻尾までを使ったさまざまなメニューを提供しています。落ち着いた店内ではゆっくり鯨を味わうことができます。
哺乳類としては最大のサイズを誇る鯨ですから、その肉となると部位によって色も食感もなにもかもが異なります。また内臓も食べるため、もはや一つの食材と呼ぶにはしのびないほど。さまざまな食感、味、風味が一堂に味わえます。
 
赤身は見た目も牛肉とよく似ています。しかし口に入れるとその違いは明らか。牛肉にある脂臭みたいなものが一切ありません。また魚の肉ほどはさっぱりしておらず、まさに魚と牛の中間と言えます。しかし味噌汁にするとその獣臭みたいなものがふわりと香ります。これが野生味を感じさせ、自然の中で泳ぐ鯨の姿を思い起こさせてくれます。海で泳いでいるけれど魚ではなく、また哺乳類だけど歩くことなく、海の中を泳いでいる。そんな不思議な存在である鯨を堪能できるお店です。
 
また鯨肉は栄養的にも牛肉と同じぐらいのタンパク質を含んでいて、かつ鉄分が豊富なことから特に女性にもおすすめ。さっぱりしているけれども栄養価の高い、かなり優秀な食材ということができます。
 
店内も渋谷とは思えないぐらい落ち着いているので、会食やちょっとしたおもてなしにも最適です。このお店にお客様を連れてきたら、なんだか食通になったような気さえする、気の利いたお店です。ランチタイムも営業しているので、食べたことがない人はランチからトライしてみてはいかがでしょうか。
 
 

ドキュメンタリー映画の舞台にもなった「一乃谷(いちのや)」


都内でもう1件、鯨料理の腕を振るうのは一乃谷(いちのや)さん。仙台で創業し、30年以上お客様に親しまれてきました。こちらの鯨肉は捕鯨調査船から店主が自ら直接買い付けているため、通常よりもリーズナブルな値段で鯨を食べることができます。
 
こちらのレストランを舞台に、ドキュメンタリー映画を撮影した監督がいます。その方は八木景子さん。歴史と国際問題のなかで揺れ動く日本の捕鯨、鯨問題について真正面から切り込んだ映画「鯨のレストラン」を制作し、日本の鯨文化を広く世界に伝えようとされています。
 
映画では一乃谷の大将が主人公となり、店と料理が数多く紹介されていきます。国際問題に揺れ動く環境のなか、一人の料理人として生きる大将の想いが描かれており、日本人として、また一人の「地球人」として、どのように鯨を捉え、向き合うかを考えさせてくれます。
 
仙台ではもともと、鯨漁が盛んでした。しかし商業捕鯨が禁止され、捕鯨の文化は途絶えつつありました。2020年には32年ぶりに仙台の港に鯨が水揚げされ、実に45年ぶりに仙台市場に鯨の生肉が並んだと言います。調査用の鯨とは違い、商業捕鯨で獲れた鯨は、鮮度が高いうちに食卓に届けることができます。
 
1980年代に禁止された商業捕鯨。その理由は環境問題や減り続ける鯨の絶滅の危機の問題、と言われていますが、その後の調査により、充分な数の鯨が存在することが明らかになりました。そのため鯨漁が再開されることとなりましたが、「鯨は保護すべき動物であり、食べるのは野蛮だ」というような感情論的な価値観で、長く捕鯨をよしとしない見方がなされてきました。
 
そんな歴史を経てようやくここ数年、鯨漁が解禁となり、大手を降って漁ができるようになった日本ですが、一度沈んでしまった文化を浮上させることは簡単ではありません。
30年もの間に鯨肉は食卓から消え、また私たちの食文化からも消え去りつつあります。食べるべきか否か、存続するのか消滅するのか、その間にあることは間違いありません。
 
 

食べていい、悪いは誰が決める?


このような歴史をもつ鯨、文化として食べる国、食べない国があります。
しかし食べてもいい食材、食べてはいけない食材は、一体誰がどのようにして決めるのでしょう。
 
日本は周りを海で囲まれた海洋国ですから、海の産物を食べることは当然のことと捉えられていますが、例えばスイスのような、海がない国の人たちからしたら、海産物よりも肉を食べることが一般的です。
また肉食といっても、今では牛、豚、鳥肉が一般的ですが、実はこれらは明治維新以前にはあまり食べられていませんでした。仏教的な価値観で肉食が控えられていたという文化もありますが、そもそも動物たちは労働をして農業を助けるもの、かつ農場で食べるために育てるという文化がなかったために、私たちは長らく獣肉を食べることがありませんでした。
 
獣肉と言えば自然のなかで獲れる猪や鹿、きじなど、猟をして獲れる動物の肉が一般的でした。しかしこれらはたまにしか食べられないご馳走だったため、一般庶民にとってはなかなか口に入ることがなかったかもしれません。
 
また海外では例えば、犬を食べる国もあります。韓国がそうですが、日本では犬はペットとして飼うもので、決して食べるものではありません。またベルギーではうさぎを食べますが、日本ではうさぎもやはりペット用。食用であると思う人はほとんどいないでしょう。
 
また一方で日本では、馬肉を食べます。しかし馬はヨーロッパでは仕事をしてくれる神聖な動物ですから、馬肉を食べる文化はありません。しかしオーストラリアではカンガルーを食べたり、ワニを食べたり、その土地で、その土地の事情で食べるものが大きく異なるのは当たり前のことです。
 
このような文脈のなかで鯨は、「頭がいい動物で、絶滅の危機に瀕しているから食べてはいけない」という感情論がまだまだ広く浸透しています。頭がいい動物は食べてはいけなくて、頭が悪い?動物なら食べてもいい、とすることがそもそも、おかしな話だと思うのですが、まだまだ世界ではいろいろな意見、感情があることは否めません。
 
しかし、自分たちが食べるのはよくて、彼らが食べるのはいけない、と、そんなことは一体誰が決められるというのでしょう。長い歴史の中で培われた食文化は、その国の宝、その国が存続してきた大きな要因ともなるものですから、外部の人たちが感情にまかせて良い悪いをジャッジできるものではありません。確かに私とて、犬やうさぎを食べることにはちょっと抵抗がありますが、それを食べることが文化となっている人たちの気持ちを踏み躙るようなことはしたくない。その国、その文化を尊重することこそ、共創、共生の基本だと思うからです。
 
 

食糧難の時代に備えて


日本の人口は減り続けていますが、世界的な人口は増加の一途を辿っています。そのため懸念されているのが食糧難です。
近代国家たちが環境を破壊し、食い散らかしてきたツケが、これからの世代に課されようとしている中、持続可能な社会を目指すSDGsの動きも顕著になってきました。これから起こるであろう食糧難時代を見据えて、昆虫食やら、農業の効率化など、さまざまな技術が開発されていますが、果たして私たちは、本当に食糧難に陥るのでしょうか。
 
日本では、生産される食料の約1/3が廃棄されているという現状があります。また農家では出荷できずに廃棄を余儀なくされる農作物も多数あります。また他の先進国も日本と同様、食料廃棄は大きな問題となっています。
 
その傍ら、人口が増え続けるアジア、アフリカ諸国においては、食糧難が心配されています。インターネットの普及で国境の堺がなくなってきたといいつつも、社会的、国家的な落差は大きく、未だに富める国が横暴をふるっているような図式があることは否めません。オーガニックやフェアトレードの動きがありつつも、やはりまだ食料にまつわる産業の構造は複雑で、これからは国家の垣根を超えたグローバルな問題として、食料のことを考えないわけにはいかない時代です。
 
果たしてその中で私たち日本人は、何を食べ、何を大切にすればいいのでしょう。
 
 

鯨を食べることが環境保全に繋がる事実を踏まえて


持続可能な社会を考えた場合、鯨が食べる量の魚は、人が食べる量より膨大に多くなります。つまり鯨が食べるよりも、その分の魚を人が食べたほうが、世界として持続が可能になる(かもしれない)社会があるという科学的データもあります。
 
しかし、私たちはデータで食べるわけでもありません。人は自分の命を繋ぐために食べる。基本はとてもシンプルです。
 
その中で私たちは一体、何をどう選んで食べればよいのでしょう。その食べ方こそが、人の在り方を問いかけるものである気がします。
 
「自分たちさえよければ」と、食い散らかしていいはずはありません。
高度経済成長期でもあるまいし、たくさん作ってたくさん使ってたくさん捨てるという大量生産、大量消費の文化はもはや、通用するものではありません。
また牛肉や豚肉は食べてよくて、犬肉や鯨肉、馬肉は食べてはいけないなんていう考え方も、多様性、ダイバーシティが謳われている今となっては偏見と言える。世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、それぞれがそれぞれの存在自体を認め合う社会の実現が望まれます。そしてそれは何か大きなことをする必要は全くなく、毎日食べる食卓のメニューを選ぶところから始めることができる。私たちがご飯を食べるのは自らの空腹を満たし、命を繋いでいくことが目的ですが、その時に自分たちのことだけでなく、世界、そして地球が存続することすら可能になる食べ方をしたいものです。
 
自分一人だけが美味しく食べる時代は終わりました。
みんながみんなの幸せのために、食を選んで食べる時代。
 
そんなアイコニックな食材として、鯨の肉をたまには食べる、という選択をしてみてはいかがでしょう。
 
個人的には鯨食文化は、後世に残し、受け継がれていって欲しいと思いますが、それも時代の流れで消滅するなら、それはそれで仕方ない。
私たちは大きな時の流れのなかで生きていて、その時に手に入るものを食し、命を繋いでいくしかないのですから、ただただ生きていること、食べさせてもらえていることに感謝するしかありません。
 
毎日美味しくご馳走様、と言えることがそもそも、奇跡のようなこと。
世界はお互いの命を繋ぎあって存在しています。
頂きます、そしてご馳走様。そこには自然の一部として存在している人間としての在り方が、凝縮して表現されているのかもしれません。
 
 
《第37章につづく》
 
 

□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

READING LIFE編集部公認ライター、経営軍師、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。一般社団法人食べるトレーニングキッズアカデミー協会の創始者。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

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