歳を重ねて行く度に、笑い話が増えていく《週刊READING LIFE vol.5「年を重ねるということ」》
記事:弾 歩夢(ライターズ俱楽部)
「なんで、あんなに馬鹿みたいに必死だったんだろうね」
ホテルの部屋でベッドに横になりながら、心から笑っていた。
「本当に。めっちゃ必死だったよね」
栄子も、同じように隣のベッドで仰向けに寝転がりながら、呼吸困難になりそうなほどに笑っていた。
栄子は、大学時代からの友達だ。
大学時代、最も長く時を過ごした仲間。もはや家族、姉妹みたいなそんな存在。
今は、県外でそれぞれに仕事をしていて、なかなか会えない。
3年ぶりに会うことができて、久しぶりにご飯を一緒に食べて、そして同じ部屋に泊まっていた。
私と彼女は、同じ大学の女子サッカー部に入っていて、彼女がキャプテンで私が副キャプテンだった。
部活を一緒に運営していく中で、たくさんの危機が私たちを襲った。
最も痛かったのが、後輩が一気に辞めたことだった。
しかも、それは、私たちが4年生になる直前のことだった。
部活を引退しようとしている正にその時だった。
後輩たちは、自分たちにキャプテンや副キャプテンは出来そうにないと言って辞めていったのだった。
もともと後輩の人数がとても少なかった。
私たちの部活は、週に4日も練習があり、練習のない日にも試合をしたり、他のチームの練習に混ぜてもらったりする日もあり、そして全てを授業があるという以外の理由では休んでいけないことになっていた。
大学生にしては、なかなか厳しい部活だったと思う。
その上、練習ではコーチがとっても怖く、走る距離も長く、バリバリ鍛えられていた。
きつかった。
そのため、入部しても辞める人が後を絶たず、どんどんみんな辞めていった。
そんな中でも、やっと残った後輩2人だった。最後の頼み綱だった。それが、辞めるというのだ。
私たちは、途方にくれた。
暗闇に突き落とされたかのようだった。
私たちの学年のみんなは、それぞれ就活や院試に向けて準備を進めていこうとしていた。
これまで、部活が中心の毎日だったけれど、ここからは将来のために一気に集中して頑張っていこうと思っていた。
後輩に辞められては、困る。
どうしても困る。
私たちは、辞めると言い張る後輩を深夜のラーメン屋に呼び出し、なんとか辞めないで、と
縋り付いた。
どんな思いで、今まで部活をやって来たかわかる? と責め立て、ここで部活を終わらせたくないのだと、泣き付き、私たちもできるだけ部活に顔を出すからと、どうにか宥めすかそうとした。
なんで辞めたいのか、とにかく理由を教えてくれ、と迫った。
納得できない、と怒った。
まるで、理由も言わずに私の元を去ろうとしている彼氏を、なんとしてでも繋げとめようとする健気な彼女のようだった。
どんなに話をしても、後輩たちは、もうこれ以上は続けられない。
ごめんなさい、の一点張りだった。
打つ手はなかった。
後輩に部活の運営をしてもらえないとなると、道は2つしかなかった。
1つが廃部にする。
もう1つが、引退を先延ばしにする。
部活は、20年以上続く伝統のあるもので、OGの先輩方との繋がりも深かった。
毎年、OG会があり、年上の先輩方が山のように集った。
廃部になってしまったら、あの先輩たちになんて説明しよう。
大先輩たちの誇らしそうな笑顔が、頭を駆け巡る。
そして、私たちが1年生の時、2年生の時、一緒に苦楽を共にして来た先輩たちの顔が思い浮かぶ。
大事な場所を、無くしてしまうことなんて出来そうにない。
あぁ、とてもじゃない。自分たちの代で部活が終わりましたなんてとてもいえない。
私たちは、とても悩んだ。
正直なところ、これまでの人生で一番悩んだ。
でも、どうしても廃部にするわけにはいかないという思いが優った。
例え、就職活動に影響が出ようと、院試の勉強に支障が出ようと、この部活を終わりにすることは出来ない。
この場所は、私たちにとっても大切な場所だった。
大学生活のほぼ全てだった。私たちを育ててくれた、愛しくてたまらない場所だった。
そこを無くしてしまうなんて、それを自分たちの手で葬り去ってしまうなんて、そんなことは、どうしても出来ないと思った。そんなことをしたら、一生後悔する。
私たちは、引退せずに部活を続けることにした。
そして、誓った。
どんなに大変でも、もう1年やる、と。
新しく1年生をなんとか勧誘して、なんとかこの部を存続させる、と。
それは、苦渋の決断だった。
4年生にもなって、部活を続けている人はほとんどいなかった。
皆、それぞれの将来のために時間を使い、サークル活動をやるにしてもたまに顔を出すくらいのものだった。
キャプテンや副キャプテンはやることがいっぱいある。
練習試合を組んだり、メンバーに連絡をしたり、いろんなことをやらなくてはならない。
責任もあるし、時間もかかることが沢山ある。
そもそも練習はハードだし疲れる。
それでも、やるしかなかった。
自分たちの未来を犠牲にしてでも。
私たちは、必死に1年生を勧誘し、その子たちが辞めないように必死に目を配り、気を配り、手取り足取り、指導した。
交換ノートを作って、みんなが仲良くなるような工夫をしたり、目標を共有する仕組み作りをしたり、いろんなことを考えた。
そして、その合間にいかに、就職活動をするか、いかに勉強をするか、時間配分をして、プランを立てて、それぞれに頑張った。
必死な思いが通じたのか、1年生は、いっぱい入ってくれて、そして例年よりはあまりみんな辞めないでいてくれて、部活は廃部の危機を脱した。
あれから8年が経った。
3年ぶりに会った私たちは、あの頃の廃部の危機騒動を思い出して、懐かしんでいるのだった。
深夜のラーメン屋で、あんなに後輩たちに説教してさ、あの子たち元気かな。なんかちょっと今思うと申し訳ないよね。
でも、あんなお葬式みたいに沈んでさ、おかしいよね。
先輩たちに何て言おうって、毎日毎日、怯えてたよね。きつかったよね。
思い出は、山のように溢れてくる。
あの頃は、本気で毎日必死で、部活に加えて将来も不安で、だからもう休みなく気持ちに余裕はなくて、いっぱいいっぱいだった。
それなのに、今、思い返すと、全てが笑い話になっているのだった。
頑張ってたね、なんか真面目だったね、と。
あそこまで思い詰めなくても良かったのにね。
そうやって、1つ1つのエピソードを思い出して、笑い合いながら思う。
こうやって、きつかったり大変だったりした過去を、若かったねって一緒に懐かしんで笑える友達がいるってありがたいなと。
ずっと、歳を取るのって怖いなと思っていた。
体力的に、そして見た目もどんどんと老化していく。
そんな中で、歳を取ることで得るものは、経験を元にした「人間としての成熟度」だと思う。
体力の衰えや、老化現象は目に見える変化であり、実感しやすい。
それに比べて、人間として成熟出来ているかは、よくわからない。目には見えないし、実感し辛い。
でも、過去の大変だった時のことを大笑いしている時に、実感する。
ちゃんと乗り越えられたんだな、と。
きついことを乗り越えて、ちゃんと経験を積んで、今じゃそれを笑い飛ばせるくらいにしっかり成長できているんだと。
「楽しかったけど、やっぱり辛かったから、もう大学時代に、戻らなくてもいいかな。あの一回で大満足かな」
栄子は、そう言って笑う。
わかる、それ。そう言いながら、私も笑う。
いつだって、楽しいばっかりの時はない。どの年齢の時にも、時代にも、絶対に悩みがあるし、苦しいことがあるものだ。
でも、その困難を乗り越えたなら、それはきっと未来の自分にとっては、懐かしい笑い話になるはずだ。
一緒に辛い時を乗り越えた仲間と、夜な夜な語り合う格好の酒の肴になるはずだ。
そうして、歳を重ねながら、困難を乗り越え続けて、どんどん人は強くなっていく。人としての経験値を上げて、成熟していく。
それと共に、どんどん笑える思い出が増えていく。
だから、歳を重ねていくのは、苦しいことだけど、とっても楽しいことだし、楽しみなことだ。
❏ライタープロフィール
弾 歩夢 (Dan Ayumu)
1988年長崎市生まれ。会社員。
2017年8月より天狼院のライティングゼミを受講し、ライターを目指す。趣味は国際交流、サッカー。
REALING LIFE 公認ライター。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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