fbpx
週刊READING LIFE vol.15

「感動」という名の相棒≪週刊READING LIFE「文具FANATIC!」≫


記事:國正 珠緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 

「國正さん、非常に残念ですが今のままですと弊社の一員として仕事を続けてもらうのは難しいです。半年時間をあげますので転職先を探すか、何か残るのに説得力のある成果を出してください」

 

転職して1年3ヶ月ほど経ったある日、勤めていた会社で事実上の戦力外通告を受けた。
31歳の春だった。

 

30歳まで勤めていた会社は公園の設計などをする部署で、半年から1年くらいかけて、数名でじっくりプロジェクトを進めていく体制だったのに対し、新しく勤めた会社は2週間か早い時は一週間で一つの家の門構えの設計を一人でしなくてはいけなかった。どちらも外部空間の設計なので似たようなものだろうとタカをくくって入社したものの、スピード感についていけない上、一人でプロジェクトをまとめ上げたことがなかった私は「仕事を終わらせる」ということすらなかなかできなかった。
もちろん美しいデザインなどできるはずもなかった。
何週間も一つの図面を前にうだうだとしている私に対して、先輩のデザイナーはどんどん仕事を完成させていく。

 

そんな状況にありながらも「自分はじっくり丁寧にやってるから遅い」と思い込んでいて、足を引っ張っていることに気づいてもいなかったのだから尚更タチが悪い。

 

10人ほどの小さな会社だったので、なんとなく社内で浮いていることに気づいてはいたが、それが自分が無能なせいだとは考えてもみなかった。30歳くらいの私はそういう「使えない」人間だった。

 

そんな矢先の戦力外通告。あまりのことに頭が真っ白になり、とりあえずその日は会社を早退した。

 

そのまま家に帰る気にもならず、通り道の池袋で降りて西武デパートに入り、 フラフラっとエスカレーターに乗り、ロフトの入っている12階に向かった。昔から私は落ち込んだ時には文具売り場をウインドウショピングする癖がある。色とりどりのマーカーや色鉛筆はみているだけで気持ちが晴れるし、手も出ないくらいの高級な万年筆やペンケースをみて歩くと気分が上がるからだった。
12階でエスカレータを降りると、その日は迷わず、画材、製図用品のコーナーに向かった。
製図用品のコーナーはステッドラーとファーバーカステルというドイツの文具メーカーの製品がずらりと並んでいる。
一番手前に鍵がかかったガラスのショーケースがあり、そこにはまるで宝石のようなレイアウトで5本くらいのペンが展示されていた。

 

「自分が美しいと知っている物」しか並ぶことが許されないと言った雰囲気のショーケースの中で、そのペンはひときわ美しい輝きを放ってそこに在った。

 

白樺のように白い木の軸。ペンとしては太く細長い樽を彷彿とするような形。
頭と先端につや消しのシルバーのキャップがついている。

 

数時間前に戦力外通告を受けて心がボロボロになっている私とは正反対の輝きがそこにはあった。

 

「触れたい」

 

近くを通った店員さんを呼び止めて、そのガラスケースを開けて欲しいとお願いした。
少し経って、店員さんは鍵を持って戻ってきて開けてくれた。

 

「真ん中の白いのを試してみたいのですが」

 

店員さんは内側がビロードになっている高級そうな箱ごと取り出してくれた。
思わず履いていたスカートに両手をこすりつけて、手の油を取ってから恐る恐るペンに手を伸ばした。
人差し指と親指で掴み中指にペンを乗せる。ずっしりとした重みがあった。
直径が1cm以上ありかなり太いけれど、手に吸い付くような感じが心地よい。重みが負担になるのではなく、むしろその重さで1.4mmという極太のシャーペンの芯が滑らかに書き進められる感じだった。

 

「これください」

 

値段ははっきり覚えていないが確か6000円くらいとかなり高価だったが、迷いはなかった。

 

「ご贈答ですか?」

 

レジで聞かれた。

 

「いいえ、自分で使うので簡単な包装でいいです」

 

ロフトの黄色い小さなビニール袋が手渡された。

 

これが、ファーバーカステルエモーションとの出会いだった。
人生初の「クビ通告」の日に、その後20年以上仕事のパートナーとしていつも自分の傍にいることになるシャープペンシルと出会ったのだ。
いや、人生初の「クビ通告」の日だったから、買って帰る気になったのかもしれない。
何か「物」にでも頼らないととても乗り越えられそうになかったから。

 

翌朝はいつもより30分早く会社に着いた。まだ誰もいないオフィスでコーヒーを入れて自席につく。
昨日やりかけのまま帰った図面に向かう。買ったばかりのペンをだし、右手に握った。

 

不思議だった。それまでは何日も何日もアイディアが浮かばなかったのに、スルスルと手が紙の上を滑る。色々とデザインのアイディアがどんどん頭から溢れ出し、右手を通じて、ペンに伝わり、どんどん線が描かれていく。
不思議な感覚だった。まるでペンが意志を持っているかのよう。
あっという間にラフなプランが出来上がった。
この太いペンの役割はここまで。あとは製図用の細いペンで図面に仕上げていく。(まだCADを使っていなかった時代の話だ)

 

9時になって出社して来て驚いたのは、いつも仕事の早い先輩だった。

 

「國正さん、それいいね」

 

先輩が褒めたのはペンではなかった。私の書いたプランを褒めてくれたのだ。

 

「ありがとうございます」

 

まさかペンを変えたせいだとは言いずらかったのでそのまま作業を進めた。

 

プランがスルスルっと湧いてくるのはその時たまたまではなかった。
次の案件でもその次の案件でも、私はまるで人が変わったようにプランを作ることができるようになった。

 

そのペンを持つとあまりにもアイディアがよく出るのと、ペンのボディの白が美しかったので私は密かに「天使のペン」と名付けた。

 

ほどなくして、私が書いたプランが取引先のちょっと気難しい担当者の目に止まり、
「この図面誰が書いたのですか」
と電話がかかってきた。発想を気に入っていただき、以降その方からしょっちゅうご指名がかかるようになった。気難しくみんな手を焼いている方だったので社内で感謝された。

 

「天使のペン」のおかげだ。

 

あの忌まわしき戦力外通告から期限の半年を待たずに約3ヶ月くらいで、私を取り巻く空気がガラッと変わっていた。ちょっと気合いを入れる仕事のときは、私に仕事が回ってくるようになったのだ。

 

私は決して物持ちが良い方ではない。特に文房具はどこかにいくたびに置いてきたり、現場で落としてしまったり。しょっちゅうなくす。高級な文具であってもだ。
ところが、この「天使のペン」は20年以上経った今も初代のものを使っている。不具合が出たことも一度もない。

 

今までの人生で一番長い期間、最も高い頻度で使った「もの」だと思う。
真っ白だったボディは手の油が染み込んで若干飴色になってきた。

 

こうしてキーボードを叩いている間、デスクの上でわが美しき相棒はゆっくりと休んでいる。

 

本当はわかっている。私があの日から急にアイディアが出るようになったのはペンのせいではない……。 1年以上仕事を続けてきて、ようやく仕事が覚えられてきたタイミングだったこと、戦力外通告されて崖っぷちで異常な集中力が湧いたこと。二つの偶然が重なっただけのことだ。

 

でも、あの日以来プランを考えるとき「天使のペン」しか使ったことがない。
習慣? ルーチン? となった今、このペンがない生活など考えられなくなってしまった。

 

「天使のペン」の正式名称は「ファーバーカステルエモーション」

 

「エモーション=感動」という名のこのペンに今までにどれだけたくさんの「感動」をもらっただろう。

 

どれほどの人に「感動」してもらっただろう。

 

そしてこれからどれほどの「感動」が待っているのだろう。

 
 

ライタープロフィール
國正 珠緒 READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部

東京都生まれ東京都在住

庭や門周りなど家の外部空間を専門に設計(エクステリアデザインと言います)する仕事をしています。モットーは「住んでる人が素敵に見える門構え、手入れよりも豊かに過ごす時間が長くなる庭を作ります」
自社のホームページを少しでも読みやすいものにしたくて、ライティングゼミに通い始めて「書くこと」の奥深い魅力にはまっています。
エクステリアコーディネーター2級 公認講師

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《1/9までの早期特典あり!》


2019-01-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.15

関連記事