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週刊READING LIFE vol.15

「天色(あまいろ)に導かれた文字使い」 《週刊READING LIFE「文具FANATIC!」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 

百貨店に入社した初日だった。
 
研修が始まる直前、席に着いていた私たちは、総務の坂西(仮名)さんから言われた。
 
「私たちの基準は黒です。紺やブルーではなく、黒で書いてください」
 
百貨店では、黒のインクしか使ってはならないという指示だった。
 
その瞬間、『黒以外のペンはあり得ない」という意識に変わった。
「この会社で生きていく以上、他の色を使うことはまかりならん」
心のなかに宿りつつあった先輩の分身が語りかけてくるようだった。
 
現在のようなオンラインではなく、商売の基本は手書きの伝票だった。
PCのない時代、すべてが手書きで始まり、手書きで終わった。
 
ディールはすべて紙の伝票だった。
領収書も黒のボールペンで書いたうえ、カーボンでなぞられた2枚目に上司の検印をもらった。
 
毎日のように社内で取り交わされる資料も黒で統一されていた。
 
中学校に入学して初めて手にした万年筆のインクは紺だった。以来、自然に使っていたものの、社内では、黒だけ使っていれば文句言われなかった。
 
さらに、お客さまへのお礼状や詫び状も黒で書くことを義務づけられていた。
 
喜びも、歯ぎしりも、すべて黒とともにあった。
他の色を楽しもうという意識すら存在していなかった。
 
28年間の百貨店生活、5年間のケーブルテレビを通じての地域とのコミュニケーション、転職のエージェントのときも、書くこと=黒だった。
 
自分の人生は黒と共に歩んでいるし、これからも同じように黒を使い続けるのだ。
無意識にそう信じてきた。信じようとしていたのかもしれない。
 
極端な話、中国の宦官のように、「これ以外の人生の選択肢はない」という思いを、自分の文字と文字の色に抱いていたのかもしれない。
 
そんな私にきっかけは突然やってきた。
 
伊勢丹新宿店のメンズ館を訪れたときだった。
 
壁面に飾られていたフロアの案内で、8階の『サロンド・シマジ』に目が留まった。
”アカデミックな会話とお酒を楽しむくつろぎの場”として紹介されていた。
 
当時の伊勢丹社長、大西洋氏により新設された、社交の場だった。
 
シマジって、ひょっとして……
 
記憶のなかの一コマが浮かんできた。
 
それは、10代後半から20代前半にかけて愛読していた週刊プレイボーイだった。
毎週楽しみにしていた1つに『極道辻説法』という人生相談があった。
 
直木賞作家の故 今東光氏の人生相談だった。
若者の悩みや、相談ごとに対して、今氏が回答したものを口述筆記した連載だった。
 
相談の内容は、恋愛から勉強、友人関係から生き方まで多岐にわたった。
 
「そのときの編集長であったのが、確か島地さんだったよな?」
 
記事のなかにも島地さんはたびたび登場することになった
 
忘れられない相談があった。
それは、「どうしたら友だちができるか?」という質問だった。
 
今氏はその問いに対して一刀両断に答えた。
 
「友だちが欲しいって言っているおまえほど、バカなやつはいなんだ」
 
「いい友だちが欲しいって言う前に、なんで自分がいい友だちになろうとしないんだ」
 
社会人なりたてて、悩みもがいていた私は、まさに横っ面をひっぱたかれたように感じた。
 
今氏は、若き日の川端康成との交友から説明を始めた。
「人のために生きていると自然に人が集まってくるんだ」と。
 
そして、その最後に「オレも、この週刊プレイボーイの連載で、どうした編集の島地がやりやすく仕事ができるか?って考えてんだよな」
と結んであった。
 
フラッシュバックされたメモリー。
そのなかの島地さん。
 
ひょっとしてあのときの島地さんなのかな?
 
島地さんは、編集者として、今東光氏の他、柴田錬三郎氏、開高健氏を担当しただけではなかった。
集英社インターナショナルの社長、集英社の副社長を歴任した。
 
新潮社しか書かなかった塩野七生さんに、思いの丈を書いた手紙と彼の地での直談判で、集英社『地中海の物語』を書いていただいたこと。
 
決してカンタンとはいえない、文豪をはじめ著者の心を掴む名人とも言える人だった。
 
伊勢丹メンズ館のインフォメーションを通じて調べた結果、まさにその人だった。
 
8階のサロン
ガラスの扉を開けようとしても、なぜか躊躇した。
もしも入ったら、後戻りできないんじゃないか?
そんな恐怖を感じた。
 
しかし、思い切ってドアを開けた。
 
そこには、ゴッドファーザー・パートⅡで、ロバート・デ・ニーロが演じたイタリアンマフィアを思わす初老の紳士がいた。
 
島地俊彦さんだった。
 
サロンで、助手とともに飲み物を出しながら、会話を楽しむ場。
それでいて、書籍、CD、食品など、およそその場の会話にふさわしいものはすべて備えられていた。
 
入り口に立ったままだった。
「あのう、はじめまして……、私、先生が編集された『極道辻説法』の愛読者だったんです……」
「まぁ、入りなさい。ようこそいらっしゃいました」
 
L字方のカウンターは、すべて立ち席。
20代から50代くらいまでの馴染みの客が取り囲んでいた。
 
会話に耳を傾けるしかなかった。
 
人生、文学、世界の名所旧跡、さらには、第2次大戦中のチャーチルの話まで、話は尽きなかった。島地さんのもとに来る20代の若者は、書生のようなスタンスだった。
 
島地さんは葉巻をくゆらせながら、ていねいに説明をして、質問に答えていた。
 
その場は黙っていてもオッケーだったが、一人ひとりの会話を聞きながら、その場のゲストではどうやら、私が最年長のようだった。
 
初めての場所、まさに人見知りしそうな中で私は思い切って言葉を発した。
20代の頃に読んだ、島地さんが編集をした『極道辻説法』の内容についてだった。
理由は、それしか島地さんとの接点はなかったからだった。
サロンにいた誰もがもっていない話題だった。島地さんの目が微笑んだのが分かった。
 
40代のビジネスマンがスコッチを飲んでる脇で、私は紅茶を注文した。
 
アッサム、セイロン、ダージリンをブレンドした紅茶だった。
百貨店時代、食品のハロッズ紅茶の担当をした私にとって、まったく経験のない味覚だった。
楽しいひと時はまたたく間に過ぎるものである。
 
「また、まいります」
そろそろ帰ろうとした私は、島地さんから2本の万年筆を見せられた。
 
モンブランとペリカンだった。
いずれも、現在はショップにもなかなか販売されいない希少性のあるモデルだった。
 
試しに実際に文字を書いてみた。
 
(このペンって、本物だ)
伊勢丹新宿店、メンズ館8階で、興奮のため鳥肌が立つ思いだった。
 
単になめらかというものではなかった。
スムーズに書けるものだったら、200円の簡易万年筆でも同じようなレベルはいくつかある。
 
ひとことで言えば、自然に文字が紡ぎ出される感覚だった。
手が文字を書いているのか、無意識が万年筆という媒体を通じて、文字を書かせている、そんな気持ちになるペンだった。
ペンばかりではなかった。
 
さらに心が震えたのはそのインクだった。
見たこともないブルーだった。
以前、写真で見たイタリアの「青の洞窟」の海の青さのようだった。
 
ライトブルーでも、コバルトブルーでもない、未知の青
 
そのインクは「天色(あまいろ)」とのことだった。
 
モンブランとペリカン
2本とも欲しくなった。
 
島地さんはそんな私の心中を察したかのように言った。
 
「どちらを買うか迷ったら、両方とも買う」
 
サロン・ド・シマジは、島地さんの趣味と主張に沿ったものしか置いていない。
 
島地さんは、人類の歴史に思いを馳せながら、文学を語り、その場でサインをするのである。
ご自身のペンは、モンブランの今は生産していないモデルだった。
著書にサインをいただいた。インクは「天色(あまいろ)」だった。
 
島地さんの文字を見ながら、私はペリカンを買うことにした。
もちろん、インクは「天色(あまいろ)」だった。
 
とんだ出費になったが、何か得した気分になった。
 
まっさきにやりたくなったこと、それは、手紙を書くことだった。
帰り道で買った、鳩居堂の季節の歳時記の絵ハガキ。
 
特にイエローホワイトの紙に書くとブルーがまるで、地中海の空と海の青さのように感じ始めた。
 
たんに明るいわけではなかった。
書いていると、落ち着きのあるブルーが浮き出てくるように感じ始めた。
 
百貨店時代、折に触れてはお客さまにハガキを出しまくっていた私にとって、この万年筆のおかげで人生2度めの筆まめ期を迎えている。
 
黒一辺倒のときには見えなかった、「青」が導く文字使いの感覚。
 
今では、ペリカンに加えて、パイロット製も使うようになった。
インクは、「天色(あまいろ)」である。
 
手紙を受け取った一人の友人が言った。
「シチリア島の城塞都市、タオルミーナから見たアドリア海のブルーだよ」と。
 
季節ごとに絵の付いたハガキを買っては、友人、知人にカンタンなメッセージを書いて送っている。
 
天色(あまいろ)のインクに導かれた文の数々。
 
今日も折に触れては、メッセージを手渡している。

 
 

ライタープロフィール

高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

接遇の伝道者。慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。

一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。

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2019-01-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.15

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