朝ごはんは愛のカタチであった。《週刊 READING LIFE vol.20「食のマイルール」》
記事:坂田光太郎(READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部)
「え!」衝撃的だった。
その日の給食に納豆が出た。
紙カップで出たひきわり納豆とご飯、おかずに、お味噌汁。
今思えば随分手抜きの給食だな、と思うが、小学生だった頃の私は、滅多に給食に出ない納豆に妙な興奮を覚えた。
早速食べようと、納豆をかき混ぜ始めた私はあるものがないことに気づいた。
「あれ?」私が周りをキョロキョロしていると、「どうした?」と友達が訊いてきた。
「卵って配られてなくね??」
「は?」
その反応を見て私はキョトンとなった。
すると、友達が爆笑するのだ。
「こいつ、納豆と卵がセットだと思ってる~~」
そうなのだ。
私は、納豆ご飯というものが、納豆と生卵が入っているものが当たり前だと思っていたのだ。
実際は納豆卵かけご飯を食べていたのだ。
納豆の食べ方ほど家庭が表れる国民食はないと思う。
それは、家庭以外で食べるシーンがないからだ。
しかも、納豆は朝限定で出てくる。
朝ごはんを自分の家以外で食べることは珍しい。
小学生ならなおさらだ。
外部との接触が少ない食べ物故に家庭の食べ方が露骨に出てしまうのだ。
納豆を白米にぶっかけるだけじゃん、と思っている人は、甘い。
数年前、TKG(たまごかけごはん)ブームがあったのを覚えているだろうか?
TKGブームのとき、TKG専用の醤油や、岩塩を入れるとおいしいなどこだわりがネット上で盛り上がった。
あれと一緒である。シンプルこそ、個性が出るのだ。
友達ともこの話をして盛り上がった。
納豆は何回混ぜるか、辛子を入れいるか、醤油はどのタイミングでいれるか、醤油はついてくるタレをいれるか、ご飯は炊きたてか冷や飯かなど。
正直キリがない。
食べ方はバラバラだが、ほとんどの友達が、親の食べ方を真似ていた。
私もそうだ。
親が納豆卵かけご飯をやっていたのが、当たり前のことだと認識してしまっていたのだ。
お陰で散々友達に馬鹿にされたことを覚えている。
その出来事を親に言ったら、親も爆笑していた。
癖とは心の垢みたいなものでなかなか落とすことができない。
ある程度成長すると、友達と朝を迎えることが多くなる。
当然朝ごはんを食べるわけだが、友達と一緒にいる時はパンを食べることにしている。
ホテルのバイキングでご飯も卵も納豆もある場合でも、パンを食べる。
どんなに、お米が名産の土地でも、パンを食べる。
理由は、小学生の時の悪夢だ。
また「変わっている奴」と思われることを警戒してしまうのだ。
他のおかずでご飯を食べればいいじゃないか! と思うだろうが、私の家庭では、納豆または、TKGのほかに、白米を消費する方法はない。
んじゃ納豆とご飯で食べればいいだろう、と思うだろうが、それができれば正直苦労しない。
納豆とご飯で食べることも挑戦してみたが、やはり落ち着かない。
癖は心の垢だ。家庭内で付けられてしまった垢を落とすことはそう簡単ではない。
多分、高校生の頃のある出来事で垢がさらにひどくまとわりついたと思う。
親が離婚したのだ。
家族は私が高校に上がるタイミングで離婚し、母親と妹と3人で暮らすことになった。
養育費は振り込まれるものの、やはり収入が不安定だ。
そこで、母はアルバイトで生計を立て始める傍ら、看護資格をとるため40歳で看護学校に通うようになった。
私も、妹も全力でサポートするが、料理だけは母の仕事だった。
どんなに疲れていても、テスト前だとしても、夕飯は作っていった。
夕飯は手を抜かず、離婚前と同じ品数、同じ味の品を冷蔵庫に入れといてくれた。
私と妹は学校から帰ってきたら、冷蔵庫から取り出し、温め、食べる生活を送っていた。
「私とパパのせいで、離婚したからひもじい思いはさせたくなかった」と母は数年たってから教えてくれた。
でも、時間は限られている。どれだけ母がそうおもってくれても、時間っていうものは、まったく無情なやつである。
限られた時間で、母は朝ごはんを納豆卵かけご飯のみにするという時間テクニックを編み出した。
ご飯は私が起きてくる時間に炊き上がるようにセットし、納豆と卵を食卓に置き、インスタントのお吸い物を器に盛り付け、ケトルに水を入れておく。
朝ごはんの準備は1分以内に終わったらしい。母は本当に強い。
そんな生活が続き私は高3になっていた。
朝ごはんは相変わらず納豆卵かけご飯だった。
飽きる、飽きないの問題ではない。
そのころには、朝ごはんは納豆卵かけご飯ということが当然と脳で錯覚するまでになっていた。
だから苦痛を感じることはなかった。
なのになぜあんなことを言ってしまったのだろう。
夏休みのことだ。
私は進路のことで母と喧嘩になった。
後にも先にもこの喧嘩を超えた喧嘩はないというほどの大バトルであった。
その時あの言葉がつい口の出てしまった。
「あんたが、勝手に離婚したのがいけねえんだろ。3年間朝飯同じだし、家事は押し付けられるし、いい迷惑なんだよ!」当然思ったことがない。
だが、つい口を滑らせたのだ。
当然、母もその発言に驚いていたが、一番驚いているのは私だった。
極度の罪悪感と焦りで、私は家を飛び出した。
どこに行くとかは決めてない。ただ家に居ることへの恥じらいだけで家を飛び出した。
熱帯夜、行く当てもなく幼馴染の家に転がり込んだ。
結局幼馴染の家で1夜を過ごした。おそらく母も知っていると思う。
その夜は眠れなかった。さまざまなことを考えていた。
その中である友達の言葉を思い出した。
何かの話に流れで、小学生の時の納豆の話になった。
もちろん、爆笑だった。
「わらうなよ」
「ごめん、マジで面白くって」
「もういいよ。お前もなんかないの? そういう食事のルール」
「う~ん。ないかもね。俺施設で育ったからあんまり家庭的なルールってないんだよね」
「え」
一瞬時が止まった。それなりに仲が良かったがまったく施設のことなんてしらなかった。
「え、そうなんだ」あからさまに申し訳なさが込み上げてきた。
「そんなヤバイって顔するなよ」と彼は笑った。
「俺も施設でのルールがあったから、それがマイルールかな。でも、親から子へ受け継がれる癖ってなんかかっこいい気がするよ」
「そうか?」
「うん、なんか歌舞伎みたい。伝承的な」
「どういう感覚だよ!」
「ははは。そんなに恥ずかしがることじゃないってことだな」
と彼は笑った。
「伝承か……」そんなこと思ったことはなかった。
親がいない彼しかできない表現だ。
当たり前すぎて気づかなかったが、心の垢というものは親の愛なのかもしれない。
そんな大事にしなくてはいけない垢を親子喧嘩の道具にしてしまったのだ。
自分に失望した。だが、失望以上に母に会いたくなった。
今帰れば母と会えるかもしれない。
早朝過ぎ、幼馴染を起こし「俺、帰るわ」と告げた。
「マジかよ。母さん朝飯用意してると思うから食ってけよ」
「わりい。家で食うわ。おばさんに謝っといて」
「勝手にして~~~」と言いながら幼馴染は布団にもぐった。
家に着くと母は居なかった。
数分遅かったのだ。
「マジかよ」とため息をつきながら台所に行った。
涙がこぼれた。
炊飯器にはご飯、ケトルにお湯、お椀にインスタント、
食卓には、納豆、そして、卵。
いつもの朝がそこにはあったのだ。
そこにはいつもの朝があった。
母は偉大だ。私が本心でないこと、私が戻ることを知っていたのだ。
その光景と母の偉大さにただただ涙がこぼれたのだ。
その日の朝ごはんはまるでいつもと変わらなかった。
だけど、その幸せを一番強くかみしめた朝ごはんであった。
時は過ぎ、私は1年前に、実家を出た。
「朝ごはん何食べるの?」実家を出るその日の朝母はいつものように訊いてきた。
「なんでも~。納豆ご飯かな」
「最後の最後も納豆かい。あきないね」
と言いながらお互い「納豆ご飯しかないだろ」と思ったはずだ。
思い出のつまった納豆ご飯はシンプルではあるが、愛が一番詰まっている食事だ。
母が作るとなぜかうまい。
混ぜ方か、醤油の分量か、解明できない隠し味か。
それが、気軽には食べられなくなるとは、心にスコーンと穴が開いた感覚になる。
そんなに離れた距離に引っ越すわけではないが、せつない。
「はい。できたよ」ぶっきらぼうに納豆ご飯を差し出す母の目は少しうるんでいた。
「ああ」と私はそれに気づかないように納豆ご飯をほうばった。
涙が出ないように。無心で。ほうばった。
私の食のマイルールは親の愛だった。
今も納豆を見るたび、母の納豆ご飯を思い出す。
旅立ちの日の朝ごはんは呆れるほどいつもと変わらない味であった。
しかし、あの味が今の私の支えになっていたのは間違えない。
何気ない食べ方が、実はマイルールなのかもしれない。
そして、そのマイルールは親から伝承されたものかもしれない。
何気ない自分の食べ方だが、もしかしたら親からの愛かもしれない。
そのことに、気づいたとき、いつもの食事が魅力的に感じるはずなのだ。
私は、これからも朝ごはんは、飽きずに納豆ご飯だろう。
もちろん、納豆ご飯に卵を添えて。
変わらぬ親の愛を何度も何度も噛みしめるはずだ。
そして子供ができたとき、愛を伝承していくと思う。
食のマイルールは愛のバトンになのだ。
❏ライタープロフィール
坂田光太郎
READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部
東京生まれ東京育ち
10代の頃は小説家を目指し、公募に数多くの作品を出すも夢半ば挫折し、現在IT会社に勤務。
それでも書くことに、携わりたいと思いライティングゼミを受講する
今後読者に寄り添えるライターになるため現在修行中。。。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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