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死にたてのゾンビ

嘘をついたら、ゾンビになっちゃうぞ《不定期連載「死にたてのゾンビ」》


記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※これはフィクションです。
 
 

「わたしのこと、嫌いになっちゃった?」
 
今にも泣き出しそうな顔をした凪子が、僕を見つめている。
人生で初めてできたカノジョであり、初めて呼び捨てにした女の子であり、初めてキスをした相手である凪子は、僕が初めて、本気で好きになったひとだ。
 
だけど、初めての嘘を、僕は凪子につかなければならない。
 
たとえ、もう二度と、彼女の薄茶色のサラサラした髪に、触れることができなくなったとしても。
もう二度と、彼女の女の子にしてはちょっとハスキーで、透明な声を、聞くことができなくなったとしても。
 
初めての嘘を、僕は凪子につかなければならない。
 
たとえ、その後、ゾンビになってしまったとしても……。

 

 

 

「嘘をついたら、ゾンビになっちゃうぞ」
 
世の中の親という親が、自分の子どもに、口を酸っぱくして、そう教えるようになったのは、今からちょうど10年前のことだ。
ある日、日本中で、大人が突然ゾンビになってしまうという事件が頻発した。
授業で歴史を教えていた先生が、病院で患者さんに注射を打っていたお医者さんが、ドルを売って円を買っていた為替のディーラーが、みな一斉に、肩まで伸びた灰色の毛と、薄黒く濁った目、頬がこけた、正真正銘のゾンビになってしまったのだ。
 
何が起きたのか、咄嗟に判断できなかった者たちは、一斉にテレビを点け、緊急速報を待った。しかし、テレビの画面に映っていたのは、緊急速報のテロップではなく、国会議事堂の議場にあふれる、ゾンビたちの姿だった。国会議員の大半が、ゾンビになってしまっていたのだ。
 
原因を突き止めるまで、丸一年の歳月が必要だった。その間、新しく選出された総理大臣の元、大学の教授や占い師、科学者や自称ゾンビ研究家が、日夜原因究明に奔走した。
その結果、導きだされた答えは、こうだ。
 
「人間が一生についてよい嘘の量は決まっていて、ひとつでもそのリミットを超えた瞬間、ゾンビになってしまう」
 
実際、ゾンビの町の住人の多くが、ゾンビになる少し前に、こんな声が聞こえたと証言している。
 
「あなたの嘘タンクは、あとひとつでいっぱいです。お・き・を・つ・け・て」
 
それからというもの、親は子どもにひらがなの書き方や、自転車の乗り方を教える前に、必ずこう教えるようになったのだ。
 
「嘘をついたら、ゾンビになっちゃうぞ。ゾンビになったら、もう二度と人間といっしょには暮らせないんだぞ。だから絶対に、嘘はついちゃだめだぞ」
 
現在18歳の僕も、小学生の頃からずっと、親や先生たちから同じことを言われ続けてきた。そう教えてくれた大人の中には、いつの間にか、見かけなくなったひとも、何人かいた。
幸い、ウチの家族はまだ、みんな元気に人間をしている。
 
「ウチの家系は、先祖代々、平安の時代から、嘘がつけない、正直者一家だからな。ゾンビになんぞなるわけがない」
 
そう言って、ガハハッと笑う父に、「お父さん、今のまずいんじゃないの? 嘘タンクの残り容量、ムダに減らしてるよ、それ」と毎回、母はつっこんでいるが、今のところ、父がゾンビになる気配はない。
 
最初はパニックになっていた、大人や子どもたちも、徐々にこの「嘘をついたら、ゾンビになってしまう」世界に慣れていき、順応していった。
「こんなのおかしい。嘘をつかないで生きていくなんて、そんなこと不可能だ!」と声をあげる者は、ついにいなくなった。
なぜなら、「嘘をついたら、ゾンビになってしまう」世界は、裏を返せば「嘘をつかなければ、人間でいられる」世界なのだ。人間として生まれてきたからには、一日でも長く、人間として生きていたい。
僕たちのとるべき行動は、ひとつだけになった。
 
嘘をつかずに、生きていくこと。
 
世の中から、多くの「嘘」が消えていった。
「この人の言っていること、本当かな?」と疑ってみる必要がなくなった。
面倒くさい社交辞令のやり取りが、省かれていった。
 
誰も嘘をつかない、誰も嘘をつく必要がない、誰も嘘に振り回されることない世界が、こうして誕生した。
 
今朝、凪子のお父さんから電話がかかってきたとき、僕は家で、自分の部屋の整理をしていた。
僕は部屋が散らかっていると落ち着かない。だから定期的に、自分の部屋を整理し、必要のないものは捨てている。モノが極端に少ない僕の部屋を「家出の準備OKの部屋」と称して、母はちょっと寂しそうな顔をする。
 
「もしもし、ケイタ君か。凪子の父だけど。突然電話して悪かったね。折り入って君に、お願したいことがあって……」
 
凪子のお父さんの声を初めて耳にした僕は「ああ、凪子のハスキーボイスって、お父さん似だったんだな」と納得した。そして、凪子とよく似た、笑うと片方だけえくぼがあらわれる、渋いおじさんを想像しながら、待ち合わせ場所へと向かった。
 
お父さんの職場のすぐ近くだというカフェに着いて、店内を見渡すと、すぐにお目当ての人を見つけることができた。
 
「ケイタ君だね。来てくれてありがとう。いろいろと話したいことはあるんだが、今はあまり時間がない。要点だけをしゃべらせてもらうよ」
直接耳にするお父さんの声は、凪子のそれを、一ヶ月分貯めたくらいの、厚みと重みがあった。
 
「ケイタ君、凪子と今すぐ、別れて欲しい」
 
「えっ? どうして……」
 
凪子のお父さんは、突然自分の娘と別れろという、理不尽な依頼の理由を、冷静に、かつ丁寧に説明してくれた。説明を聞き終えた僕は、ひとこと返事をして、席を立った。
 
「分かりました。凪子さんと、お別れします」
 
凪子のお父さんと会ったカフェを出てすぐ、僕は凪子に連絡をした。
 
「これから、ちょっと会えないかな? 三角公園で待ってる」
 
凪子の自宅近くにある、トライアングルみたいな三角形をした公園へ、僕は電車に乗って向かった。もし凪子が外出中で、すぐに来られなくても、何時間でも待つつもりだった。いったん家に帰るという、選択肢はなかった。家に帰れば、家族と顔を合わせることになる。それだけは避けたかった。
 
「どうしたの? 今、お母さんといっしょに買い物にでかけているところ。あと1時間くらいはかかると思うけど、いい?」
最寄りの駅に到着する直前にきた返信に、僕も重ねて返信をした。
 
「もちろん、いいよ。おれ今日、暇だから」
 
駅から歩いて5分の、その公園に着いた僕は、ふたつあるブランコの片方に座って、ブランコをこぎ始めた。
何年ぶりだろうか、ブランコをこぐなんて。最後にこいだのは……小学生になったばかりの頃か?
まだランドセルが重くて固くて、引きずるように持っていた、あの頃だった気がする。どっかのお兄ちゃんに「おい、ブランコは小さい子にゆずってやれよ、お前はもう小学生だろ」って怒鳴られて、ブランコで遊ぶのをやめたんだっけ。
 
そうだ。あの頃だ。
ちょうど僕らが「嘘をついたら、ゾンビになってしまう」世界へ投げ込まれた、あの頃だ……。
そうか。あの時から決まっていたんだ。僕と凪子の運命は。僕と凪子が、別れなければならないという運命は。
 
僕はブランコに立ち上がって、思いきりひざを曲げた。この世界から飛んで行ってしまえるのなら、いくらだって、この脚を曲げて伸ばして、曲げて伸ばして、高く、高くブランコをこいでやる。
僕は、頭の中で繰り返し聞こえてくる、凪子のお父さんの声を振り払うように、ブランコをこぎ続けた。
 
「ケイタ君、突然凪子と別れてくれだなんて、自分でもひどいことを言っているのは、重々承知だ。しかし、それしかあの子を救う道はないんだ。どうか納得して欲しい」
 
「そんなこといきなり言われたって、納得なんてできませんよ。凪子を救うって、いったいどういうことなんですか? 分かるように説明してください!」
 
凪子のお父さんの説明は現実味を欠いていたが……僕を納得させるだけの力を持っていた。
 
「私はね、政府の秘密機関に勤務しているんだ。そこでは、人間の『嘘タンク』を秘密裏に操作している。例えば、何人もの人を殺めた人間のタンクを、ぎりぎりまで『嘘』で埋めたり、国に多額の寄付をしてくれている金持ちのタンクから『嘘』を抜き取ったり。そうやって、ゾンビになるべき人間と、ゾンビになってはならない人間の、選別をしているんだ」
 
僕は驚きのあまり、声を出すことができなかった。
ゾンビになるべき人間と、なってはならない人間って、いったいなんなんだよ。そんなこと、勝手に決めていいのかよ。そんなこと勝手に決める権利があるのかよ。
 
「あまり、詳しい話は君のためにしない方がいいだろう。君と凪子に関係ある話だけをしよう」
そうしてくれ、そうしてくれよ。僕は、世の中のカラクリになんて、興味はないんだ。
 
「実は、この秘密機関に、私をよく思っていない人間がいてね。そいつが、凪子のタンクに『嘘』をメモリいっぱいまで入れたうえで、鍵をかけて、いなくなってしまったんだ」
 
「そんな……。でも、あなただったら、元に戻せるはずじゃないんですか?」
 
「残念ながら、鍵を開けられるのは、逃げたその男だけなんだ」
言うべきことばを、何も見つけられない僕は、ただただ、凪子とそっくりなお父さんの薄い唇を、見つめていた。
 
「そこで、君にお願いだ。凪子の嘘タンクは、あとひとつの嘘でいっぱいになってしまう。あの子があとひとつ嘘をついたら、あの子はゾンビになってしまうんだ。どうしてもそれだけは避けたい」
それと、僕が凪子と別れることが、どうつながるっていうんだよ。
 
「嘘タンクには、人生で一度だけ、穴を開けることができるんだ。穴が開いた瞬間、溜まった嘘がタンクから流れ出す。人によって穴が開いている時間はまちまちだ。すぐに穴が埋まってしまうひともいれば、中の嘘が全部吐き出されるまで埋まらない人もいる。しかし、いずれにしても、確実に嘘は減る。だから凪子のタンクにも穴も開けたい。そのために必要なのは……」
 
「必要なのは?」
 
「……絶望的な嘘をつかれることなんだ。」
 
絶望的な嘘。
 
「凪子は君のことを、愛している。君から嫌いだと言われて振られたら、きっとあの子は絶望するだろう。君のついてくれた嘘は、凪子のタンクに穴を開けてくれるはずだ。君にしかできないんだよ、ケイタくん。凪子をこころから愛してくれている、君にしか」

 

 

 

「ねえ、背中押してよ!」
 
お母さんとの買い物を終えて、公園にやってきた凪子は、もう片方のブランコに座ると、小さな女の子のように、無邪気にそう言った。
僕は、自分が座っていたブランコから立ち上がって、凪子の背後にまわり、彼女のちょっと骨ばった背内を押した。最初はやさしく、次第に力を込めて。
 
「気持ちいい! ブランコって、こんなに気持ち良かったっけ?」
僕は、凪子がこのまま、ブランコをこぎ続けてくれることを願いながら、彼女の背中に置いた手を、そっと離した。
 
ねえ、凪子。
風をきって、ブランコをこぐ君に向かって、僕は言わなければならない。
 
「僕と別れてくれ」
 
ねえ、凪子。
君は、きっとこう言うだろうね。
 
「わたしのこと、嫌いになっちゃった?」
 
ねえ、凪子。
そしたら、僕は笑いながら、こう答えるつもりだ。
 
「そうだよ。僕は君のことが、大嫌いなんだ」
 
ねえ、凪子。
きみを待っている間、僕も君と同じように風をきって、ブランコをこいでいたんだ。
そしたら、親切な風が教えてくれたよ。
 
「あなたの嘘タンクは、あとひとつでいっぱいです。お・き・を・つ・け・て」
 
ねえ、凪子。
僕は君に「大嫌いだ」って伝えた瞬間に、最後の嘘をついた瞬間に、きっとゾンビになるだろう。
君は、死にたてのゾンビを見て、きっとびっくりするだろうね。
 
でも、凪子。
悲しまなくていいんだよ。僕は、ゾンビになりたかったんだ、ずっと前から。
もうこりごりなんだよ、こんな嘘みたいな世界は。
 
嘘をつくって、そんなにいけないことなのかい? 僕らがまだ小さい子どもだったころは、誰かのためにつく嘘だって、ちゃんと認められていたじゃないか。
覚えているかい? 幼稚園のとき、僕がきらいなにんじんを、こっそり隣に座っていた君のお皿に入れていたのが、先生にばれたときのこと。あのとき君は、すごく怒っている先生に、怯える僕を見て、こう言ってくれたよね。
「わたし、にんじんだいすきだから、ケイタくんに、ちょうだいって言いました」
今でも、君はにんじんが苦手なのにね。
 
だからね、凪子。
僕はすすんで、嘘をついてきたんだ。ゾンビになって、この世界から逃げ出すために。
 
ごめんね、凪子。
君は、僕にできた初めての彼女じゃない。
初めて、呼び捨てにした女の子でもない。
君以外の女の子とも、僕はたくさんキスをした。
 
だけどね、凪子。
これだけは、信じて欲しい。
君は、僕が初めて、大好きになったひとだよ。
 
気をつけてね、凪子。
死にたてのゾンビになった僕は、君に問いかけてしまうかもしれない。
 
「僕のこと、嫌いになっちゃった?」
 
大丈夫だよ、凪子。
僕はたとえゾンビになったしまったとしても
君のこと、ずっと大好きだよ。
君のこと、ずっと待っているよ。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
井村ゆう子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。

 

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2019-11-04 | Posted in 死にたてのゾンビ

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