死にたてのゾンビ

殺したはずの黒、死んだはずの白。二色の石が生みだした記憶に残る名局《不定期連載「死にたてのゾンビ」》


記事:樋水聖治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「え、死んでない?」
 
スマホの画面に映る、白と黒の一団を凝視する。
 
「やっぱり死んでる……。こんなにあっさりした最後とは……」
 
まだ序盤と言える状況で、白の軍勢は黒の軍勢に見事に包囲され、死んでいた。
 
でも、この時はまだ、ほとんどの人々が、死んだはずの兵士たちの屍がヨロヨロと這いずり出し、地を這って進み出そうとしている音に気づいていなかった。ただ一人を除いて。

 

 

 

2019年3月14日、平成最後の名局と言われるまでの評価を残した、第43期囲碁棋聖戦 七番勝負の最終局が静寂の中、「パチ」という碁盤の上に置かれた黒石の音と共に幕を上げた。二日をかけて行われる大一番。
 
「囲碁7大タイトル」と呼ばれるタイトルのうち「棋聖」を争うのは、7大タイトルを二度独占し、当時5つのタイトルを保持していた、日本囲碁界最強棋士の井山裕太。彼が将棋の羽生善治さんと国民栄誉賞を受賞したのは記憶に新しい。
 
対するは、「平成四天王の一人」と称される「怪力・豪腕」の異名を持つ山下敬吾9段。1勝3敗と、断崖に手を掛けている状況から、底力を見せつけとうとう最終局にもつれこませた、こちらも日本囲碁界が誇る棋士の一人だ。
 
「この二人の碁は穏やかに進行したことがない」と、言われるほどにこの二人は何度も激戦を繰り広げてきた。そして、この最終局も当然のごとく、荒れた。それは、倒すか倒されるかと言う次元をはるかに超えたものだった。
 
囲碁は、最初はまっさらで何もない盤上に柵を立て農地を開拓するかのごとく黒と白の石を交互に置いていき、最終的にその総面積が多い方が勝ちになるゲームだ。効率よく石を置きながら、農地を増やしていく。対局者がそれぞれ持つ黒と白の石は、開拓農民なのだ。
 
しかし、お互いの農地を拡大していこうとする中で、ばったりと両者が出会うこともある。より穀物の育ちやすい肥沃で広大な土地を相手が狙っていると分かればなんとか邪魔しようと策を練る。そうやって碁盤の上では戦いが始まる。開拓農民のはずだった黒と白の農民は、武器を手に取り兵士となって戦場に赴く。このような戦いの中で、包囲され、その包囲された中で小さくとも”拠点”を築けなかった軍勢は、死んでしまうのだ。囲碁では「死に石」と呼ばれる。
 
もちろんこういった戦いを早々に予期し、避けながら小さくともか確実に農地を開拓して勝つことを得意とする囲碁棋士も多くいる。しかし、山下9段の異名は先に書いた通り、「怪力・豪腕」である。相手の石を力でねじ伏せてしまうような戦いを好み、その力強さを数々の場面で証明してきた。
 
そして、まさに、この棋聖戦最終局でその「怪力・豪腕」が井山裕太率いる白の軍勢に対して発揮されたのだ。
 
それは序盤が終わり、まだ局面が中盤に差し掛かったあたりのことだった。盤上の一つの区画に固まる白の一団が黒の一団に包囲されつつあった。そんな状況下にあっても「ここに白石を打てば、なんとか拠点を築き生きられる」という、言えば“無難な手”はあることはあった。しかし、井山棋聖はその手を打たなかった。
 
「自分の打ちたい手を打つ」
 
井山裕太という人物の、囲碁における、引いては人生における信念の一つを言い表した言葉だ。「誰もが打つだろう」と思う手、定石とか言われる手を前にして、井山プロは自分の心と向き合い、誰かの声ではなく自分の心の叫ぶ声を何よりも大切にする。そして、最後には価値をものにする。だからこそ、彼の見せる一手一手は魅力溢れたものになる。
 
その心の声が、まさにこの七番勝負の最終局で体現したのである。
 
「やれるものならやってみろ」
 
そう言わんばかりの挑発的な手でもあった。
 
しかし、そこで動揺し手に焦りが出たり、攻め時を失するような人ではないのが山下9段だ。
「ならば遠慮なく」と、容赦無く、白の一団に襲いかかり、見事に殺してしまったのである。「怪力山下、此処に在り」と示さんがごとくの場面だった。
 
こうして、井山棋聖率いる白の一団は「死んでしまった」のだが、見る人誰もが驚愕したのがその数、つまり死んだ兵士の人数だった。
 
囲碁では、戦略的に自らの石を「捨て石」として活かすという、まさに「肉を切らせて骨を断つ」のごとくの戦略がよく用いられるが、死んでしまった白の兵士の数は、「おびただしい数」と言っていいほどの数だった。もしこれを「戦略的に捨てたんです」とでも言われるようなことがあれば、多くのアマの碁打ちは「もう囲碁を辞めます」と言ってただろう。それくらいに井山棋聖は劣勢に見え、「山下9段必勝」と断じていいほどの状況になってしまったように思えた。
 
しかし、ここからが日本最強棋士、井山裕太の碁だった。
 
彼は、新しい白の軍勢を指揮しながら、死んでしまった大勢の味方を囲う黒の巨大な軍勢をゆるく囲い込み始めた。黒の軍勢には、大合戦の傷跡が確かに残っていたのである。いつの間にか、巨大な一枚岩だったはずの黒の一団は、依然として白の大群を囲み殺している状態でありつつも、いくつかの塊に分断されていた。
 
「怪力山下」の頭上に暗雲が立ち込み始めていた。
 
この時、黒の強大な勢力を追い詰めていたのは前方から来る白の新勢力だった。それは間違いない。しかし、それ以上に、不気味な存在感を放ちながら黒の軍勢にプレッシャーを与え続けていた勢力がいた。
 
それは死んだはずのあの白の一団だった。
 
白の一団は確かに包囲され、死んだ。しかし、その大量の屍は、死後、相手の退路を断つ壁となって敵の背後に横たわっていた。黒は、その壁を切り崩し、退路を確保することもできなくはない。しかし、そうしている間にも前方から迫り来る白の軍勢は多面的に展開し、強大な黒の軍勢以上の勢いで持って盤上を支配しかねなかった。結果的に、黒の一団は挟み撃ちにされる格好となってしまっていた。
 
「殺したはずなのに……」
 
死してなお、その執念で持って現世に留まり影響を及ぼさんとする白の軍勢の姿はまさに「死にたてのゾンビ」だった。
 
黒の一団は逃げ続けた。白は追い続けた。その途中の道は、両者それぞれにとって難解で複雑な選択の連続だった。一手打つごとに、AIが計測し示す勝率は揺れ動いた。序盤からは想像もできない展開の連続に、解説するプロ棋士も、ネット上で見ている人々も固唾を飲んで勝負の行方を追っていた。

 

 

 

勝負の最終盤。
 
山下9段の黒石は、殺した白石があった場所も含めて多くの陣地を確保した。しかし、大きく手に入れることができたのは、ほぼその陣地だけだった。井山棋聖の白は、逃げる黒を攻めつつも、いつの間にか広大な陣地を形成していた。
 
気づけば、プロの間では「大差」と言われる差で白番の井山棋聖が勝利し、棋聖位を防衛した。
 
この一局は記録以上に、多くの人々の記憶に残る名局となった。
 
中盤にさしかかろうとした局面で、井山棋聖は「殺してみろ」と黒の軍勢に勇猛果敢に反抗し、その挑戦を真正面から受け止め、力でねじ伏せた「怪力・豪腕山下」。その異名に恥じぬ大捕り物は囲碁ファンを大いに盛り上げた。
 
自分の打った手とその結果を受け止め、「自分の碁」を貫き通した井山棋聖。「自分の打ちたい手を打つ」という信念のもとに繰り出された一着一着は確かな勝ち筋を繋いだ。「日本最強棋士たる所以」を多くの人々の脳裏に鮮明に焼き付けた。
 
近年では、囲碁に限らず、様々な将棋の世界でもAI技術が進歩し、今や「コンピュータは人より強い」というのが定説になっている。常に最善の手を計算によって弾き出すAI。しかし、やはりその一手一手に自信や迷い、執念や諦めといった感情を見ることはない。対人であるからこそ、お互いの気迫、プライド、意地が直接ぶつかり合う。その姿に人々は魅了されるのだ。
 
やはり人と人との関係の中で紡がれるものは、面白い。
 
 
 
 

❏ライタープロフィール
樋水聖治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち
首都大学東京 歴史考古学分野(西洋史)卒業
在学中にフランスに留学するも、卒論のテーマは『中世イタリアのユダヤ人金貸しとキリスト教徒の関係について』
囲碁が好きでネット碁が趣味。(棋力はアマ5段ほど)
好きな漫画はもちろん『ヒカルの碁』
2019年GWの10日間で行われた、天狼院書店ライティング・ゼミで書くことの楽しさ、辛さ、必要性を知り、ライターズ倶楽部でさらなる修行を積んでいる

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2019-09-09 | Posted in 死にたてのゾンビ

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