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死にたてのゾンビ

癖になるゾンビからの生還体験《不定期連載「死にたてのゾンビ」》


記事:菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

何かに吸い寄せられるように、同じ方向に向かって進んでいる。
その足取りはどれも重く、足を引きずりながら進む姿も。
言葉を発することもなく、ただユラユラとなんとか前に進んでいるといった状態だ。
 
その光景はまさにゾンビの群れだ。
その群れの中で、ゾンビ化した私も喘ぎながら進んでいた。
 
ゾンビ化の予兆を感じたのはほんの2〜3時間前のこと。
最初は本当にささいな変化だった。
 
「あれ、ちょっと胃がムカムカするなぁ」
 
それまでは体調も良く、何の問題もなかったのに、そんな小さな変化から瞬く間に様々な変化が起こっていった。
 
胃のムカムカは、すぐに吐き気に変わっていき、すっかり食べ物を受けつけなくなってしまった。水分補給はなんとかできる程度。食べ物を口に入れて、なんとか飲み込もうとしても、なかなか喉を通らない。やっと飲み込めたと思ったのも束の間で、数分後には吐いてしまう。
 
そうしているうちに体にも異常を感じ始める。体は異様なほどにだるくなり、もう横になりたい気分に。一歩、一歩と歩くたびに足の裏や太ももに激痛が走る。
その痛みは足全体に広がり、どこが痛いのかもよく分からないといった感じだ。とにかく1歩、1歩、足を進めること自体が痛みとなっていた。
 
そうこうしているうちに意識も朦朧としてきて、考えることも面倒になる。
そして、最後は思考停止状態……
 
まさにゾンビ化した瞬間だった。
その後はただ歩を進めるだけのゾンビとなっていた。
 
これは2013年9月、ウルトラマラソンに初チャレンジした時の私の姿だ。
 
ウルトラマラソンとは、42.195kmのフルマラソンよりも長い距離を走るマラソンのこと。
日本では100kmの大会が多く、海外では100マイル(160km)や200kmを超えるような過酷なレースも。日本での歴史も長く、開催回数が20回を超える大会もある。
ここ数年のマラソンブームの影響や、テレビ番組で芸能人が100キロマラソンにチャンレンジしている姿が感動とともに中継されていることもあり、ウルトラマラソンの大会数も参加者数も年々増加している。
 
とは言え、実際にウルトラマラソンにチャレンジする人はまだまだ少ない。
フルマラソンを走っている人にさえ、ウルトラマラソンにチャレンジする人は「モノ好きな人」とった扱いをされてしまう。普段運動をしない人にとっては、理解できない人たちといったところだろう。
 
そんなウルトラマラソンに私がチャレンジしたのは、ほんの軽い気持ちからだった。
 
立ち寄った本屋で何気なくランニング雑誌を手に取って眺めていた。そこには、「フルマラソンを1回完走すれば、ウルトラマラソンにも完走できる!」といった内容の特集が組まれていた。その数カ月前にフルマラソンに初チャレンジして完走した私は、その記事を見て深く考えないまま、「じゃあ、自分も完走できるかも」と考え始めていた。
 
十数年前ではあるものの、学生時代は陸上部だったこともあり、体力にはある程度自信を持っていた私は、初マラソンで予想以上に良いタイムで完走できたこともあって、すっかり“天狗”になっていたのだ。
 
そんな特集記事を見た直後に、たまたま見つけたのが「秩父札所めぐりウルトラマラソン」。
秩父札所午歳総開帳プレイベントと銘打たれた大会で、その年1回だけ開催される記念大会だった。もう2度と開催されないというプレミアム感に、「これはもう出るしかない!」と後先考えずに申し込んでしまったのだ。
 
当然ではあるが、ウルトラマラソンにチャレンジするには、フルマラソン以上にしっかりとした準備が必要となる。10時間以上走り続けることになるため、その運動に耐えられる体力・筋力はもちろん、レース中の水分や栄養補給も重要。さらにコースを研究して、どんなペースで走るのかといったペース配分も考えておく必要がある。
 
当時、すっかり“天狗”になっていた私は、ウルトラマラソンに向けた特別な準備をしないまま大会に臨んでしまった。距離は84kmとフルマラソンの約2倍。「まぁ、フルマラソンよりゆっくりしたペースで走れば何とかなるかな」と軽く考えていた。
 
その結果が、ゾンビ化だった……
 
大会当時の天気は晴れ。スタート時点の気温は10度。Tシャツだとちょっと寒いけど、ランニングにはちょうど良いといった好条件。
スタート時間の朝5時30分、まだ暗さが残る中、約500名のランナーがスタートした。
 
中間地点まではほぼフラットなコース。
完走したフルマラソンよりもゆっくりのペースを想定し、目標タイムは10時間以内、中間地点の目標タイムは4時間半。後半はペースが落ちたとしても10時間以内には完走できるだろうという、ざっくりとした計画を立てていた。
 
中間地点の通過時間は4時間半。
想定通りの走りで、まだまだ余裕があったこともあり、「あ、これは余裕で10時間以内に完走できそうだな」と考えていた。
 
しかし、ここから想定外の連続となった。
 
まずはコース。
前半はほぼフラットなコースが、後半は大きな峠を2つ越えるというかなりハードなコース設定だったのだ。なんとなくコース図は眺めていたものの、そのアップダウンの大きさや距離は想定外。改めてコース図を見てみたところ、コース全体で登る高さが1800mを超えていた。これはちょっとした登山だ……
ちょっと調べれば分かったことなのだが、ウルトラマラソンでは交通規制のあまり必要のない、交通量の少ない道がコースとなることが多い。そうなると国道のような幹線道路ではなく、脇道や峠道がコースに含まれることになる。そんなことも知らずに走り出していたのだ。
そんなアップダウンのある道を走るのはもちろん初めて。1つ目の峠の上りの途中で、すっかり体力も足の筋力も使い切ってしまい、それ以降の登り坂ではまったく走ることができなくなってしまった。
さらに苦しめられたのが下り坂。
素人考えでは下り坂の方が楽に走れると思っていたが、実はそうではなかった。疲れ切った足で下り坂を走ろうとすると、踏ん張りが効かないうえ、1歩ごとに足全体に激痛が走るのだ。これも初体験のことで、まったく想定外だった。
 
次の想定外は暑さ。
マラソンシーズンは10月〜3月。基本的に気温が低い冬場が中心。
私がそれまで走った大会も2月〜3月のものばかりで、今回のように9月の大会は初めて。
朝5時半のスタート時点では10度だった気温は、お昼頃にはすっかり20度を超えていた。さらに雲のない空には、9月といえどもまだ夏を思わせる太陽があり、強烈な日差しに長時間晒されることになってしまった。高い気温、まだ夏の余韻が残る直射日光によって、瞬く間に体力を奪われることになってしまった。
 
そして最後の想定外は内臓の疲労。
長時間のランニングで内臓が揺さぶられて内臓疲労を起こしてしまう。これはウルトラマラソンには「あるある」とのことで、ベテランランナーはそれに備えて胃薬を準備しているそうだ。もちろん準備不足の私はそんなことを知るはずもない。
内臓疲労はやがて腹痛や吐き気となり、すっかり食欲はなくなってしまっていた。栄養補給もできなくなり、体力を回復することも出来なくなってしまっていた。
 
こうやって、様々な想定外の連続で、後半は大失速。
70kmを過ぎた頃には、すっかりゾンビと化してしまっていた。
10km以上を残しながら、もう何か考える余裕はなく、ただただ痛みに耐えながら足を前に進めるだけだった。
 
そんな私の周りには同じようにゾンビ化した人たちが無数にいた。
ウルトラマラソンに慣れたランナーはすっかり先に行ってしまい、私の周りにはなんとか制限時間内でのゴールを目指すような人たちばかり。そんな人たちは、私と同じようにすっかり体力を使い果たしてしまい、ゾンビ化してしまっていたのだ。
きっとその光景は、何かに吸い寄せさられるように一方向に進んでいくゾンビの群れのように見えたのではないだろうか。
 
そんなゾンビ化してしまった後は、正直あまり記憶に残っていない。
どんなコースだったか、走っていた時の体調や気持ちは? そんな記憶がほとんど残っていないのだ。
そんな状態ながらも、なんとかゴールしたのはスタートしてから11時間が経過していた。前半を4時間半で走ったものの、後半は6時間半かかってしまっていた。
その日の帰り道は、まともに歩くこともできない。その後数日間、普段の生活に支障をきたすほどのダメージが残っていた。
 
そんなゾンビ化の体験と同時に、もう一つのこれまでにない体験をしていた。
それはゾンビ化からの生還だ。
 
ゴールまで残り10km、すっかりゾンビ化は進行してしまい、痛みは足全体に広がり、気分の悪さから食べ物だけでなく飲み物すら受けつけない。もうほぼ歩くことしかできないという状態が続いていた。
そんな状態が続いていたにも関わらず、ゴール手前3km、やっとゴールができると実感できると、みるみる体に生気が戻ってきたのだ。ゴールに近づくにつれてさらに力が湧いてきて、ゴール目前ではすっかり元気を取り戻して走り出していたのだ!
 
そしてゴール!
 
それはこれまでに経験したことのない達成感で、すっかりそのつらさを忘れて、充実感に包まれていた。
いつの間にかゾンビ化から生還していたのだ。
 
実はこの体験はかなりやっかいなものだった。
ゴールできたことの達成感、充実感が、あれだけつらかったはずのゾンビ化とゾンビ化後の体験を、時間の経過と共にすっかり忘れさせてしまったのだ。
走った直後は、「もうここまでつらいことは当分いいかな」と思っていたはずが、数カ月もすれば、「あの達成感をまた味わいたいなぁ」と思い始める。大会申込が近づくにつれなぜかソワソワし始め、いざ申込が始まると、ついつい申し込んでしまう。
ウルトラマラソン初チャレンジ以降、そんなことを繰り返してしまっている。
 
現在も毎年1回、ウルトラマラソンに出場している。
多少は知識と経験を積み重ねてきたものの、10時間以上走り続けるウルトラマラソンでは、やはり何かトラブルが発生する。前日の寝不足の影響で体調を崩したり、熱中症になってしまったり。そんなトラブルが原因で、今でもゾンビ化してしまっている。
結局、ゾンビ化が原因で途中リタイアをしてしまうこともある。
 
そんな経験を繰り返していく中で、あることに気が付いた。
調整もレース運びもうまくいき、途中ゾンビ化せずに完走した時よりも、ゾンビ化からの生還を果たして完走した時の方がより達成感を感じるのだ。
これを一度味わってしまうとなかなかやめられない。すっかりウルトラマラソン中毒、「ゾンビ化とゾンビ化からの生還」中毒と言った感じだ。
 
ぜひこの感覚はより多くの人に味わってもらいたい。
これまでにない達成感を味わいたいという方には、ぜひウルトラマラソンにチャレンジしてみては?
その時には、ぜひ「ゾンビ化とゾンビ化からの生還」も一緒に味わうことも忘れずに。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県北九州市出身。
地方自治体の職員とNPOや社会起業家を応援する社会人集団の代表という2足のわらじを履く。ライティングに出会い、その奥深さを実感し、3足目のわらじを目指して悪戦苦闘中。そんなわらじ好きを許してくれる妻に感謝しながら日々を送る。
趣味はマラソンとトレイルランニング。

 

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2020-02-25 | Posted in 死にたてのゾンビ

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