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川代ノート(READING LIFE)

「匿名」という名の戦争《川代ノート》


記事:川代紗生(天狼院書店)
 
名前のない声と戦っている。
その声は、どこから聞こえてくるのかはわからない。いつ、どこで発生したのかもわからない。けれども突然、耳に飛び込んでくることがある。
私が何か、行動を取ろうとすると、ふいに、声がきこえるのだ。

「誰にも求められてない」
「なんでそんなことやってるの?」

どうしてかはわからないけれど、聞こえてくる。
その声は、匿名だ。顔も名前もわからない、のっぺらぼうなのだ。
その、のっぺらぼうたちが、何を求めて私の頭の中にやってきているのかはわからないけれど、ただ頭の中でその声が、リフレインする。ぐわん、ぐわんぐわんと、何度も。

その声に振り回されないようにしよう、とは思うのに、どうしてだろう、私はその声を無視することができない。一度耳に入ってきたら、止められない。気になって気になって、それ以外のことを考えられなくなるのだ。

あるいは、私は人からの評価を気にしすぎているのかもしれなかった。
こう思われたらどうしよう、こんな風に感じさせてしまっていたらどうしよう、バカだと思われていたらどうしよう、あいつ調子に乗っていると思われたらどうしよう。
他人の目を気にする私の臆病な心が、他者からの評価を先回りして、私の頭の中で警告しているのかもしれなかった。

あるいは、遠くのどこかで見た、他者から他者への評価を、自分に重ね合わせてしまっているのかもしれなかった。
恐ろしいことに、今の世の中は、他人の声が聞こえすぎる。あまりにクリアに、オブラートに包むこともなく、他人の悪意が、そっくりそのまま私の耳に入ってくる。

「頭おかしいんですか?」
「どうしてこの人、自分が間違っているって気がつかないんだろう」
「不快です。そのような発言はしないでほしかった」
「みんなこう思ってますよ」

毎日、スマホを開き、SNS を見るたびに、私の目に飛び込んでくるのは、匿名の悪口たちだ。匿名の批判たちだ。匿名の意見。匿名の怒り。匿名の攻撃。世界では、常に誰かが怒り、誰かが泣き、誰かが悲しみ、そしてそのネガティブな感情たちを、「匿名ではない誰か」にぶつけている。匿名な声たちが、攻撃の手を止めることはない。よくわからない食べ物や、風景や、猫や、キャラクターや、芸能人の顔写真たちが、丸い枠の中に収められていて、そして、よくわからない仮の名前がついていて。リアルの場では、誰が、どんな顔で、どんな性別で、どんな表情で、どんな声色で、それを主張しているのか、推測することができなくて……。

私は、一応本名で活動をしている。川代紗生という名を持つ人間として意見を主張し、伝えたいことを書いている。本名で書いているのは仕事上の問題もあるけれど、ただ、なんとなく、匿名で自分の意見を伝えるのは、違うなと思ったから、本名からスタートしたのだった。
今ではそれは、自分の伝える言葉たちに、自分で責任を持つということだから、よかったと思っているけれど、ただ、それとはまた別のところで、私は苦しんでいる。

匿名の声たちから、逃れられないことだ。
もはや、私の頭の中には、匿名の声たちが、住み着いてしまっている。私は私として何かを伝えようとする前に、何かを書こうと、表現しようとする前に、まだ発せられていない、生まれ落ちていない匿名の声が、私に向かって、こう言ってくるのだ。

「つまらない」
「それっておかしくない?」
「バカじゃないの?」

私を嘲笑う歯が見える。綺麗に並んだ白い歯が、空中に浮かんでいる。そして、ニヤリと笑う。こちらに向かって、真っ黒な背景に浮かぶ歯が、私に向かって、ニヤニヤと。

やめてくれ、と私は思う。評価しないで。私の価値を判別しようとしないで。私のことを嗤わないで。まだ何も書いてないのに。何も言ってないのに。何もチャレンジしてないのに。
そう思うのに、その匿名の声は、消えることはない。ただ、ニヤニヤと嗤い、私に批判の声を浴びせ続け、そして、そんな声が次々に増えていくたび、私は苦しくなって、逃げ出したくなるのだ。

そんなに楽しいか、人を評価するのは。
上から目線で、判別するのは。嗤うのは。お前の点数はこれくらいと、値付けするのは。

そうやって、嗤ってくる声たちに、対抗しようとするのだけれど、ふっと、そもそも、誰も私に声などかけていなかったことに気がつく。そうだ、誰もいなかったのだ。私をバカにし、嗤う人など、どこにもいなかった。私は独り相撲をしていただけだ。受け取ってすらいない声を勝手に想像し、勝手に落ち込み、勝手に憂鬱な気分になっている。それだけ。

バカだ、と思うだろうか。
私も思う。自分はバカだと。

けれども、現状として、こういう匿名の世界で生きていかなければならないというのは、紛れもない事実なのだ。私にとって。

私が、まだ聞こえてこない他人の声を先回りして卑屈になっているというのは事実だ。紛れもない事実だ。
ただ、匿名の声たちが、日に日に大きくなっているというのも、それはそれでまた、事実なのだ。

名前を持たない匿名の人間が、声高に自分の意見を主張し、誰かを批判し、傷つけ、貶めているのも、実際に起こっていることで、そして、おそらくこれから先、そういう匿名の声たちが消えることもないだろう。

名前のない、責任を放棄した言葉がネット上には残る。誰かが傷つけられ、言葉の暴力で殴られたとしても、責任をとってはもらえない。「匿名」には、逃げ道が用意されているからだ。何かあれば、逃げればいい。消えればいい。名前を変えて。また別の人間になって、次の人間を傷付ける。

たとえば、私の精神がもっと強かったら。
もっと頭が良かったら。

そう思うこともあるけれど、おそらく、それだけの問題でもないのだろうと思う。
怖いな、と私は思う。

この戦いが、おそらくこの先どう頑張ったとしても終わらないであろう戦いが、怖い。

ただ、私にできるのは、名前を持つ人間であり続けることだけだ。私は私という人間として、言葉を紡ぎ続けるしかないのだ。

ねぇ、あなたは、どう思う?

名前を持たない者たちと、名前を持つ者たちとの戦争があるとするならば、私は、名前を持つ人間として戦いたい。武器を手に取りたい。
私は、私の思いを伝えられる人間でありたい。
もちろん、のっぴきならない事情で、匿名でなければならないときもあるだろう。匿名であるからこそ、語れる言葉もあるだろう。

「匿名」という選択肢が残されているのは良いことだと、私は思う。

けれどもときどき、こうも思うのだ。

勝てるのか、と。

「匿名」という武器を手にした、制御の効かない人たちとの戦いにおいて、私は勝つことができるのか、と。

私は、自分の頭の中で響き続ける、名前のない声たちを、いつかシャットダウンすることができるのだろうか。誰の評価も、悪意も、攻撃も恐れることなく、私という人間の精神を保ったまま、はたして、素直に、自分の思いを発信し続けることができるのだろうか、と。

いつでも逃げられる場所から攻撃してくる人たちを、私は恐れずにはいられない。
傷つかずにはいられない。
涙を流さずにはいられない。

けれども、矛盾してるようだけれど、同時にこうも思うのだ。
傷ついてしまう自分自身を、失わずにいたいと。

他者からの批判や悪意に、漫然と立ち向かえる人間になれたらどんなにいいかとつい考えることもあるけれど、それでも、傷つくべきときにきちんと傷つける人間でありたいと、私は思う。どうしても。

もっと楽しく生きていたい。
もっと自分らしく生きていたい。

そう思うから、その思いを伝えたいだけなのに、この世の中はなかなかどうして、難しいものである。
 
ねぇ、あなたは、どう思う?

「匿名」という名の戦争の中で、どう生きる?
誰として、生きる?
どんな人間として、言葉を残す?

私はいつも、自分自身にそう問いかける。
問いかけずにはいられないのだ。
 
 
 
夜寝る前、目を閉じると浮かぶのは、黒背景紙。
写真を撮影するときに使うような、本当の、真っ黒。

その上に浮かぶのは、白い歯。まっすぐに並び、ニヤニヤと歪んでいく、三日月型の唇。
囁く声。

「バカじゃないの?」

嘲笑う、声。

この声が聞こえているのは、私ひとりではないということを。

「強くなりたい」

その声が聞こえるたびに強くなりたい、強くなりたいと呪文のように呟いて、なんとか自分を励ましながら毎日を生きているのは、私ひとりではないということを。

切に、願う。
 
そして私は、いつもと同じように、ぎゅっと強く、目をつむる。
 

 

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店「福岡天狼院」店長。ライター。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。出版業界誌「新文化」にてコラム連載中。

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2019-07-08 | Posted in 川代ノート(READING LIFE)

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