週刊READING LIFE vol.22

家族は「妥協」で出来ている。《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:小倉 秀子(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ある女友達:「え! オグラくんとヒデちゃんが結婚するの?! びっくり! 意外!」
 
ある男友達:「そもそもオグラとイソムラって、付き合ってたの? どこでそんなに仲良くなるきっかけがあったの???」
 
会社の同期入社のオグラくんと私が、数年の付き合いの末結婚する事が決まったとき、ほかの同期の仲間はほぼみんな、この組み合わせに驚きを隠しませんでした。
 
私:「意外? そうかもね。私もそんな気がする」
私:「きっかけは、それなりに色々あったんだけれどね(笑)。付き合いそうもない組み合わせだよね」
 
私自身も、実はちょっと不思議でした。
会社の中では、知的でクールで物静かな印象のオグラくん。
快活で、よく喋ったり動いたりしていて落ち着きのない私。
なんで付き合い始め、そしてご縁あって結婚まですることになってしまったか。
まあ、そこはちゃんときっかけがあって、おつきあいに発展した訳です。実際に付き合ってみたらやっぱり私とは違うところがたくさんあったけれど、何においても誠実で優しい人柄に惹かれて結婚を決めたのです。
 
新婚時代は、すべてがバラ色でした。
生まれて初めて実家を出て二人で始めた新生活はとても楽しかった。
子供が生まれるまでの数年間は思い切り楽しもうと、都内のとても便利な場所に新居を構えました。
平日は仕事帰りに遅くまで寄り道して帰ったし、週末は昼過ぎに起きて、近くの美味しいお店に外食したり、家で撮り溜めていた録画をともに鑑賞したり。週末の気の抜き方がほぼ一致していたのはよかった。でも実は、この頃から唯一気になっている事があったのです。
 
会話が弾まない。
 
特に食事の時。二人で食べているのに、全然会話しないのです。
静かに食べている。
私から色々と話題を振ってみるも、
 
「そうだね」
「へー」
 
で、大抵の話題は片付けられてしまいます。
 
実はこれ、結婚前の付き合っていた時から、唯一気になっていたところでした。かなり気になっていたけれど、
「彼との会話が弾まないから」というだけで結婚を破棄する女性がいるでしょうか?
それに、そのほかの事はほぼ全て好きだったので、唯一この不満な点のみ妥協して結婚したのです。
 
でもやっぱり、結婚してからも、会話が少なかった。
 
「もっと会話しようよ」
 
そう言っても、一向に変わらなかった。
 
シーンとした食卓は寂しい。
特に私はよくしゃべり、よく笑うのが好きだったので、この点を妥協して結婚したものの、やはり妥協できない、なんとか良い方向に持って行きたいと願い、彼になんども相談したものです。
 
でもあまり効果はなし。
というより、彼は「会話が少ない」とは感じていないようす。
 
「そう? しゃべってるじゃん」
 
と言って、相変わらず静かにご飯を口に運ぶ。テレビからの音声が二人の間を保ってくれているようでした。
 
でもそんな悩みは、子供が生まれた途端に一旦何処かへと吹き飛びます。
子供中心の生活に、二人きりになる機会も静寂に悩む余裕もほどんどなかったからです。
 
それに、彼は会話が少ない事以外はほぼ不満のない、完璧な夫でした。
長男が小さい頃は共働きでしたが、私にも残業する日を作ってくれました。彼も私も当時システム開発の仕事をしていて、お互いにトラブルで緊急の呼び出しなどが少なくなかった。私がトラブル対応で仕事が延びたりしたら、必ずと言っていいほど自分の仕事を切り上げてお迎えを代わってくれました。だからと言って彼は自分の仕事をおろそかにしていた訳では決してなく、ちゃんとこなしていたようです。
 
そんな彼の優しさと要領の良さに、私はどんどん甘えるようになりました。
彼は私の事情を最優先してくれるのに、私は自分を最優先していたのです。

 
 
 

結婚生活も10年以上が過ぎ、二人の子供にも恵まれたある日のことです。
私はその時はもう退職して主婦、長男が小学校4年生、次男がまだ3歳だったある夏の日のこと。私は出社していた夫からある一通のメールをもらいました。

 
 
 

内容は……今でも思い出したくないくらいに深刻なものでした。
闇の中から、夫が「助けて」と叫んでいるようでした。
 
帰宅した夫は、無口ですぐに寝室に入っていきました。
その日を境に、完璧だった夫は人が変わってしまいました。
可能な限りほぼ一日中ベッドに潜り込み、家族を拒絶し、否定的は事ばかりを口にするようになりました。
 
彼は心身ともに疲れ切ってしまっていたのです。
仕事も相当しんどかった上に、私をはじめとする家族からも疎外感を感じ、居場所を見出せなくなっていたのです。
 
夫がそんな状態になって、私は初めて気がつきました。
私は私の主張を決して曲げずに正しいと思ったことに突き進んでしまった事。
それは、夫に対しても、子育てに対しても、自分自身に対してもそうでした。主張が通らなければ、どうやったら通るようになるか。その事ばかりを考えていました。
一方夫は、私の思い、子供達の思い、いろいろを鑑みて、自分が妥協して丸く収まるならそれでいい。自分が折れればいい。そう考えるタイプです。
主張の強い私をはじめとした家族の思いを全て自分の身体に飲み込ませているうちに、心身のバランスを崩すまでになってしまっていたのです。
 
伴侶をそこまでの状態にさせてしまった事、私の一生で償っても償いきれない罪深い事です。
 
暗い闇の底で一人孤独に苦しみもがく夫。
そこから5年前後、この闇から彼を抜け出させる家族の闘いが始まりました。
 
自己主張が強く、夫に対して一歩も譲らなかった私は、本当に恥ずかしいことにこの時初めて「妥協する」ことを知りました。
 
妥協する。それは、双方の意見が食い違っているときに、自分の意見を取り下げたり、あるいは双方が互いに相手の意見を容認して歩み寄り、問題を打開して行くこと。
 
とにかく闇のどん底にいる夫に歩み寄り、どんな状態でも受け止めなければ。そんな思いでした。
 
ストレスが溜まりに溜まっていた当時の夫の発する言葉は、ネガティブで重たく、受け取ったこちらまでがどんよりとしてしまうものばかりでした。
いっそのこと話しかけなければいいのかとも思いましたが、それでは逃げているだけでダメなんです。彼を一人にしておくと、どこまでも暗い闇に沈んで、戻ってこれなくなってしまいそうでした。どんなにネガティブで心に辛く突き刺さることを言われても、ちゃんと受け止めなければいけなかった。私が長い間彼にとってきた態度も、彼にとってはきっと辛く突き刺さっていたのでしょう。同じ気持ちをちゃんと味わおうという思いで、毎日泣きながら必死で受け止めていました。

 
 
 

あのメールをもらってから、時はすでに10年以上が経過しました。
今は、家族皆が元気で健康です。何よりです。
夫もすっかり回復しました。毎週末の野球観戦という楽しみ、言わば第三の場所を得て、仕事、家庭、趣味のバランスを取りながら心身の健康を保つように努めているようです。それに、以前に比べてずっとずっと、問題を一人で片付けようとせずに自分の意見を私たちにも伝えてくれるようになりました。言いたいことも言ってくれます。自ずと、新婚当初や付き合っていた頃よりも会話が増えたかも知れません。
私も、自己主張ばかりせず、意見を聞く努力をするようになったつもりです。それでもまだ家族から「お母さんは人の話を聞かないで遮る」と言われるし、「イライラしてキンキン叫ぶのが本当に嫌い」と総スカンを喰っていますが。
 
長男や次男に対して、生活の最低限のマナーでどうしても守って欲しいことは夫も私も常に言い続けています。
逆に彼らが、夫や私に対して要望があればよく話し合うようにしています。
 
家族との生活の中で誰かひとりの言うとおりになるなんていうことは、まずありません。そうであったとしたら、それはモラハラ、パワハラ、虐待が潜んでいるかも知れない。そんな事は断じてあってはならない。
 
自分の思い通りにしたければ、共同生活などせず一人で生きていったらいい。でもそれが出来ない、孤独を感じてしまうのが人間の良いところであり、悪いところでもあります。でもそうである以上、互いが存在するコミュニティーの中にあって、「妥協」は最高のコミュニケーション円滑の手段です。
「譲り合い」と言った方が聞こえはいいかも知れないけれど、家族なんてそんなにきれいごとばかりではありません。やはり「妥協」なのです。どこかあきらめないと長くは一緒にいられない、共には暮らしていけないのです。
でも、「妥協」してまで共に過ごしていきたい家族がいること自体が、とても幸せなことなのだとも思っています。
 
家族のひとりひとりはあなたにとって、「最高のパートナー」「最高の我が子」ではないと感じているかも知れません。
逆に彼らにとっても、あなたは「最高の伴侶」「最高の親」でもないかもしれ
ません(悲)。
でもあなたにとっての「最高」は、相手にとっての「我慢の連続」かも知れません。あなたの理想の全てが体現した人なんていません。
長所、欠点併せ持ったひとりひとりが、それぞれの違いを認め合い、歩み寄り、一つの家族を構成する。それにはお互いの「妥協」が不可欠です。
「妥協」が家族の絆を深め、妥協しないときよりもさらに、あなたに幸せをもたらしてくれるはずだと、私は自身の苦い苦い経験から、そのことをお伝えしたい気持ちでいっぱいです。
 
 
 

❏ライタープロフィール
小倉 秀子(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
東京都生まれ。東京理科大学卒。外資系IT企業で15年間勤務した後、二人目の育児を機に退職。
2014年7月、自らデザイン・製作したアクセサリーのブランドを立ち上げる。2017年8月よりイベントカメラマンとしても活動中。
現在は天狼院書店で、撮って書けるライターを目指して修行中。
2018年11月、天狼院フォトグランプリ準優勝。

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2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

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