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週刊READING LIFE vol.25

43歳の誕生日プレゼントに、「私のいいところを挙げて欲しい」とリクエストしてみた《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》


記事:相澤綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ふと気づけば、なんとなく、いつも息苦しく感じていた。
いつも何かに追われているような気がする。頑張って結果を出さないと認められないと思っている。誰かが機嫌が悪いと、自分のせいなのではないかと思ってしまう。怒られると、必要以上に落ち込む。自分の良くなかったところを次からは気を付ければいいというのは頭では分かっている。でも、その部分だけ反省して、気持ちを切り替えるということがなかなか難しい。
もちろん常にこういう状況というわけではない。楽しいことがあって、ああ今日はいい一日だったと思いながら眠りにつくこともある。朝起きた時に、今日もがんばろうと思える日もある。でもそういう日の記憶は薄くて続かない。
子どもの頃は楽だった。勉強でも運動でも、どこを目指せばいいのかがはっきりしていた。必死に勉強したり練習したりすれば、もちろん乗り越えられない実力やセンスの問題はあっても、それなりに努力が報われることが体感できていた。だから、自分の抱えていた暗闇に気付くことなんてなかった。
社会に出てからも、しばらくは不自由しなかった。一番長く時間を過ごした職場には、色んな世代がいる。バックグラウンドも違う。だから価値観もバラバラだった。でもとにかく仕事さえ覚えて、こなせるようになれば良かった。早く処理して、仕事のやり方を工夫して、事業の内容をちょっとバージョンアップできたりすれば、自信につながった。
でも経験年数が上がっていくにつれて、自分一人の仕事をこなしていればいいというわけではなくなった。自分一人で完結できるなら、自分だけの問題だ。でも他の人と関わりながら仕事する場合には、自分だけが頑張れば済む問題でもない。
他の人が動いてくれないことを、その人が悪いと思えれば良かったのかもしれない。でも実際、そういうことじゃないだろう。その理由を、私が嫌われているからだとか、駄目だからとか考えた。本当は違ったのかもしれない。でも、私は自分が悪いという気持ちから抜け出せなくなった。
少し前に、大切な友達を傷付けてしまった。自分が言った言葉がうまく伝わらなかったのか、相手が勘違いしてしまったのか分からない。ともかく、私は傷付けるつもりなどなかったけれど、相手は何か違う風に受け取ったのだ。翌日になって、表面的には普通にやりとりしていたけれど、私に向ける表情がどうしようもなく硬くなっていた。なぜ怒っているのかよく理解できなかったし、理由を尋ねられる雰囲気でもなかった。自分の発した言葉が、翌日まで引きずる何かを含んでいたことにショックを受けた。自分が大切だと思っている人なのに、どうしてそうなってしまったんだろうと思うと、申し訳なさと悲しさでいっぱいになった。

 
 
 

自己肯定感、という言葉に出会ったのは5、6年前のことだったと思う。ありのままの自分をよいと思える感情のこと。説明を読むごとに、自分は自己肯定感が低いということに気付かざるを得なかった。だから息苦しいんだ、と腹落ちしてほっとする気持ちと、じゃあここからどう抜け出せばいいんだろう、と思う気持ちが入り混じった。
もう子どもじゃないんだから、誰かが助けてくれるはずもなかった。自分が変わらなければいけないことは分かっていた。でも自分一人の力ではどうにもならなかった。本を読んで刺激を受けて、気持ちが上向きになっても、すぐに何かあると落ち込んだ。誰か尊敬できる人との出会いは、高揚した気分になり、しばらく前向きでいることができた。でもそういう興奮も日常の中で薄れ、すぐにいつもの自分に戻ってしまっていた。
天狼院書店の「人生が変わるライティング講座」との出会いも、そういうきっかけを求めて申し込んだ。実際、三浦先生の講義はとても刺激的で力強く、まっすぐに私の心に響いてきた。書くことをかなりつかめた気持ちになっていた。でも、ライターズ倶楽部になって状況が変わった。みんなが次々と連載企画が認められて公認ライターになっていく中、私は企画を出すことさえできなかった。しかも、仕事が忙しかったりパソコンが調子が悪かったりで、課題さえ提出できないことが増えていた。そんな障害、本気ならどうにでもできただろう。自分の中を覗き込むと、空っぽで何もない真っ暗な穴のように思えた。

 
 
 

そんな折、友達がフェイスブック上で、誕生日プレゼントのリクエストをしていた。その友達は少し年上で、同業者を集めて勉強会を開催しているようなリーダー的存在だった。彼女と知り合ったのも、彼女とその仲間が開催してくれた、女性向けの交流会に参加したからだった。
「今日だけ、今年だけのお願いです。お誕生日のプレゼントとして、皆さんが思う私の良い所を教えてください」
既に、十数人が書き込みをしていた。私のことを褒めてくれているのではないのに、読みながら嬉しくてたまらなかった。みんなからの温かい気持ちを感じた。
私も彼女のいいところを書こうと思った。勉強会にはそんなに頻繁に出ることができていなかった。けれどもフェイスブックで彼女がどんなことをしているのか、とか、どんなことをみんなに伝えてくれるのか、ということにいつも触れられていたから、私が彼女を好きなところ、いいと思うところは色々と思い浮かんだ。それをちゃんと伝わるように、考えながら書いた。彼女の他の友達たちにも、そういういいところがあるよね、と思ってもらえたらいいなと想像した。そして何より、彼女に喜んでもらえたい、自分にはこんないいところがあったと勇気づけられたら嬉しいと考えた。
そして、「この誕生日プレゼントのリクエスト、1週間後が私の誕生日なので、マネさせてくださいね」と付け加えた。私もみんなからいいところをあげてもらえたら、今の自分を認められるような気がしてきたからだった。私の誕生日はそれから6日後だった。

 
 
 

誕生日の朝、私は目覚ましのアラームよりも少し早く目が覚めた。すぐに、フェイスブックに、誕生日プレゼントのリクエストをしようかと考えた。
でも迷う気持ちもあった。どうしようか、と思った。誰か何か書き込んでくれるだろうか、と不安になった。私のような人間が、自分のいいところを書いてもらおうなんて、呆れられるんじゃないかと思った。やっぱりそれにチャレンジするのは来年にしておこうかと考えたりもした。
でも、もし今やらなければ、1年間同じように過ごすことになるだろう。やってみても何も変わらないかもしれない。むしろショックを受けるかもしれない。何もしないのが一番いいのかもしれない。でもこのままじゃ何も変わらない。そんな風に何往復も考えた。
もしかしたら、私にこのアイデアをくれた友達は、気付いて書き込んでくれるかもしれない、とちょっとだけ期待した。それに、マネしてもいいですか? と尋ねておいて、マネしないのも申し訳ないような気がした。
何度か文面を直しながら、今年の正月に撮ったチューリップの写真と共に、誕生日プレゼントのリクエスト言葉を書き始めた。
「おかげさまで43歳になりました。今日は誕生日プレゼントのリクエストをさせて下さい。私のいいところを挙げてもらえませんか……」
3時間後、職場の駐車場の車の中で少し緊張しながらスマホでチェックした。数人が書き込んでくれていた。自分でもそういうところがあるな、と思っているところを挙げてくれている人が多かったけれど、そんな風に思ってくれているんだ、と嬉しくなることや、こういう見方があるんだと驚くこともあった。読みながら、何度も泣きそうになった。
アイデアをくれた彼女もコメントをくれていた。温かい言葉が心にしみた。
夕方になってチェックすると、また他の友達たちが書き込んでくれていた。自分の時間を使って、私のために言葉を選んでくれていることが、とても嬉しかった。
私がみんなのことを温かい気持ちで考えているのと同じように、みんなも同じような気持ちを持ってくれているということに気付いた。もちろん温度差とかはあるのだろうけれど、人からどう思われるかということに、不安にならなくてもいいのだ。
そして、真面目とか、一生懸命、とか、言ってくれる人が多かったけれど、実はこれは私自身の自己肯定感の低さから来るもので、自分では強迫観念からくるものだと感じていて、あまり好きな部分ではなかった。でも、人からはそうは見えなくて、むしろ良いことととらえてもらえているのだ。自己肯定感が低いことは必ずしも悪いことばかりではないのかもしれないし、自己肯定感の低い自分を認めることが、最初の一歩から抜け出すことになるのかもしれないとも思った。
そして何より、言葉の力のすごさを感じた。私が書いたリクエストの言葉を読んで、そのリクエストをみんなが叶えてくれて、みんなが書いてくれた言葉が私を勇気づけてくれた。どうしようと思いながら投げかけた言葉が、何倍もの嬉しい言葉になって返ってきた。
私が書く勉強をしていることを知っている友達たちからは、それを応援する言葉も書かれていた。今回だけじゃなくて、時折、応援する言葉をくれたり、ライター募集の情報を教えてくれたりする人もいる。感想を言ってくれたりしなくても、読んでくれていることが分かってとても嬉しかった。
そうだった。私は言葉の力を信じているから、ライティング講座に惹かれたのだった。日常生活の中では愚痴を言ってしまうことはあるけれど、SNSでは誰かが気分が悪くなるかもしれないようなことは書かないようにしようと気を付けていた。誰かの投稿にコメントする時は、投稿した友達が楽しい気持ちになるようにと願っていた。素敵だなと思ったことは伝えたいと思った。私の一言で、勇気や元気を与えることができたらいいと考えていた。
言葉は単なる文字の組み合わせなのに、それが誰かから誰かに渡ると、それが力になる。いい方向に働くときもあれば、思わぬことを引き起こしてしまうこともある。先日のように、思いがけず大切な友達を傷付けてしまうこともある。でもそれを引き戻すことができるのも言葉なのかもしれない。どうしたら本当のことが伝わるだろうか必死になって考えた言葉で、また友達の表情が柔らかくなった。100%ではないかもしれないけれど、元のようになれたことが嬉しくてたまらなかった。もちろん最初からそんな行き違いがないようにするのが一番ではあるのだけれど。
生まれ出た言葉は、蝶の羽のはばたきが起こした風が少しずつ広がって世界を変えていくみたいになる。私は言葉の力を信じている。私が誰かにかけた言葉でその人が明るい気持ちになって、それが少しずつ広がって行ったり、私が書いた文章を読んだ誰かが元気になって、他の誰かを勇気づけることができたりしたら、ものすごいことだと思う。
私は誕生日プレゼントのリクエストの投稿をこんな風に続けていた。
「私は、みんなが楽しく暮らせる社会を目指しています。個人にできることは限られていますが、私の行動が少しでもいい雰囲気を作れれば嬉しいと願っています。でも気持ちが沈んだり苛立ったりして、できない時もあり……。
そのための力が欲しいなと思うのです。いただいた言葉の力を大事にして、広げます。私のワガママにお付き合いいただけますでしょうか?」
最初の一歩として、コメントをくれた友達に、お礼と相手のいいと思うところ、素敵だと考えているところを書いた。またつらくなった時には、みんなからいただいたコメントを読み返したい。そして、少しずつ書く力をつけていって、読んだだけで前向きになれるような文章を書けるようになりたい。

 
 

❏ライタープロフィール
相澤綾子(Ayako Aizawa)
1976年千葉県市原市生まれ。地方公務員。3児の母。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2019-03-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.25

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