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週刊READING LIFE vol.25

1年前の自分と、1年前の自分と同じような人を救うために、わたしは書きつづける。《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》


記事:井上かほる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

電気を消して、ベッドに横になる。
目とスマホとの距離は10cm。
 
わたしの身体は、縦になっている時間より、横になっている時間のほうが多くなっていた。
ひとりだから声を発することはない。
会社をやめるまでの最後の1ヶ月は、仕事をしているときでさえ、ほとんど声を発してなかったと思う。

 

 

 

「お忙しいところすみません。これ、お願いします」

 

上司を呼び、いつも働いているフロアから1つ上。2階にあるこの会議室は、2人で使うには広すぎると思っていた。けれど、このときばかりは広くてよかった。だって、距離をとっても広さから考えると不思議な距離感じゃないから。表情を見られにくくできるから。

 

長机を挟んで手前から、奥の椅子に座ろうとする上司に、退職届を渡した。

 

「一身上の都合により、2018年4月20日をもって退職いたします」

 

縦書きで文字を書くのは久しぶりだった。
新卒から13年間働いて、もしかしたらいつかこんな日がくるかもしれないと予想していたが、思っていたイメージとはだいぶ違った。

 

「え?  マジ?!  なんで?  俺のせい!?」

 

人は予想外のできごとが起こったとき、少し笑ってしまうのだと、このとき知った。

 

わたしはその言葉を聞きながら頷き、椅子に座ると、机の下で両手の指をしっかりと絡ませた。そして、左手の親指を下にずらし、両手が離れないように力いっぱいねじった。

 

「いいの?  後悔しない?  次は?  どうするの?  しばらく休んで部署を変更してもらうっていう方法もあるんだよ。O君がそうじゃん。鬱っぽくなって休職になって、みんなは『なんで働かないのに来てるの?』って言ってたけど、少しでもいいから顔出せって俺が言って、今に至ってるんだよ」

 

理由を聞かれて、「限界なんです」とだけしか言わないわたしに畳みかけるように、上司はそう言った。

 

わたしはこのとき、重度の鬱状態だった。

 

それまでのわたしの働く姿を見れば、たしかに上司が鳩が豆鉄砲をくらったような顔をするのはわかる。驚かれるのは想定内だった。けれど、ただでさえ会社に来るのがつらいのに、「なんで?」と思われながら来ることを勧められるのは、耐えらなかった。一刻も早く、この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
今思えば、それまで上司に「鬱状態です」とは一切言っておらず、「心身ともに限界だ」とだけ言って、ただただ目からマスクにかけて涙を垂れ流している顔しか見えないのだから、責めることはできない。だけど、そんなことを当時のわたしが考えられるはずはなく、お辞儀をして会議室を出ていった。

 

 

 

20代の後半あたりから上司や同僚が言いにくい意見を言い、「モヤモヤとしたなにか」を変える役目を担うことが多かった。感謝されることは多かったし、そこにやりがいを感じていた。けれど、次第にそのモヤモヤは、わたしに覆いかぶさり、昼の時間が続く白夜とは反対に、夜の時間が目の前にずっと広がるようになった。会社をやめるまで、昼に戻ることはなかった。

 

 

 

こうしてわたしは、昨年の4月、初めて無職になった。

 

今の時代では珍しくないだろう。
無職になってしばらく休んで次を決める、という人も多いし、フリーランスとして独立する人も多い。けれど、わたしが住む北海道では違う。求人広告や人材紹介の営業をやっていたわたしからすると、「35歳独身無職転職経験なし」は終わった感が強く、同業種なら可能性はあるが、わたしが希望する他業種となると履歴書に数字で表せるものや役職などがない限り、不採用となるケースがほとんどだった。実際に広告には書かなくても、理由を年齢としなくても、書類で落とすのは年齢であることはかなり多い。実際にわたしも、これまでの経験を活かせるとアピールしてきたが、何社も落ちてきた。

 

そんなときだった。
久しぶりに開いたFacebookで、天狼院書店の「ライティング・ゼミ」の広告が表示されたのは。

 

「おい!  そこの浮かばない顔をしているお前、どうした?」
と、なにかのキャラクターがひょっこり顔を出すように、気軽な感じで表示された。

 

偶然だったが、今となっては必然だった。
Facebookで繋がってはいるものの、直接会ったことはほとんどないし、連絡も取らない人。その人が「いいね!」をしていて、広告が表示されたのだ。
その広告には、「人生を変える」という枕詞が付いていた。

 
 
 

「手首、切ろうとしたりしてないかい?」
会社を退職する直前に行った心療内科で言われたことを、たまに思い出す。
 
死ぬか、会社に残るか。
2つの選択だけが幾度となく、目の前に表示されていた。
 
ベッドに横になり、スマホに目を10cm近づけ、手首のどこを切ればいいのかを調べる。5歩で台所へ行き、包丁を取り出し、再びベッドに横になり、YouTubeで心が安らぐ音楽を聴きながら、恐る恐るすーっと手首を切る。最初は痛いけど、そのうち痛みにも慣れて重ねて切っていける。ゆっくりと。なんとなくいつも眠いわたしは、なんとなく気持ちよく眠れるだろうか。

 
 
 

ところが、わたしはそうしなかった。
 
ベッドに横になり、スマホに目を10cm近づける。
調べていたのは、言葉だった。
 
同じような人はどうしただろうか。
同じように35歳独身女でひとり暮らしで転職経験ない人は、同じような状況になった場合、どうしているのだろうか。
真っ黒い夜の空を自分で切り裂き、左右に「どけどけ!」とかき分けながら、太陽の光を浴びた人はいないだろうか。
そんな人が、わたしを救う言葉を、書いていないだろうか。
会社をやめるという選択肢が見つけられない状況で、わたしを救ってくれる言葉を探していた。

 

 

 

わたしは、昨年の6月に天狼院書店のライティング・ゼミに通信受講で通い、昨年の12月から天狼院ライターズ倶楽部に所属している。週に1度課されるテーマを書くには、どれもそのテーマが書かれた場所を、スコップでガツガツ掘ったり、手でやさしくなでるようにして、埋まっているものを見つけなければならない。掘った深さが足りなかったり、掘った方向が違ったり、せっかく見つけたのに傷つけてしまうと、求められたテーマに沿った記事を書くことはできない。まるで大切にしてきたタイムカプセルを探すときのように、大胆さと慎重さが求められる。
ライティング・ゼミを受講していたときも、今在籍しているのライターズ倶楽部でも、全国のたくさんの人たちが書いている記事は、どれもしっかりと、そして丁寧に掘って見つけられた大切な言葉ばかりだ。載っている記事に、言葉に、どれだけ救われて、どれだけ、勇気づけられたかわからない。
 
そしてもうひとつ。
わたしの母親が言ってくれた言葉。
「13年間も、よく、がんばったよ。すごいことだよ」
会社をやめることにしたと話したときに、母親が言ってくれた。

 

 

 

ライティング・ゼミを受講し始めたとき、わたしは前の会社に、身につけた書ける力で、復讐しようと思っていた。じわりじわりと苦しめられた仕返しに、文章の力で一気に、一撃で。ところが講師の三浦さんから、「毒は自分に返ってくる」と教わって、ポジティブに抜ける文章を書くようになり、今に至っている。
 
ライティング・ゼミを受講し始めて1ヶ月後から始めたブログは、毎日100人以上覗きに来てくれる。記事を読んだ人からは、「仕事でしんどくてグッタリしていたけれど、元気になりました!」とか、「いつも癒されています」とコメントをもらうようになった。企業のブログで記事を書かせてもらえるようになった。つい最近では好きなラジオ番組に投稿したら驚くほど爆笑されて、その投稿がラジオ番組のCMに使われたり、文章を通じて友人も増えた。
プロとしてデビューしている人がいる中で、わたしの変化は小さいかもしれない。けれど、書くことによって、自分がいる世界はクモの巣のように広げられると思えるようになった。

 

 

 

前の会社をやめて1年。
幸い、鬱状態は会社をやめるとウソのように軽くなった。
そして、今年の3月、わたしは就職した。
求めていた文章を書く仕事は、少しだけれどできそうだ。

 

 

 

電気を消して、ベッドに横になる。
目とスマホとの距離は10cm。

 

わたしは今も、1年前の自分を救う言葉、1年前の自分が読みたかった文章を探している。
そしてその言葉を、その文章を書けるようになるために、わたしは今、書いている。

 

泣きながら、会社に向かい、泣きながら、家に帰り、泣きながらベッドに横になるだけの日々。
靴1コ分ずつしか進まない両足。
大きな鉄球が詰まっているような喉。
色の悪い顔を隠すマスク。

 

今でも目をつむると、当時の自分が戻ってくる。

 

1年前の自分を、救いたい。
死ぬか
会社に残るか
その選択肢しか見えなかった自分を。

 

これは特別なできごとなんかじゃない。
どこかのだれかが、わたしと同じように、苦しみながら2つの選択だけで迷っているかもしれない。
わたしはあまりよくない状態になるまで、会社をやめるという3つ目の選択肢を見つけることができなかった。
母親の言葉も、天狼院書店との出合いも、心身ともにくたびれて会社をやめることになってからだった。
できれば、そうなる前に選択肢を増やしてほしい。

 

わたしが、そのきっかけとなる言葉を見つけて文章を書くことができたなら。
「書く」という技術を使って、ラッピングするように言葉を文章にして、包むことができたなら。

 

すてきな文章を書く人は魔法を使ってるんじゃないかと思っていた。
けれど、実際にライティングを学んでみると、魔法は存在しなかった。
掘って掘って、正しい方向に掘って、見つけた言葉を丁寧に包んで文章にする。
とても地道な作業だった。

 

わたしはこれからも書きつづける。
日常を、当たり前の日を、特別な日のことのように文章を書くこともあれば、悲しかった日々を思い出し、泣きながら文章を書くこともあるだろう。
けれど、だれかを救うことができるのなら、と思うと前を向ける。
だからわたしは書くのだ。
1年前のわたしと、わたしのようなだれかを、救うために。

 
 
︎井上かほる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ、札幌市在住。
大学卒業後、求人広告媒体社にて13年勤務。この3月から人を応援する仕事に就いている。
2018年6月開講の「ライティング・ゼミ」を受講し、文章で人の心を動かすことに憧れる。12月より天狼院ライターズ倶楽部に所属中。エネルギー源は妹と暮らすうさぎさん、バスケットボール、お笑い&落語、スタバのホワイトモカ。

 
 

❏ライタープロフィール
井上かほる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ、札幌市在住。
大学卒業後、求人広告媒体社にて13年勤務。この3月から人を応援する仕事に就いている。
2018年6月開講の「ライティング・ゼミ」を受講し、文章で人の心を動かすことに憧れる。12月より天狼院ライターズ倶楽部に所属中。エネルギー源は妹と暮らすうさぎさん、バスケットボール、お笑い&落語、スタバのホワイトモカ。/blockquote>
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2019-03-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.25

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