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週刊READING LIFE Vol.40

夫婦げんかの収め方をリアルに学ぶ《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:千葉とうしろう(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

こちら側が話す内容を一切聞かず、ただただ「うるせえ」の一点張り。そんな人間に対して、どうやってコミュニケーションが取れるだろう。相手はとうに沸点を超えている。まさに頭に血が上っている状態。そんな人間に対して抱く印象は、「この人、コミュニケーション力がゼロだな」だ。
 
ところで、「承諾もなしに勝手に人の家に上がり込む」という経験を、いったいどれだけの人がしたことがあるだろうか。深夜の住宅街、これまでに入ったことのない家が目の前にある。そんな家に上がり込む。どんな人が家の中にいるのかも分からない。家の中がどんな構造になっているのかも分からない。そんな自分にとっては不気味な家に、勝手に入っていく。そんな経験は、したことがない人がほとんどだろう。
 
ただし、警察官をしている限りはそうでもない。人の家に勝手に上がり込むことは、よくあることだ。110番通報っていうのは面白く、様々な世界を見せてくれる引き金になる。科学の世界や冒険の世界では、「地球最後の秘境・深海」とか「最後のフロンティア・宇宙」だなんていわれているけれど、とんでもない。深海まで潜らなくても、宇宙にまで飛ばなくても、秘境もフロンティアも実は身近にある。ドア一枚を隔てた向こう側。そこにはそれまでの経験では予測していなかった世界が広がっている。
 
仮想現実って聞いたことがあるだろうか。私たちが現実だと思っているこの世界は作られた世界であって、私たちが認識していない本当の現実世界では、実は脳みそが培養液の中にあるだけ。私たちが現実だと思っているこの世界は、培養液の中の脳みそが見せられている空想の世界ではないか、という話。
 
あるいは、私たちが自由な意思で考えたり行動したりしていると思っているこの世界は、神様のような超越的な存在にとっての仮想シュミレーターである。箱庭のようなものである。私たちに自由意志はなく、自由意志があると思い込まされているだけ。実は超越的な存在によって操作されているだけではないか、という話。
 
仮想現実が本当だとすると、例えば目の前にドアがあったとして、ドアを開ける前の段階ではドアの向こう側に部屋はなく、ドアを開けた瞬間に部屋が出現する。私たちが認識できる範囲だけが実際に「ある」のであって、認識できないドアの向こう側は「ない」のである。ドアを開けて認識できるようになった瞬間に、ドアの向こう側が現れる。私たちの「ドアの向こう側にも部屋がある」という想像は、思い込みでしかないのである。
 
馴染みのないドアを見ていると、そんな想像をしてしまう。入ったこともない家というのは不気味で、家の前にいると仮想現実を想像してしまう。もしかしてこのドアの向こう側には今、何もないのではないかと。身近にある数々のドアの向こう側には、仮想現実を想像させるほど未知の世界が広がっているのだ。
 
さて、夫婦げんかや親子げんか、兄弟間でのけんかは、警察では家庭内トラブルと呼ばれる。見知らぬ家に入っていくような状況は、家庭内での暴力沙汰の110番が多い。我を忘れるほど興奮している人は家庭の中にいることが多い。おそらくそこが、本人にとってのホームグラウンドだから。家の外で我を忘れるほど興奮している人っていうのは、あまり見ない。周囲に人目があるし、どこかアウェー感があるのだろう。皆んな、家の外では良い人なり常識人を装っているのである。
 
だが家庭では違う。そこはその人にとってのホームグラウンド。何を遠慮する必要があるだろう。何も遠慮する必要はない。全てが思い通りになるのが普通で、思い通りにならないことの方がおかしいのだ。四方には壁があるので、興奮したとしても周囲の人から見られる心配はない。思い切り感情を爆発させられる。本来なら安息の場である家庭というのは、遠慮のない感情が渦巻くトラブルの壺だ。
 
私たちは外を歩いている時、数々のドアを目にする。他人の家だったり、商業施設だったり。その家や商業施設に入るドアの向こう側にも、自分が理解できるような、自分が想像できるような範囲での世界が広がっていると考えがちだが、そんなことはない。ドアの向こう側に広がるのは、秘境でありフロンティアなのだ。自分の想像の斜め上をいく世界なのだ。
 
そのとき警察官だった私は、家庭内トラブルとの110番通報を聞いた。仕事のトリガーが引かれたので、現場に行って事件を処理しなければならない。今回の家庭内トラブルは夫婦げんかのようだ。地図で調べて通報のあった家に向かう。着く。当たり前だが、そこには「でん」と家が建っている。見知らぬ家、入ったことのない家。家に入るドアは通りに面して設置されているが、どこか不気味。通りに面しているからといって、決して油断はできない。確かにドアはその家に入るための通り道であって、家に入るためにはそのドアを通らなければならないのだが、警察官をやっているとドアを開けるのが億劫に感じる。ドアが重く感じられるようになる。「今度は一体、どんな世界で仕事をすることになるのだ」と不安になるから。
 
ほぼ承諾なしにドアを開けて上がり込んでいくと、よく部屋の中がゴチャゴチャだったりする。物が散乱しているのだ。トラブルがある家というのは家の中が散乱していることが多い。部屋の中が散らかっているからといって必ずトラブルになるというわけではないのだが、トラブルになる家というのは部屋の中が散らかる傾向にある。生活にどこか歪みが出ているのだろう。生活に余裕がなく、ギリギリ綱渡りの状態。かろうじて保っているけれど、足を踏み外した瞬間に歪みがトラブルを引き起こす。生活には余裕が必要なのだと思う。
 
玄関ドアを開けて入って、物の散乱具合に面食らってはいけない。玄関よりもさらに奥の方から怒鳴り声が聞こえてくる。玄関から見渡すに、その家庭全体の物の散乱具合が想像できる。ゴミ屋敷状態だって珍しいことじゃない。何があるかわからない。秘境。フロンティア。けど大丈夫、いつものこと。
 
気を引き締めて奥の部屋に入る。ここがトラブルの大元。グラウンド・ゼロ。夫婦げんかの真っ最中。見たところケガ人はいない。ケガをするまでに至るケンカは本当に稀。大抵は口止まり。「ぶっ飛ばすぞ」とは言っても本当にぶっ飛ばしたりはしない。「ぶっ殺すぞ」とは言っても本当にぶっ殺したりはしない。
 
だけどここからが大変。だって、夫婦げんかをしている二人はコミュニケーションができない状態なのだから。お互いが熱くなって、すでに沸点は通り越している。ティファールの電気ケトル。いつの間にかお湯が沸いている便利な家電。水を入れてスイッチを押すと、いつの間にか中の水は沸騰していてボコボコボコボコ言っている。そんなティファールの中の水を思い浮かべながら、熱くなっている二人から話を聞いて、この場を納めなくてはならない。
 
熱くなっている人をクールダウンさせるにはどうすれば良いか。レンジで温めたトウモロコシを食べたことがあるだろうか。水で洗ってラップで巻いてレンジで5分。中のトウモロコシは、甘くて美味しく料理されている。このトウモロコシを手で割ろうとしても、なかなか熱くて触れない。でも早く食べたい。待っていられない。「アチッ」「アチッ」って触っては手を引っ込め、触っては手を引っ込め。そんなことをしているうちに、一瞬だけ両手でガシッと掴める瞬間があって、トウモロコシを半分に割れる。
 
熱くなっている人をクールダウンさせる方法も同じ。言葉を投げかける。「今日はどうしたんですか?」「ケンカの原因は何なんですか?」「もう、そのくらいでいいでしょう」なんて投げかけると、「引っ込んでろ!」って言葉が返ってくるので、慌てて口を引っ込める。けれど、投げかけているうちに一瞬だけ引っかかることがある。「近所迷惑になっていますよ」と投げかけてようやく顔を上げて、大騒ぎになっていることに気づいたり。「何が原因なんですか」と投げかけて「向こうが先に・・」などと話し始める。そうしたらそこを皮切りに、クールダウンさせながらコミュニケーションを取れるまでに持ってくる。
 
夫婦げんかの当人たちは、熱くなって周りが見えなくなっていた。お互いを罵りあって、家に入ってきた警察官にも敵意むき出し。周りの一切を受け付けない。この状態をまさに、コミュニケーションが取れないというのだろう。
 
コミュニケーションが取れない状態とは、相手の話を聞けない状態。相手を受け入れることができない状態だ。話を聞かなかったり、いくら話しかけても落ち着いて話ができない状態。であれば、本当のコミュニケーション力とは、相手を受け入れられることではないだろうか。落ち着いて話ができること。言われたことを素直に聞くことができる状態なのではないか。
 
相手を受け入れられるとは、自分に素直になることでもある。なぜなら、自分を偽っていると相手の話も聞けないからである。殻に閉じこもっていると自分を出せないばかりか、相手を自分の芯まで招くことができない。壁を取り払って相手を受け入れらる状態とは、同時に自分の内側を相手に見せることでもあるのだ。
 
子どもの頃に見たアニメで、バリアーっていうのがある。ロボットアニメや格闘アニメではおなじみの設定。主人公が自分の周りに、物理的にしろ精神的にしろ壁を作る。そうすると相手の攻撃は主人公には届かない。バリアーの中にいる限り、主人公は傷つかない。けれど同時に、自分も相手に対して攻撃できないという弱点がある。自分の攻撃を相手に届けるには、バリアーを解いて、相手の攻撃にさらされる必要があるのだ。
 
新世紀エヴァンゲリオンでいう「ATフィールド」が一般的なロボットアニメでいうバリアー。エヴァンゲリオンや使徒たちが自分たちの周りに展開する、物理的攻撃を中和する絶対領域である。作中ではこれを「心の壁」とも呼んでいたと記憶している。
 
本当のコミュニケーション力とは、心の壁を解いて、いかに自分をさらけ出せるかである。相手を受け入れられることがコミュニケーションであり、そのためには自分をさらさなければならない。壁を作らずに、いかに自分の内側を相手に見せられるか。偽りなく、嘘をつかず、取りつくろったりせず、素直になれること。
 
夫婦げんかも、壁を中和することが大事だ。壁を取っ払うことから始め、解決の方向に持っていく。口げんかをしている当事者というのは大抵、壁を作っている。相手の言うことを聞かないと同時に、自分にとっても嘘をついている。本当のことを言っていないのだ。ケンカというのはお互いに悪い部分があり、どちらかが一方的に悪い、ということはない。お互いが悪く、両成敗なのだ。
 
だから、相手を受け入れない人がしなければならないのは、自分に正直になることだったりする。警察官がケンカの当事者にすることは、自分に素直になるように仕向けること。本当のことが言えるように仕向けること。
 
そうすると、自分の思いや考えを話すようになり、壁を取っ払い、相手の話も聞くようになる。コミュニケーションが取れるようになる。
 
まあそのためには、ケンカを収めようとする警察官自身も、本音を言わなければならない。警察官にとってよくある失敗は、自身が本音でもない正論を述べて、油に火を注ぐこと。一般的に正しいと思われているようなことを口で並べ立てて、ますます壁を強くしてしまうことだ。
 
壁を取っ払おうと思ったら、バリアーを中和しようと思ったら、まずは素直にならなければならない。自分の素直な気持ちほど、相手に刺さるものはない。ケンカをしている人どうしの間の壁を取っ払うために、それを仲介している人も壁を取っ払って話をしなければならない。
 
どこまでいっても世の中は正直者が強い。自分の本音を知っていること。本音を探って相手に伝えられること。そんなコミュニケーションができる人は強い。自分と相手との間に壁がなくなるからだ。相手の一切を受けれない状態が、コミュニケーションが取れない状態。相手を受けいれ、自分も偽りなく出せるのが、コミュニケーションが取れる状態。コミュニケーション「力」といった場合、いかに自分を偽りなく出せるか、いかに本音で話せるか、いかに自分の本音を伝えられるか、その力なのである。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
千葉とうしろう(READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部)

宮城県生まれ。大学卒業後、民間企業を経て警察官へ。警察の仕事に誇りを感じ、少年犯罪を中心に積極的に対応。しかし警察経験を重ねるうちに、組織の建前を優先した官僚主義に疑問を感じるようになる。現在は組織から離れ、非行診断士へと転身。警察のフィルターを通して見た社会について発信。何気なく受けた天狼院書店スピードライティングゼミで、書くことの解放感に目覚める。

 
 

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2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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