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週刊READING LIFE Vol.40

恥ずかしさがそこにはあった《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

子供の頃の話をしよう。クリスマスにお菓子が入った長靴をもらったことがあるだろうか? クリスマスのモチーフである赤い長靴に個包装のお菓子が数種類入っている。クリスマスになるとお菓子売り場に置かれるあれだ。長靴の中から、飴やマシュマロが何個も出てきたときの嬉しさったらなかった。とても嬉しいのですぐには食べない。出した飴やマシュマロを、長靴に戻してもう一度中を確認する。どれから食べようかな、とワクワクする。食べるのが勿体なさ過ぎて、何日もそのまま持っていることもあったくらい。中に入っているのは、スーパーでよく見るお菓子たち。ファミリー用の袋に個包装のお菓子がいくつも入っているものがある。それを色々組み合わせて一つの長靴に収めている商品。いつもの組み合わせではないことも子供心をくすぐるポイントだったように思う。それが可愛い赤い長靴に入っている。テンションが上がること間違いなしだ。クリスマスという特別なイベントだから赤い長靴が嬉しかった。特別なものをもらったようで嬉しかった。その他にも、何かの組み合わせでお菓子がついていると嬉しかったのを子供心に覚えている。だから私はあることをする様になったのを思い出した。
 
小学生の時のことだ。友達にあげる誕生日プレゼントを考えていた。何がいいだろう。小学生のお小遣いで買えるもの。当時、サンリオが大人気だった。私の家の近所にサンリオのお店があって、誕生日と言えばそこの商品が定番だった。鉛筆、消しゴム、ノート、ペンケースといった文房具から、小物入れ、プール用の袋、大きなぬいぐるみ、更にはお菓子まで全てに可愛いキャラクターが描かれたものが所狭しと並んでいた。私は文房具とペンケースや袋状の物を選択することが多かった。自分がもらって嬉しいものと考えつつ、予算と相談するとこの選択になる。でもそのままでは贈らない。
 
ペンケースや袋を持ってお菓子売り場に移動する。飴やマシュマロ等が個包装で売っているボックスがある。値段も10円からと、とても安い。オレンジや苺といった色々なフレーバーの中から美味しそうなものを選ぶ。そこで手にしていたペンケースや袋を開けて飴やマシュマロが入る量を確かめる。そしてお菓子を入れたペンケースと他の文房具の組み合わせで渡す。自分がやってもらったら嬉しいサプライズをプレゼントに組み合わせた。ある時妹に言われたことがある「いつもお菓子いっぱい入っているよね、面白いと思ってたんだ」サプライズ冥利に尽きる言葉だった。
 
ちょっと前にあったことの話をしよう。喉が痛い。鼻もグスグスしてきた。これは風邪の前兆だ。これ以上悪化しない様に机の引き出しを開けてのど飴を取り出す。舐める。喉が落ち着く。さ、仕事再開。ここは会社の自分の机。風邪の引き始めや、ちょっと喉が乾燥してくると私は咳込むことがある。中でも喉の乾燥は厄介で、咳込みから呼吸困難になることもある。だから喉がちょっとでもイガイガしてくると、のど飴を舐めて予防することにしている。会社はとても乾燥しているので、いつなんどき喉の炎症が出てくるかわからない。今回もいつもどおり常備しているのど飴を口にした。のど飴があって良かった……と落ち着いた時だった。周りから咳が聞こえてきた。「コンコンコン」一回だけなら偶々だろうとあまり気に留めない。それが二回目聞こえてくると、あ、風邪かな、喉大丈夫かな、最近夜寒いもんな、と気になってくる。三回目、居てもたってもいられなくなる。私、のど飴持ってるよ、楽になるよと声を掛けたくなる。それでもその咳の主の席が私の席から離れていたり、あまり話したことが無い人だったりすると気後れする。こののど飴あげてもいいかな、迷惑に思われないかな、と考えてしまう。たった一言「喉大丈夫? のど飴どうぞ」って言うだけなのに。何をそんなに迷うことがあるのかと自分でも笑っちゃうくらいだ。勇気を出して渡すとたいてい喜んでくれるので、やって良かったんだと安心する。
 
知っている人の前でもこうなのだ。周りは他人しかいない電車に乗っている時に咳込んでいるのが聞こえてくると、のど飴持ってないのかな? 私持ってるよ、いる? と声を掛けたくなる。咳だけではない。電車で赤ちゃんが泣いている時も同じだ。あやしてあげたい、持ってるお菓子をあげたい、と内なる声はボリュームを上げて私に話しかける。それを「迷惑かもしれないから」と内なる声にかぶせてなかったことにする。それを何回も頭の中で繰り返し、最終的には内なる声を押さえつける「迷惑と断られたら恥ずかしいから」という考えに至る。そうなのだ。恥ずかしいのだ。静かな電車内、一人が発する声は一気に注目の的になる。それが恥ずかしいのだ。何度も頭の中で問答を繰り返して出た結論がこれだった。「迷惑かもしれないから」ではなく、ただ自分が注目されるのが恥ずかしいから。だからこの静けさを破る勇気が中々でない。そんな時「飴ちゃん」の話を聞いた。大阪のおばちゃんはいつでも数種類の飴を持ち歩いて誰にでもあげるのだそうだ。
 
誰にでもあげる。これが私にはとても響いた。電車で咳が聞こえてきたらのど飴をあげる、電車で赤ちゃんの泣き声がしたら甘い飴をあげるし、あやしてあげる。知らない人でも声を掛けるし、飴もあげる。飴を「飴ちゃん」と親しみをもって呼び、飴ちゃんをあげることでちょっとしたコミュニケーションが生まれその場の空気が和やかになる。そこに躊躇はないらしい。飴ちゃん文化、聞いたことはあったけど、そういうことだったのか。私はあげるまえに考える、とにかく考える。実は迷惑かと言うことよりも、どのタイミングなら自分が恥ずかしくなくその場を乗り切れるかを計算しているのかもしれない。最初に「飴をあげたい」という内なる声を消そうとした段階で、自分がどう見られたいのか、という計算が発動しているのかもしれない。大阪のおばちゃんに躊躇がないのは、小さいころからそれが当たり前の環境だからそうしているかもしれないが、誰それを助けてあげたい気持ちが強いのだろう。自分は飴を持っている。その飴をあげればいい方向に進むと思うからそうする。そんなシンプルなことだったんだ。
 
そして自分が飴を持っていることを発信しなければ相手は知る由もない。自分から発信して初めて相手はそれを知ることができる。自分ができる最大限のことはこれです、と相手に伝えて、それを受けて相手は返答する。その返答はありがとう、かもしれないし、結構です、かもしれない。でもたとえ断られてもいいんだ。自分が発信した最大限がその時は相手には合わなかったということ、ただそれだけなんだ。大阪のおばちゃんはそれを知っていて、だからその発信を何度でも喜んでするんだ。本当のコミュニケーション力ってそういうところから生まれるものなのかもしれない。
 
後日の話をしよう。先日、内なる声のままに飴を勧めてみた。とても驚かれたが喜んでくれた。怪訝な顔をされるかとドキドキしたが、受け取ってくれた。それだけで、自分が清々しい気持ちになった。内なる声を打ち消していた時には感じることができなかった気持ちだ。今まで、ほんのちょっとの恥ずかしさに気おされて内なる声をやり過ごしても、ずっとその時のことが気になって尾を引いていた。それがちょっとしたやり取りをしたことで、こんなにも爽やかな気持ちになれるのか。いいことをした、というよりも役に立てて良かった、そんな気持ちに近いだろう。そこに、声を掛けたことの恥ずかしさはなかった。
 
さ、飴ちゃん買ってこようかな。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。

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2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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