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週刊READING LIFE vol,110

したくたって、その内出来なくなるぞ《週刊READING LIFE vol.110「転職」》


2021/01/11/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
「40歳ですと高齢者扱いになりますので、2階にお周り下さい」
今から20年程前、求人をしに出掛けたハローワーク(職業安定所)でのこと。
その時点で、私にはどういった仕事が有るものかと、興味本位で求職者のコーナーで質問したのだった。
家業の代表に収まり落ち着き始めていた時期で、しかも、一般的には最も働き盛りと考えられる年齢だったので、担当者の発言に対し私は驚きを隠せなかった。
 
後日、この顛末を、会社の労務関係を任せている社労士さんに話したところ、
「それはですね、厚生年金との兼ね合いですね」
と、あっけなく答えが出て来た。なんでも、40歳からでは、もしそれ迄厚生年金を掛けていなかった場合、厚生年金を掛けている期間が足りなく(当時の規定で)なり、定年後に厚生年金を受け取れなくなるというのだ。時代は、非正規雇用の待遇問題が、社会的問題として表面化し始めた時期だった。
 
老後、年金を受け取るには、一定期間、年金を掛け続けなければならない。大手を含めて、一般的事業所なら何の説明がなくとも、年金や健康保険を含めた社会保険が完備されているものだ。
ところが当時は、私が営んでいた様な小規模企業では、社会保険を掛けていない事業所が多かった。何故なら、厚生年金に入ると、従業員の掛け金と同額を会社が負担しなければならないからだ。
大企業や中堅企業なら兎も角、小規模零細企業では、それは馬鹿にならない経費で、事業の継続に支障を来したりすることも有ったりする位なのだ。昨今の新型肺炎ウイルス流行による経済の停滞で、中小企業に対する社会保険料の支払猶予が実施された事でも、その負担の重さを御理解頂けることだろう。
 
ただ、そういった事情によって、厚生年金を掛けていない小規模企業に勤めていた40歳以上の人が転職を希望した場合に、この先、厚生年金を掛け続けたとしても、定年後に厚生年金を受け取ることが出来ない事態が生じてしまうというのだ。仮にその後、年金を掛けたとしても、掛けた期間が足りず年金を受け取ることが出来ない。そうなると、個人と事業所が掛けた厚生年金は、総て年金基金となってしまい、個人には一切、支払われることが無いのだ。
それを避ける為に予防的処置として、40歳を一区切りとハローワーク側では判断したのだろう。
求職側としては、余り気分の良い話ではないが。
 
幸いなことに私は、既に厚生年金の支払期間を満了している。これは、社会保険が十分でなかった家業を、私が役員に就任した30年程前に厚生年金に切り替えたからだ。
御恥かしい話だが、それまで父親が全権を振るっていた家業では、社会保険制度に関して、全く見向きもしないでいた。長年在籍し、離職していった従業員は、次の仕事を探しにハローワークへ行ったとしたら、間違いなく2階へ上がることを進言されていたことだろう。厚生年金が、無いからだ。
 
事業主として、従業員に社会保険制度を整えることは、給与を支払うことと同じ位に重要な事だ。少なくとも、大学の『労務管理論』の講義で、私はそう学んだものだ。
ところが現実の社会は、大学の講義を根本から吹き飛ばしてしまう様な厳しいものだった。実際、利益幅が小さい零細企業では、従業員の社会保険料は、重い経費負担でしかなかった。
しかしそのままでは、他の事業所と同じで社会的な貢献に乏しいものとなってしまうと、私は強く感じた。そこで、無理矢理ではあったが、自社の社会保険の完全履行を断行した。父親からは強烈な反対があり、従業員からは反発も買った。会社の経費負担が増えることと、給与からの天引きが増えるからだ。
しかし、社会保険を整備することで、我が社はハローワークで求人することが出来る様になった。その当時から、従業員を雇っている事業所には、厚生年金に加入する義務が有ったからだ。当然の結果として、公的機関でるハローワークでは、厚生年金に加入していない事業所の求人は受け付けて貰えないことに為っていたからだ。
 
しばらくすると、ハローワークに出してあった求人票に、想定外で数多くの求職者が現れ始めた。中には、それ迄厚生年金を掛けていない40代後半の方も居た。勿論、これから会社が負担する厚生年金が無駄になる(受け取ってもらえない)のでと、懇切丁寧にお断りした。
しかし、その一方でこれ迄、私の所みたいな零細企業に職を求めては来ないだろうと思われた学歴・職歴の求職者が増え始めた。弊社を選択した理由を尋ねてみると、一様に、給与は高くは無いものの、社会保険が完備されている為との答えだった。
私の決断は、間違っていなかった様だ。気が付くといつしか、一小規模企業である私の会社は、厚生年金をキチンと掛け続けた大学卒の社員が多く為って来ていた。
 
6年前、諸般の事情で、家業として営んでいた工場を廃業したが、その時点での従業員には、規定通りの退職金、勿論、会社都合の金額を支払った。それ以上に、会社で次に仕事を斡旋し切れなかった従業員達も、間を開けずに次の仕事へと転職することが出来た。
そこには、私の会社が社会保険を整備していたからだと思っている。
 
日本社会では一般的に、『転職』が『転社』とワンセットになっている。
本来ならば、スキルが高まったり、また、よりスキルアップを求めて、会社内で別の部署へ移動するのが『転職』の筈だ。ところが日本では、『転社』しないと『転職』が難しいのが実情だ。
そのことから、『転職』にはどこかネガティブな印象が色濃く残っている。それは、会社の業務に付いて行けなかった自己都合か、スキル不足による解雇、または、業績低迷による会社都合が考えられるからだ。
 
ところが、世間の目は、『転職』の責任を一方的に会社側、特に経営者に負わせようとしていると私は感じる。これは、私が経営者の端くれだから考えているのではない。
ただ、雇用者に対してよりも、事業主に対する風当たりが強いと思うからだ。ところが、従業員が離職、正確には離社することは、雇用側の方が痛手なのだ。何故なら、それ迄の期間、従業員に対して給与の他に、社計保険料は勿論、スキルアップの為に目に見えないコストを掛けているからだ。
一人の従業員が、自己都合で離れていくことは、それ迄掛けていたコストが、総て無駄になるからだ。特に従業員が少ない、小規模事業所では、その痛手と事業主の落胆は大きいものだ。
 
現在、製造工場を持っていない私は、雇用している従業員は居ない。当然のこととして、従業員に『転職』の為の『離社』されることは無い。実に気楽なものだ。
『人(従業員)の問題』、例えば人手不足の悩みは、小規模事業主ならば必ずといっていい程共通しているものだ。原因は勿論、雇用側にある。高い給与を出すことが出来ず、厚遇な待遇も出来ないからだ。そして、社会保険だってやっとの思いで掛けているからだ。
雇用しても直ぐに『転職』されるもの、無理のないことだ。
そんな苦労や悩みが無い私は、その分の精神的負担が無いのだ。
 
今年に入ってからの社会的混乱を鑑みると、私はつくづく幸運と思っている。
何故なら、外出自粛にともなう経済的停滞は、もし仮に、私が製造工場を営んでいたとしたら、まともに向かい風となるからだ。多分、会社を維持することは出来なかったろう。そうなれは、従業員は解雇せざるを得ず、『転職』ではなく『失職』させてしまったと思うからだ。
その点、まだ余裕がある時期に工場を閉めていったので、従業員にも余裕を持って『転職』させることが出来たからだ。
 
私は、『転職』したことが無い。
正確には、若い時に家業を不本意ながら継ぐことになってしまった際が、『転職』といえばそうだったかもしれない。
工場を閉じ、事業の方向性を変えた現在でも、元業に近い関係のコンサルティングを中心に生業(なりわい)としているので、『転職』とは程遠いと思われる。
多分、何かの気紛れで『転職』を考えたとしても、誰も相手にはしてくれないだろう。多分、ハローワークでは、
「2階に周れ」
とも言ってもらえないことだろう。ちゃんと年金を積んであるのにだ。
何故なら、私はもう直ぐ厚生年金を受給出来る年齢に達しているからだ。
なので、ハローワークに行ったら今度は、
「高齢者向けのコーナーへ行け」
と、言われることあろう。
既に私は、『転職』出来ない年齢かと思うと、少し寂しい気がしてならない。
 
それは、『転職』という、日本国憲法で定められた“職業選択の自由”という国民としての権利を行使出来ないことに為るからだ。
そして、私という人間の労務が、社会的な価値を生み出さないということに為るからだ。
人生に悔いは残したくないが、一度位『転職』を経験してみたかったと思う次第だ。
 
だから、『転職』を考えている若い方には、こう言いたいものだ。
「『転職』したいのなら、した方が良い。もたもたして、歳喰ってから悔やんでも遅過ぎるぞ」
と。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

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2021-01-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol,110

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