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週刊READING LIFE vol,116

大学受験に失敗したと思っているキミへ《週刊READING LIFE vol.116「人間万事塞翁が馬」》


2021/02/22/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「人間万事塞翁が馬」
この言葉を母に言われたのは、大学1年生の秋のことだった。
もちろん、高校だったか中学だったか定かではないが、この言葉の意味するところは知ってはいた。だが、日常生活の中で使うこともなかったし、ただの知識でしかなかった。
 
母は、大学生になり彼ができて楽しそうに大学生活を送っている私に笑いながら言った。
 
「あんなに行きたくないって言っていた大学でも、行ってよかったわね。だって、この大学に行ったから、A君に会えたんだし。そういうの、人間万事塞翁が馬っていうのよ」
 
大学受験の時、入りたいと望んでいた大学の試験はそれなりに自信があった。試験を受けた感触も悪くなかったし、模擬テストではいつも合格の判定も出ていた。その上、高校の先生に勧められて、もう一つ難しい大学まで受験していたぐらいだ。いわゆる偏差値的にはなんの問題もない、きっと合格できるはずだ。
 
ところが、合格発表の日、私は掲示板の前で立ち尽くした。私の番号がない……。
合格にすると自信を持っていた私は、その大学に合格するのを一番望んでいた父と発表を見に行っていた。
 
何も言うことができなかった。でも、何度見ても私の番号はなかった。
 
高校3年生の時、ただ数学が得意だからというだけで、理系クラスにいた私は、自分の進路を決められずにいた。大学に行って何を勉強したいかわからない。そんな様子だから、勉強にもいまひとつ、身が入らない。
 
そんな私を見ていて、父は私に自分と同じ道を勧めたのだ。
「建築学科を受験したら?」と勧められた時、正直全く興味がなかった。さりとて他に興味があるものがあるわけではない。でも、興味がないものに対して、そんなに頑張ることができるだろうか……。
勧められてもなかなかエンジンがかからない私に、父は最後の奥の手を使った。
父の出身大学に合格したら車を買ってくれると言い出したのだ。
 
時はバブル景気の真っ只中。父は小さな建築施工会社をやっていて、会社も羽振りがよかったのだろう。
私は車という大きなニンジンを目の前にぶら下げられて、走り出した。
 
そもそも、そんな感じで志望していた大学だ。不合格でも、車が買ってもらえなくなるだけのことだ。私自身がその大学に強い思い入れがあったわけではない。
でも、いざ不合格となれば、やはり悔しくて悔しくて「浪人する、もう一回チャレンジする」と大泣きをして大騒ぎになったのだ。
 
悔しがる私に向かって、父は冷静だった。
「一年浪人したからって、うまくいくとも限らない。だから、今、受け入れてくれるところに入りなさい」と静かに言ったのだった。
 
幸い、いわゆる滑り止めで受験していた大学には合格していた。
周りの環境からすると「大学に行って当然」という雰囲気の中、いまさら「興味のない学科だから行きたくない」とも言えなかった。
当然、入学式までは、なんだか釈然とせず、特に大学生活に夢や希望があるわけでもなかった。
 
そんな経緯の中で入学した大学だったけれど、始まってしまえば、友人ができ部活を始め、彼もできた。
 
母に言われた時、大学受験で合格できず浪人すると泣いて大騒ぎしたことを思い出して、私は少し恥ずかしかった。
そして、あんなに大騒ぎしたのに、今ではすっかりそんなことを忘れて、彼と楽しく遊ぶことばかりに夢中になっていることを指摘されているような気になった。
 
もちろん、母は私が遊び呆けていることに小言を言いたかったのではない。その発した言葉の通り、「幸福も不幸もいつどのように転じるかわからないから、一喜一憂しないでその時のことを受け入れることが人生には必要だ」と言いたかったのだと思う。
 
私の大学生活はとりあえず、彼もできて、人並みに楽しい学生生活を送っているように見えていた。
 
私は、父の勧めもあって「工学部建築学科」に進学していた。「建築学科」といえば、当然だが専門性の高い学科で、みんな少なからず建築に興味がある、または将来建築業界で働きたいと思っている人たちの集まりだった。
しかし、私だけが違った。私は「建築学科」を自分で選んでいなかった。
私は、父にニンジンを目の前にぶら下げられて「建築学科」に行き着いたのだ。
 
大学に入った頃、「なんで建築学科に入ったの?」と聞かれるたびに、「家業が建設関係で、親に勧められかたら」と答えていた。
その言葉通り、親に勧められただけで、私自身は建築には全く興味がなかった。
 
「建築学科」はどの大学でもそういう傾向があると思うが、日々の課題の提出が厳しかった。私が通っていた大学も、当時、製図の課題が厳しく、私がコツコツと取り組まないせいもあって、たいていの場合は提出の前の晩に徹夜をして仕上げる始末だった。
 
付き合った彼は建築学科の先輩で、とても真面目で成績優秀な人だ。大学1年生の前期は四苦八苦して課題をやっていたが、彼と付き合いだしてからは、彼がサポートしてくれる。私が課題に困っていれば、みんな手伝ってくれるし、やってくれた。
付き合いだしてからの冬休み、夏休みの課題も、すべて彼が手伝って、いや、彼がやってくれたと言ってもいいくらいだった。
 
課題提出の前になると、デートはもっぱら私の部屋。
彼が私の部屋で一生懸命模型を作っていると、母が「大変ねぇ」なんて言いながらお菓子を持ってきてくれる、といった具合だ。
 
私はこの環境に甘え、学業に対してはあんまり頑張らずに過ごしていた。
このまま、建築に興味を持たず彼と付き合い続けて、もしかして結婚とかしちゃうのかな……。
そんな風に思える日々が過ぎていった。
 
大学2年生から3年生になろうとしていた春休み。
私たちはドライブデートを楽しんでいた。
静かに音楽が流れる中、私は助手席の窓から外をぼんやり眺めていた。
 
「あっ、何あれ?」
 
少し目線の先に、大きく横に広がる建物が見えた。それは夕日に照らされて、キラキラと輝いている。そして、そこにふわっと浮かんでいるような、そんな雰囲気があった。
 
なんだか、ドキドキする。
 
車が進む先に、その建物が見える。
どんどん、近づいてきてそのディテールが見えると、不思議な外観がよりはっきりとした。
 
「わー、キレイ」
 
私は小さな声で呟いた。そして、横を通り過ぎながら、振り返りつつもその建物を目で追った。隣で運転している彼は、まっすぐ前を見ていて、私がその建物に出会ってしまったことに気がついていない。
 
あれは一体、なんだったのだろう。
倉庫?
オフィスビル?
何の施設?
 
その形からは、全く見当がつかなかった。夕日を受けて輝く不思議な建物。
 
「こんな風に、感動でできる建物をつくることができるのだから、もしかして、建築って面白いのかも……」
そんな気持ちが胸の中にわいてきた。私はその衝撃とその建物を忘れることができず、そして探し出す。

 

 

 

母が私に「人間万事塞翁が馬」と言ったことを思い出すと、私は今、正直ちょっと違和感がある。
一つは、私にとってあの時、大学受験に成功することは、塞翁の馬ほどの価値があったものだったのか。
そして、もう一つは仮に大学受験が馬に値するものだとした時、逃げた馬が新しい馬を連れて帰ってくるわけだが、その連れてこられた新しい馬は彼だったのだろうか、ということ。
 
当時、馬は貴重で相当な財産であった。人生を変える、大きなものだったのだろう。
それに代わるものはそう簡単にあるものではない。
 
大学受験、その時成功することは、そんなに人生を変えるほどの価値があるのか……。
大人になったらわかる。どこの大学に合格するかなんて、実は大した意味がなかったことを。
 
考えてみたら、私はどこの大学に行ったって、そこで誰かに知り合い、それなりの彼ができるだろう(たぶん……)。そうしたら、楽しくそれなりの大学生活を送ることができていたと思う。仮に、彼ができないにしても、そこで出会う人たちと過ごす楽しい学生生活があっただろう。
 
ということは、自分がこだわっていた「この大学じゃないとダメだ」と思っていたわだかまりは、なんの意味があったのだろう。
高校を卒業し、大学という環境に身を置くことを否定しているのではない。でも、その大学に入るのに、成功とか失敗とかってあったのだろうか。「成功して幸福」、「失敗して不幸」という図式があるから、塞翁の馬の話は成立するが、大学受験というものは、本当はそんなに大げさな話ではなかったのではないか……。

 

 

 

不思議な建物を見た後日、私は図書館に行って初めて建築雑誌をめくってみた。今まで全く建築に興味がなかった私が、あの建物の情報を得たくて動き出したのだ。
あの建物はきっと建築雑誌に出ているだろう、そう思った。
 
最近の雑誌から一冊ずつページをめくる。今でこそインターネットで検索すれば、あっさりと出てくる情報も、当時は図書館で雑誌をみるくらいしか方法がなかった。
 
何年か分を遡った時、雑誌の中にあの建物は確かにあった。見つけた、これだ。
 
1986年竣工「ヤマトインターナショナル」
設計は原広司(はらひろし)/ アトリエ・ファイ建築研究所
 
私は、この建物に出会い、そして自分の人生を大きく変化させた。
 
全く興味のなかった建築に興味を持ち始めた私は、勉強もしないで過ごした2年間を取り戻すべく、勉強をしようと決めた。
そして、「結婚しちゃうかも」なんて、のんきに思っていた彼とは、この勉強をするという選択によって別れることになる。でも私は、あの衝撃をくれた建物を設計した人の教える大学院に入った。
 
大学院の受験はとにかく大変だった。
建築の分野ついての学び直しも必要だった。今までいい加減な気持ちで講義を受けていたから、全く身についていない。それを一つ一つ頭に入れていかなければならない。
今度は誰もニンジンをぶら下げてくれなかった。でも、今度はニンジンは必要ない。
 
大学院受験、大学4年生の夏。
1度目のチャレンジは失敗に終わった。そして、その時、初めて真剣に再チャレンジを父にお願いした。あの大学受験の時のような、ただ悔しいという思いではない。今回は、自分で学ぶ環境をどうしても手に入れたかった。
 
正直、父は私が大学院に行くことを賛成してはいなかったと思う。大学を出て、自分の会社を手伝ってくれればいい、そのくらいに思っていたはずだ。
 
不合格が確定した日、夕食の食卓につく父の横で、正座をして頭を下げた。
「もう一回だけ、チャンスをください」
この時は、大学受験の時のような涙はない。ただ、ひたすら頭を下げるしかなかった。
そして、父は再チャレンジするチャンスをくれた。
 
2年目の夏、なんとか合格することができ、次の春から大学院に通いだした。
それから、すでに二十数年の月日が流れた。
そして、今、あんなに興味のなかった建築の仕事を続けている。
 
母に言われたことを振り返った時の違和感。
逃げた馬が連れて帰ってきた馬が、彼だったのだろうか、ということ。
 
今の状況を考えると、彼と知り合ってドライブに出かけていなかったら、今の私はないかもしれない。
彼とは、残念ながら別れることにはなってしまったが、私に幸せを運んでくれた人であることは間違いない。
 
だから、塞翁が逃げた馬によって手に入れた幸福と同じようなことが、私にも起こっていたと言えるのだろう。
大学受験に失敗したことによって知り合った彼との幸せな時間、そして、そのあとにつながる大きな幸せがある。

 

 

 

大学受験に失敗して、泣いていた私に言ってあげたい。
「大丈夫、その先の人生もちゃんといいことがある。でももちろん、嫌なこともたくさんある」と……。
そんな色々なことにぶつかりながら、人生は進んでいく。
 
そして、もし、何か「あっ」と衝撃を受け取った時、それによって起こった感情に素直に行動することをお勧めする。そうしたら、事態は動き出し、また新しい世界が広がっていくから。
 
大学受験に失敗したと思っているキミへ。
そんなの失敗じゃない。
みんな、そうやって色々な出来事に出会い進ん行くのだ。
 
「人間万事塞翁が馬」
 
人生は何が良くて何が悪いのか、後になってみないとわからないのだから、目の前のことを受け入れていくことが一番大切。
 
私もまだまだ、人生の途中。
いろいろなことが起こるけれど、後になって全てが繋がっていることを感じ、
「ああ、よかった」と一言、つぶやければそれで十分かと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

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2021-02-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol,116

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