週刊READING LIFE vol,117

辛かったら人生休んでいいんだよ 《週刊READING LIFE vol.117「自分が脇役の話」》


2021/03/01/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
あれは何回目の鑑賞だったのだろうか。
 
お気に入りの大スクリーンのいつもの座席で、腹の底から響く大音量に身を任せながら映画『ボヘミアン・ラプソディ』のクライマックスシーンを見ていた。
 
その時である。
隣で一緒に見ていた、長男の雰囲気がなんとなくそれまでと違っていることに気がつく。
どうしたのだろうか。
 
そっと様子を伺うと、彼は涙を拭っていた。
 
(……泣いてる?)
 
この子が泣くなんて。
この子も、泣くことがあるのか。
 
スクリーンの中の、ライブ・エイドの観客の大きなうねりを見つめながら、私は少しだけ感慨に浸った。

 

 

 

長男は大人しい子どもだった。
色が白くて無口で、幼い頃は何か話しかけるときょとんとしていたのを思い出す。
 
1歳近くなって歩き出すようになると、近所の公園に連れ出すようになった。公園に行くまでの間に気になるものがあると、そっちの方へとことこと歩いていった。ご近所のお宅の門が気になると言っては門を眺め、散歩しているコリーが気になったら「いぬ、いぬ」と言いながら後をついて行き、興味の向くままにのんびりとしていた。かけっこや泥遊びで先頭を切って遊ぶというよりは、プラレールで遊ぶ方が好きだったかもしれない。
 
万事そんな調子でマイペースに過ごしていたから、最初の集団生活の幼稚園で早速「世間」の洗礼を受けた。
幼稚園は近所のところに入ったが、いろんな家庭で育った子が集まっていた。男の子も長男と同じように大人しい子からガキ大将みたいなのまでピンキリだった。
あれはいつだったか、
 
「こいつは、俺の友達じゃねーから」
 
と同じクラスの暴れん坊に面と向かって言われていたところに出くわしてしまったことがある。母としてはそんなところを見かけてしまったら、
(なんなのこのクソガキは。そんなことわざわざ言わなくたっていいじゃない!)
と心の中で悪態をつくけど、そこは残酷な子どもの世界である。自分たちとは違うと思ったら口に出さずにはいられないのだろう。
気の合う子もいれば、一体どうしてこんなに気性が荒いんだろうという子もいた。家庭環境が違うから仕方ないと思っても、この世に生を受けてからわずか4年とか5年くらいで確実に人を傷つける言葉を吐けるものなのだ。
 
大人しいから気になると思いつつも親が保育中の教室を見守るわけにもいかない。先生にお任せするしかない。時々誰々くんにいじめられていました、誰々ちゃんに引っかかれていましたなどと連絡帳に書かれていると、胸が潰れそうになったものだ。そんなことがあったりなかったりしながらも、世間の最初の波に揉まれた2年保育は終わった。
 
そして小学校も近所の公立に入学した。
幼稚園時代のガキ大将は他の小学校の学区だったから、小学校では別々になる。正直ホッとしていたのも束の間、入学した学校にもそれなりに「世間」があった。我が家のように第一子を入学させる親ばかりではない。3人兄弟の末っ子みたいな子なんかは、それはそれはもう家庭内で自分の地位を確保するための競争に明け暮れているから、「世間」に慣れっこになっている。どうすれば自分が得をするか知っている。そんな「要領の塊」みたいな子たちと、おっかなびっくり世界をのぞき込むような長男が一緒に入学するのだから、これまたみんなの後をついていくような小学校生活だった。
 
長男が小学校2年生のことだった。
学校から帰ってくると、筆箱の中の鉛筆の先が全部折れている日が続いた。おかしいな。ちゃんと毎日削っているはずなのに。
 
「鉛筆、どうしたの? 全部折れちゃったの?」
「……」
「昨日、ちゃんと削って用意したよね。1時間の授業に1本使うとして、折れることはないと思うんだけどな」
「そうなんだけど……」
 
長男が口ごもる時は親に話したくないことがある時だ。時間をかけて訊き出すと、何と鉛筆は「折れた」のではなく「折られていた」のだった。折っていたのは隣の席に座っている女子だった。幼稚園から一緒で線も細く大人しい女の子だったのに、なんでそんなことするんだろう。人の鉛筆を折るのが楽しいんだろうか。担任に話したらすぐ止んだが、このように理由もなく屈折した心根の子もいる。親のストレスがまともに出ているかのように、言動が荒む子も多かった。
 
長男が小学校4年生の時に家を購入したので転居した。同じ市内なのだが隣の小学校の学区になるので転校になった。できれば転校させたくはなかったけど、今までの学校に通うとなると徒歩で片道40分くらいになってしまう。あと3年通うのだし、それであれば今のうちに転校して慣れた方がいいのではないかと思い切って転校させたがこれが裏目に出た。
 
転校先の小学校の、長男の学年は荒れ気味だった。4・5・6年の担任も変な人ばかりに当たって正直うんざりだった。男子も女子も荒っぽい子が多く、長男は仲の良い子ができずにいた。親がヤクザの子がクラスのヒエラルキーの最上級で、サッカーの授業でミスをしたからとその子にお腹を殴られる事件が起きてからは「もうこのまま公立の中学には行きたくないね」と親子で意見が一致した。学校の質が悪いので地元に全く執着はせず、中学受験をすることになった。
 
住んでいる地域がマイルドヤンキーな風土だから子どもたちも荒れている。おっとりとした長男がそれに馴染めるわけはない。半グレ予備軍がデカい顔をして知的好奇心がある子がいじめられるなんてどう考えてもおかしい。中学受験も本当にいろいろなことがあったが、幸いにして第1希望に合格した。やれやれ、やっとこれであの最悪な環境にさよならできる。

 

 

 

長男が入ったのは中高一貫の男子校だ。さすがに受験してきた子たちということで、生徒も保護者も落ち着いた雰囲気だった。
学校は「一に勉強、二に勉強」という校風だった。定期テストの順番がそのまま学年のヒエラルキーみたいなところがあった。学年の人数は300人くらいいたけど、テストともなれば1番から300番まで順位がつく。正直ついていけるのだろうかと気になった。
 
それでも学年に300人もいたらいろんな子がいる。リーダータイプの子、宴会部長みたいに文化祭で生き生きしている子、いろいろ面白いけどやっぱりどこまで行っても大人しい長男だった。それでもここなら誰か気の合う子ができるでしょうと思ったのが的中した。部活が同じ何人かの子たちと仲良くなって過ごしていた。
 
ところが高校2年の時のことだった。
「誰もいない……」
4月の始業式、帰宅するなり長男はふさぎ込んでしまった。
クラスが変わって仲の良い子たちと離れてしまったからだ。
 
「そんなことでいちいち悩むの?」と思う向きもおられるかもしれない。だがしかし小さいころから自分とかけ離れている人と親しくなるのが苦手だった長男は、周りに親しくなれそうな人が誰もいない環境がとても苦になっていた。高2の6月の修学旅行でも、班行動をするのに仲の良い子たちでグループを作るのだが、グループには定員があり、おっとりしていた長男はあぶれてしまった。班を上手く作れず、余った人たちで班を作って行動せざるを得なかったこともとてもストレスだったのかもしれない。
 
その頃から、長男の神経質さが強調されていった。
「俺なんて、受け入れられてないんじゃないか」
学校から帰宅すると、何回も自分の顔を鏡で見て、写メっていた。そして、
「俺の顔ってなんでこんなに醜いんだろう」
と言うようになった。
同時に勉強に身が入らなくなり成績は急降下していった。長男の高校では2年の1学期までに高校の単元を全て終わらせ、残りの1年半は大学受験の体制に入るのだった。大事な高2の夏休みなのに、一体この子はどうしたもんだろうか。親として気が気ではなかった。担任に相談すると、心療内科への受診を勧められた。周りは張り切って受験勉強を本格的に始めるのに、うちの子は何やってるんだろう。本当に情けなくなった。
 
そして高校の夏期講習にも身が入らないまま終わった夏休み明け、とうとう長男は学校に行かなくなった。
振り返ると、誰も自分のことを共感してくれない、勉強もできなくなった、そのことで悲鳴を上げていたのだと思う。親として焦る気持ちはあったけど、思い切って高2の9月から半年間学校を休ませた。自分で行きたいと言い出すまでは、医師の指導を受けながら休養した方がいいと思った。小さいころから押しの強い人間関係に弱くて、生きにくいこともあったのだと思う。中学受験も頑張ったけど、もしかしたら自分の身の丈に合わない学校に入ってしまったのかもしれない。それまで精一杯頑張ってきたけど、どうしてもここから先に動けないと思ったのだろう。親の私も口を開けば、
「勉強しなさい」
「勉強はどうしたの?」
としか言っていなかった気がした。毎日毎日何となく発していた言葉が、長男にとっては重石のようにずっしりと来ていたに違ない。家でも学校でも針の筵のように居場所をなくしてしまっていたのだ。
 
そこから高2の春休みまでは、本人の気が向くままに過ごさせた。部屋に閉じこもってゲーム三昧でも、それが本人の望むことならとのんびりさせた。
その間何もしなかったわけではない。担任は理解のある人だったし、友達も遊びに来てくれた。そんな励ましもあったし本人も大学に行きたい気持ちもあり、高3の4月からは学校に戻った。大学の受験勉強はどうにか間に合って、本人が望んでいたところよりはランクは低かったかもしれないが合格した大学に入学することができた。
 
そこから学部4年間、大学院の修士課程2年間を経て、長男は就活を迎えた。
理系だったので研究室の推薦も取れたけどそれは使わずに、自分の足で企業を探して回り、何とか第1志望のところに内定をもらった。あの不登校だった人が大丈夫だろうかと思っていたけど、意外としっかりとしていたのかもしれないと思った。あの不登校の半年間、しっかりと人生を休んだからこそ、長男はそのあときちんと自分を取り戻すことができたのかもしれないな。それならそれで、よかったんだ。

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を子どもたちと一緒に見たのは、卒業を目前にした正月だったと思う。あまりにも映画が良かったので私が子供たちを誘ったのだ。
 
ウェンブリー・スタジアムで行われたライブ・エイドでの、クイーンのライブ・パフォーマンスがそのまま映画のクライマックスとなっていた。ラストの曲、”We Are The Champions” が始まる頃には、スタジアム内はそれ自体がまるで1つの生き物のように大きなうねりを迎えていた。そしてそれに呼応して映画を観ているこちら側のテンションも盛り上がっていた。そしてそっと隣を見ると、長男が泣いているではないか。あの、感情をあまり表に出さない長男が。私はびっくりした。この子にもこんな一面があったなんて知らなかったよ。
 
「ねえ、もしかしてさっき泣いてた?」
「ああ、まあね」
「あんたにしちゃ珍しいじゃない。どうして?」
「うん、なんか、いろいろわかるなあって思ったんだ」
 
「長いこと苦労をしてきた、人間1人1人がみんなヒーローだよ」と歌いかけるフレディ・マーキュリーの姿が、私も観るたび毎回胸に迫ってくる。それと同じような人生の旅路のようなものを、若いなりに長男も感じていたのだろうか。自分だってチャンピオンになっていいんだ。今までいろいろあったけど人生に誇りを持っていいんだ。そんな自己肯定感を持ってくれていたのかと思うと、あの時の足踏みは決して間違っていなかった。長男の生き方も間違っていなかったと、親として言ってあげていいのだと思えている。今は離れたところで働いているけど、この子なら大丈夫、やっていけると胸を張って送り出せたことが私の誇りなのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。

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2021-03-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,117

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