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週刊READING LIFE vol,119

罫線のない自由帳から思いっきりはみ出す方がおもしろい《週刊 READING LIFE vol.119「無地のノート」》


2021/03/15/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ちょっとだけ、窮屈なのが好きだった。
息が詰まるほどに、がんじがらめでもなく、完全に自由でもない。ちょうど、中間くらいがいい。
学生時代は、それがとても安心だった。
靴下や通学用の自転車の色まで決められるのは、面倒だと思った。だが、学校指定の制服の着用の義務は、安定感があっていい。十代の頃の私は、ファッションに対してまるで興味がなかった。それよりも、アニメや漫画、好きな作家さんの書いた新作の小説のことで頭がいっぱい。とりあえず、それなりの格好でもしていればいい。自分の姿に熱意を向ける脳の容量はなかった。
だから、制服はありがたい。
中に着る服は毎日変える必要があるが、どんなにダサくても、制服を上から着込めば外からは見えない。着崩さなければ、大人からとやかく言われることもない。制服は、私にとっては鎧みたいなものだった。
スッポリ覆えば、戦場に行ける。安心快適な存在だった。
十代後半、友人たちのおしゃれな私服にカルチャーショックを受けるまでの平和な時代だった。
自由、というのは恐ろしいのだ。
「なんでも自分の好きなようにできる」ということが、私を混乱させた。ファッションに好きも嫌いもなかった。何となく着れて、誰にも指さされないくらいなら、何でも良かったのだ。
昔のように、大学も制服制度ならよかったのに。
友達や兄に「え?」って顔されるような惨めな思いしなくてよかったのに。
社会人になるころには、何とか自分なりのコーディネイトを見つけることができた。しかし、未だに試行錯誤の毎日だ。会社の指定の制服がある友人が少しうらやましい。
「こうあらねばならない」
決まりごとに、添う方が、私は楽だった。
ノートだってそうだ。
罫線の引かれたページはいい。その、薄いブルーの線の上に沿って文字を並べれば、何となく体裁は保てる。
無地のノートは恐ろしい。
まっさらな白に、私は戸惑ってしまう。
第一歩を、どこに書けばいいのか、どのようにはじめたら、正しいのか。
完璧主義の私の背中に、汗が伝う。
授業の板書も苦労した。黒板の右端から、規則正しく文字を並べる先生だと楽だ。順番に書けば、ノートは順当に文字が埋まる。
だが、破天荒な先生は、違う。整列していた文字から飛び出して、とんでもない所に、図や、大事なメモを書き始めることがある。
正しく、きれいに、完璧に。
授業の内容を覚えるよりも、きれいなノートを作ることに、私は必死だった。苦肉の作として、不要なプリントの裏に一度下書き。自宅で、せっせとノートに書き写していた。
復習という点では、良かったかもしれない。だが、明らかに二度手間だ。教師陣も、ある程度の解読できるノートであれば良くて、黒板の完璧なコピーを求めてはいなかっただろう。
それに思い至らないくらい、若者だった私は、真面目で頑固、カチカチに頭も心も凝り固まっていた。
「こうあらねばならない」
ノートのガイド線に従って、真っ直ぐ、真っ直ぐ、決められた道を進まなければ。
それは、いつしか呪いの言葉になり、大人の私を苦しめた。
 
二十代前半、私は途方に暮れていた。念願叶って就いたはずの職業を、手放さなくてはならなかった。激務、職業適正の不一致、ストレスなど、様々なことが、私を襲った。気がついた時には、私はその重みに耐えきれず、押し潰されてしまった。それでも、私は、働き続けた。
就いた職業は三年以上務めなければならない。
専門の学科で学び、やっと掴み取った職を離れてはいけない。
家族、友人を失望させ、心配させてはならない。
せっかく、引いた線。一度引いた先は、目的地までまっすぐ進めなければ。
完璧に、正しい人生を。みんなに愛され、認められる人間で在り続けなければ。
「こうあらねばならない」
たくさんの言葉が、グルグルと頭の中を巡った。脳内のノートには、言葉にならない叫びで埋め尽くされていた。
もう、むちゃくちゃだった。
呼吸すらままならなくなったころ。医師と友人に諭されて、私は、やっと自由になった。
だが、自由になる、というのは怖いのだ。
だって、目指していた先を見失ってしまった。砂漠のど真ん中に、ポンと、放り捨てられたよう。自分が今どこにいるのか、どこに向かえばいいのか、何もわからない。
人生設計という、罫線を、私は手放してしまった。
真っ白のノートに、何を書いたらいいのだろう。何を書いたら正解なのだろう。人生の正解ってなんだろう。
その答えが出せないまま、私は、まったく異なる職業で、再出発する道を選んだ。
 
再就職先は、居心地が良かった。社員の方も、アルバイトの女性たちもみんなやさしく接してくれた。至らない私に、様々なことを教えてくれて、支えてくれた。できる仕事も増え、私は自信を取り戻すことができた。
飛び込んで、一生懸命やれば、私にもできることはある。
そう、思えるようになった。
だが、心は空っぽのままだった。
確かに、収入も、職場環境も安定している。平穏な日々の繰り返しは、心身の健康を保ってくれる。
でも、本当にいいのだろうか、このままで。
自分の心に問いかけた。
社員さんたちの姿を見つめる。繁忙期の忙しさに、頬がこけている。だが、みんな、目の奥が輝いていた。
「俺、この仕事で、世界を変えたいんです!」
ニッカリと歯を見せて、先輩たちに宣言して入社した青年もいた。はじめは、なんて馬鹿なことを、と呆れた。でも、清々しくてうらやましかった。
私は、彼らのように、自分の仕事に誇りを持っているだろうか。
私だけしかできないことが、まだ世の中にあるかもしれない。
「君なら、どこに行っても上手くいくよ。がんばって!」
退職を願い出た私を、みんな、別れを惜しみつつ、笑顔で背中を押してくれた。その言葉を私は信じることにした。
私は、震える足を一歩、また新たに踏み出した。
 
だが、これ、という物はまだ持っていない。さまざまな職業のセミナーに参加し、ハローワークにも何度も通った。
私の好きなこと、私が本当にしたかったことって、何?
ハローワークの職員さんの指導で、履歴書などの書き方を勉強していた時のことだ。過去の履歴書を探していると、部屋であるものを見つけた。
小さな白いバインダー。ほこりをかぶったそれを開いて、私は目を細めた。
「懐かしい!」
そこには、学生時代好きだった、地域情報誌の記事が、丁寧にスクラップされていた。穴場のカフェの店内、かわいいスイーツの写真。それをさらに輝かせる、ライターさんの魅力的な文章。
「いいなぁ、こういうのってどうやって創ってるんだろう?」
大変そうだけど、なんだか、楽しそうだ。
読んでいるだけで、顔が綻ぶ。読者を夢中にさせるって、すてきな職業なのではないだろうか。
私にも、できるだろうか。
そう、思った時、ハッとした。
もしかしたら、これが、私のしたいことなのではないだろうか。
思い立ったが吉日。速攻で、文章を書く技術、ライティングを学ぶ講習会に申し込んだ。
 
「私、雑誌のライターになろうと思うんだけど、どう思う?」
講習会で、なんとなくだが、手応えを感じた私は、兄に恐る恐る相談してみた。いつも朗らかな兄の眉間にしわが寄る。
「う~ん。雑誌編集とか、ライターって、忙しいって聞くけど。また、おまえが、体調崩すんじゃないかって、それが一番、心配やな」
「そ、そうか」
私は肩を落とした。確かに、兄の言うことはもっともだ。未経験の職業というだけでもハンディがある。そこに、激務が続いて身体を壊したら、職業適正がなかったら。私は、また、道を見失う。真っ白の砂漠で、途方に暮れることになるだろう。
正しい人生を進めず、回り道をする可能性に、足がすくむ。
「こうあらねばならない」
たくさんの言葉が、私の頭の中を駆け巡った。
 
「回り道? そんなことないと思う」
東京からやって来た友人、久しぶりに会ったドイツ人のAさんが、私が思い切って打ち明けた言葉に首を傾げた。
あいにくの雨の中、私達は、私の馴染みのドイツ料理のお店を目指して、傘をさして並んで歩いていた。
「で、でも、また職業を変えるんですよ? この歳でこれ以上フラフラするのは、世間体的にも肩身が狭いというか」
もごもご、言い淀む私を見て、彼女がブルーの目を丸くした。
「私の国、ドイツでは、さまざまな職業を試すことは普通よ。大学を卒業して、すぐ就職する、という人はあまりいないかも。自分の適性や興味を見つけるために、インターンやアルバイト、時には外国に旅にも出るわ」
「じ、自由だなぁ、うらやましい!」
目を丸くする私を見て、Aさんがクスリと笑う。
「そうよ、一度きりの人生だもの。自分の心の声を聞いて、好きなことしなきゃ!」
「自分の、心の声?」
私は、目と口をポッカリと開ける。自分の思考に浸ろうとする私の目を、彼女の目がまっすぐ見つめて留める。
「まなみさんの本当にしたいことは、何?」
「あ、わ、私は」
視線から逃れるようにうつむく、私達の足元に、ポツリポツリと小さな波紋が広がる。彼女の言葉が、ゆらゆらと、私の停滞していた心を揺らす。ドキドキしながら、私は、顔を上げた。澄んだブルーの瞳を見返す。
「私、ライターになりたいんです! う、うまくできるか、わからないけど」
思わず、キュッと唇を噛んだ。また、否定されることが怖かった。
私の瞳を覗き込み、Aさんが微笑む。
「良いわね! まなみさん、博識だし、ドイツ文化のこともだけれど物事を学ぶ熱意がある。それに、とても勤勉だから、大丈夫よ」
「そ、そうですかね?」
「ライターになったら、何を書くの?」
首を傾げる彼女に、またドキリと心臓が跳ねる。
まだ、心の中だけの、欠片のようなことを、口に出していいのだろうか。真剣に聞いてくれる友人に勇気をもらい、私は久しぶりに夢を震えながら言葉にした。
「喫茶店や福岡の街や文化の魅力を伝えたい。叶うなら、大好きなドイツのことも書きたいんです。クリスマスマーケットとか、日本とのこれからの親善交流に役立つようなこととか」
できるかはわからないけれど。
私は、また口をモニョモニョとすぼめる。
「すてき!」
Aさんが、うれしそうに笑う。私は、驚いて彼女の顔を見上げた。
「きっと書けるわ! 大丈夫よ、色んなこと挑戦してみるべきだわ。書けたら、私にも見せてね」
私は、傘の持ち手を握りしめた。緊張で冷えていた手が、汗ばむくらい熱くなる。
「はい、約束します! その時は、ぜひ」
頬を染めて一生懸命うなずく私を見て、彼女が破顔する。
「うれしい、楽しみだわ!」
「はい、ありがとうございます」
彼女の長いまつげが前を向く。私も、その視線にならい、スッと顔を上げた。鉛色の雲の隙間から、白い光が差し込む。それは、スポットライトのように、福岡の街を照らし出す。
光の射す方に、私達は歩き出した。
 
人生に、正しい、ましてや、間違っている、なんてことはない。
失敗して何度転んでも、起き上がって前に進めるか。
自分の心を信じて、挑戦し続けられたか。
そして、そこで、何を学び、何に気がついたか。
その中で、どんな人に出会い、心を結び、お互いを助けたか。
真っ直ぐな線を、最短距離で引くよりも重要なことは山程ある。
それが、蛇行しても、丸や三角、変わった形だっていい。
私らしい味のあるものを、ノートからはみ出すほどの勢いで描けた方が断然おもしろい。
他人の目なんて、気にしなくていいのだ。
だって、このノートは私のものだから。
今は、ライティングだけでなく、写真も、語学も鍛錬に忙しい。他にも武器は色々仕込んでいる。発展途上だけれど、私はさまざまな色を持っている。
真っ白だったノート。
もう、真っ直ぐな罫線は必要ない。
これから、どんなものを私は描けるだろう。
人生の最後のページ、振り返ってめくった時に、ニヤッと笑えたら最高だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。アニメ、漫画などのオタク趣味を極める過程で、ドイツ語を操るようになった、自他共に認めるドイツ文化オタク。アンティークな事物を求め、一眼カメラを持って国内外を旅する一人遊び上手。モーニングとユースホステル愛好家でもある。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

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