週刊READING LIFE vol,119

光のノート《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》


2021/03/15/公開
記事:冨田裕子《READING LIFE編集部ライターズ倶楽部》
 
 
「おかあさん、みて」
4歳の息子が、嬉しそうに、折り紙で作った新幹線を持ってきた。
黄色い折り紙と、金色の折り紙で作られた新幹線を見せながら、
「こっちは普通のドクターイエローで、こっちは洗いすぎちゃったドクターイエロー。」
黄色い方が普通のもので、洗いすぎると金色になると言うのだ。黄色と金色は、全く違う色が当たり前の私は、その発想に驚いた。
 
この類の驚きは、子供との会話では珍しくないことだが、いつも思うのは、常識によって色んな可能性を失っているのではないか、ということだ。私には、黄色と金色を「洗う」ことで繋げることはできない。
私たちは幼少期から、この社会で暮らす上で必要な知恵として、多くの「常識」を蓄えて生きている。親に叱られた時、友達と喧嘩した時、いじめられた時、人から文句を言われた時に、ネガティブな感情を引き起こした原因について、「こうしてはいけなかった」「こうしなければいけなかった」と、自分なりに理解し、生きる術として心に刻んでいく。
生まれた時に与えられた無地のノートに、日記のように日々書き込んでいくのだ。このノートを、「心」と言ってよいだろう。
 
私は初めての出産後、母乳育児に励んだが、3か月を過ぎたころから子供の体重が標準から下に外れるようになり、ひどく悩んだ時期があった。ママ友たちが楽しそうにケーキをほおばるのを横目に、甘いものはできる限り我慢して和食を徹底し、昼夜を問わず目覚ましまで使って定期的に授乳しながら、天使のような子供の表情を味わう余裕もないほど焦燥感に駆られる毎日だったが、子供の体重はなかなか増えなかった。母乳が十分に出ていない、子供にひもじい思いをさせていると思うと、強い自己嫌悪に襲われた。当然、夫との関係もギスギスしていった。
やがて区の健診で引っかかるレベルになり、プロの手を借りてどうにかしようと、近所で母乳外来をやっている小児科を探し当てて診察を受けた。そこでは母乳を出すための身体の仕組みがどうこうではなく、私の心の使い方にフォーカスしたアドバイスを受けることができた。ストレスを受けることで血管が縮んで血行が悪くなることは、よく知られているが、母乳の出方も、ストレスに大きく影響を受けると知った。
 
診察と看護師さんのカウンセリングを通して、私には「母親とはこうあるべき」「これができるのが良い母親」という、「正しい母親像」が鮮明にあると気付いた。主に自分の母親から聞いた話や、母親が自分や妹にしてくれたことを、心のノートにコツコツ書き溜めて出来上がったものだ。母の話では、母は母乳がとてもよく出て、私も妹もぷくぷくに太っていた。母乳のことだけではない。当時はまだ紙おむつが高価だったので、当然布おむつを使っていた。私は母と同じようにできなければと思い込み、出産前に布おむつを用意し、母乳で育てる気満々で出産に臨んだ。
今は、布おむつは珍しく、使っていると、ママ友から「すごいね」と褒められ、私はとても満足した。紙おむつが一般的な今でも布おむつを使っていることで、母を少し超えたように感じたのかもしれない。一方で、授乳に時間がかかっていた私は、授乳がササっと終わる友人を見ると、劣等感を感じた。なぜ、食べ物に何の気も使わない友人の母乳が良く出て、努力している私の母乳は出ないのか、と苛立った。
 
子供が元気であること、快適であることではなく、私は自分が描く母親像になっているかどうかを常に意識し、それを基準に気持ちが上がったり下がったり、乱高下していたのだった。
 
小児科では、「母乳が出なくても自分を責めないで」、「ストレス発散しましょう」というアドバイスだけでなく、なぜそのような心の使い方をしているのかを見つめ、根本的に解決する講座を紹介してくれ、今後の子育てにも役立つと思い受講することにした。
 
講座では、なぜそのような使い方になるのか、自分の心と向き合い、不要な「思い込み」に気付いてそれを手放す方法を学んだ。それはまるで、自分が生まれてからずっと書き溜めた大量のメモを見返し、不要なものを丹念に消していく作業だった。同じような内容が度々書かれていて、それがいかに強固に刻まれているかがよくわかる。一つの思い込みが、他の経験を通してさらに強固になっていくことも多々あった。
私の場合は、能力によって人との間に上下を作ったり、自分が上でなければならないと思う一方で、権威に守られなければ生きていけない、という思い込みが強固にあった。そしてその根本には、「自分は絶対に正しい」という思い込みもある。講座内で気付いたことで、これらを少しずつ手放す事ができるようになり、子供の体重問題はもちろん、夫との関係も改善していった。子供に対して「こうあるべき」という思いも、以前の私と比べると激減したため、子育てのイライラもだいぶ予防できていると感じている。
 
心の学びのおかげで、今ならわかる。私が母乳育児に躓いたのは、「母親として優れていなければならない」という思い込みがあったからだ。誰よりも知識を得て努力し、「2時間おきに授乳」「お菓子は母乳がドロドロになる」など、都市伝説のような情報も妄信して、お菓子を食べるママ友を自分の「下」に置いた。そして、母乳の不足が疑われた時、自分が思う「優れた母親像」「人より上」から外れることを受け容れられず、こんなはずではないと躍起になり、ストレスいっぱいになって、母乳が出づらなくなった。自分で自分の首を、片時も緩めずに絞め続けていたのだ。
母乳を出さねばと躍起にならなくても、子供が欲しがるままに何も考えず授乳していれば問題なかったのではないか。母の母乳が良く出たのは、「母乳をたくさん出さなければ」などと思っていなかったからであり、そもそも「人より優れていなければ」という思いもなかったのではないか。夫は私の気持ちをわかってくれない、協力的ではないと思っていたが、気遣ってくれていたこともあったし、それを私が受け取らないことで、夫も傷付いていたのではないか。
自分の心が抱える思い込みに気付き手放すたびに、それらによって本来の自分と違う行動をした事や、人の優しさを受け取れていなかった事に気付かされる。
 
生まれた時に手にした無地のノートに、私たちは、本当は何を書いていきたいだろうか。
 
人の優しさ、感謝、自分の才能、使命がつまったノートを胸に生きていくことができたら、人生は光輝くものになるだろう。
 
そんなフワフワしたものだけでこの世を生き抜くことはできないと、学ぶ前の私は思っていた。自分に厳しく、真面目に努力して、人より優れていることや称賛を得なければならないということが、幾度も刻まれていた。しかしそれを見つめてみると、自分の心から湧き出たものではなく、親をはじめ、自分以外の誰かの価値観であることが多い。特に幼少期は、心身共に親の庇護が必要であり、親の価値観に大きく影響を受ける。親も良かれと思ってやっている事がほとんどなので、それ自体に良い悪いは無い。しかし、自分が親になって気付いたのは、一番大切なことは教えなくても既に持っているということだ。
 
息子がまだ3歳になるかならないかの頃、私の母が息子に、「お母さん好き?」と聞いた。息子は当然のように「うん」と答え、「しあわせにしてくれるから」と続けた。母やそれを聞いて、お母さんと一緒にいると幸せなのねと微笑んだが、私は少し驚いていた。当時まだ日本語があやふやな息子は、何かをしてあげることを「してくれる」と言っていた。息子は、お母さんは自分を幸せにしてくれるから好きなのではなく、自分がお母さんを幸せにしてあげられるから好き、と言ったのだ。まだ小さい息子に、与えることが幸せであることなど教えた覚えはない。しかし、息子の心にはそれがあった。
 
その時から私は、「息子を愛と優しさを持った人に育てる」というタスクから解放された。親が何か教えなくても、人は生まれながらに愛も優しさも持っている。むしろ、私の言動を見て「あれをしてはいけない」「こうあらねばならない」と、書き込んでしまうことで、この愛と優しさを曇らせてはいけない。
黄色い新幹線を洗いすぎると金色になるといった、息子の透明な言葉を聞くたびに、どうかこのまま、愛と光でいっぱいのノートを綴ってほしいと思う。
 
断捨離という言葉が定着して久しいが、心の使い方の学びは、心の思い込みの断捨離とも似ている。不要なものを手放すことで、心は晴れやかになり、自分が本当に大切なものにフォーカスすることができる。本当に大切なものは、本で得た知識でもなく、誰かの価値観でもなく、私たちが生まれながらに持っているものだ。まっさらな無地のノートを想いながら、自分の中にある光をそこに綴っていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
冨田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

会社員。一児の母。出産後母乳育児の躓きをきっかけに、心の癖を手放す学びに出会う。心の使い方が変わったことで、母乳育児のみならず、家族関係や復職後の仕事においても大きく状況が好転することを体感し、心の使い方が心と身体・心と行動の繋がりについても学びを深めている。職場や地域にて、心の使い方を見つめて仕事のパフォーマンスとやりがいを高める講座を開催予定。

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2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

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