振り返ったウサイン・ボルトの表情は、確かに驚いて見えた。(2016年リオデジャネイロ大会)《2020に伝えたい1964【エクストラ・延長戦/最終回】》
2021/05/31/公開
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
<始めに>
昨2020年3月に延期が決定された第32回近代オリンピック東京大会ですが、間近に為ってやっと開催の目途が見えてきました。
本連載も丁度【エクストラ・延長戦】が、最終回を迎えます。
来月からは本来の、1964年に開催された第18回オリンピック東京大会の想い出に戻ります。
どうぞ、御期待下さい!
2016年8月5日に開幕を迎えた第31回近代オリンピック・リオデジャネイロ大会。
丁度、地球の真裏に当たる日本では、いつにも増して盛り上がりを見せていた。それは、このリオデジャネイロ大会の3年前、隣国アルゼンチン・ブエノスアイレスでIOC(国際オリンピック委員会)総会が開かれたからだ。その総会で、2020年の第32回近代オリンピック夏季大会の開催地が、東京に決まっていたからだ。
決定前迄、東京が最も有利とみられていたが、対抗するマドリード・スペインからは、自身がオリンピアンであるフェリペ皇太子が出席していた。しかもスペインは、前IOC会長のサマランチ氏をはじめ、多くの委員を輩出していたのだ。
また、イスタンブール・トルコは、アジアとヨーロッパの接点という、地理的利点が有ったのだ。
日本時間では、日曜日の早朝と為る時間帯にもかかわらず、多くの日本人が、固唾を呑んで会議の結果を見守っていた。
投票の結果、予想通り東京がマドリードとイスタンブールを圧倒する形で、第32回大会の開催地に決まった。日本人独特の規律正しさと、課題に対すると国全体でまとまる力が評価されたのだろう。
この3度目と為るオリンピック開催地決定に、日本中が湧き返った。
この1年半、新型肺炎ウイルスの蔓延があり、オリンピック開催に異を唱える国内意見が頻発している感がある。
がしかし、今こそオリンピック招致を成功させた時の様な、一致団結を期す空気が必要だと筆者は感じるのだ。
またそこには、リオデジャネイロとの因縁めいた関係もあった。
それは、リオデジャネイロが開催地決定される総会に、東京も立候補していたのだ。
この総会では、南米大陸初の開催と為るリオデジャネイロが本命視されており、東京の落選は、落胆よりも次(第32回大会)に繋がるものと、ポジティブに受け取られていた。しかも、東京は開催地に立候補するには準部期間が不足していたのも事実だった。
ただし、1988年大会では名古屋がソウルに敗れ、2008年大会では大阪が同じくアジアの北京に敗れていた。1998年に冬季大会を長野で開催出来ていたが、
もし、第32回大会の開催を東京が勝ち取ることが出来なかったら、日本では二度と夏季オリンピックが開かれないのではと、悲壮感も漂っていた。
地球上で分散開催される様になったオリンピックは、次にアジアに順番が回ってくるのは、はるか先のことと考えられていたからだ。
なので、来月始まる第32回近代オリンピック東京大会は、無事に開催されることを祈らずにはいられないのだ。
初の南米開催となった第31回近代オリンピック・リオデジャネイロ大会だが、開催寸前に為っていくつかの問題が浮き彫りに為った。
それは、リオデジャネイロの治安に関する危惧だ。
比較的治安の良い日本からすると、『何を今更』といった感じがしていた。しかし、開幕直前に為ってテレビの中継スタッフから女性キャスターが外されたり、観戦に訪れる日本人に対し、外務省から直々に注意勧告が出たりした。
現地の実情は、平和な日本からは想像を絶するものであったらしいのだ。
現地に渡航する日本選手団にも、極力の集団行動と不要な外出を控える様、再三の注意が出された。
このリオデジャネイロ大会で、日本選手団はさらなる躍進を遂げた。
当然のこととして、次回に迫った地元開催の大会に、着々と準備が整いつつあったのだ。
派遣された選手には、オリンピック参加標準記録より厳しい派遣標準記録が設定された。しかも、東京大会を鑑み、実績のあるベテラン選手から、4年後に最盛期を迎えそうな若手に切り替えられていた。
ただし、全競技が順調に若手へ切り替えられた訳では無かった。
その代表が、レスリングだ。
特に男子は、若手の台頭が芳しくなく、最軽量級の銀メダル2個(フリ-スタール・グレコローマンスタイル)に留まった。
女子は、登坂絵莉・川井梨沙子・土性沙羅の三選手が、初出場で金メダルを獲得したものの、4連覇を期待された日本選手団の主将・吉田沙保里選手は、決勝戦で敗れ金メダルを逃した。
『霊長類最強女子』と呼ばれた吉田沙保里選手も、この時既に33歳だった。選手としてのピークは、完全に過ぎていた。吉田沙保里選手は、期待された金メダルを獲得しよう奮闘したが、夢は潰えた。
決勝戦で敗れた後、吉田沙保里選手は、インタビューで「御免なさい」を連呼し号泣していた。
しかし私は、表彰式に現れた吉田沙保里選手の表情に、どこか“やり切った感”を感じていた。決勝戦直後の興奮が収まり、爽やかな表情で自身を破った金メダリストを讃えていたからだ。
東京開催が決まり、レスリングがオリンピック種目に種目が残るなら、37歳に為る迄現役を続けると公言していた吉田沙保里選手だったが、私は、これで現役引退だろうと察した。
同じくオリンピック4連覇を期待され、見事にそれを達成したのが58kg以下級の伊調馨(かおり)選手だった。
その強さは格別で、堂々たる闘いの結果の金メダルだった。
帰国後彼女には、国民栄誉賞を贈られた。当然過ぎる受賞だった。
何しろ、空前絶後のオリンピック4連覇なのだから。
吉田沙保里選手とは2学年下の伊調馨選手は、その後も現役を続けた。外部からの余計な邪魔が入ったものの、東京大会の出場選考会に最後まで臨んでいた。
残念ながら、伊調馨選手のオリンピック5大会連続参加は叶わなかった。
しかしこのことから、二人の偉大さが強調されたことと、長い間若手の目標と為っていたことが解かる。
日本の女子レスリング界の選手層は、世界一厚いのだ。
日本の御家芸・柔道も、世代交代が進んだ。
前回のロンドン大会での不調から、立ち直りつつあることが証明された。
獲得した金メダルは3個だったが、銅メダル8個は次につながる結果といっていいだろう。
また、男子100kg超級で銀メダルを獲得した原沢久喜選手は、絶対王者・フランスのリネール選手を後一歩のところまで追い詰めた。正確には、リネール選手の牙城を崩す手立てを見出したと感じられたのだ。
東京での逆転劇に期待したいところだ。
球技では、新競技の7人制ラグビーで、男子が4位に入る快挙を成し遂げた。
ワールドカップでラグビー熱が上がる日本で、さらなる躍進を期待したいものだ。
また、躍進を遂げた競技といえばバドミントンだ。
女子ダブルスで、高橋礼華・松友美佐紀ペアが、日本初の金メダルを獲得した。特に決勝戦第3セット、絶体絶命に追い込まれた状況から一気の逆転勝利は、末永く語り継がれることだろう。
ベテランと若手が、うまく融合していたのが男子体操だった。
エースの内村航平選手と、白井健三選手らの活躍で2004年アテネ大会以来の団体総合で、悲願の金メダル奪還を果たした。
また個人総合では、内村航平選手が、メキシコ大会・ミュンヘン大会の加藤沢男選手以来の連覇を達成した。しかし、2位に入ったウクライナのベルニャエフ選手には、最終種目の鉄棒迄リードを許す経過をたどった。
最後は、着地でわずかにバランスを崩したベルニャエフ選手を、完璧な演技で内村航平選手が逆転した。
来る東京大会では鉄棒一本に絞って、内村航平選手は出場する。
期待せずにはいられない。
「松田さんを手ぶらで帰す訳にはいかない」
前回のロンドン大会での自身の発言を、今回は若手たちに返されたのはベテランスイマーの松田丈志選手だ。
銅メダルが日本の指定席に為りつつある4X200mリレー。松田選手の奮闘もさることながら、他の若手選手を奮起させていた。
また、この大会で引退を表明していた女子の金藤理絵選手は、これまた日本伝統といっていい女子200m平泳ぎで、見事に金メダルを獲得した。
多分天国の前畑秀子さん(1936年ベルリン大会金メダリスト)も、
「金藤! ガンバレ!!」
と、声援を送って下さったことだろう。
その他には、男子400mメドレーで金メダルを獲得した萩野公介選手を始め、多くの若手選手が決勝に進出していた。
これは確実に、日本の水泳チームが底上げされている証だろう。
加えて、『ボルチモアの弾丸』の異名を取り、2004年のアテネ大会から競泳界に君臨していたマイケル・フェルプス選手に、彼かこの大会で獲得した2個の個人種目金メダル(200m個人メドレー、200mバタフライ)の2位に、萩野公介・坂井聖人の日本人選手が食い込んだことも注目された。
そして、私がこのリオデジャネイロ大会で最も注目したのが、主要競技の陸上競技だ。
先ず、男子50km競歩で、荒井広宙(ひろおき)選手が、同競技日本初の銅メダルを獲得した。荒井選手は、リオデジャネイロ大会の翌年に開かれた世界陸上でも銀メダルを獲得した。
東京大会では、隠れたメダル候補として御記憶頂きたい。
『陸上のトラック競技で、日本のメダルは難しい』
これは、定説と為っている。
しかし、2008年の北京大会でその定説を覆したのが、男子4X100mリレーチームだ。奇跡と思われた銅メダル(後に銀メダルに昇格)を獲得したからだ。
このリオデジャネイロ大会で、同チームは更なる奇跡を演じてみせた。
何が奇跡かというと、リオデジャネイロ大会時点で、日本には100mを9秒台で走る選手が、一人も存在していなかったからだ。
16か国で競われる同種目の予選、2組で出場した山縣亨太・飯塚翔太・桐生祥秀・ケンブリッジ飛鳥の四選手は、何とアジア新記録を叩き出し1位で予選通過したのだった。
それも、ウサイン・ボルト選手を外していたとはいえ、金メダルの有力候補ジャマイカ・チームを抑えてのことだ。予選通過時点で、日本の上に居たのはシーズンベストで予選通過したアメリカ・チームだけだった。
日本の御家芸“アンダーハンド・バトンパス”が有ったとはいえ、これは否が応でも期待せずにはいられなかった。
翌日迎えた決勝戦、日本は有利と言われる5レーンでの出場となった。
ダッシュ自慢が揃う第一走、日本の山縣亨太選手はタイムで勝るジャマイカ・アメリカの選手に遅れることなく二走にバトンを繋いだ。
二走の飯塚翔太選手も食らい付き、4位以下のチームを引き離した。
コーナーワークに自信を持つ桐生祥秀選手は、巧みに前を走る隣コースのジャマイカを負った。
そして、僅差で日本のバトンは、アンカーのケンブリッジ飛鳥選手に渡った。
どれ位の僅差かというと、バトンを受け取る為にややアウトコース(日本側)に膨らんだジャマイカのアンカーウサイン・ボルト選手の右肘に、ケンブリッジ飛鳥選手のバトンがわずかに当たったのだ。
想定外の感覚に、ウサイン・ボルト選手は思わず右後方を振り返った。その表情は、驚いている様に見えた。
「まさか日本チームが、自分に触れる範囲で走って来るとは」
とでも、思ったのだろう。
ゴール前で、ケンブリッジ飛鳥選手は、世界記録保持者のボルト選手に引き離された。
しかし、僅差ではあったが確かに2着で入線していた。
これが奇跡では無くて、何が奇跡なのだろう。
これ迄、何十回となくオリンピックの同種目の金メダルを獲得した、メンバーには100mのファイナリストを揃えたアメリカ・チームに、誰一人100mの準決勝にも進出出来なかった日本チームが先着したのだから。
北京では、神様がくれた銅メダルではあったが、リオデジャネイロではチームの実力で銀メダルとなったのだ。
その後、日本陸上選手団には、3人もの100m9秒台の選手が現れた。
これで東京大会での期待が、必要以上に膨らむこととなった。
もしかしたら、新国立競技場のメインポールに、トラック競技初の日の丸が上がるかもしれないのだ。
東京大会の観戦券で、最も高倍率となったのが、陸上競技の最終日だった。
皆が期待を膨らませている証拠だ。
金メダル12個を含む、史上最多の41個ものメダル露獲得した日本選手団。
地元開催に向けての準備が、着々と築き上げられてきた。
東京大会では、史上空前のメダルラッシュが期待出来そうだ。
≪延長戦・終わり≫
❏ライタープロフィール
山田将治(Shoji Thx Yamada)(READING LIFE公認ライター)
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
5歳の時に前回の東京オリンピックを体験し、全ての記憶の始まりとなってしまった男。東京の外では全く生活をしたことがない。前回のオリンピックの影響が計り知れなく、開会式の21年後に結婚式を挙げてしまったほど。挙句の果ては、買い替えた車のナンバーをオリンピックプレートにし、かつ、10-10を指定番号にして取得。直近の引っ越しでは、当時のマラソンコースに近いという理由だけで調布市の甲州街道沿いに決めてしまった。
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