2020に伝えたい1964

その方は、開会式でも閉会式でも、誰よりも号泣していた《2020に伝えたい1964》


2021/07/12/公開
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
 
 
1964(昭和39)年の第18回近代オリンピック東京大会を生で体験した者として、もう直ぐ開催される第32回東京大会に、是非とも継承して欲しかったと願う事と物が有る。
例えば、丹下健三氏が世紀の工法で作り上げた代々木競技場だ。見事なオーバル形の国立霞ヶ丘競技場もそうだ。奈良・法隆寺の夢殿をモデルにした日本武道館も同じだ。
 
それが、時代に合わなくなったとかルールが変更されたとの理由で、今回は使用されなかったり改築されてしまった。何でも、代々木競技場のプールは現代の規格より幅が狭く、競技場自体が多用途目的の為、改修することが出来なかったのだ。
旧・国立競技場も同様に、現在の9レーンを要する陸上競技規格に合っていなかった。陸上トラックだけならば何とか作れるのだが、今度は観客席全体の7割以上に屋根を設置するという規定(雨が多い地域)が立ちはだかった。
そもそも、旧・国立競技場自慢の美しい楕円の形状では、屋根を付けようが無い。これによって、是非とも再現して頂きたかった、航空自衛隊ブルーインパルス機が大空に描いた大きな大きな五輪は不可能となった。屋根が付いてしまったら、観客席から見ることが出来ないからだ。
不粋を通り越して、野暮な話だ。
 
そんな中で、私が何としても再び使って頂きたいと願っている物が有る。
それは、古関裕而さんが作曲した『東京オリンピックマーチ』だ。
1964年10月10日のテレビ中継で、NHKの北出アナウンサーが、
「心が湧き立つ様な」
と、表現した実に清々しい名曲だ。
私の様な前回の東京オリンピックを知る世代には、運動会の行進曲の定番として『東京オリンピックマーチ』が使用された記憶が有る。それ程までに、日本の隅々まで知れ渡り親しまれた曲なのだ。
 
1964年当時、外国のマスメディアには、東京オリンピック寸前まで『東京オリンピックマーチ』を聴いていた人が少なく開会式直後から、
「あのマーチは誰が作曲したのか?」
との問い合わせが、組織委員会に殺到した。
それは、そうだろう。
現代のオリンピックの開会式とは違い、東京オリンピックの選手入場は、参加各国の選手団全員が、揃いのユニフォームで綺麗な隊列を組んでいたからだ。
その整然とした行進のBGMに使われたのだから、『東京オリンピックマーチ』は余計に勇壮に聴こえたのだろう。
また、日本の作曲家が世界で活躍する人も出ていなかった時代なので、外国の報道陣は、日本の音楽事情など全く関知していなかったと考えられる。
 
『東京オリンピックマーチ』を作曲した古関裕而さんは、勿論、国立競技場の関係者席で開会式を観守っていた。
そして、自身の曲で入場してくる各国の若者を観て、とめどなく涙が出ていた。
そこには、21年前の同じ地での言い知れぬ悲しみが有ったからだ。
 
1909(明治42)年、福島県で生まれた古関裕而さんは、1930(昭和5)年にはプロの作曲家として東京に出ている。この辺りのことは、NKHの連続テレビ小説『エール』で詳しく描かれていた。
古関裕而さんは上京直後、クラシック音楽を学ぶ一方で“流行歌”や“歌謡曲”の仕事をしていた。まだ、代表作と胸を張れる作品は無かった。
そんな古関裕而さんの出世作となったのは、ドラマでも描かれていた通り、早稲田大学応援歌『紺碧の空』と『大阪タイガースの歌(六甲颪)』だ。
 
今回私は、古関裕而さんの古いインタビュー映像を再観し、東京オリンピック開会式で、何故、彼が人目もはばからず号泣したのかが理解出来た。
 
それは、流行作曲家として目が出ていない時代に、クラシックの作曲法が生かせる応援歌で世に出た、古関裕而さんの背景が有ったと思うからだ。
依頼の有無は不明だが、応援歌という強みを持った古関裕而さんは、開催が決まっていた1940(昭和15)年の第12回オリンピック東京大会の行進曲を作曲したかったのだと思う。
ところが、戦争によりオリンピック開催は返上され、応援歌が得意な古関裕而さんには、軍歌作曲の依頼が数多く来た。時代の流れで仕方が無かったかもしれないが、当の本人としては、別の意味で人々を応援する曲を作りたかったのだろう。
その上、1943(昭和18)年10月にオリンピック予定地だった明治神宮外苑競技場(後の国立競技場)で行われた、出陣学徒壮行会に出席した経験も重なるのだ。
本来ならば、自らが作曲したかもしれない行進曲に乗って、凛々しく行進する筈だった選手と同世代の若者を、軍歌と共に送り出さなければならなかった無念さは、戦争を知らない世代にははかり知ることが出来ない。
 
それが、20数年の時を経て、今度は正真正銘の自分の行進曲で、世界中の若者が平和の行進をしているのだ。
古関裕而さんの感性をもってすれば、号泣は当然の反応といえよう。
 
戦後の古関裕而さんは、平和で明るい流行歌を作曲する傍ら、得意とした人々を応援する曲を手掛けている。
代表作は、高校野球のテーマ曲『栄冠は君に輝く』と、NHKのスポーツ中継で使われる『スポーツ行進曲』だ。
 
第18回オリンピックの東京開催が決まると組織委員会は、正式にテーマ行進曲の作曲を古関裕而さんに依頼する。
24年前の無念さと、21年前の忸怩たる経験から、古関裕而さんは大いに張り切って作曲に臨んだ。その結果、出来上がったのが『東京オリンピックマーチ』だ。
後のインタビューで古関裕而さんは、
「私の長い作曲生活の中で、ライフ・ワークと言うべきもので、一世一代の作として精魂込めて作曲しました」
と、語っている。さらに、
「華やかな舞台を盛り上げるに、相応しいものと自負しています」
と、自賛もしている。
謙虚な性格の古関裕而さんにしては、大変珍しいことだ。
 
古関裕而さんは、東京オリンピックの開会式だけでなく閉会式にも出席している。そして閉会式でも、同じ様に号泣していたと伝えられている。
閉会式では、別の意味も込められていたからだ。
それは、映画『東京オリンピック』にも描かれている通り、選手達が整列して入場した開会式とは異なり、閉会式では各国の選手が入り乱れて国立競技場のフィールドに入場して来たからだ。
この光景は今でも、平和の象徴として語り継がれている。そればかりか、1964年の東京オリンピック以降、各国選手が入り乱れて入場する閉会式は、オリンピックの定番と為っているのだ。
 
自分が精魂込めて作り上げたマーチに乗って、平和の象徴というべき光景を目の当たりにすれば、古関裕而さんでなくとも号泣するのは当然だ。
 
もう一つ、『東京オリンピックマーチ』に関して、書き残したいことが有る。
この曲のクロージングに、それまで出てこなかった4小節のフレーズが登場する。その、和旋律のフレーズは、明らかに国歌『君が代』を模したものだ。
これは、東京オリンピックの21年前、同じ地から戦地に出征し、そして散ってしまった若者達への、古関裕而さんからの鎮魂歌だと思うのだ。
また、その思いが有ったからこそ、開会式・閉会式での号泣につながったと思うのだ。
そして、外国人からは、4小節の和旋律が何とも日本的に感じられ、絶賛される一因となったと思うのだ。
 
以上が、『東京オリンピックマーチ』だけは再度使ってもしいと願う、私の想いだ。
 
天国の古関裕而さん(1989年逝去)は、新しい東京オリンピックの入場行進でも、号泣なさるのだろうか。
 
 
≪終わり≫
 
 

2019年3月から始めた本連載も、今回を以って完結です。
45回の長きにわたる御講読に感謝します。
東京オリンピックの1年延期が有り、一時はどうなることかと思いました。
御協力下さいました、三浦編集長を始め天狼院スタッフの皆様に、重ねて御礼申し上げます。
 
思い返せば、2018年に知り合った一人の中学生アスリートに、私は何を伝えられるのだろうとの想いから企画した連載でした。
私は彼に、1964年10月10日、信じられないほど晴れ渡った東京の青空を伝えたいと思いました。
それと共に、当時5歳だった私でも感じた、何とも晴れがましい気持ちも伝えたいと考えました。
 
彼にも皆様にも、私の想いが少しでも伝わりましたら、私にとって幸いの極みで御座います。
 
またどこかで、御逢い出来ます様に。

 
 
【完】

 
 

❏ライタープロフィール
山田将治(Shoji Thx Yamada)(READING LIFE公認ライター)

1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター
5歳の時に前回の東京オリンピックを体験し、全ての記憶の始まりとなってしまった男。東京の外では全く生活をしたことがない。前回のオリンピックの影響が計り知れなく、開会式の21年後に結婚式を挙げてしまったほど。挙句の果ては、買い替えた車のナンバーをオリンピックプレートにし、かつ、10-10を指定番号にして取得。直近の引っ越しでは、当時のマラソンコースに近いという理由だけで調布市の甲州街道沿いに決めてしまった。

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2021-07-12 | Posted in 2020に伝えたい1964

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