50年前と同じ実況放送だった《2020に伝えたい1964~Epilogue⑤~》
2022/02/14/公開
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
〔始めに〕
TOKYO2020大会開催を記念して、1964年の東京オリンピックの想い出を絡め綴って来た本連載ですが、隣国で冬季オリンピックが開催されている為、今回に限り特別に、冬季オリンピックの想い出を差し込ませて頂きます。
『小林陵侑選手、24年振りのスキージャンプで金メダル』
2022年2月7日、新聞の一面は、前日の冬季オリンピック・男子純ジャンプ・ノーマルヒルで、日本の小林陵侑(こばやしりょうゆう)選手が金メダルを獲得した記事で飾られていた。
日本ジャンプ陣でレジェンドと称される葛西紀明選手(49歳、今も現役!)の指導で、今や世界一の飛形を誇るまでに為った選手だ。
新聞の前日、小林陵侑選手は、今季の好調さそのままに順当な形での金メダル獲得と為った。
日本人選手のスキージャンプでの金メダル獲得は、24年前の長野大会で船木和義選手と、同じく団体戦以来のことだ。
夏季大会に比べて競技数が少なく、日本の御家芸と呼べる種目も無いことから、国内では注目度が若干下がる傾向がある。しかし、小林陵侑選手の金メダルは、今後も語り継がれるに違いない。
何故なら、これまでの冬季オリンピックで、日本人選手がメダルを獲得したのは、複数のメダル候補が出現したケースが多かった。スキージャンプ・ノルディック複合・スピードスケート・フィギュアスケートそして、今大会のスノーボードの例を挙げると同意頂けることだろう。
ところが、今回の小林陵侑選手の場合は例外だ。何しろこのところの日本ジャンプ陣は、一時の隆盛はどこへやらの状態だ。世界のトップと渡り合えているのは、小林陵侑選手だけという状態なのだ。
元々日本人は、国民性なのか団体戦や集団行動が得意だ。これが個人戦と為ると、やや押され気味と為ってきた。
そんな中、堂々と一人で気後れすることなく戦いを挑み、見事に金メダルを獲得した小林陵侑選手は、日本人選手の新たな扉を開いたのかも知れない。
小林陵侑選手の金メダル獲得の報道で、私は称賛する気持ちが大きく為った半面、小さな違和感が生じていた。それは、小林陵侑選手の功績にコーションを付けるものではなく、全て報道に対してのことだ。
先ず、スキージャンプの個人での金メダル獲得は、確かに長野大会の船木選手以来のことだ。
ところが今回、小林陵侑選手が獲得したのは、ノーマルヒルでの金メダルだ。船木選手が獲得したのは、ラージヒルで金メダルだ。
この二つの競技(ノーマルヒルとラージヒル)、同じ競技であっても使うテクニックが少し違っているという。競技する当事者にとっては、その違いがとても大きいとも聞いている。どちらかを極端に得意とする選手も居る程だ。
なので私は、小林・船木両選手の金メダル獲得は、“24年振り”という修飾語をどけて、ともに称賛したいと考えるのだ。
しかも、船木和義選手は長野大会で、ラージヒルの前にノーマルヒルでも銀メダルを獲得している。
小林陵侑選手は、ノーマルヒルに引き続いて、ラージヒルでも銀メダルを獲得した。これをもって“船木和義選手以来の24年振り”と称賛する方が、両選手を同じく扱うことに為ると思えてならないのだ。
振り返ってみれば、ジャンプ・ノーマルヒルでの日本人選手の金メダル獲得は、1972年の札幌大会にさかのぼる。
何と、50年前のことだ。
札幌大会で金メダルを獲得したのは、笠谷幸生(かさやゆきお)選手だ。種目は当時の70m級純ジャンプ、現代のノーマルヒルにあたる種目だ。
当時、この瞬間を日本中が熱狂しながら応援していたものだった。何しろそれまでに、冬季オリンピックで日本人選手が獲得していたメダルは、1956年のコルティーナ・ダンペッツォ(イタリア)大会での猪谷千春選手が獲得した銀メダル(スキー回転)しかなかったからだ。
1972年当時、中学二年生だった私は、今でも笠谷選手のジャンプを鮮明に覚えている。当然、噛り付いて観ていたテレビの実況も、確かに覚えている。
それは、
「さぁ笠谷、さぁ笠谷。金メダルへのジャンプ!」
と、いうものだった。
そう、小林陵侑選手の時にも流れた『金メダルへのジャンプ!』の実況は、50年前とそっくりそのまま一緒だったのです。
私は今後も、小林陵侑選手のスキー純ジャンプ・ノーマルヒルでの金メダルを“50年振りの金メダル”と記憶し続けることだろう。
〔予告〕
今回初めて、冬季オリンピックに付いて触れましたが、筆者は思いの外、札幌大会のことを記憶していることに気付きました。中学生に為っていたので当然ですが。
そこでもし、再び札幌で冬季オリンピック大会開催が決まった際には、必ずや『20〇〇伝えたい1972』を企画したいと思います。
❏ライタープロフィール
山田将治(Shoji Thx Yamada)(READING LIFE公認ライター)
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
5歳の時に前回の東京オリンピックを体験し、全ての記憶の始まりとなってしまった男。東京の外では全く生活をしたことがない。前回のオリンピックの影響が計り知れなく、開会式の21年後に結婚式を挙げてしまったほど。挙句の果ては、買い替えた車のナンバーをオリンピックプレートにし、かつ、10-10を指定番号にして取得。直近の引っ越しでは、当時のマラソンコースに近いという理由だけで調布市の甲州街道沿いに決めてしまった。
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