第5章 記憶、歴史と食らう肉のハナシ〜美味しい肉食のススメ《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》
記事:ギール里映(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「美味しいお肉が食べたいなあ」
と呟いたことがない人はめずらしいのではなかろうか。お肉、なかでも牛肉は私たちにとって、ちょっと高価な食材であるだけでなく、特別な感情を持つ食べ物です。そのなかでも和牛、A5やA4などとランクの表記が飛び交う高級牛肉は人気も高く、結婚式やお祝いなど席ではもちろん、記念日などの特別な食として必ず選ばれる食材でもあります。また接待の場でのお肉といえば必ず牛肉が選ばれます。特別な人をもてなす場では、鶏肉や豚肉などの大衆的なお肉よりも、やはり牛肉がしっくりとくる。牛肉のもつ高級感、特別感は、大切な人を大切にもてなすときのアイテムとしての機能をもっています。
その反面、大衆的に食べられることも増えました。肉食文化が広まり海外から安価な牛肉が輸入されるようになると、大型チェーンの飲食店などでも当たり前に牛肉のメニューが並ぶようになりました。アメリカ産、オーストラリア産など海外からの輸入が増えるのと同時に、日本の高級和牛は海外への輸出されるようになりました。つまり、美味しい和牛を外国人が食し、安価な外国産肉を日本人が食べる。そんな世界地図がいま作られつつあります。
美味しいお肉が、食べたいなあ。
それもやっぱり、日本の、美味しい和牛がいい。
50にもなったらそろそろ、美味しいお肉の一つや二つ、食べておきたいものです。
味の記憶、記憶と味覚
京都にステーキの美味しい店があります。祇園は南町、ディープな京都の花街の一角にあるStake Houseゆたかは、半世紀以上の歴史をもつ老舗ステーキ店です。使うお肉は国産和牛A5ランクのみで、その時の美味しいお肉を産地に拘らず仕入れています。お肉の焼き加減が絶妙で、とにかくふっくらとやわらかい。肉の旨味、脂身の旨味をしっかりと感じられるステーキの王道です。
そんな評判のお店ですが、その評判が私の興味を引いたのではありません。私がなぜこの店を知り得たのかと言うと、それは食い道楽であった父の影響でした。
板前をしていた私の父は牛肉がとにかく好きで、京都中の美味しい牛肉を食べ歩いていました。その中でも父が気に入って足繁く通っていた店がこのゆたかさんです。夜のメニューは1人前3万円と高額で、子どものころは大人になればそんなに高価なお肉が食べられるようになるのかと思い、大人になることが楽しみになったものでした。
しかし自分が大人になると、その3万円という価値はずしりと自分にのしかかり、なぜ家族を連れていかなかったのかと、父を恨むようにもなりました。父は家族を脇において、自分一人でこの高級ステーキを食べていたわけです。戦前に生まれ、祖父が創業した京料理屋の2代目として、父はかなりの食道楽でしたが、その道楽に家族が組み込まれることはほとんどなく、父は一人で美味しいものを食べることを当たり前としていたのでした。
大学を卒業するころになってようやく、母とゆたかに訪れる機会がやってきました。あのあこがれの、高級な、最高のステーキがようやく食べられると心が躍りました。どういう機会で食べにいくことになったのかは全く覚えていないのですが、とにかくこの、自分の中では伝説になっていたステーキを食べられることで、心がいっぱいになったのを覚えています。
初めて体験した極上ステーキは、その期待通り、いや期待をはるかに超えた美味しさでした。ステーキのようなシンプルな調理法は食材の質が重要です。その料理が美味しいかどうかの究極の決定権は、食材の質にあるからです。さすがに全国から取り寄せられたA5ランクのお肉は美味しい。しかし何よりも驚いたのは、お肉の焼きかたに対するシェフのこだわりと、お客様を徹底的に満足させたいと思うお店全体から漂う空気感でした。
ただ美味しい高級食材があればお客様が満足するわけではありません。
美味しいか美味しくないかという基準だけで語られる食には、食の本当の愉しみ方を欠いているように思えてなりません。なぜなら味は、食材や料理そのものからだけ感じ取られるものではないからです。
食材や料理はもちろん、それを調理するシェフの腕や気持ちだったり、それをサーヴするスタッフの心意気だったり、食べる環境をつくる店舗、建築物のしつらいだったり、季節だったり、タイミングだったり、いろんな環境の全てがあいまって、その一瞬の美味しさを作り出しています。
またなにより、美味しさとはパーソナルな記憶や体験から作られるものなので、同じものを食べても美味しいと感じる人も入れば、美味しいと感じない人もいる。
私にとってゆたかは、大人への憧れの象徴の一つでした。また生前あまり仲良くできなかった父との肯定的な思い出の一つです。父とは、食卓をともにした記憶がほとんどありません。常に家にいなかった父でしたから、家族の団欒の食事というものを私はほとんど体験せずに大人になってしまいました。
しかし父の愛した食をこっそり食べに行くことは、なにか、父と親しくなるきっかけを得たようで、そんな喜びがさらに美味しさを増強させてくれるのでした。
特別な食材は、特別な記憶を作り出します。ゆたかでお肉を食べることは、家族の記憶を完成させる1ピースなのです。
肉への愛が止まらない焼肉
家族というパーソナルな場とは対照に、大勢で食べたい肉があります。それが焼肉。大切な友や家族、仲間と肉を目の前で焼きながら食べることで、人との繋がりや絆がより深くなっていきます。
そんな場にふさわしい焼肉は、東京は馬喰町にある焼肉匠勝善(かつぜん)です。
肉のうまさに魅了された福岡県出身のシェフ塩塚善美氏が、洋食店で修行をするなか肉の味に目覚め、2018年にオープンしたまだ新しいお店です。肉の目利きとしての腕がすごく、長年の経験からA5、A4ランクの最高の肉だけを、産地に拘らずに仕入れ、独自のレシピも多数、極上の肉料理を提供されています。
必ず食べたいのがトリュフとうずらの卵入りのユッケや、ウニとキャビアの乗った肉寿司。これらの、普通の焼肉屋にはおよそないメニューは、ちょっと外すともはやイタイものになってしまうのですが、勝善でのトリュフの使い方はとても絶妙で、肉の旨味がより味わえるものに仕上がっています。また締めのご飯ものにもトリュフと卵が使われたトリュフ卵釜飯。軽くあぶったロース肉とでいただきます。
肉の選び方といい、レシピのアレンジの仕方といい、とにかくシェフの、お肉に対する愛情がものすごい。トリュフやウニなどの高級食材を使うことは、物珍しさも感じますし、それはそれで興味を持つ方もいるでしょうけれど、大切なのはそこではなくて、シェフの気構えというか、肉に対する飽くなき探究心。どうすればもっと美味しくなるか、楽しくなるか、またどこのどの肉が美味しいのか、研究をやめないところです。それを感じるから、また食べにいきたいと客は感じ、店に足繁く通うようになります。
結局のところ、肉だけじゃないのです。そのお店の空気、シェフやスタッフの心、そういうものと一緒にいただくから肉はさらに美味しくなる。食べることの楽しさを体験させてくれるのが、この勝善なのです。
歴史に思いを馳せる
肉食の歴史は、古くは縄文時代にまで遡ります。
狩猟・採取生活だったころの日本では、猪や鹿などの野生動物を食べていましたが、弥生時代になって農耕がはじまると、豚や鶏が登場しました。しかしそのあと日本では仏教が浸透し、その教えに基づいて肉を食さなくなりました。肉食禁止令が出され、7世紀には肉食が禁じられていきました。
それ以降明治維新になるまで、日本では肉食は主流ではありませんでした。鹿や猪などが食べられていた記録もありますが、なんせ肉食自体が禁止されているのですから、肉を食べることは薬のような扱いでした。人々の生活や食習慣としての肉が定着したのは、実はつい最近のことなのです。
幕末にアメリカからペリーが来航し、日本は開国となりました。そして外国の領事館や商館、住居が建てられ、外国人が日本に住み始めることとなりました。その時にもたらされたのが今に続く肉食文化です。この時に持ち込まれたのが牛肉を食べる文化でした。
当時関西や中国地方の牛肉が神戸に集められました。その肉があまりにも美味しかったので、外国人たちの間で話題になり、これがいわゆる神戸牛(コーベビーフ)の発祥と言われています。これがきっかけかどうかはわかりませんが、牛肉は関西の文化と言われます。神戸牛、近江牛、松坂牛など、多くのブランド牛たちは関西が起点です。
カツサンドというと、関東ではとんかつですが、関西ではビフカツのことです。またすき焼きも、関西では牛肉が当たり前ですが、関東では鳥や豚を使うことが多い。関西で肉というとそれは牛肉のことを指しますが、関東では鳥や豚も含みます。それほどまでに牛肉に対する思い入れは、住む場所によって変わります。
私は京都に生まれ育ったので、肉といえば牛肉でした。肉好きな父の影響もあったのかどうかはわかりませんが、美味しいお肉を食べることは、一つの行事というか、儀式のように、関西人のなかでは大切に思われていることです。その背景には食の歴史があることは、少し振り返ってみると感じることができます。
私たちがいま当たり前に食べている毎日の食事は、当然のことですが、それを食べる文化に至った歴史や経緯があります。今の日本ではよほどの貧困層でない限り、毎日好きなものを好きなだけ食べることができるし、またそれが当たり前になっています。
朝はパンか、ご飯にするか、昼はパスタかそばか、中華にするか?そして夜は家に帰って和食を食べる。そんな食のバリエーションは、特に奇異なことでも贅沢なことでもありません。しかしこれは、世界の基準からしてみたらかなり異常な事態で、私たち日本人は美味しいものはなんでも遠慮なく取り入れていくので、いろんな食文化や他国の文化が、するりと日本の文化の一部として入り込んできているのです。
こんなにたくさん食のバリエーションがある国は、世界の中でも稀です。
イギリス人は朝昼晩イギリスの食事だし、インドも、中国も、アメリカも、基本的にその国の食を食べるので、例えば朝は和食にしようか、なんていうバリエーションは生まれません。日本だけが世界のなかで、様々な食文化を日常レベルにまで取り入れている国です。その中で肉食も、例外ではありません。
江戸時代後期に日本に入ってきた肉食は、まずは牛鍋、つまりいまのすき焼きのような形で日本に広まっていきました。明治になると東京だけで約558軒もの牛鍋屋があったといいます。食べることが好きで探求をやめない日本人にとって、肉食文化が広がっていくことは、大いに予想できることでもありました。
明治維新をきっかけに広がった食肉の世界は、その後100年以上たった昭和40年代後半にいよいよ欧米化のピークを迎えました。食肉の需要が増え、安価な輸入牛肉が大量に入ってくるようになって、牛肉は高級食材から大衆食材へと変わってきました。この時日本の畜産業は危機を感じて畜産の方法を模索していました。
昭和50年代に盛んになったグルメ文化により、日本の畜産業は高級路線に切り替え、いわゆる高級ブランド肉が人気となります。この風潮がいまなお続く、日本のちょっと特殊な牛肉文化の礎になっているのです。
日本の食文化はもともと、肉食に依存するものではありません。
農耕文化に加えて、海で囲まれた島国であることを生かして、穀物、野菜、魚を食べることが食文化の基礎となっています。だからこそ肉は、食べるなら美味しいものを、質のよいものを、特別な時に食べたい、という風潮が形作られてきたのです。時代の変化とともに肉食文化が定着し、毎日美味しいお肉が簡単に食べられる時代になりましたが、そういう時代だからこそ、ちょっとよそ行きの美味しいお肉とはどういうものなのかを、ちゃんと知っておきたいと思います。
どんなご馳走も、毎日食べたら飽きます。
お肉に対する特別な愛情を、そのまま大事にしておきたい。だから美味しい牛肉は、毎日食べるものではないんです。
たまに、ものすごく美味しいのを、適量いただくからこそ、お肉がお肉としての価値を持ちます。
昨今は筋トレブームやタンパク質ブームで、毎日肉を食べる人が圧倒的に増えました。現代人の魚離れが進み、一般家庭でも毎日の食卓になんらかの肉が登場します。それは時代の流れだから仕方のないことではありますが、ただただ牛肉に関しては、単なるタンパク質補給のため、みたいな位置に落ち着けて欲しくないなと思ってしまうのは、私ら中年世代のエゴなのかなあなんて思いますけどもね。
ちょっとよそいき、ちょっと特別。日々美味しいものがいただけることに感謝して、その歴史に敬意を払う。そんな食べかたを粋やなあと思います。
《第6章に続く》
□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
READING LIFE編集部公認ライター、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。
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