週刊READING LIFE vol.144

すぎやまこういちはもう、いない《週刊READING LIFE Vol.144 一度はこの人に会ってほしい!》

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2021/10/25/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
作曲家のすぎやまこういちが亡くなった。
 
言わずと知れた世界的大ヒットゲーム、ドラゴンクエストシリーズのBGMを手がけた人だ。2021年東京オリンピック開会式の選手入場ではゲーム音楽が用いられたことが話題を呼んだが、そのオープニングを華々しく飾った壮麗なマーチこそドラゴンクエスト序曲であり、すぎやまこういち作品のおそらく最も有名な楽曲に他ならないのだ。私はオリンピック開会式を家族友人と一緒にテレビ観覧したが、いくら聴いても飽きることのなかった馴染みのありすぎる曲が流れてきた時には感動のあまり転げ回った。たかがゲーム、されど大好きなゲーム、まるで神話のように様々な物語が詰め込まれ、その中で主人公となって冒険をした思い出、それらがメロディと共に鮮やかに思い出される。コロナ禍でマスクをしていても晴れやかな笑顔を浮かべていると分かる選手たち、彼らの誇りがゲームの思い出と重なって、日本人であることに誇りを抱くことができたと思った開会式だった。その一番の功労者と言っても過言ではないすぎやまこういちが亡くなったのだ。
 
命日は2021年の9月30日というから、オリンピックの開会式は何らかの形で観覧できたであろうことがせめてもの慰みではあるが、それでも一つの時代が終わったのだと惜しまずにはいられなかった。すぎやまこういちと共にドラゴンクエストシリーズを手掛けてきた堀井雄二、鳥山明の追悼コメントで「(すぎやまこういちのことを)永遠の命を持つ魔法使いのように思っていました」という一文があり、まさしくその通りだと膝を叩いた。ゲーム界を牽引する伝説であるドラゴンクエストシリーズが終わることなど全く想像できないし、ドラクエからあのテーマ曲がなくなることなど、もはやあり得ないと言っていいだろう。それはすぎやまこういちだけではなく、堀井雄二、鳥山明にも同じことが言える。ドラクエシリーズが続くということは、この三人が元気にゲーム制作しているということなのだと、子どもの頃の憧れそのままに盲信していたことを今更ながらに気付かされてしまったのだ。
 
永遠の命が存在したらどんなにかいいだろう!
 
自分が死にたくないとかそんなチンケな話ではない。すぎやまこういちのような優れた才能を持つ人は、なにか神からの祝福を受けて素晴らしいものを永遠に創作し続けてくれはしまいかと願わずにはいられないのだ。堀井雄二だって鳥山明だってもうかなりの年齢のはずだ。大好きだった漫画や小説が未完のまま作者の訃報をニュースで知るのはもう嫌なのだ。応援してきた俳優やアーティストが急逝して、もう新しい姿を見せてくれない悲しみに打ちひしがれなければならないのはもう懲り懲りなのだ。永遠の命が無理なら、寿命を分ける仕組みができたらいいだろうに。どれもこれも叶わないから、悲しい知らせを聞く度にがっくりと肩を落とすしかないのである。永遠の命は存在しないから、今生きることを大切にしなければいけないし、応援している、今風に言えば推している人を全力で推さなければいけないのだ。
 
YouTubeを始めとした様々な動画サービスが充実してきた昨今、アーティストの在り方は大きく変わったように思う。アーティスト本人が投稿した動画は、テレビ番組やライブとは違った親密な距離感が売りとなる。コロナ禍で様々な制限がある中、自宅でスマホなどから手軽に鑑賞できる動画に人気が出るのは致し方ないことなのかもしれない。だが私は声を大にして言いたい、動画とライブの臨場感は全く別物なのだと。もともとライブに足繁く通い詰めるような方々には何を言っているんだと言われてしまいそうだが、日頃あまりそうした所には赴かず、ステイホームの暇を持て余してバズった動画を見るような人にこそ伝えたい、動画はあくまでも動画でしかないのだ。
 
コロナ禍よりもずっと前、2009年頃にスーザン・ボイルという中年女性の動画が爆発的な人気を博したことをご存知だろうか。イギリスのオーディション番組「ブリテンズ・ゴッド・タレント」にスーザン・ボイルが出場した時の動画が、信じられないほどバズったのだ。既に50近いおばさんであるスーザンは、お世辞にも整ったとは言えないボサボサの髪、伸びっぱなしの眉毛、でっぷりとした体型にくすんだ色のドレスでステージに現れ、観客の失笑や嘲笑を一身に浴びるところからオーディションが始まる。しかし歌い始めた彼女の圧倒的な実力に会場は大喝采となり、見事合格する、という動画だ。オーディションでもそうだが、この動画が9日間で1億回という驚異的な回数再生されたことで、冴えないおばさんだったスーザン・ボイルは一転してプロ歌手としての道が拓けたのだ。もはや21世紀のシンデレラストーリーには動画が必要不可欠となった。
 
私もスーザン・ボイルの動画をネットサーフィンで見つけ、前半の彼女の野暮ったい様子と、堂々とした歌いぶり、オーディション合格を知った瞬間に子供のようにはしゃぐ姿のギャップに虜になった。オーディションの進捗を検索し、合格を祈り、速報動画を見つけてはうっとりと聞き惚れた。最後の最後、彼女は決勝戦で2位という結果に終わったが、晴れやかに優勝者を祝福している様子がいじらしくも慈愛に満ちてつい涙してしまったのを覚えている。決勝戦が終わったのが2009年の6月前だが、その年の日本の紅白歌合戦にゲスト出演した。更に2010年4月、読売日本交響楽団の日本武道館公演にもゲスト出演することが決まったという。スーザンの実力は本物だとは思うが、ちやほやされるのは最初のうちだけだ。この機を逃したら、次はいつ日本に来るのか分からない。私はスマホで見る小さな四角い画面の向こうにいるスーザンに会ってみたくなった。電波ではなく、彼女の声が空気を震わせる様を体験してみたくなった。
 
やっとの思いでとれたチケットは武道館の2階席だった。私の座席からステージは遠く、オペラグラスを持ってこなかったことを後悔した。同僚や友人の様子を見るに、私ほどスーザンに興味を持っている人はいなさそうなので、一人きりでもじもじと席に座る。プログラムはクラシックコンサートによくある三部構成、スーザン・ボイルは三部のゲスト出演という位置づけだった。一部も二部もしっかり聴いたはずだがあまり覚えていない。退屈だったというより、いよいよスーザンに会えるという緊張が勝って上の空だったのだ。二回目の休憩が終わって第三部がはじまり、オーケストラの前、指揮者の横にスーザン・ボイルが現れた。表情なんてとても分からない、大豆くらいの大きさしかないじゃないか。大豆なんて大げさだ、米粒だ、米粒。一階席で見られる人はいいな……。会場にいる人たちの誰もが緊張していたと思う。動画で話題のスーザン・ボイル、それが今私たちの目の前に立って、おそらく微笑み、静寂を支配して、今にも歌わんとしている。最初の一曲はオーディションの動画と同じ、「夢破れて」。
 
スーザン・ボイルの歌声は、ガラスの鈴のように凛と澄み切っていた。
 
音響の効果のせいだろうか? いや、オペラ歌手のコンサートミュージカルも、規模は違えどちゃんとしたホールで何度か見たことがある。あれは定石と言われるメソッドを体得した、丸みがあり厚みがある歌声だった。あれはあれで素敵だったけれど、スーザンの声とは全く異質なものだ。スーザンの声はマイクを通してよく響いているけれど、屈託がなくて、透明で、触れたら壊れてしまいそうだ。小さな村で生まれ育ち、ずっと歌手になることを夢見ていたスーザン・ボイル。オーディション番組でミュージカル女優のエレイン・ペイジに憧れていると言ったら失笑されてしまったスーザン・ボイル。哀れに思える彼女の境遇が、彼女の歌をこんなにも美しく研ぎ澄ませてくれたのだ。この声、この歌声。動画ではこの魅力の1/10も伝わっていなかった。あのオーディションの審査員も観客もあそこまで喝采を送ったのは、こんなにも美しい声音に包まれたからだったのか。こん名に素晴らしい歌声なのに、動画では伝わっていなかった。観客が騒いでいるからすごいんだろうな、程度の認識をしていたのだと、本物のスーザンの歌声を目の当たりにするとよく分かった。感動を必死に脳内で言語化しているうちに、私は1人でボロボロと泣いてしまい、隣の席の人をドン引きさせた。

 

 

 

すぎやまこういちは、クラシックの素養を持ちつつもポップスやCM曲も手掛けるなど多方面に活躍した作曲家だった。ドラゴンクエストの作曲を担当するようになってからクラシックの活動に力を入れ始めたそうで、同シリーズの曲を交響曲に仕立てて演奏するファミリーコンサートを多数開催してきた。交響曲に仕立てて、と書いたが、本当は順番が違う。すぎやまこういちの頭の中ではまずオーケストラ演奏で曲の構想が浮かび、それをファミコンの3音という絶望的に少ない音数に落とし込んでいったというのだ。だから交響曲版の方が、本来すぎやまこういちの頭の中にあった曲そのままの姿に近いのだ。ドラゴンクエスト以外にもゲーム音楽やアニメ音楽を交響曲風に仕立てて演奏することはあるが、それらはゲーム音楽、アニメ音楽としての曲があり、それらを交響曲にいわば組み替えていくため、どうしても若干の違和感を感じてしまう部分もある。一方のドラゴンクエストの交響曲は、一度聞いてしまうと、初めからそれこそがドラゴンクエストだったのだと記憶がすり替わってしまうほどの自然な仕上がりなのだ。なんならファミコンの3音のBGMを聞いていたって、鼓膜から脳に至るまでのどこかでシナプスが勝手に交響曲に変換してくれる。
 
実を言うと、ドラゴンクエストコンサート自体は小学校低学年の頃に行ったことがある。ドラクエ大好きな兄のために両親がチケットを用意してくれ、私も連れて行ってもらえたのだ。兄が夢中になっているゲームを横で眺めるのが私の日課となっていた。オシャレな服を着せられて、初めて見るステージの上に、たくさんの人がぞろぞろと並ぶ。ぴりぴりと緊張した空気になるが、そこから聞こえてくるのはよく知ったゲームと同じ曲だ! 当時絶対音感があった私はゲームと一音ずれていることが気になったが、それでもワクワクする気持ちが膨れ上がっていくのを感じた。兄も同じだったようで、帰り道は感想を言い合いながら帰ったのを覚えている。でもそれだけなのだ。ドラゴンクエストコンサートに行って、楽しかった、それしか覚えていないのだ。スーザン・ボイル以来、多くはないけれど少しずつ観劇するようになっていろいろなことを感じるようになったのに、ドラゴンクエストコンサートの思い出は、幼すぎて音色まで思い出すことが出来ないのだ。
 
すぎやまこういちの訃報を知った時、私はドラゴンクエストコンサートに行っていなかったことを深く深く後悔した。もちろんオーケストラスコアが存在するので、すぎやまこういち自身が指揮をしなくとも曲を演奏することはできる。だがすぎやまこういちその人の指揮でしかあらわすことができない、まだ言語化されていない何かがあったかもしれないのだ。それはスーザン・ボイルの澄み切った冬の夜のような歌声だったのかもしれない。なんにせよ、私はその機会を永遠に喪ってしまったのだ。
 
動画では伝えきれないものは、それに触れた人の心を打つ。
そして、どれだけ優れた才能を持つ人でも、永遠の命は持っていない。
 
だから、動画を見ていいなと思うアーティストがいて、その人がライブをしていたら、一刻も早くそれを観に行くべきなのだ。
 
すぎやま先生、素晴らしい音楽をありがとうございました。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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2021-10-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.144

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