思い出が琥珀色になる前に《週刊READING LIFE Vol.151 思い出のゲーム》
2021/12/14/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
息を呑む一瞬だ。
右手の親指を軸にして、盤上にしっかりと構えを作る。
人差し指が、心なしか震える。深呼吸して息を整えて揺らぎを止めると、おもむろにその爪先で平たい玉をはじく。ところが、勢いよく滑り出した玉は、狙っていた的玉に当たってくれず、場外ホームランとなってしまった。次の順番の母が難なく的を仕留め、また勝利を収めた。
「じゃ、もう一回やろうか?」
私の悔しげな顔をニヤニヤと眺めた母は、色とりどりの宝石たちを両手にかき集めながら私の顔を窺う。
「やる!」
即答だ。連敗を更新中の私は、何が何でも母に勝ちたかった。母に勝つのは容易ではないけれど、勝ってみたい。勝者になるには、最後に残った玉同士を5回きっちりと当てるところまで行かなければならないが、母が相手だと、どうしてもそこまで行きつくことができなかったのだ。
はじく度に光を受けて輝くのは、「おはじき」だった。若い人にとって、おはじきは随分昔の遊びのような気がするかも知れない。今もおもちゃ屋に売られているのだろうか? 私が数年前に見かけたおはじきは、旅行先でのレトロなお土産屋さんで売られていた。昔懐かしの感があるおはじきだが、幼い頃から我が家では、家族が集まるとおはじきが始まるのが恒例だった。
ルールは至って簡単だ。
まず、おはじき玉を、ザーッと盤上に広げる。
次に、盤上に広がった玉の中から、2つの玉を決める。1つの玉をA、もう1つの玉をBと呼ぼう。このときAとBの間隔は、人差し指が通る幅以上のものでなければならない。
それから、例えばBを的玉とすれば、AからBに向かってはじいて当てる。そうやって開いたAとBを門に見立てて、その間に別の玉(何個でも良い)を通過させる。
最後に、再びAとBをはじき当てる(この動きを「門を閉じる」と言う)。はじいた後の玉たちの間隔もまた、人差し指が通る幅でなければアウトだ。それが認められて初めて、通過させた玉をゲットできる。
そして、最終的に集めたおはじき玉が多い人の勝ちとなる。
はじいた玉が場外に出る。周りの関係ない玉に当ててしまう。はじいても的玉に届かない。指が当たって玉を動かしてしまった。こんな場合は、次の人に順番を譲らねばならない。
シンプルなゲームだが、玉はいつも平面上に広がっているとは限らない。盤上に玉を広げる人の力加減で、積み重なって山状に盛られたようになることもある。将棋崩しのように、積み重なっている玉を崩してしまったときも次の人に順番が渡ってしまうのだ。
おはじきは、屋久島出身の母が、幼少期から大家族の中で遊んでいたものらしい。母にとっては楽しかった幼い頃を思い出す遊びらしく、私たちとおはじきをしている間にも、その頃の思い出話が飛び出してくる。
「おばあちゃんは、凄くおはじきが上手かったんだよ」
今は亡き祖母のことを懐かしそうに語る母。運動神経が良く、祖父よりも活発だった祖母のエピソードは豪快なものが多い。
田舎の開け放たれた家で、食卓にあった魚を狙う猫を追い払う時に、「シャーッ!!」とほうきを持って威嚇した場面を母が再現したときには、その勢いの良さに吹き出した。そういえば、私たちが島に行ったときには、何玉も大きなスイカを買ってきて、「全部食べなさい」と到底食べきれない量を、お皿どころではなく何枚ものトレイの上に並べていたっけ。そんな反面、可愛らしいところもあった祖母はとても自然体で、人間くさい人だった。
母は、6人きょうだいの内5人が女性という女系家族だった。祖母を筆頭に女性の勢いが強く、配偶者のおじさんたちは皆穏やかで優しい人たちだ。田舎へ戻れば、集まった母たちきょうだいのボルテージは上がり、こちらが圧倒されるほどだ。皆、声が大きく、あっけらかんとハッキリとモノを言うところは、祖母譲りなのだろう。この人たちが集まっておはじきをする姿は、きっと壮観に違いなかった。その中で揉まれてきた母が強いのも頷けるのだ。
母の技の中で、私が真似できないものがあった。それを私たちは「後ろはじき」と呼んでいた。他にも凄い技はあったが、特にそれは祖母直伝の技らしく、ちょっとやそっとでは会得できないものなのだ。
通常は、人差し指で前にはじくことの多いおはじきだが、後ろはじきは、中指の方向へと、人差し指の腹を親指ではじいた勢いを利用する技だ。人差し指をはじいた親指が中指の下へと沈み込む瞬間、親指の腹で手元の玉をはじくのだ。他の指を支点にせず浮かせた状態ではじくことが多いので、どうしても力の入れ具合が不安定になり勢いがつけづらい。
例えば、サッカーで真っ直ぐゴールに向かってドリブルするところを、ディフェンス側に後ろ足でバックパスするような動きだと言えば想像がつくだろうか。ただ、おはじきの場合、相手がボールの行方を追って受け取ってくれるサッカーとは違い、的玉に確実に当てなければならないのだ。
前方に真っ直ぐはじいて当てるのでさえ、周りの玉に当たれば失格となるので、はじいた後の玉の行方をシュミレーションしながら慎重にならなければならない。ところが慎重になり過ぎても、今度は勢いが足りず的玉まで届かないこともある。それを後ろはじきで確実にやってのける母は、やっぱり踏んできた場数が違う。
後ろはじきができないことが悔しくて、私は何度も練習してみた。たまには、まぐれで当たることもあった。けれど実戦になると、練習の時より肩に力が入ってしまうせいか不発に終わることが多かった。その度に勝者の余裕からかニヤリとする母の顔を見ると、また私の負けん気がムクムクと頭をもたげ、さらに闘志に火をつけた。
中学生になると、私も反抗期に入った。相変わらず、おはじきは我が家の定番ではあったけれど、私はちょっと斜に構えるようになっていた。そんなものに夢中になって、バカみたい。一応参加はするけれど、以前のように闘志をむき出しにすることは抑えた。
母が、小学生の妹に後ろはじきを教えていた。どうせ、練習したってできるようになんかならないんだから。冷ややかに、その様子を横目で眺める。父は、私たちのスタンスとはちょっと違う。家族団欒の一つとして参加していて、4人の中で唯一勝敗を気にしている様子はなかった。ごつごつした指で不器用にはじきながら、私たちのゲームの行方を笑顔で見守っている。
そのときだった。
「あ、できた!」
妹が、嬉しそうに叫んだ。本番で、妹が後ろはじきを成功させたのだ。母のように完璧な形ではなくぎこちなかったけれど、妹は的玉に当てることができたのだ。
そんなに妹があっさりできてしまうと、私の立つ瀬がない。涼しい顔をして眺めていた私は、俄然真剣になった。今まで私の後を追いかけてばかりいた3つ年下の妹に、追い越されるわけにはいかない。ピリピリと、私の顔に緊張が走った。
反抗期に入ると、親のちょっとした言動にイライラし、特に同性である母を見る目は厳しくなっていた。母もキッパリハッキリして自分の考えを曲げない人だったから、そんな私の機嫌を取るようなことは一切なかった。分かってほしいのに拒絶されているように感じていた時期だったが、そんな思いもおはじきの時だけは鳴りを潜めざるを得なかった。つっけんどんにモノを言ったりはするけれど、やっぱり上手くなりたいという思いには抗えなかった。そして、おはじきでは、母は私の絶対的な師匠なのだ。反抗期特有の反発心を封印して、師匠の技を見て盗まねばならないのだ。
ザーッ、ジャラ、ジャラ。母の両手から、キラキラと光る宝石たちがこぼれ出た。ゲームが再び始まった。盤上に散らばった玉をどう攻略しよう。今度は、母だけでなく妹にも負けたくなかった。もう斜に構えている場合ではなかった。
玉を1つはじく度に、フーッと大きく深呼吸して体勢を整える。真剣勝負だ。いやに手の汗が気になった。だんだん減っていく盤上の玉に焦り始めるが、相変わらず余裕の母は次々と玉を獲得していく。
私の番になった。残り少ない玉たちは、間隔が狭く厄介な広がり方をしていた。前にはじけば、間違いなく周りの玉に当たってしまう。今こそ、後ろはじきをやってみるときではないのか? 焦りと不安で、手がじっとりと湿った。テーブルをぐるりと回って、見る角度を変えながら玉の状況を把握する。
やはり、後ろはじきだ。一か八かやってみなければ勝ち目はない。的玉に狙いを定めると、私の親指はしなりを打って、手元の玉を後ろにはじいた。緊張で指が滑りそうになったけれども、私がはじいた玉は的玉に向かって滑っていった。
カチッ。わずかに音を立て、玉同士が門を開いた。初めて、後ろはじきが本番でまともにできた瞬間だった。けれど、ここで喜ぶのはまだ早い。門の間に他の玉を通過させ、再びはじいて門を閉じなければ玉の獲得にはならない。
はやる気持ちを抑えつつ、ポーカーフェイスで的玉に向かって玉をはじく。そして門を閉じたとき、思わず私の顔が緩んだ。でもそこは反抗期、素直に喜びを表すことに抵抗があった。グッと眉間に力を入れると、何でもなかったようなフリをした。
獲得した玉を自分の後ろに置くために、テーブルに背を向けるともう我慢できなかった。自然と口元が緩み、鼻がひくひくした。後ろを向いているからと、私は油断していた。
「そんなに笑った顔、久しぶりに見たよ」
母の声にギョッとして、振り向いた。何と私の後ろには窓ガラスがあり、後ろを向いた私の顔はキレイに反射して母に見えていたのだった。もう、ポーカーフェイスは取り繕えなかった。またもや鼻がひくひくと動いて、顔がほころぶのを止めることはできなかった。
思えば私の短い反抗期は、このことがあってから静まっていったように思う。おはじきに揺さぶられれば、私の中二病などあっけないものだった。どうしたって、隠した感情が丸裸にされてしまうのだ。
それからも、私の家族の間では、おはじきは特別なゲームだった。結婚してからも、実家に集まると、たまにおはじきをした。私の娘は、私が仕事で実家に預けられたときに母からおはじきを教わったようだった。
「ばあば、おはじき凄く上手だよ」
母の技の数々を見て、すっかり魅了された娘だった。普段はゲームソフトに馴染んでいた娘ですら、シンプルで老若男女が楽しめるおはじきが新鮮に映ったようだった。今でも正月などに私の実家に行くと、やってみたいなどと言う。娘は私の祖母から数えて4代目になるが、私の母が語る思い出話込みで、しっかりと我が家のおはじきの歴史を感じているようだった。
でも、ふと考えた。母はもう少しで80歳になる。もし母がいなくなれば、後ろはじきを含む技の数々を我が家で伝える人がいなくなるのだ。未だに、私は母の技をしっかりと会得できていない。一家相伝のように大したものではないけれど、できる人がいなくなるのは残念だ。それに我が家にとっておはじきは、家庭に伝わる味のように、大事な家族の思い出を運ぶバトンのような役割も果たしていたのだ。
これは、おはじきをただの思い出として風化させないためにも、私が我が家の次の世代に伝える技を会得しなければならないのではないかという気がしてきた。不器用なことは承知しているが、少しでも母の技を受け継いで次に繋ぎたい。そんな使命感めいたものが芽生えたことを母に告げたら、きっと母はまたニヤリとほくそ笑みそうだ。
□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。
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