週刊READING LIFE vol.153

30年来のお守りは漢方薬《週刊READING LIFE Vol.153 虎視眈々》


2021/12/27/公開
記事:笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
夜明け前の午前4時。鋭い胃痛で目が覚めた。どうやら極度の胃もたれのようだ。
原因は自覚している。昨夜は夫婦ともに残業で帰宅が遅くなり、夕飯は中華料理のテイクアウトだった。21時過ぎに餃子とチャーハンを勢いよく掻っ込んだ。慌てて食べたせいか、食後は睡魔に襲われ、その後1時間足らずで眠ってしまった。
齢50を迎えた体の内臓機能は少しずつ衰えている。
「数年前はこの程度ならへっちゃらだったのになぁ」と後悔しても始まらない。
 
「やばいぞ。このままでは明日、出社できない。あと数時間で治さないと」
ベッドから起き上がり、フリース素材の上着を羽織り、台所に向かった。おもむろにお湯を沸かした。そしてリビングに向かった。タンスの引出しを漁った。幸いオレンジ色の箱に入っている常備薬はすぐ見つかった。
 
小粒の常備薬20錠を白湯と一緒に口に含んだ。ちびちびと3回に分けて喉を通した。
胃の壁に万遍なく薬が行きわたるようイメージしながら飲んだ。
「ひとまず、これで様子をみよう」
不安な気持ちのままベッドに戻った。胃の中にうっすらした温かみを感じ取りながら目をつむった。
次の瞬間、目覚めると朝6時になっていた。目覚めるとさきほどまでの胃痛はすっかり解消していた。
 
我ながら夜半に起きて、常備薬を服用した判断は正解だったと満足した。
そして、改めて「さすが、いざという時はやっぱり常備薬が頼りになるな」と実感した。
その日はいつも通り、出社し元気に仕事をすることができた。
 
私には年に1回程度、お世話になっている常備薬がある。
その薬とは「御岳 百草丸」である。
御岳とは長野県と岐阜県の県境の御岳山のことだ。御岳山の麓で製造されている胃腸薬だ。
百草という名の通り、複数の生薬を配合しており、和漢胃腸薬と称している。
製造元は長野県製薬株式会社といういかにも歴史がありそうな社名の企業だ。
 
私は18歳で一人暮らしを始めてからこの百草丸を常備薬として持ち続けてかれこれ30年以上経つ。その間、何度も引っ越し、部屋の大掃除や断捨離など繰り返してきたが、30年以上にわたり百草丸はずっと我が家のタンスにしっかり収まっている。
 
幼少のころから百草丸には馴染みがあった。いつも実家の台所のテーブル脇に置いてあった。毎晩、晩酌をする父親の常備薬だった。私の胃弱は父親譲りのようだ。
オレンジ色の小箱の中には縦5cm程度の何の変哲もない茶色の遮光瓶が入っている。小瓶の中には一見、仁丹によく似た小さな黒い粒状の薬がたっぷり入っていた。
子供の頃は、大人になったら飲む薬だと思っていた。
 
高校を卒業し、上京することになった。初の一人暮らしが始まる。家具や家電品をそろえた。その他、身の回りで必要な小物類もそろえる必要がある。
そこで自宅にある使えそうなモノはなるべく持ち出そうと考えた。親に内緒で何か役に立ちそうなものを持ち出そうと思った。こそっと持ち出せるなるべく小さなモノを選んだ。そして2つのモノを引越し荷物の段ボールのすき間に忍ばせた。無事、持ち出しに成功した。
 
その2つのモノとは、ひとつは爪切り。そして、もう一つが「御岳 百草丸」だった。
なぜ、百草丸を選んだのかは思い出せない。上京するワクワク感と裏腹に都会へ旅立つことに対して不安もあり、18歳の青年なりに常備薬は必要だと思ったのだろう。
 
一人暮らしが始まった。大学生時代は実家から持ち出した「百草丸」の出番は全くなく、ずっとタンスの肥やしになっていた。
 
大学を卒業し、社会人一年目を迎えた。会社の独身寮でもタンスの中に百草丸は収まっていた。ただ、一向に服用する出番はなかった。
社会人1年目の冬、阪神淡路大震災が起きた。その翌月、田舎の母親から宅配便が届いた。
箱を開けると縦50センチ、幅30センチ程度の白い厚手のビニールの巾着袋が出てきた。袋には赤く楷書体で「非常用品」と書かれていた。最近の防災グッズは洒落感があるが、この当時は色気のない非常用品だった。背負って逃げ出すにも抵抗感があるデザインだった。
巾着袋の中身を取り出してみた。懐中電灯、ミネラルウオーター、割りばし、紙コップ、サランラップ、包帯、ガムテープ……様々の防災グッズが入っていた。
 
その中にひときわ目立つオレンジの小箱があった。それは「御岳 百草丸」だった。
「あれ、4年前に実家を出る時に持ち出した百草丸が全く手を付けずそのままタンスにあるのに……」
18歳の私が選りすぐって持ち出したモノと全く同じモノを母親も選んでくれたようだ。
やはり親子は考えることは同じなんだなぁと感じた。
 
こうして、独身寮のタンスの中には2つの百草丸が収まった。
その後も相変わらずタンスの肥やしだった。
 
ただ、30歳を過ぎた頃、百草丸にお世話になる事が出てきた。
当時、仕事のストレスを抱えながら不摂生を続けていたこともあり、ある朝、急に胃痛に見舞われた。近くの医院に駆け込んで診察し、とりあえず飲み薬を処方してもらった。だが、薬が合わなかったのか、一向に痛みは治まらない。
 
その時、ふと百草丸のことが頭に浮かんだ。昔、父親が胃痛になるといつも百草丸を飲んでいる姿を思い出した。果たしてタンスに10年以上眠っている胃腸薬の効き目があるのか不明だったが、2箱も眠らせておくのももったいないと感じ、思い切って飲んでみた。
この日が百草丸デビューになった。飲み終えて、痛みに耐えながらベッドに横たわっていると徐々に胃痛が緩和されていった。その夜はそのままスーッと眠りに入り、翌朝、快適に目覚めた。
 
その後、数年に1回程度、少し無理な生活をすると胃痛になることがあった。
このような時は迷わずタンスの中から百草丸を取り出し、服用してみた。数時間経つと胃痛はすっかり治まった。
 
30歳半ばになると、しばしば海外旅行などに行く機会が増えた。
旅行ガイドブックの持ち物リストにはきまって常備薬とある。パスポートのコピーと一緒に百草丸を旅行バッグの貴重品を格納するポケットに忍ばせるようになった。
こうして百草丸は私の常備薬になっていった。

 

 

 

 

それから年月が経った今年、ある有名人がメディアで百草丸のことをコメントしている記事を見た。
「百草丸って、あの御岳 百草丸のこと? 一瞬、目を疑った」
有名人とはライター業をはじめ様々な分野で幅広く活躍する高城剛さんだ。半信半疑で記事を読み進めると高城さん曰く、「精神状態が不安定な時は、いつも百草丸を飲んで元気を取り戻す……アメリカで有名なサプリメントのリローラと同じ成分が含有されているから……」とのことだった。
 
百草丸の主な成分はオウバク(和名:キハダ)という樹木から生成した生薬である。
百草というくらい、たくさんの草を煮詰めて製造される。オウバクを主成分とし、5種類程度の草を煮詰めて製造されている。
高城さんは、健康管理に気を遣うことで有名で何種類ものサプリメントを愛用している。
世界を股にかけて活躍する高城さんは、百草丸をサプリ代わりにして数々のストレスを乗り切っているようだ。
 
ついでにネット検索をしてみると、第2類医薬品の御岳 百草丸は大手ネットショッピングサイトでも多く販売されていることを知った。口コミを見ると3歳くらいの幼児も服用しているらしい。
 
正直、意外に思った。単なる岐阜の田舎の胃腸薬だと思っていた。地域ローカルだけの知る人ぞ知る胃腸薬だと思っていた。
 
それから、改めて百草丸について調べてみた。
するとかなり歴史が古いことが分かった。
主成分であるオウバクは古くは縄文時代の遺跡にも形跡があるようだ。
 
御岳山は日本の山の中でも古くから山岳信仰の対象としてよく知られている。日本三大霊山のひとつにも数えられるほど、古くから修行僧が信仰のために登山をしてきた。
登山をする際、修行僧は百草丸を常備薬として持ち歩いた。
御岳山で信仰登山をしていた修行僧は麓の村人たちに大いに世話になった。そこで修行僧は村人たちへの恩返しとして百草丸の製法を村人に伝授した。
これをきっかけに麓の村人たちは百草丸の製造を始めた。
 
また明治から昭和初期にかけては、日露戦争や満州事変などの数々の戦争において、兵士の常備薬になっていたようだ。
 
その後、年月を経ても、御岳山の麓では百草丸の製造が脈々と受け継がれ、百草丸を製造する組合ができた。その後、法人化し、現在の長野県製薬株式会社につながっていった。

 

 

 

 

私は、子供のころから占いもおみくじも信じないタイプだ。神社のお守りすら買わない。どちらかというと唯物論系の人間だ。
ただ、この百草丸だけは例外だ。
これまで30年以上の長きにわたるパートナーであり、またお守りのような存在でもある。
これからも百草丸とは長く付き合い続けることだろう。
 
この冬、衣替えに合わせて部屋の中を断捨離した。非常用具の巾着袋は20数年経ちかなり経年劣化していた。これを機に巾着袋を処分し、中身を新しいリュックサックに詰め替えた。
タンスに保管していた百草丸の瓶のひとつをリュックサックの貴重品用のポケットに収納した。
非常用具にお守りが入った。これでひと安心だ。
 
2014年秋の御岳山大噴火の惨事は記憶に新しい。麓の百草丸の生産地も心を痛めただろう。
あれから7年が経ち、登山客も戻っている。
次回、帰省する際には少し遠回りをして御岳山の麓の百草丸の生産地に足を踏み入れてみようかな。
もちろん、遠出する際の荷物には常備薬の「御岳 百草丸」を忍ばせて……
 
 
 
 
(注:文中に製造後、相当年数が経過した薬の服用の表現がありますが、服用の際は消費期限をよくご確認の上、自己責任にて服用してください)

□ライターズプロフィール
笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

岐阜県生まれ。東京都在住。
ふとした好奇心で21年4月開講のライティング・ゼミに参加。これがきっかけで、気づいたら当倶楽部に迷い込んでしまった50歳サラリーマンです。謙虚で素直な気持ちを忘れずに、実践を積んでまいります。

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2021-12-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.153

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