【文豪の心は鎌倉にあり 第9回】小説家のスケールを超えた文士・大佛次郎 後編《天狼院書店 湘南ローカル企画》
2022/01/31/公開
記事:篁五郎(たかむら ごろう)(READING LIFE編集部公認ライター)
《前編はこちら》
『鞍馬天狗』シリーズで知られている大佛次郎はネコ好きとしても有名です。生前自宅で500匹のネコと暮らしていました。鎌倉文士の代表的な人物の一人であり、多くの作品を世に残した歴史に名を刻む作家です。その大佛と鎌倉との関わり、「鞍馬天狗」シリーズ以外の代表的な作品について鎌倉文学館館長で文芸評論家の富岡幸一郎先生にお話を伺いました。
横浜には大佛次郎の生まれ故郷でもあり、代表作の一つである『霧笛』(新潮社)の舞台にもなった大佛次郎記念館があります。今回はご厚意で大佛次郎記念館の隣にあるティールーム霧笛で館長からお話を伺い、館内を見て回りました。
※記念館の館内は写真撮影禁止です。今回は特別に許可を得て撮影をしています。
語り手:富岡幸一郎
昭和32年(1957)東京生まれ。54年、中央大学在学中に「群像」新人文学賞評論優秀作を受賞し、文芸評論を書き始める。平成2年より鎌倉市雪ノ下に在住。関東学院女子短期大学助教授を経て関東学院大学国際文化学部教授。神奈川文学振興会理事。24年4月、鎌倉文学館館長に就任。著書に『内村鑑三』(中公文庫)、『川端康成―魔界の文学』(岩波書店)、『天皇論―江藤淳と三島由紀夫』(文藝春秋)等がある。
鎌倉文学館HP
http://kamakurabungaku.com/index.html
関東学院大学 公式Webサイト|富岡幸一郎 国際文化学部比較文化学科教授
https://univ.kanto-gakuin.ac.jp/index.php/ja/profile/1547-2016-06-23-12-09-44.html
http://kokusai.kanto-gakuin.ac.jp/teacher/comparative_culture/tomioka-koichiro/
〇「天皇の世紀」はこれを書くために作家になったと言っていいくらいの傑作
大佛さんの歴史小説で一番の代表作は『天皇の世紀』(朝日新聞社)だと思います。この小説は大佛が70歳の時から書き始めた作品です。昭和42年から朝日新聞で連載がスタートし、最晩年はガンと戦いながら亡くなる75歳まで発表してきました。
新聞連載で1555回に及び、朝日文庫で全17冊にもなる超大作です。私はある時期に全部読んで物凄い作品だと感動したのを今でもはっきりと覚えています。
時代は幕末維新の動乱期なんですけど、最初にペリーの艦隊が浦賀に入ってくるところからスタートします。第一巻が黒船到来からで一番最初の「序の巻」では京都御所に作者である大佛次郎がそこを訪ねます。基本的には資料を駆使した時代小説なんですけど、実は時折、作者の「私」が出てきます。
『序の巻』では、京都御所を訪ねて明治天皇がお生まれになったときに使った井戸があるのですけど、そこを「私」が訪ねるところからスタートです。それと非常に不思議なのがタイトルです。「天皇」と「世紀」が一緒になっていますよね。「世紀」というのは「西暦」だから「1999」とか今年なら「2022」ですよね? でも天皇は「昭和」とか「令和」とかの元号です。この小説は、明治天皇の誕生から始まって、黒船到来によって太平の世が破られる歴史から始まりますので日本の近代化、幕末維新の歴史を描いたものといえます。大佛次郎は高杉晋作を「徳川相手のこの戦争を戦うために生まれてきた人間」と評価しています。
私はね、大佛次郎は『天皇の世紀』を書くために作家になったのだと思います。だからこれだけの長い作品を書き続けたのでしょう。文学者の目で歴史の資料を選ぶのは『パリ燃ゆ』(朝日文庫)と同じなのですけど、それを非常に力強い明晰な文章で書いています。資料の言葉を基にして、そこから歴史の真実のエッセンスを引き上げる時の文章の強さがすごく素晴らしい。作家の歴史に対する思い込みとか解釈を押しつけずに資料から真実の姿を語らしめるところが凄いんです。
〇幕末当時の日本人の文体と大佛の表現力が融合してハーモニーが起きる
『天皇の世紀』では、当時の人の文章として武士や公家、商人、歌舞伎役者が語って残したものなど多くの人の資料を使っています。それを引用しながら地の文で時代を表現しています。すごく面白いのがですね、引用した当時の人の文章も非常に表現力が高かったことです。士農工商で身分も違えば立場も違うし、文体も違うけど、日本人の言語表現能力の高さと多様性、個性がこの本からも非常に伝わります。それらの文体が大佛次郎の言葉と相まって一つのハーモニーとして描かれています。吉田松陰についての箇所がありますので読んでみましょう。
《 燃えるような熱意に私心なく身をゆだねる人間の典型を若い者たちは、この先生(吉田松陰)に発見した。サンソム(イギリスの外交官で日本研究家)が、なぜ松陰が同時代人の心に強い影響力を及ぼしたのか外国の研究者にはほとんど理解しにくいと言ったのは当然なのである。日本人ならばこれが解るとも最早言えないのである。まだ一部の貧しい武士たちの間に、その貧しいことの故に実際的な打算や私意のなかった倫理的に高貴な時代に日本がまだ在ったことも原因の一つであろう。これは、点々と自然発生した野火の如きものであった。燃え立って他に発火を誘いながら自分は燃え尽きて灰となって地に鎮まって行く。更にまだ若い日を、松陰があてもなく全国を歩きまわり、次々と師を求め、大きな渇きのように自分たちの当面する問題の解決を求めたのと同じく、学者でもない全国の青年たちが何か不明のものに動かされ、遠国(おんごく)に人を訪ねたり、漫然と京都に出てくるようになっていた。
松陰は、一か所に落着くことを知らぬ魂の原型であった。至誠を以て臨めば、かなう者はないと門人たちにいつも言い聞かせた。自分も心を集中させるものを求めている。それは師匠と弟子と、あまり年齢に相違がないことがあっても不思議ではない時代であった。勝因はその人たちを「あなた」とていねいに声をかけたと言われる。弟子入りして来た者に挨拶するのにも「御勉強なされられい」と優しく告げたもの、と門下の一人が話している。人には優しいが自分は燃え尽きて行くきびしい炎の塊であった》(大佛次郎『天皇の世紀』より引用)
吉田松陰のことをこう書いています。松陰の魂を実に見事に書き表していますよね。『天皇の世紀』の特徴はヒーローが描かれているわけじゃないんです。登場人物が4000人もいます。歴史を動かすのはヒーローではなく、目立たない無名の人々だというのが大佛の主張です。地の熱というのが時代を変えていくんだと述べています。それこそが大佛次郎の歴史文学の特徴です。小さき者、目立たない者、無名の人と吉田松陰もその一人として描かれているんです。「野火」のごとき者が命を燃やして歴史を動かして時代を変えていくというのが『天皇の世紀』の特徴です。
〇「司馬史観」と反対の方法で歴史を描く
これは司馬遼太郎と対極の主張ですよね。司馬遼太郎は「司馬史観」と言われるような歴史小説を書いています。これは戦後のマルクス主義や唯物史観とか左翼的なものに異を唱えて、日本の歴史の見方を一つ確立しました。ただ、司馬遼太郎の小説には必ずヒーローがいるんです。『燃えよ剣』(文藝春秋新社)なら土方歳三、『花神』(新潮社)なら大村益次郎、『龍馬がゆく』(文藝春秋新社)なら坂本竜馬とかね。いわゆる幕末の英雄をヒーローとして歴史を切り取っていくやり方です。
大佛次郎はその方法を取らずに、今お話したような方法で書いています。ですから、この大作を読んでいると、一つの民族のエネルギーがいかに時代を動かしていたのかというのを強く感じると思います。恐らく日本文学にとってとても重要な作品です。残念ながら非常に長いのと、文庫本で一時期絶版になったせいで作品を通読する機会が少ないのが非常に残念です。一人でも多くの方に読んでもらいたいと思います。
恐らく幕末維新の日本人の姿は、平成から令和に移るにつれ、我々が失ってしまったものがことごとくここに書いてあり、なんで日本人がこんなにだらしない民族になったのかを知らしめてくれます。もし、その自分たちがもう少しまともな民族でありたいなら『天皇の世紀』のような本を読んで、そこにある生き方や精神を見直してもいいんじゃないかと思います。
〇百年後に「太平記」や「平家物語」を超える扱いを受けると書き残す
幕末はご存じのように結局西洋列強の帝国主義の鉄の輪が日本を植民地にするような危機的な状況でした。林房雄の『大東亜戦争肯定論』(中公文庫)で、大東亜戦争は東亜100年戦争だと言いました。つまり幕末に西欧列強が現れて以来、長い一つの戦いであったということです。日清戦争や日露戦争でも戦闘には勝っても、戦争には負け続けていたと林房雄が語っていた。この林房雄の肯定論にも大佛次郎の『天皇の世紀』(朝日新聞社)を読み比べてみても面白いと思います。
林房雄は黒船到来とともに日本の国学とか日本思想が鍛え直されたと言っています。襲来によって水戸の攘夷思想とか藤田東湖の国体論が出てきた。そういったことも実は大佛次郎も書いています。ただ、水戸学などが持っている非常に激しい攘夷思想については、思想というよりもある種の「感情」とか「感動」に人は動かされやすいと書いています。だから藤田東湖が言っているように「正気(せいき)」について書きながら、同時に冷静な見方をされています。その辺りも比べてみるのも面白いかもしれませんね。
(※大佛次郎記念館の館内は写真撮影禁止です。今回は特別に許可をもらって撮影しています)
今の日本のリベラル的な敗戦の見方でもなく、日本肯定論でもなくて資料から組み上げていって歴史の真実を描こうとしているところに『天皇の世紀』というのは最大の読み所があると思います。未完のまま最後はガンで亡くなってしまうけど、もう少し長生きしていたら戊辰戦争の最後まで書いていたと思います。もしかしたら函館戦争までいったかもしれないし、もう少し先も書いたかもしれません。ただ文庫で17冊もあり、黒船到来から攘夷運動、奇兵隊、大政奉還、江戸城開城まで描いていますから、ほぼ幕末の歴史は網羅していると言っていいと思います。亡くなる2ヶ月前に兄の野尻抱影(のじり ほうえい)に宛てた手紙にはこう書いてありました。
「日本の小説家程度の頭では理解困難なのです。百年後には、日本文学で太平記や平家物語よりも上の扱いを受けるでしょう。かつてなかったものです」
大佛次郎は自分の作品を過大評価するような人ではありません。その人がここまで書くのは凄いことです。この歴史小説は、大佛さんが残したように日本文学1000年の歴史の歳月で読み継がれるべき作品だと私も思います。日本にとって非常に大事な作品だと言っていいくらいです。
大佛次郎は若い頃から多くの作品を残してきたし、大衆小説も書いてきたし、フランスを題材にしたものも書いてきた。最後に近代日本の原点である幕末をもう一度描いた。大佛さん以外に、この時期を描いたもう一つの有名な作品としては島崎藤村の『夜明け前』(新潮文庫)があります。これも素晴らしい作品です。だからいくつか幕末維新とは何かを考えるとき、つまり日本の近代150年を考えるときに林房雄、島崎藤村、そして大佛次郎の作品からもう一度見てみると面白いと思います。
2021年3月に出版された私と佐藤優さんとの対談本『危機の日本史 近代日本150年を読み解く』(講談社)では、島崎藤村の『夜明け前』をテキストとして解読しました。『天皇の世紀』は出さなかったけど、是非読んでもらいたい作品です。
鎌倉文学館で100人展をやったときに少し書いたのですけど、「文士」の言葉の由来は、昭和に入ってきた作家や評論家が「文學界」という雑誌を作ったことがきっかけです。でも、そういう時代の中で自由な言論を勝ち取ろうという気概が「文士」という言葉の中にあります。
おそらくそれは鎌倉幕府の侍というのが鎌倉で生まれ、太平記でいう「弓矢の家に生まれたる者は命を惜しまず名を惜しめ」という独立自尊の精神を武士だとすると時代を経て、どこがで引き継いでいて、武士と文士が繋がっているのと思います。その中で大佛次郎は、最も文士という言葉の響きにふさわしい文学者だと感じます。そういう意味でも今日的に重要な作家です。もっと読まれていいし、せっかく大佛次郎記念館にも来てもらって彼の空気や実像を知ってほしいと思います。(終わり)
※大佛次郎記念館では2022年1月6日から4月17日まで「写し、写された大佛次郎「文士は必ずカメラを持て」を展示しています。大佛次郎愛用ライカⅢf、大佛家アルバム帳の他、大佛が撮影し、メディアに掲載された写真、写真家による大佛の肖像を、大佛家に残された旧蔵写真を中心に展示しています。
【入館料】一般200円 団体(20名以上)150円
・横浜市在住の65歳以上の方 3月まで無料 4月以降100円
・毎月第2・第4土曜日は高校生以下無料
・毎月23日は「市民の読書の日」につき、高校生以下無料
・障がい者手帳をお持ちの方とお付添の方1名は無料
詳しくは大佛次郎記念館HPにてご確認ください。
URL:http://osaragi.yafjp.org/
(文・篁五郎、写真・山中菜摘)
〇大佛次郎の歩み
1897年(明治30年):10月9日横浜市英町1丁目10番地(現・中区)に野尻政助、ギンの三男二女の末子として生まれる。本名、清彦。長兄正英は、星の文学者として活躍した野尻抱影。
1917年(大正6年):前年より雑誌に連載していた習作「一高ロマンス」を処女出版。
1918年(大正7年):一高を卒業。東京帝国大学法科大学政治学科に入学。
1921年(大正10年):原田登里と結婚。東京帝国大学卒業。鎌倉に移り住み、女学校の教師となる。ロマン・ロランの翻訳書を出版。菅忠雄らと同人雑誌「潜在」を創刊。
1924年(大正13年):大佛次郎の筆名を初めて用い「隼の源次」を執筆。つづいて鞍馬天狗の第一作「鬼面の老女」を発表、映画化される。
1926年(大正15年):初めての新聞連載小説「照る日くもる日」を発表。
1927年(昭和 2年):「少年の為の鞍馬天狗角兵衛獅子」を発表。また、画期的な時代小説「赤穂浪士」を世に送る。
1929年(昭和 4年):鎌倉市雪ノ下の新居に移る。
1930年(昭和 5年):フランス第三共和政に材を得たノンフィクション「ドレフュス事件」を発表。
1931年(昭和 6年):現代小説「白い姉」を発表。この頃より10年間、横浜のホテル・ニューグランドに仕事場を置いた。
1945年(昭和20年):敗戦直後に成立した東久邇内閣に招請され、参与となる。将来の日本を展望した進言がなされた。
1946年(昭和21年):苦楽社を創立、雑誌「苦楽」を発刊。童話「スイッチョ猫」発表。
1952年(昭和27年):戯曲「若き日の信長」が、市川海老蔵(のちの十一世團十郎)主演、菊五郎劇団で上演される。以後、市川海老蔵を主演に考えた数多くの戯曲を書き下ろす。
1958年(昭和33年):随筆「ちいさい隅」の連載始まる。自然や環境破壊に対する社会的提言が多くなされた。
1961年(昭和36年):フランスに渡り、パリ・コミューン関係の資料を収集。「パリ燃ゆ」を発表。日本文学と郷土文化の向上に貢献した理由により神奈川文化賞を受賞。
1965年(昭和40年):「パリ燃ゆ」の完結と多年にわたる文学向上の業績により朝日賞を受賞。
1967年(昭和42年):絶筆となった史伝「天皇の世紀」の新聞連載始まる。
1973年(昭和48年):4月30日東京・国立ガンセンター病院にて75歳で死去。
※「大佛次郎記念館HP(http://osaragi.yafjp.org/osaragijiro/)より引用」
□ライターズプロフィール
篁五郎(たかむら ごろう)(READING LIFE編集部公認ライター)
神奈川県綾瀬市出身。現在、神奈川県相模原市在住。
幼い頃から鎌倉や藤沢の海で海水浴をし、鶴岡八幡宮で初詣をしてきた神奈川っ子。現在も神奈川で仕事をしておりグルメ情報を中心にローカルネタを探す日々。藤沢出身のプロレスラー諏訪魔(すわま)のサイン入り色紙は宝物の一つ。
□カメラマンプロフィール
山中菜摘(やまなか なつみ)
神奈川県横浜市生まれ。
天狼院書店 「湘南天狼院」店長。雑誌『READING LIFE』カメラマン。天狼院フォト部マネージャーとして様々なカメラマンに師事。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、カメラマンとしても活動中。
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