週刊READING LIFE vol.213

「客室乗務員である前にひとりの人間である」と思えるようになるまでの「鎧」の脱ぎ方《週刊READING LIFE Vol.213 他人の人生》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/5/1/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
昔から「男は敷居を跨げば七人の敵がある」と言われているが、女だって同じだ。「女性だから、愛想良くにこやかに」「日本人だから、礼儀正しく遠慮深く」などと、周りが期待する「あるべき姿」という見えない敵がある。何を言われても自分の気持ちをグッとこらえ、笑顔でいるしかないこともある。だから、鉄壁の鎧を身にまとい、感情を押し殺す。そうしているうちに、自分の心の叫びも聞こえなくなってしまうこともある。
 
外資系航空会社で20年以上客室乗務員を務める明子さんも、そんな鎧をまとった女性だった。ショートヘアがよく似合い、少女のような可愛らしさを漂わせながらも、キリッとした目元には、芯の強さがうかがえた。
 
女性が憧れる職業の上位にランクされる客室乗務員。いつも笑顔で、質の高いサービスを提供してくれる接客のプロだ。その客室乗務員になる夢を叶え、外国でキャリアを積んでいる明子さんの人生は、傍からみたら人も羨む順風満帆な人生だ。
 
「でも、私はちっとも幸せを感じていませんでした。いつも愚痴ばかり言っていました」
 
明子さんはそう言って、白い歯が印象的な笑顔を浮かべながら、当時のことを振り返ってくれた。
 
 
1.やりたいことを見つけたきっかけは「恩師の言葉」だった
 
「僕ね、香港人の奥さんの家へ里帰りするとき、いつも日本の航空会社を使うんだ。日本人のサービスはとても素晴らしい。もてなしの心は本当にすごい」
 
大学時代の留学先で耳にしたアメリカ人恩師のこの言葉が全ての始まりでした。彼は日本に滞在した経験はなく、会ったことのある日本人といえば、目の前にいる私と、日本への飛行機で出会った客室乗務員くらいのはずでした。それなのに、こんなに日本人のことをほめてくれる。「誰と出会うかで、国の印象にこれほどの影響を与えるのかと思うと、客室乗務員という仕事はすごい仕事なのかもしれない」と思いました。
 
それまでの私は、自分が何をしたいのか分からないままでした。「自分を見つめ直したい」という目的もあって留学したのに、1年経って帰国を間近に控えた時になっても答えは見つからないままでした。でも、この恩師の言葉で「客室乗務員になりたい」という思いが湧き上がってきたのです。
 
航空会社への入社を目指した就職活動は苦労しました。何社受けたか覚えていないくらいです。「もう私はやり切った。全部出し切った。これでダメだったら、他の業界へ就職してキャリアを積んでから、航空業界に再挑戦しよう」と頭を切り替えた矢先、オーストリアの航空会社に採用され、現地へ単身渡ることになりました。不安よりも期待の方が大きくはありましたが、実際に仕事に就いてみると苦しいことが多くありました。
 
 
2.接客に対する考え方の違いで衝突
 
私は、自分に期待されているであろう「日本人らしさ」を大切にしたいと思っていました。日本人が求めるサービスがどういうものかも知っています。でも、一緒に働くオーストリア人には理解してもらえません。理想を求めるほど自分で自分の首を絞めていく感じがしていました。
 
12人いる乗務員のうち、日本人乗務員は3人だけ。当時お客様の9割は日本人でしたから、何かあると全て私たち日本人乗務員が呼ばれます。たとえ休憩時間中でも、呼ばれたら対応をしていました。
 
一方、オーストリア人の同僚は、接客の対応中でも、時間になるとサッと切り上げて休憩に行ってしまいます。でも私は、お客様への対応を中途半端にしたくなかったので、休憩時間がきても接客を続けていました。すると、オーストリア人は接客している私のところにわざわざやって来て、「もういいから休憩に行って」と強い口調で言ってくるのです。
 
日本では、休憩時間を犠牲にしてまで仕事を続けることはよくあると思います。一方、オーストリアや、私が今いるドイツでは、「働く人の権利」をとても大事にしています。だから、私が休憩に行かないと上の人が困るとも言われました。でも私は「やりたくてやっているんだから、ほっといてよ」と反発していました。
 
クレーム対応についても同様でした。お客様からは「自分の食べたい機内食が、途中でなくなってしまった」「なぜこんな古い機体を使っているのか」など、文句を言われることも度々ありました。私に落ち度がなくても、お客様に不愉快な思いをさせたことに対して、私は「会社の顔」として謝罪しました。日本だったら普通じゃないですか。たとえ天候の影響でも、電車が遅れると謝罪していますよね。ところが、オーストリア人は自分に非のないことに対しては絶対に謝りません。逆にお客様に言い返して火に油を注ぐこともありました。
 
同僚とは何度も衝突しましたが、年数を経るに従って、私の考え方も変化していきました。自分の「正義」を押し通すのではなく、お互いのいい所を生かす一番いい方法は何かを考えることが、私の役割なのではないか。そう思うようになってから、苦しい気持ちは段々となくなっていきました。
 
 
3.客室乗務員は「自分」の一部、客室乗務員である前にひとりの人間として生きたい
 
私はオーストリアで8年勤めた後、隣国のドイツの航空会社に転職しました。接客に対する考え方はオーストリアもドイツもあまり変わりませんでした。お客様はお金を払った対価としてサービスを受けるだけ。日本でいうような「おもてなし」という概念はありません。ですから、ドイツの航空会社に採用されて日本からやってきた新人は、かつての私のように苦労しているようでした。
 
私自身は外国人同僚に「日本人らしいおもてなし」を押しつけることを手放していましたが、まだ自分自身には押しつけていたようです。
 
7年ほど前のことです。身に覚えのないことでお客様から怒鳴られ、お前呼ばわりされたことがありました。1時間くらいずっと罵声を浴びせられました。見るに見かねてパーサーが「あとは私がケアするから、あなたはもう下がって」と引き受けてくれ、私は最後にひと言お客様にお詫びをして下がりました。
 
それまではどんなクレームを言われても、着陸前に私はそのお客様へ声をかけ、不愉快な思いをさせたことについて謝罪をしていました。最後は気分良く飛行機を降りてほしかったからです。でも、この時ばかりはそうしたくない自分がいました。「できることは全部やった。これ以上機内でできることはない」と思っていたからです。報告書を書いているパーサーにも、「普段は最後にお客様に声をかけるけれど、今日はしません」と伝えていました。私はこの仕事を長く続けてきましたが、こんな風に自分の気持ちを押し通したのは、これが初めてでした。
 
そのフライトの翌日、ふと「私はすごくストレスを感じていたんだ」と気づきました。それまでは、他の人から「すごくストレスを感じているみたい」と言われても、私はそうは思っていませんでした。
 
「クレームを受けることも仕事だから、理不尽でも仕方がない」と自分に言い聞かせていました。でも、そんな風に自分の気持ちを押し殺すことで、ストレスをためていたんですね。「私もひとりの人間。いくらお客様とはいえ、言っていいことと悪いことがある」と思いました。もちろん、そういう気持ちを表に出すわけではありません。でも、「私はこういうのは嫌だ」という気持ちを否定しない。そんな風に、自分の気持ちをそのまま受け止めるようになったら、何だか幾重にもまとっていた重い鎧を脱いだような、軽やかな気分になりました。
 
私は今では「客室乗務員は自分の一部。客室乗務員である前にひとりの人間として生きたい」と考えています。今までは、客室乗務員であることが私のすべてでした。自分の描いた「あるべき姿」に近づこうと、120%の力で向き合っていました。自分の感情に蓋をし、ストレスで、心も体もカチカチになっていました。
 
でも、今は「120%じゃなくていい。100%きっちりできたらいい」というスタンスで仕事に向き合っています。無理をしてまで、自分を犠牲にしないようになりました。また、接客で嫌なことがあったとき、表面上はうまく取り繕いつつも、心の中で「何なの、この人」と思ってもいいという「許し」を自分に与えています。人間ですから、色々な感情を持つのは自然なことです。そうした「許し」を自分に与えることで、他人に対しても寛大になれたように感じています。
 
こうした考え方に変わったのは、ドイツやオーストリアの航空会社では副業が認められ、働き方が多様であるという環境にも影響を受けているかもしれません。
 
同僚の中には客室乗務員をしながらカメラマンをしている人もいますし、医者をしているパイロットもいます。私も「客室乗務員としての私が全て」ではなく、ヨガや薬膳のインストラクターとしての活動を始めました。そうした変化が、自分の内にある気持ちに気づくきっかけになったと思っています。
 
インタビューを終えて
 
留学時代の恩師が語った「日本人らしいおもてなしに対する好印象」は、当時の明子さんの進む道を照らしてくれた。一方で、「そうあらねばならない」という「見えざる敵」が明子さんに鎧をまとわせたのかもしれない。
 
でも、「見えざる敵」は実は自身がつくり出したものだったことに気づいて、明子さんは鎧を脱ぐことができた。人が求める「日本人らしさ」ではなく、明子さん自身がなりたい「日本人らしさ」で、関わる人の心に残る存在になっていくのだろうと私は思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務。2020年に独立後は、「専門的な内容を分かりやすく伝える」をモットーに、取材や執筆活動を行っている。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season、49th Season総合優勝。

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2023-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.213

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