祭りを通じて見る飛騨の食文化《週刊READING LIFE Vol.215 日本文化と伝統芸能》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2023/5/15/公開
記事:ぴよのすけ (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
岐阜県飛騨市に住んでいたことがある。
引っ越してから最初の10年ほどは、新しく知り合った他県の人に住所を告げても「それはどこにあるの?」と聞かれることばかりで、そのたびに「合掌造りで有名な白川郷の隣にある市です」とか「富山から少し南に下ったところです」などと、かゆいところにまったく手の届かない説明しかできないことがもどかしかった。
だが、新海誠監督の映画『君の名は。』が大ヒットしてからは、「糸守町のモデルになった場所です。ほら、図書館とか駅とか、神社とか」と言うと、たいていの人は「えーそうなの! すてきなところだよねえ」と打てば響く反応を返してくれるようになり、にっこり笑って「はい、とってもいいところなんです」と受け答えしながら、心の中では「っしゃー! 新海監督ありがとう!」と大声で叫んでいた。
映画の中でも神社や神事が大きな役割を果たしていたが、飛騨での生活は映画以上に神社と祭に密接に関係していた。
飛騨地方に越してまず驚いたのは、祭りの文化が生活に深く根付いていたことだ。むしろ祭りを中心に一年が巡っているような雰囲気すらある。地域ごとに伝わる獅子舞の奉納は男衆の晴れ舞台だ。獅子舞をやらない男衆でも、祭りばやしの笛や太鼓に一度も触ったことがないという人には、これまで出会ったことがない。
飛騨の祭りといえば豪華絢爛な屋台で知られる飛騨高山の春の高山祭(山王祭)や秋の高山祭(八幡祭)、起こし太鼓の音が勇壮な飛騨古川の古川祭が知られているが、実はどの町やどの集落でも、その土地独自の祭りが今も連綿と受け継がれている。そして祭りを盛り上げているのが獅子舞の奉納だ。
一口に獅子舞というけれど、よく見ると地域ごとに特徴がある。関東や東北の獅子は一人立だそうだが、飛騨の獅子舞は二人一組になって舞う二人立獅子だ。前の人は獅子頭を持って踊り、後ろの人は前の人の後ろにぴったり付いて舞う。二人は緑色の地に、獅子のたてがみを表現していると思われる、茶色と黄土色の柄の入った大きな布をすっぽりかぶった状態なので、前どころかほとんど足元しか見えないだろう。こんな様子でよくあんなに激しく舞えるものだと感心する。
よく見られるのは金蔵獅子(きんぞうじし)という獅子舞で、金蔵と笹羅(ささら)またはおかめが力を合わせて、田畑を荒らす獅子を退治するというストーリーになっている。筋書きを知ったうえで見ると、獅子や金蔵たちの動きの一つ一つの意味が想像できるので、何も知らずに見るより面白さが増す。また、退治した獅子を囲んで酒宴が始まり、千鳥足で獅子に近づいた笹羅が、急に首をもたげた獅子にびっくりするというユーモラスなシーンもあり、飽きさせるところがない。
また、飛騨市河合町では毎年、富士神社で小雀獅子という獅子舞が奉納される。やはり二人一組の獅子が笛と太鼓に合わせて踊り出すが、テンポが目まぐるしく変わる囃子に二人の動きがぴったり重なっている。軽やかな足さばきを見ていると、本当に一匹の獅子が舞っているように見えてくる。それくらい二人の息が合っているのだ。激しく歯切れのよい動きが続くこの獅子舞の目玉は、時間は短いが途中で用意された碁盤の上に上がることだ。誰にでもできるものじゃないなといつも目を奪われる。とにかく動きが激しく、しかも最後になるにつれ祭囃子がどんどん早くなる。獅子頭をかぶった下でどれだけの汗を流しているのだろうと思う。
どこの祭りでもそうだろうが、飛騨の祭りも宴会が欠かせない。
獅子舞の奉納で生まれた昼間の熱気は夜になっても冷めず、日が暮れて各戸の表に掲げられた祭り提灯が通りを照らすころになると、家々からにぎやかな声が漏れ聞こえてくる。
祭りはたいてい2~3日かけて行われるが、そのなかで「呼び引き」が開かれる夜がある。
今ではだいぶ少なくなったとは聞くが、玄関の戸を開け放ち、親戚や友人、知人はもちろんのこと、外を通る誰でも家に招き入れて酒とごっつぉ(ご馳走)を振る舞うという、太っ腹なおもてなし文化が飛騨にはある。
以前に飛騨古川の友人にこの呼び引きに招かれたときに、いろいろとお話を伺ったことがある。
そのお宅のご当主がおっしゃるには、この日のために一年かけてコツコツと積み立てをし、一晩でそれをすべて使い切るとのこと。それが誇張でないことは、さまざまな料理がテーブル狭しと並べられ、台所からもエンドレスで運ばれてくることや、ご当地のお酒の一升瓶が数えきれないほど用意されていることからもよく分かった。
(一晩でどれだけ散財するんだろう。でも見ず知らずの人にすら振る舞うなんて、もったいないとか思わないのかな)などと下世話なことを考えてしまっていた私の心が透けて見えたのか、ご当主は「祭りができるのは、ほんっとにありがたいことなんやさ」と、「ほんっとに」に力を込めながら言うと、こんな風に続けた。
「よその人から見たら、一晩で飲み食いに何十万も使ってまうなんて、なにやっとるんやと思わはるかもしれんけど、この一年の間に身内に不幸があったりしたら、その家は祭りはできんのやさ。せやで、こやって祭りを祝って、みなさんに来てもらって楽しんでもらえるってことは、うちの者みんなが去年一年間元気で過ごせましたってことなんやさな。そしてそれは周りの人のおかげでもあるんやさ。せやで呼び引きはな、こうして『ありがとなー』て言って、みなさんに喜んでもらうためにやっとるんやさ。呼び引きができるってことは、ほんっとに幸せなことなんやさ」
改めてテーブルを眺めると、地元スーパーのオードブルも並んではいたが、ほとんどは手作りの在郷(ざいご)料理だった。これを用意するのに、いったいどれだけの手間がかかっているのだろうか。縁もゆかりもない飛騨地方に引っ越してきて間がなかったころだけに、この家のみなさまの心づくしが深く沁みた。
在郷料理とは、地元の野菜や米、富山湾の魚などを使った飛騨の郷土料理のことだ。
豆腐をす巻きにして何時間も蒸したものを出汁で含め煮にした「こもどうふ」や、紅白まんじゅうに衣をつけて油で揚げた「天ぷら饅頭」は定番で、スーパーのお総菜コーナーには調理済みのこもどうふや天ぷら饅頭が必ず並んでいるほか、揚げる前の「天ぷら饅頭用饅頭」も売られている。在郷料理は祭りのときに欠かせないが、普段の食卓に普通に並ぶメニューでもあるからだ。
こもどうふにも天ぷら饅頭にもカルチャーショックを受け、「なぜわざわざ豆腐を蒸してすを立たせるのか?」「そのまま食べればいいのになぜ饅頭を天ぷらにするのか?」と疑問に思ったものだが、飛騨の食べ物のなかで私が一番たまげたのは、ビスケットの天ぷらだった。
初めて口にしたのは地元の寺の初参式に長女と参列したときで、丸い見た目からてっきり筍の天ぷらだと思って口に入れたら、中はクリームサンドビスケットだった。
このとき、全然想定していなかった味情報が頭に飛び込んできたからか、自分が何を食べているのかまったく分からなかった。
バグってフリーズした頭が、
「あれ、筍の歯ごたえがない。え? どこまで衣? え? 何これクリーム? ウソでしょ? 私の味覚がおかしいの?」
と動き出すまでには、何秒間かかかった気がする。
おいしいとかマズいとかいうレベルの話ではなく、その食材が何かを特定することは私にはできませんと、脳みそがお手上げになった感じだった。
実家が食料品店だったという友人が言うには、子どもの頃に母親から「今日夕飯のおかずが足らんでいな、あんたちょっと店行ってビスケット持っといでよ」とよく言われていたとのことで、在郷料理と言えばそうなのだろうが、むしろ一品足りないときのお助けメニューだったそうだ。ビスケットの天ぷらにはソースをかけて食べていたし、今日はちょっとこってりしたのが食べたいなと思ったら、ミレービスケット、つまり油で揚げたビスケットにさらに衣をつけて揚げていたと言っていた。また別の友人は、しるこサンドの天ぷらは子供たちに根強い人気があるから、子ども関係の行事には欠かせないと言っていた。
ネギ味噌天ぷらや甘いごぼうの天ぷらなども在郷料理の一つだ。「ごっつぉ」に揚げ物が多いのは、かつては油が貴重品だったからだろう。祭りなどの特別なときにしか食べられなかったはずだから、今ある飛騨の食文化の多くは、祭りを始めとする冠婚葬祭によって育まれたと言ってもいいのかもしれない。
先に触れたアクロバティックな小雀獅子の発祥は、一説には今から400年以上も前、安土桃山時代と言われているそうだ。
そして日本全国に天ぷらが広がったのは、大正12年(1923年)に発生した関東大震災がきっかけだったと聞く。職にあぶれた天ぷら職人たちが日本全国に散らばって天ぷらを広めたのだそうだ。
初めて小雀獅子を奉納した人たちはもちろん飛騨の天ぷら料理を食べていないが、彼らの子孫が代々祭り文化を継承してきたことで飛騨の食文化が花開き、そして飛騨の食文化もまた、五穀豊穣を祈念して獅子舞を奉納した舞い手の胃袋を満たしてきたのだな、飛騨の祭りを支えてきたのだなと思うと、先人に頭を垂れずにはいられないのだ。
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