週刊READING LIFE vol.215

奴は間違いなく日本発祥の文化であり、伝統の始まりでもある《週刊READING LIFE Vol.215 日本文化と伝統芸能》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/5/15/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
昨年(2022年)3月に逝去された、俳優の宝田明氏を御存知だろうか。
御若い方は、舞台や映画でダンディな老人を演じる男優さんと認知していることだろう。
また時には、戦中の幼少期に旧・満州に居た事から、命辛々引き上げて来た貴重な証言者としてマスメディアに登場していた。
 
戦後、日本で成長した宝田明氏は、身長183cmと当時としては極めて長身を誇っていた。しかも、ルックスは日本人離れしたハンサムだったので、当時隆盛だった映画界に身を投じた。
彼は1953(昭和28)年、新制高校を卒業と同時に東宝ニューフェイス第6期生として銀幕デビューする。その後の活躍は、推して知るべしといったところだ。
 
私は生前一度だけ、生の宝田明氏を目にしたことが有る。正確には、スクリーンは勿論、生舞台で氏の演技を観ているので一度ではないが、会話を交わす機会に恵まれたのは、そのたった一度だった。
 
 
それは25年程前、川崎市の岡本太郎美術館でのことだ。
美術館では、戦後の発展を記念する特別展示が行われようとしていた。そのオープニング・セレモニーに宝田明氏が、戦後の映画スターを代表する形で、同期(東宝ニューフェイス)の同僚と共に招待されスピーチを行ったのだ。
 
私は、映画業界の友人の伝手(つて)で、オープニング・セレモニーに潜り込むことが出来た。
友人からは、
「山田さん、一応、記者会見という建付けだから、記者らしくして下さい」
と、注意を受けた。
私は、
「合点承知の助!」
と、ジャケットの胸ポケットから手帳を取り出しながら、伝統芸能である落語の台詞で応じた。
 
セレモニー迄、少し間が有ったので私は、戦後の発展を象徴する家電製品の展示を見学していた。
すると、背後の頭上から、
「懐かしいなぁ」
との、声を聴いた。
振り返るとそこには、眼鏡を掛けた宝田明氏の笑顔が在った。
少々驚きながら恐縮する私に氏は、
「驚かせてすみませんね」
と、優しそうに声を掛けて下さった。
 
私は、父と同い年の氏に挨拶し、そのことを告げた。
宝田明氏は、
「そうですか。御尊父は、大層若くして御結婚為さったのですね」
と、丁寧に答えて下さった。
私は、想像していたより氏が長身だったと感じ、父が話してくれたことを思い出していた。
「父が、宝田さんは大変長身だと語っていました。撮影中の事故で脚を骨折された際、病院のベッドに収まり切らず往生されたと聞きました。その話は、本当ですか?」
と、訊ねてみた。
宝田明氏は、笑顔を益々崩して、
「御尊父は、記憶が宜しいですね」
続けて、
「えぇ、事実です。あの時、担ぎ込まれたのが田舎の病院でしてね、どうやっても横に為ることが出来なかったので、上半身は起こしていました」
更に、
「その儘という訳にはいかないので翌日、米軍キャンプの野戦病院からベッドを借りて来て貰ったのですよ」
と、話して下さった。
 
話はこれで終えず、
「そのベッドがとても大きくて、木造の病院に入れることが出来なかったのです」
続けて、
「院長が陰で、『何で、あんなデカい奴を連れて来るのだ!』と、製作補(AP)を怒鳴っているのが聞こえたのです」
そして、
「映画に出ているといっても、俺も未だ未だ売れてはいないと実感しましたよ」
と、氏はしみじみ語って下さった。
 
ベッドが心配だった私に、宝田明氏は、
「そこで、何人もの米兵に手伝って貰って、何とか二階の窓からベッドを入れて貰えたのですよ」
続けて、
「それで何とか、野宿(野戦病院と引っ掛けて)せずに済みましたよ」
と、オチを付けて下さった。
 
戦後の日本に於いて映画人気は絶大で、毎年200本以上の封切(初公開)作品が作られていた。
これは、戦後の邦画界は、独自の文化と為っていたと言っても過言ではないだろう。その大スターだったのだから宝田明氏は、日本文化の象徴でもあった訳だ。
 
宝田明氏は思い出した様に、私に向かって、
「そう言えば、今日、同期のもっと大きいのを連れて来ましたのでお楽しみに」
と、意味深な笑みを浮かべながら告げられた。
 
 
オープニング・セレモニーは、100名近くの関係者・報道陣を集めて始まった。
特に仰々しくはない挨拶の後、宝田明氏が紹介された。スポットライトを当てられ登場した宝田氏は、映画スターのオーラを放っていた。
 
数秒の間を置いて、場内の灯が少し落とされた。上手の登場口に、宝田氏の時より少し大きなスポットライトが当てられた。
私は咄嗟に、
『ははーん、奴だな』
と、勘付いた。
宝田明氏が、氏より大柄な同期と仰っていた奴だ。
 
案の定、伊福部昭(いふくべあきら)氏が作曲した奴のテーマが流れ始めた。
そして、1954年当時の東宝技術陣が、コントラバスの弦を緩めて音を出し、それを逆再生させる工夫を凝らし創り上げた、奴の叫び声が聴こえて来た。
 
「ゴジラだ!」
と、私は子供の様な叫び声を上げ大きく拍手した。
 
登場したゴジラは、俗に言う“平成ゴジラ”の着ぐるみだった。
長い尾、直立し背を伸ばした姿勢、盛り上がった上半身の筋肉、鋭い眼光は、最近の“シン・ゴジラ”のデザインとは違い、実に怏々しく、そして、猛々しく、本当に恰好良い姿だった。勿論、外国で制作された奴の姿とは、比べ様が無い重量感に満ち溢れていた。
 
宝田明氏は、ゴジラと共に紹介を受け、映画スターらしいスピーチを始めた。
スピーチが長過ぎたのか、ゴジラは飽きて来た子供の様に、身体を左右に振る動作を始めた。
宝田氏はゴジラの方を向くと、
「静かにしなさい!」
と、一喝した。
ゴジラは、済まなそうに小刻みな会釈をした。そして、照れ隠しするかの様に、頭に手をやった。
しかし、隆々とした筋肉故、指先(正確には爪先)が頭部に届くことは無く、頬がやっとだった。
 
同僚を一喝した宝田氏は、
「(ゴジラを指差しながら)こいつは、僕の言うことは聞くのです。だから、共演も多かったのです」
続けて、
「こいつも1954年デビューですから、僕と同じ東宝ニューフェイス第6期生です」
更に、
「僕を知らない人は、何人も居るかと思いますが、こいつを知らない映画ファンは居ません。世界的に」
その上、
「こいつは、同期の出世頭です。同世代の代表でも有ります。僕もこれから、こいつに負けない様に精進します」
と、挨拶を締めくくった。
相手を一旦下げてから持ち上げる、ハリウッドスタイルの実に恰好良いスピーチだった。
 
褒められたゴジラは、表情こそ変わることは無かったが、どこか嬉しそうに見受けられた。
 
 
宝田明氏とゴジラが、初出演・初共演した東宝映画『ゴジラ』は、1954年11月3日に封切られた。
戦後の影響はまだ残ってはいたものの、映画界は右肩上がりだった。
特にこの1954年は、映画の当たり年で、後に映画史上の名作と言われる黒澤明監督作品『七人の侍』や、松竹の名匠・木下惠介監督の『二十四の瞳』が公開されていた。
他にも、外国でも賞賛された溝口健二監督の『山椒大夫(さんしょうだゆう)』や、衣笠貞之助監督の『地獄門』が封切られたのもこの年だ。
そんな中で、史上初の特撮怪獣映画である『ゴジラ』は、年末から正月に掛けての繁忙期に、最も多くの観客を映画館に呼び込んだ。
 
現代では、“怪獣”の名詞も“ゴジラ”の固有名詞も一般的だ。しかし、戦後を引き摺っていた70年前の人々はどう感じたのだろう。
何せ、いきなり海から現れ、図体がデカく、固そうな鱗(うろこ)が全身を覆い、怒ると放射能熱線を吐き出す未知の生物を、予備知識無しに目の当たりにしたのだから。
 
当時、東宝の製作陣は怪獣を、単なる巨大化した恐竜とは別物として描こうとした。文献によると怪獣は、〈水棲爬虫類から陸上哺乳類に進化途中の巨大生物〉と規定されている。
実際“ゴジラ”は、全身鱗に包まれ上手に泳ぐものの永久に潜っては居られない。多分、爬虫類や哺乳類の様に肺呼吸をしているのだろう。鼻の穴が在るし、たまに息が上がるシーンだって有る。
 
因みに、奴の名は力強い“ゴリラ”と身体の大きな“クジラ”を合わせた造語とされている。
しかし、古くから奴を観続けた私は、別の見解を有している。
奴の名を英語表記すると『GODZILLA』となる。これは、戦前のアメリカの特撮映画『キング・コング』に魅了されていた円谷英二氏が、コングを超える存在に奴を祀り上げようとした為だと思うのだ。
何故なら、『キング・コング』を英語表記すると『KING KONG』だからだ。
即ち円谷氏は、“コング”に付いた“KING(王)”よりも上位と思われる“神(GOD)”を、奴の名にしたかったのだと思えてならないのだ。
 
ただ、この辺りの風情は、私も正確には知らない。何故なら、この世に生を受ける前のことだから。
だが、東宝の怪獣シリーズは、第三作目の『キング・コング対ゴジラ』から、封切で観た記憶が有る。
間違いなく言えることが有る。『ゴジラ』に始まる一連の特撮怪獣映画は、日本映画界が独自の文化として考え出したものだ。
しかも、監督を務めた本多猪四郎(ほんだいしろう)氏は、巨匠黒澤明監督の弟弟子にあたる方だ。音楽を担当した伊福部昭氏も、東宝のエース的存在だった。
それより何より、特撮を担当した(特技監督という)円谷英二氏は、戦中の名作『ハワイ・マレー沖海戦』から注目を集めている存在だった。
特に円谷英二氏の特撮は、戦後に為って『ハワイ・マレー沖海戦』の真珠湾シーンを観た米軍関係者が、
「ツブラヤは、スパイでもしたのか」
と、疑った程の精巧さだった。
こんな、当時の日本映画界の精鋭が撮ったのだから、観客が喜ばない筈が無いのだ。
 
そして70年を経た現在、特撮怪獣映画は、外国にも多くのファンを持つ日本の伝統といっても過言ではないだろう。
但しこれは、歌舞伎や能狂言と同じく、外国の方が日本人と同じ土俵に乗り切れるものではないことも事実だ。
 
それはまるで日本人が、ヨーロッパの貴族発祥の文化を尊敬し好んだとしても、なかなか同じ立ち位置で理解出来ないのと同じだ。
それぞれの民族が、歴史の中で創り出した文化や伝統は、あくまで観客の立場でしか感動出来ないからだ。
 
 
私が何故、“ゴジラ”を日本独特の文化だというのか。
それは、映画の中で奴から逃げ惑う一般市民(エキストラ)の動きに見て取ることが出来るのだ。
 
通常、自然災害・人的災難に関わらず、誰でも自分を襲う恐ろしい物からは、必死に逃げる筈だ。それこそ、後ろを振り返る間を惜しんで。
恐ろしい物は、見るだけでも恐怖を煽るものだ。
ところが、一連の特撮怪獣映画のエキストラは、決まって怪獣、特に奴を振り返って見るのだ。
これは多分、奴に対する日本人独特の感情が有るからだろう。
 
怪獣映画ファンの間では、よく冗談で、
「もし、現実にゴジラが現れたら、間違いなく迫りくる奴に向かって走る輩が居ることだろう」
と、実しやかに語られることが有る。
 
ハイ。私はそうした輩の一人です。
 
 
私の様な“ゴジラ”ファンにとって、奴は、恐ろしくて・デカくて・重々しい存在だ。そして、強くて・羨ましくて・恰好良い存在なのだ。
 
だから、身を守る為に走って逃げる最中でも、思わず振り返ってしまうのだ。
許されることなら、奴に向かって走り、出来ればよじ登ってみたくなる存在なのだ。
 
“ゴジラ”という奴は。
 
 
こんなゴジラ・フリークにとって、少々残念なことが有る。
昨今公開された、『シン・ゴジラ』やアメリカ製作の『ゴジラ・シリーズ』が、意に介さないことだ。
『シン・ゴジラ』他の映画は、確かに映画としては面白い。完成度も高い。
しかし、日本発祥の文化も、奴に始まった伝統も感じられないからだ。
 
特に奴は怪獣であり、大きな爬虫類や巨大化した恐竜ではないことが、十分に描かれていると感じられないからだ。
それは、筋骨隆々ではないどこか弱さを感じるデザインで有ったり、重量感を無視した軽快な動きから来るのかも知れない。
それより何より、逃げながら振り返るエキストラは登場しない。
 
何れにしても、思わず恰好良さに憧れ、思わず振り返ることは無いと感じるからだ。
 
 
そう私が感じるのは、奴が日本人にしか理解出来ない文化と為り、長く続いた伝統と為った証拠なのかもしれない。
 
 
私は、ゴジラ(GODZILLA)が大好きだ!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2023-05-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.215

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