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週刊READING LIFE vol.215

村上春樹がキライだった私《週刊READING LIFE Vol.215》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/5/15/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「やっぱりキライだ。何が書いてあるのかさっぱり分からない」
 
「そもそもここまで読者を引っ張ってきておいて、話にオチがつかないなんてなんてことだ。上巻からワクワクして読み進めてきた私の身にもなってくれ」
 
読むたびにそんな感想を抱くものだから、そのうちけっして手を付けない有名作家が私にはいた。初めに読んだのは図書館で借りた上下巻か4冊組の、とにかく長編の作品だった。タイトルからしてきっと私の大好物のファンタジーなんだろうな、と思って読み進めているのに最後になっても謎が解けない。オチがない。
 
私の頭には「???」が残るばかり。
 
その作家は、赤と緑の表紙でシックにまとめられた文庫本上下巻が爆発的に売れた作家で、新刊が出るたびに今でも書店の店頭には平置きで山積みにされる、そんな作家だ。
 
名前を、村上春樹という。
 
かなりの確率で知らない人はいない、というぐらい国民的有名作家ではないだろうか。赤と緑の表紙が印象的だった作品は、『ノルウェイの森』。美しい装丁にひかれて買って読んだけど、さっぱりそのよさが分からず、
 
「私には村上春樹のような高尚な芸術小説を理解する感性はどうせないんだ」
 
といじけていたように思う。
 
ちなみにオチが(私にとっては)付かなくて、殺意を覚えたのは『ねじまき鳥クロニクル』である。
 
そんなこんなで村上春樹の本は、私にとって長年「鬼門」であった。私にとってはコンプレックスを刺激される、なんだか触ってはいけない心の闇のようなものだった。
 
ところが数ヶ月前、とあるYouTube動画を見て、
 
「ええー? そうなんだ?」
 
と興味を引くことがあった。
 
なんと村上春樹は、最初に小説を書こうと思って書いたとき、それが自分で読んで面白くなかったので、書いた物を英文に訳し、それを日本語に戻した、というではないか。
 
いきなり私の心の闇から村上春樹が急浮上した。
 
ちょうどその頃、天狼院書店のライティングゼミでトレーニングを続けていたが、どうにもこうにもうまく書けずに煮詰まっていた私がやろうとしていたことと、同じ事をあの村上春樹がやっていたからだ。
 
どうしても日本語で書く文章をすっきりと分かりやすく書くことができずにダメ出しを食らいまくっていた私は、それなら英語のロジックで書いた方が分かりやすくなるんじゃないか、と思っていたところだったのだ。
 
私の職業は英語の同時通訳者である。
書くことは専門ではないが、英語で書くこと自体は技術的には可能だ。だが、そのとき思い付いただけでまだその思いを実行できずにいたところだった。
 
もちろん、小説という創作を書くのと日本語で文章を書くことは大いに違うだろう。でも人に分かりやすく書くことにおいては、同じ側面もないだろうか。
 
動画はAmazonのオーディオブックサービスaudibleのチャンネルで村上春樹の本を朗読する小澤征悦のインタビュー動画だった。本のタイトルは、『職業としての小説家』(新潮文庫刊)、帯に
 
村上春樹の語る「村上春樹」
 
とある通り、自分の小説について、またその他のことについて語るエッセイである。
 
速攻で本を取り寄せて読んでみると、該当の箇所は、全十二回構成の第二回ですぐに見つかった。
 
確かにインタビューで言っていたことが書いてある。初めて小説を書いてみようと思ったが、「これまで小説を書いた経験のない人間にとっては、まさに至難の業」であり、「小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにした」と。
 
その理由は、日本語ネイティブだからこそ、たくさんの日本語コンテンツが自分の中に詰まっており、「自分の中にある感情なり情景なりを文章化しようとすると、そういうコンテンツが忙しく往き来をして、システムの中でクラッシュを起こしてしまうことがある」からだという。
 
なるほど、なるほど。
確かに分かる気がする。
 
手札が多すぎて不要なものまで使ってしまい、本筋が分からなくなる、という感じだろうか。次元が違うかもしれないけど、共感した。ライティングゼミでも「小学生でも分かる簡単な言葉で書くこと」とはよく言われている。誰しも何か書きなさいと言われると、ついつい知っている難しい言葉を使ったり、言葉に修飾過多な形容詞を付けたがってしまったりする側面があるから、ある意味手足を縛って本当に書きたいことに集中するために敢えて英語で書く、というのは、
 
「アリ」
 
な作戦のように思えた。実際、いくら英語のプロだなんだといっても、私自身日本で生まれ育った日本語ネイティブ。帰国子女などではまったくない。自分の英語運用能力は、肌感覚でいいとこ六割程度だ。長い文章を話すことはあっても、書き言葉に不慣れなことを考えると五割切るかもしれない。
 
村上春樹自身もけっして自分の英語がネイティブレベルだから思い付いた訳ではなく、英語で書くと表現が限られる。限られるけど、クラッシュは起こさない。その代わり、限られた言葉や表現を効果的に組み合わせることができれば、「感情表現・意思表現はけっこううまくできるものなのだ」と書いている。
 
これは……ある種の「縛りゲー」だ。
「縛りゲー」とは、ゲームをするときにたとえばハンティングゲームなら、ラスボスまで初期装備でクリアする、とか、低レベル攻略する、とか、何らかのルールを課して遊ぶやり方である。
 
端から聞いていると、「なんと変態な遊び方か」と思われる方もいるかもしれませんね。私も裸装備縛りで臨むクエストなど見るとそれはどうよ、と思うこともあるが、よく考えてみてください。こういう「縛り」は子どもの頃、ゲームじゃなくても遊ぶときに使っていなかっただろうか?
 
たとえば、鬼ごっこ。
単に隠れている人を鬼が探すだけでなく、影を踏んでいなければ鬼につかまる「影ふみ」とか、言われた色を触っていなければアウトになる「色鬼」、何か高さのあるところに立っていなければならない「高鬼」とか、他にも自分の子どもの頃を思い返せば色々あったはずだ。
 
そういう縛り要素を入れて、小説を創作する。
やはり、村上春樹は稀代の小説家なのだろう。
 
今まで一方的に嫌ってごめんなさい。
そう村上春樹に謝りたくなりました。
 
それに加えて、このエッセイでは他にもドキッとすることが書いてありました。
 
それは第五回「さて、何を書けばいいのか?」という章にありますが、小説家に向いている人がどういう人か、について書かれています。
 
村上春樹によると、
 
「よくまわりの人びとや物事をささっとコンパクトに分析」し、「明確な結論を短時間のうちに出す人がいますが、こういう人は(僕の意見では、ということですが)あまり小説家には向いていません」
 
ということだそうです。
 
この部分を読んで、やはり自分に創作は向いていないことを実感しました。というのは、さきほども書いた通り、私の仕事は同時通訳だ。とにかく瞬時に判断を下して訳を続けて二十年。即断即決が常に求められる人生だった、と言える。
 
それに対して小説家に向いているのは、
 
「たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たとしても、あるいはつい出そうになっても、「いやいや、ちょっと待て。ひょっとしてそれはこっちの勝手な思い込みかも知れない」と、立ち止まって考え直すような人」
 
だそうだ。
 
あ〜、そりゃあ向いてないや。
特に強く小説家になりたいと思っていた訳ではないが、自分の大好きな「物語」を綴れるような人に憧れの気持ちは大いに、ある。でも今回、この本を読んで主観的にも客観的にもよく自分の適性を理解できた、と思う。
 
ただ、「どちらかというと評論家やジャーナリストに向いている」そうなので、創作の世界じゃなくても書くことは続けたいと思う。そういう人は書くことには向いていない、と言われなくてよかったな。
 
色々と気づきのあるこの本、もう一つ思い当たる部分があった。
 
先ほどと同じ第五回で、村上春樹が小説を書くときのイマジネーションが記憶のコンビネーションだ、と言っている部分だ。
 
私の頭の中ではイマジネーション、つまり創造に使う想像力は記憶、などといった存在ではなく、どこからか降ってくるもの、というイメージだった。だけど、村上春樹は、イマジネーションは、「脈絡を欠いた記憶のコンビネーションのこと」だという。
 
頭の中に大きなキャビネットがあり、そこには数々の記憶が保管されている抽斗がある。必要に応じてその抽斗から中の情報を取り出し、小説に使うというのです。
 
そのような自分の頭の中に埋もれた情報の使い方には自分も覚えがあって、仕事、つまり通訳をするときには、同じような脳内の抽斗から瞬時にスポンと情報を出して使っていると思っていた。だから、アウトプットがクリエイティブな創作と人の話した内容という違いはあっても、情報のベースを広く持っておくことはとても重要なんだ、と再確認できたのだった。
 
さすがは小説家、その表現で私の中にはぴったりなイメージが像を結んでいる。漢方薬局などで多種多様な生薬がしまってあるような戸棚が頭の中に拡がっている感じだ。実はその戸棚、きっちりと分類されている訳ではない。あくまで収納されているだけだが、私の場合、それを収納した時に場所、というか地層のような感じで位置を把握しているようだ。だから、正しい目次というかきっかけが思い出せれば、芋づる式に情報が鮮明化する、そういう感じだ。
 
何かを新しく生み出すことはできないが、組み合わせで何かの問題に解を出すことができる、そういうイメージになるだろう。
 
今回読んだ『職業としての小説家』、小説家にはならない自分でもたくさん気づきを得ることができたし、なんといっても村上春樹に抱いていた悪印象が吹き飛ぶことになった。私の今までのある意味屈折した思いを払拭してくれるきっかけとなった本で、私にとってはちょっとした「事件」だ。
 
以前、「ケッ」と思ってよく分からなかった『ノルウェイの森』をまた読んでみようか。
それとも結論が出なくてイラッとした『ねじまき鳥クロニクル』を再読すべき? それともやはり買うだけ買って積読してある『1Q84』を読むのがよいか。
 
ちょっと読書の幅が拡がりそうで嬉しい私だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2023-05-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.215

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