週刊READING LIFE vol.226

私の居場所《週刊READING LIFE Vol.226 私の居場所》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/8/7/公開
記事:松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ライターとして活動する私の職場は自宅だ。今、私は自宅のソファに寝っ転がり、ある小説を読みながら8年前のある出来事を思い出している。小説の中のたった一文がその時の記憶を呼び起こした。
 
「みんなひとり、それがいいのさ」
 
かつて私はこの言葉に心を震わせ、そしてこの言葉をきっかけに大きな決断を果たしたことがある。今、私が手にしている1冊の歴史小説「一夢庵風流記」(隆慶一郎著)の中の言葉だ。かつて少年ジャンプで連載されていた「花の慶次」の原作となった小説と言えば、多くの人がわかるのではないだろうか。
 
今から8年前、私はこの小説と出会い、小説の中の主人公、前田慶次郎の生き様に大きな影響を受けた。戦国時代という激動の中を自由奔放に駆け巡った彼の生き様、それは「ひとりで生きる」ことだった。
 
ただひたすら自分の居場所を追い求めてきた会社員時代、会社という居場所に自分の幸せがあると信じた。人との繋がりがあってこそ、集団に属してこそ、信頼できる仲間がいてこそ自分は幸せに生きることができるのだと信じた。
 
でも違った。それは幻想に過ぎなかった。
 
現在、私はどこにも属さずライターとして活動している。屋号は「ひとり文芸社」。この屋号は、ひとりで業務を行なう覚悟を示し、そこに自分の居場所見出した証として決めた名称だ。
 
数え切れないほどの失敗を繰り返しようやく出会った「ひとり」。それが私の居場所だ。
 
 
今から15年ほど前になる。私は大学を卒業し、ある大手の化学系会社に就職した。当時は就職氷河期と称された時代、私は就職戦線を有利に戦うことができず負け戦で何度も涙を飲んだが、ギリギリ大手の化学会社の内定を勝ち取ることができた。
 
涙が出るほど嬉しかった。激戦から抜け出せた喜びもあったが、何よりも、親の保護下にある大学生から社会人への第一歩を踏み出したことの喜びが大きかった。私は自分を採用してくれたこの会社に忠誠を誓い、ここでの成功を夢見た。この会社が自分の居場所だ、という確信のようなものを感じていたと思う。
 
入社後、私は総務部に配属され、数々の細かい業務すべてと真剣に向き合った。文学部出身の私が化学を専門とする会社で活躍の場を広げるためには、社内業務のあらゆる経験を血肉とし、知識を貪欲に吸収し、勉強する必要があった。この会社で自分の居場所を確保するために私は必死だった。
 
そうして3年ほど経過した頃、私は大きな可能性とチャンスに出会った。それが国家資格の存在だった。この会社では、業務上4つの国家資格の取得を推奨している。資格取得者には報奨金が与えられ、出世の可能性も高まる。
 
国家資格はいずれも化学系に属する資格だ。決して簡単ではない。理系大学の出身者でも簡単に取得はできない。理系学部出身者が大半を占めるこの会社であっても、資格取得者はほんの一握りだ。だからこそ、そこに出世のチャンスがあった。
 
約2年間、私は仕事と資格の勉強以外の一切を排除した生活を送った。家にあった小さなテレビの電源を抜き、休日の楽しみだった登山をやめて、プライベートな時間のすべてを資格の勉強に使った。あの時の私はまるで超難関大学の合格を目指す受験生だった。今に至るまで、あの時ほど勉強に打ち込んだ時期は他にない。
 
そうして2年の月日が経過し、私は4つ全ての国家資格を取得した。それぞれの合格証書を携えて出社した時、私は敵地での戦争で勝利を収めた凱旋将軍のように迎えられた。会社で顔を合わせる度に誰もが、私におめでとうと声をかけてくれた。本当に嬉しかった。そして私は改めて、この会社以外に私の居場所は存在しないと確信した。
 
数日後、会社の掲示板に辞令が張り出された。
 
「〇〇年〇〇月〇〇日付をもって、松浦哲夫を研究開発部、研究員に任命する」
 
新たなる自分の居場所が決まった。会社という居場所の中の研究開発部という居場所。文学部出身の私が理系学部出身者と肩を並べた瞬間だった。この時、私は会社での出世の道を着実に歩んでいた。
 
研究開発の仕事はこれまで私が経験したことのないものであり、何もかもが新鮮だった。1つ1つの業務に興味を惹かれた。何よりも、与えられた研究テーマに沿って、1人で問題提起し、1人で実験を繰り返して検証するという業務内容が私に合っていた。もちろん楽しいばかりではない。実験がうまくいかない、データが思うように取れないといったことも何度も経験し、成果報告に間に合わず徹夜で実験したこともあった。それでも上司を納得させる研究成果を発表できた時の達成感や喜びは何物にも代えがたい、最高の喜びだった。
 
そうして約5年もの長きにわたり研究開発部で業務を行ない、私は圧倒的な研究成果を残すことができた。特許を取得した研究成果もあった。会社内の誰もが私の実績を認めた。そうして業務がひと段落したタイミングで、私は次の辞令を受けた。
 
「〇〇年〇〇月〇〇日付をもって、松浦哲夫を化学検査部、検査員に任命する」
 
会社での部署異動には様々な意味合いが含まれる。もちろん単に人手不足を補うための異動もあるが、多くは昇進や降格という意味合いを含んでいる。私の部署異動は、常に昇進という意味合いを含むもので、しかも典型的な出世コースと噂されるものだった。
 
この時、私は自分が置かれる状況をプロ野球選手になぞらえていた。日本のプロ野球で十分な成績を積み重ねた選手が、さらなる活躍の場を求めてアメリカのメジャーリーグに挑戦。マリナーズのイチローやヤンキースの松井が大活躍したように、私もまた自分の化学検査部での活躍を信じて疑わなかった。
 
しかし、この化学検査部への異動が私のその後の運命を大きく変えることになる。
 
鳴り物入りで化学検査部への異動を果たした私の噂は、部内でも評判になっていた。パーテーションで仕切られた事務所内の化学検査部の部屋に入り、そこで私は挨拶と自己紹介を済ませた。化学検査部のメンバー全員が私と初対面だったが、全員が私を知っているようだった。
 
「ようこそ検査部へ!」
「一緒に頑張りましょう!」
「あなたのような優秀な人と仕事ができて嬉しいよ」
 
メンバーが口々に私への賛辞の言葉を送った。研究開発部という居場所から化学検査部という居場所への華麗なる転身だった。化学検査部のメンバーはもとより、社内の多くの人が近い将来の私の出世を信じた。そんな社内の空気感に乗せられるかのように、私も自分の大きな成長を実感することができた。
 
化学検査部での業務に就いてわかったことがいくつかある。まず、化学検査部での仕事は会社外での仕事が中心となること。いわゆる現場作業だ。そしてそこでは何よりもチームワークが重要だということだった。
 
この点で私は不安を覚えた。チームワークが何よりも苦手だったためだ。小中高での運動会や行事ごと、大学での学園祭やアルバイト業務で、私はそれを嫌というほど自覚していた。理由も原因もわからない。チームワークが求められるあらゆる状況で私は失敗を繰り返し、孤立し、居場所を失った。
 
そうして再び私は新たなる居場所でチームワークの業務に就こうとしている。過去の苦々しい経験が私の脳裏に蘇ってくる。会社に入社して6年、私はこの時初めて自分の居場所に不安を感じた。
 
現場業務は基本的に2人1組。検査機器を扱う者と測定対象である排水や排ガスを採取する者が協力して行なう業務だ。
 
それだけではない。検査員7名がそれぞれペアになって各現場に出向き、業務をこなす。会社に残る者は現場準備などを事前に行わなくてはならない。検査員全員が互いの行動を予測し、先んじて行動を起こすことで成り立つ業務なのだ。私はあらかじめそのことをしっかりと理解していたし、その難しさも承知していた。心構えもできていた。チームワークが苦手だとはいえ、業務だと思えばどうということもない。近いうちにこの業務を検査員の誰よりもうまくこなし、いずれこの化学検査部を率いる立場になってみせると意気込んだ。その先に、私の新たなる居場所がある。そこに思い通りの出世があり、最高の幸せがあると思った。
 
しかし、私とってチームワークの業務はあまりにも難しかった。現場での検査業務にかかる知識の習得は早かったが、思考と体がそれに追いつかなかった。他の検査員の行動の先を読むことができず、何度も失敗した。現場での業務は危険を伴うため、検査員2人の協力が大切になる。そのことは百も承知だ。それでもやはり失敗を繰り返し、何度も他の検査員を怒らせた。
 
もちろん何度も対策を試みた。現場に赴く前日に、頭の中で何度もシュミレーションを繰り返し、考えなくても体が動くようになるまで現場での行動を頭に叩き込んだ。検査員全員の行動パターンや性格を把握し、それに備えようとした。それでもダメだった。幸いにも現場での怪我につがなるような失敗はなかったが、どうしても検査員と呼吸が合わなかった。
 
「あいつと現場に行くと2倍の時間がかかる」
 
そんな陰口を叩くものまで現れた。
 
私は次第に異動当初の意気込みを失い、化学検査部での自分の居場所は次第にぐらついていった。そんな時、思い出されるのは研究開発部での業務だった。もちろん辛いこともあったが、その先には達成感と喜びがあった。それは私にとって最高の喜びだった。成長している実感があった。ところが、今の検査部にそんなものはない。あるのかもしれないが、それはきっとチームワークを乗り越えた先にあるのだろう。今の私にそんなものは見えない。それは悠然と立ちふさがる巨大な雪山に似ていた。何度挑戦しても必ずどこかでつまずき登頂を果たすことができない雪山。そんな雪山を前にして、私は次第に精神を病んでいった。
 
そうして化学検査部への異動から2年の歳月が流れた頃、私は上司に呼ばれた。私に伝えたいことがあると言う。上司の指示通り、私は小さな会議室に先に入り、上司を待った。2分ほど待つと上司が入室し、対面に座った。しばらく重々しい沈黙が続いたあと、上司が話し始めた。
 
「俺が言いたいことはわかるか?」
「私の業務のことですか?」
「……そうだ。他のチーム員全員がお前と一緒に現場に行きたくないと言っている」
「わかってます」
「そうか……」
 
上司は慎重に言葉を選びながら話していた。彼は私がチームワークでの業務をこなすために努力を積み重ねていることを知っていたのだ。
 
「俺もなんとか力になりたいとは思っているんだが……すまんな」
「いえ、謝るのは私の方で……」
「なあ、また研究開発部に戻りたいか?」
 
思いもよらない提案だった。もちろん化学検査部にいるより研究開発部での業務に戻りたい気持ちはある。しかし、私はその場ですぐに戻りたいとは言えなかった。確かに化学検査部での私の居場所はぐらついている。しかし、今さら研究開発部に私の居場所はあるのだろうか?
 
おし黙る私の心境を読み取ったかのように上司は切り出した。
「俺から見ても、化学検査部でのお前の先はない。人事部とお前の処遇について話すから3日ほど待て。また連絡する」
「わかりました」
 
そう言うと、上司は足早に会議室を出て行った。この時、私は自分の居場所というものについて疑問を感じるようになっていた。居場所って一体なんだ?
 
ちょうど同じ時期、私はある歴史小説を繰り返し読み、主人公の生き様に共感するようになっていた。歴史小説のタイトルは「一夢庵風流記」、戦国時代末期を自由奔放に生き抜いた傾奇者、前田慶次郎の生き様を描いた作品だ。
 
前田家の血族として前田藩に属していた彼は、ある日主人である前田利家に背いて脱藩する。それ以降彼はどの藩にも属さず、どの武将に仕えず、たった1人の従者だけを従えて戦場を渡り歩いた。彼さえ望めば、高待遇で武将に仕えることができたにも関わらずだ。誰に頼ることもなく1人で生きる、それが傾奇者と呼ばれた彼の生き様だった。彼は誰に縛られることもない自由を手に入れたが、それは同時に自分の身にどんな災難が降りかかってこようとも助けるものもない、野垂れ死ぬ自由とも背中合わせだ。
 
私は小説の中の彼の生き様に、この先の自分の行く末を見た。確かに会社は私の居場所だ。それは間違いない。でも、それは人の繋がりを意味するものではないと思った。なぜなら、かつての私の居場所だった研究開発部での業務は自分1人で行なうものだったためだ。私は会社という居場所を確保しながら、同時に自分1人という居場所も確保していたことになる。
 
「1人という居場所」
 
私はその言葉に心が震えた。それは小説の中の前田慶次郎の生き方そのもののような気がした。
 
私はこれまで自分の居場所を常に確保してきた。会社という大きな居場所を確保し、その中で総務部、研究開発部、そして化学検査部へ。まるでモンゴルの遊牧民のように居場所を移り続けた。それで私は大きく成長することができた。その状況を提供してくれた会社には大いに感謝している。
 
しかし、私にはもう時期が来ていた。会社という大きな居場所から「1人という居場所」へと異動する時期だ。あとは私が決断するのみ。それは、当時の私にとってあまりにも大きな決断ではあったが、小説の中のある言葉が私の決断を後押ししてくれた。
 
「みんなひとり、それがいいのさ」
 
前田慶次郎の言葉だ。この言葉をきっかけにして、私は上司に自分の意志を伝える覚悟を決めた。
 
会議室に呼ばれた日から3日後、私は再び上司から呼び出しを受けた。前と同じ会議室だった。部屋に入るとすでに上司が待機していた。一礼して椅子に座り、上司を見た。少し顔色が悪ように見えた。
 
「前の話だけどな……すまん、お前を研究開発部に戻す話をしてみたんだが、ダメだった、もうしばらく化学検査部で頑張ってくれるか、俺もサポートするから」
 
上司は私がチームワークを苦手としていることを見抜き、かつて私が活躍した部署に戻そうと動いてくれていたのだ。そんな上司の心遣いに私は涙が出そうになった。しかし、もうこれ以上上司に手間をかけさせるわけにもいかない。今こそ私の意志を上司に伝える時なのだ。事前にそう覚悟を決めていたのだから。
 
少しの沈黙が続いた後、私は上司に感謝の気持ちを伝えた。そして言った。
 
「この会社を退職します」
 
そうして今、私はライターとして独立し、「ひとり文芸社」という屋号のもとでライター活動をしている。会社を退職したあの日以来、私の居場所は常にここにある。たったひとり、それこそ私の居場所なのだ。もちろん業務の上でどこかのコミュニティーに所属することもあれば、数人のクリエイターと組んで1つの作品を作り上げこともある。場合によってはチームワークが必要とされることもあるが、今のところ問題なくこなせている。
 
1人という居場所、この言葉が、私以外の人の心にも平安をもたらすのかどうかはわからない。私だけが特別なのかもしれない。しかし、自分の居場所がない、と心を病む必要は全くないのだということだけは強く主張したい。誰もが自分1人という居場所を持っているのだ。
 
さて、ずいぶん長い時間物思いにふけってしまった。そそろそろ本を閉じて仕事に取りかかるとするか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。某大学文学部卒。
大学卒業後、大手化学系の企業に就職。経理業務に従事。
のちに化学系、環境系の国家資格を4つ取得し、研究開発業務、検査業務に従事する。
約10年間所属した同企業を退職し、3つの企業を渡り歩く。
本業の傍ら、副業で稼ぐことを目指し、元々の趣味である登山を事業化すべく登山ガイド業を始める。この時、登山ガイド業の宣伝のためにライティングを身につける。
コロナ騒動により登山ガイド業が立ち行かなくなり、宣伝のために覚えたライティングで稼ぐことを思いつく。そうして個人や企業からの執筆依頼を受け、ライターとしての経験を積み重ねる。
2023年4月ライティングゼミを初めて受講。現在に至る。

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2023-08-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.226

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