週刊READING LIFE vol.230

親も子どもと同じように成長する《週刊READING LIFE Vol.230 忘れられないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/9/4/公開
記事:久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
我々は人生の中で、どのくらいの数の出来事を覚えていて、どのくらいの数を忘れてしまっているのだろうか?
 
はっきりと数えたことはないが、夜空の星の一等星のようにはっきりと覚えているものもあれば、三等星のようなぼんやりとしたもの。流れ星のように夜の空からこぼれ落ちて、燃え尽きてしまった思い出もあるに違いない。
 
今見ている星々は、何光年・何百光年先の大昔の光を見ており、地球に届く頃にはすでに超新星爆発や何かの出来事で無くなってしまっているものもある。人の思い出も同じようなものである。良かった思い出は、年月が経つにつれてその輝きを増し、悪かった思い出は色褪せていく。
 
幼少期の出来事を40年近く経って覚えているものもあれば、昨日の昼ごはんに何を食べたか忘れしまっているものもある。良かった思い出と悪かった思い出は、時間に関係なく記憶に残っている。
 
楽しくて思い出したい記憶は、ドラえもんの四次元ポケットに入っているように自由自在に取り出せるし、思い出したくない記憶は、小学校のタイムカプセルに埋めてしまったように、巨大迷路に迷い込んでしまったように、何がどこにあったのかわからなくなってしまっているものもある。人間の脳のシステムは本当にすごいものだと思う。
 
悪かった思い出は、突如湧き出した温泉のように、何かのはずみで思い出してしまうこともある。そしてどちらかというと、「やっちまったな」ということの方が、忘れられない思い出として残っているようだ。一度やってしまったことは、進んだ時計の針を戻せないように、やり直すことはできない。
 
なんであんなことしたんだろう?
なんであんなこと言っちゃったんだろう?
 
そして、今思い返してみると、私の場合は、死にそうな目に遭いながらも、命が無事だった出来事に、強く心の中に残っているようだ。特に幼少時代、3歳から6歳ごろにかけての記憶が残っている。今思い出すだけでもゾッとする。
 
木の枝を食べたときは、木の中の繊維が綿菓子みたいだったので、これ食べられるよ、と友人に知ったかぶりをして食べた。口に入れるまでは良かったものの、噛んだ枝は口の中を切り裂き、喉の辺りまで切れて血が出た。近所で遊んでいたので、家まで泣きながら走って帰り、洗面台でうがいをして、目の前が白から赤に染まっていくように流血していた。
 
空き地の壁を滑り落ちた時は、さながらミッションインポッシブルみたいだった。誰が取りつけたか知らないが、空き地の四隅の一方にロープが垂れ下がっていた。隣が公園だったので、公園の柵をよじ登りロープを伝って下まで降りる。父がよく金曜ロードショーを観ていたので、洋画のレンジャー部隊かなにかが出てくるシーンで、人がロープをウサギのように跳ねながら下まで降りていくのに感化されたのだと思う。
 
自分も同じように出来るのだろう。最初にロープを持って壁を強く蹴った瞬間、手がロープから離れてしまい、壁伝いに一気に下まで滑り落ちたのだ。落ちたショックで足は捻挫するし、手や肘、膝は擦りむいて傷だらけになってしまった。これもイメージではできていたのだが、経験と想像力が足りない少年時代の若気の至りのようなものだ。
 
海にも子供だけで行ってしまった。家から徒歩3分くらいで干潟に着く。整備された岩のようなブロックが敷き詰めてあり、そこを越えると干潮時は柔らかな砂地になる。そこには生き物がたくさんいて、手を伸ばせば捕まえられそうな距離なのだ。フナムシ、カニ、ハゼ、小魚などがもうそこにいる。
 
実際私はカニを捕まえようとしていた。岩場から後少しのところだったので、海水も引いている砂地に足をつけば捕まえられると思い、足をつけた瞬間、思った以上に足がぬるっとした砂地に捉えられてしまい、足首を超えるところまで埋まってしまった。あるはずの足場がなくなったことと、泥のような感触が足にまとわりつく気持ち悪さ。一気にショック状態に陥り、なんとか岩場につかまり足を抜いた。しかし、履いていたはずのサンダルは海に捕らわれてしまい、二度とみることが出来なくなった。
 
慌てて家に帰って母に報告すると、母は烈火の如く怒り、家から放り出されしばらく入れてもらえず、家の前で泣きじゃくっていた。しかし、よく命があったものだと、我ながら感心する。いずれも、ちょっと友人の前で格好つけようとして、大人びた行動に出た結果、とんでもない目にあっている。
 
私も人の親になってようやく、この時の母の気持ちがわかる。無事でいてくれて嬉しいよりも、もし取り返しのつかないことになっていたらどうなっていたのか、という怒りたい気持ちが勝る。
 
その時の母の気持ちは? それを後から聞かされた父の気持ちは?
 
頼むからそんなことをしないでくれ、という気持ちは後からやってきて、その後から無事でいてくれて良かったという安堵の気持ちが、遅れて顔を覗かせるのだ。だから我が子には、危ないことはやめてほしいし、それを凄腕のゴールキーパーのように、全てを阻止したいという気持ちになるのだ。私のように痛い目を見て、影のような、忘れられない思い出があるのではなく、光のように、楽しく忘れられない思い出でいっぱいになってほしいのだ。
 
そのためなら、いろいろな経験を一緒にしていきたいし、どこかに遊びに行くのであれば、「かげぼうし」のように一緒についていきたい。目一杯楽しんで、記憶にも記録にも残してやりたい。
 
そう、親が子供に楽しい思い出を作ってあげられるのは、自分達の心持ち次第でもある。それに子育てが楽しくなるかどうかも、自分達の心持ちひとつなのだ。そんなきっかけを友人が作ってくれた。
 
今、友人たちと子育てに関するFacebookグループに参加している。友人は育休中のパパで、育休中に、「年齢関係なく全ての子育てを楽しむ、パパ・ママのための場」をオンライン上に用意してくれた。
 
オンラインで話している時に、子供たちの「初めてできたこと」に立ち会う瞬間は、すごいことなんじゃないかと、話になった。確かに生まれて1〜2年くらいの頃は、「初めての出産に立ち会う」「初めて立った」「初めてママパパって言ってくれた」「初めて食べた」ことですごく喜んでいた。
 
だけど成長するにつれて、今までできなかったことができるようになることは、数や機会がだんだんと減ってくる。大人だって人生で初めてできたことって、一年の中でもほとんどないんじゃないかと思う。
 
私の息子も今や3歳になり、幼稚園の年少さんになった。1人でご飯を食べられるようになったし、服も脱いだりすることもできる。何なら「OK Google! パトカー トミカの動画」と音声アシスト機能を使いこなし、自分の好きなYouTubeを見るようにまでなっている。デジナルネイティブ世代の凄いことだが、こうなってくると、並大抵の「できる」ことでは驚かなくなってきている。
 
だけど、グループでは子供たちの「初〇〇!」に注目するようになってからは、次々と子供たちの凄い成長を目の当たりにするようになった。身体のみならず、言語や感覚の発達も見られるようになった。
 
たとえば、
「自分で傘を差した」
「七夕の歌を歌った」
「1〜30まで言えるようになった」
「落雷時におへそを隠して怖がって遊んだ」
「おもちゃを全て同じ方向に並べた」
 
こんな感じで毎日の生活の中にある、我が子の「初〇〇!」に注目し始めて、約1ヶ月半が過ぎるが、その数は17個も発見することが出来た。他にも私を気遣ってくれるセリフや、初めて出かける場所も増えてきた。スタンプラリーでコツコツチェックポイントを集めていくようだ。
 
家族の忘れられない思い出は、どんどんと増えていくし、家族の思い出のアルバム(心の中もスマホの中にも)は増えていく一方だ。我が子にとっての人生「初◯◯!」を、私達が我が子や妻、両親や親戚と一緒に喜んだり・驚いたり・悔しがったりして味わえたら素敵だし、これは凄いことなんじゃないだろうか?
 
私の中のかつて忘れられない思い出は、辛く痛い思い出が強く記憶されているのに対し、子育てというフィルターを通すと、人生の良い忘れられない思い出へと正反対の180度に反転しているではないか!
 
しかも、貯金のようにこれから先の人生において、我が子と一緒に過ごして時間を共有すればするほど、この「初〇〇!」は貯まって積み重なっていく。なんとも素晴らしいシステムである。
 
これは自分だけのものではとてももったいないので、グループ内でもお裾分けのようにシェアをしている。その人数が集まれば集まるほど大きくなるし、他の子供たちの「初〇〇!」を垣間見ることによって、子育てのヒントが見えてくるし、将来我が子はこんな風になるのだ、という一種の未来も見えてくるようになる。
 
そして、「初〇〇!」の瞬間を見逃さないように、我が子の様子を探偵のように観察していて、見つけられた瞬間は、宝探しで財宝を見つけた時のように嬉しいのだ。
 
毎日の生活の中で発する言葉や会話で、今日はなんて言ってくれるのか、どんな動きをしてどんなことを家族にしてくれるのか、お友達とのふれあいはどんな風に接するのか、大好きな映画の予告編を見逃すまいとワクワクするような気持ちにもしてくれる。
 
もちろん毎日発見できるようなことでもなく、何もない日だってある。見つからないのは成長していないのか? 他の子はできるのに我が子はできないのか? と悲観することなく、次の成長への充電期間として見守っていけばいい。
 
大事なことは他人と比べるのではなく、昨日の我が子と比べてあげれば良いのだ。昨日できなかったことが、今日できるようになり、「初〇〇!」が見られたことが、成長したという証でもある。加えて親としても、成長できたということの証でもある。
 
親になることを急ぐのではなく、童話に出てくるうさぎと亀の「亀」のようにゆっくりゆっくり、確実に歩んで前へ進んでいけばいい。それは何年か後には、忘れられない良い思い出として、手元にたくさん残っているのだから。《おわり》
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科卒。
会社員とオヤジとライターを両立中。仕事・子育て・取材を通じて得た想いや、現在、天狼院書店『Web READING LIFE』内にて連載記事、『ウイスキー沼への第一歩〜ウイスキー蒸留所を訪ねて〜琥珀色がいざなう大人の社会科見学』を書いている。

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2023-09-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.230

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