週刊READING LIFE vol.230

忘れられない犬との暮らしと目の奥の光《週刊READING LIFE Vol.230 忘れられないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/9/4/公開
記事:遠藤美紀(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
犬を飼っていました。
残念ながら2年前に空へ帰っていった愛犬は、アメリカン コッカー スパニエルの男の子、「ラスク」です。ラスクは私たちがはじめて飼った犬でした。
 
 
ラスクは、とあるペットショップで、アクリル板に仕切られての出会いでした。もともとは妹が犬を飼うと決めて、探していたのです。そんな時に見つけたのが、アメリカン コッカー スパニエルの子犬。中を覗き込むと、こちらに向かってきてアクリル板にぶつかってしまう、そんなやんちゃな子犬でした。ゲージから出してもらったラスクは、しっぽを引きちぎれそうな勢いで振って、私たちに突進してきました。そして、「よろしくね」と言うようにそれぞれに飛びついて喜びを全身で表現しているように見えました。
妹も私もこの子と一緒に暮らそうと決めました。実は、他にももう一匹、キャバリアの女の子も候補にあがっていたのですが、それこそ縁ですね。先にゲージから出してもらったのがラスクだったからか、この子だ! と決まったのです。
 
後から知ったことですが、犬を選ぶ基準のひとつに、ゲージから出してもらったときに落ち着きがあるかどうか、というものもあるそうです。ラスクは、その基準に全く合っていなかった、ということになります。ですが、アメリカン コッカー スパニエルも、キャバリアも、人懐っこい、優しい性格だということは調べていたので、どちらでも家で飼いやすいだろう、とは思っていました。もし、犬を選ぶ基準のことを知っていたら、私たちはキャバリアを飼っていたのかどうかわかりません。
それでも、ラスクは私たちの元にやってきて、一緒の暮らしが始まりました。
 
 
ラスクは私たちにあれほど飛びついたり喜んでいたので、「人見知り」という言葉を知らない、人が大好きな子なのだろうと思っていたのですが、なんとも不思議なことに、家族以外の人も他の動物も怖がって大変でした。近づかないで! としっぽを隠して吠えてしまうのです。
アメリカン コッカー スパニエルは人とも他の動物とも仲良くできる犬種だよね……? なぜ私たちはラスクに認められたのか。よく分かりませんが、どうも私たちがラスクを選んだのではなく、ラスクが私たちを選んでくれたようです。
 
はじめての犬との生活は、私たちの暮らしを大きく変えました。まず、ほんの少し健康になります。仕事をしている私は、夜ラスクの散歩に行くことにしました。普段、移動と言えば短距離でも車に頼ってしまうのは田舎ではよくあることです。そんな私たちが毎日歩くのです。これは大きな変化です。そして、どうしても犬中心の生活になります。本来はあくまで人が中心であり、犬をそれに合わせて暮らす、ということらしいのですが、やはり、出かけるとなると、だれかが面倒を見るのか、留守番させるならエサは? 夏ならエアコンを入れないとなるし、なるべく早く帰ろうとなる。では、犬が病気になったら? 毎週のシャンプー、エサは何を食べさせるのがいいのか。
決める事はたくさんあります。とは言っても、それが面倒くさいわけではなく、とても楽しいのです。ラスクのためにいいことを、というそれぞれの気持ちがあります。
なにより、ラスクと過ごす時間はかけがえのないもので、そのためにはなんでもしてあげたいと思うのです。
 
 
私がソファーに座ると、急いで膝に飛び乗ってくるラスク。そんな毎日のゆったりとした時間に、突如不安が訪れました。
いつものように身体を撫でてあげていると、左前足の付け根、脇の部分に何かしこりがあることに気付いたのです。
いつからあるのかもわかりません。まさか癌ではないよね? そう思いながら、2日後の休みの日に動物病院へ連れて行くことにしました。
 
先生に脇のところのしこりが気になることを伝えると、先生が左前足の付け根を触っていきます。
「しこり、ありますか? ちょっとよくわからないのですが」
私はしこりを探り、先生に「ここです」と触ってもらいます。
「あぁ、なるほど。よく見つけましたね。それでは、少し細胞を取って検査に回します」
そう言って注射器でしこりの部分の細胞を少量取り、1週間後に来てください、と言われてその日は帰りました。
 
1週間後、病院で告げられたのは、ラスクのしこりは癌である、ということでした。血の気が引き、目の前が真っ白になりそうでした。
「手術をしたほうがいいのですが、どうしますか? 手術はリスクがゼロとは言いません。全身麻酔は、それだけで負担にもなります。滅多にないことですが、そのまま、ということもあります」
そう言われて、私たちは悩みました。それでも、放っておく事は出来ません。幸い、まだラスクは体力はしっかりあるので、手術も問題ないでしょう、と言われました。
「お願いします」
ラスクの手術が決まりました。
 
一泊での手術です。当日ラスクを病院に連れて行くと、私はラスクに小さな声で、「明日迎えにくるからね。頑張ってね。終わったら大好きなお芋、食べようね」と言って看護師さんに預けました。
 
結果から言うと、ラスクの手術は無事に終わりました。先生の話では、あのわかりにくい腫瘍を早く見つけられたのが良かったとのことでした。ただ、その腫瘍は、浸潤性のものだったので、かなり大きく取らなくてはいけなかったこと、それでも取りきれているかは不明瞭なので、再発の可能性があることを告げられました。
 
それでも無事に帰ってきてくれたラスクは、先生や看護師さんがびっくりするくらい元気でした。「手術の次の日にあんなにしっかりごはんを食べられるなんて、すぐに良くなるよ」
 
 
しっぽを振ってしがみつくように飛びついてきてくれたラスクを受け止めて、抱き上げて一緒に帰りました。
 
 
その後、ラスクは2回、計3回、腫瘍の摘出手術を受けることになりました。3回とも私が腫瘍を見つけたので、その度に心臓がキュッと縮んで、血の気が引くのを体験しました。
 
さらには、目にも病気が見つかりました。今度は白内障です。アメリカン コッカー スパニエルには、多い病気だそうです。定期的に病院に通い、毎日目薬を3種類、30分ごとにさしていました。
そうやって頑張ってきたのですが、それが緑内障になり、左目は視力を失ってしまいました。
そんな色々なことが重なり、きっと残念だけど、ラスクはあまり長生きはできないのだろう、そう思っていた私は、とにかくラスクを幸せに過ごさせてあげたい、ただそう思って一緒に過ごしました。
 
 
でも、そんな私の心配をよそに、ラスクは17歳の誕生日を迎えました。足腰はやはり弱ってきて、時々ペタンとお尻をついてしまうこともあるけれど、それでもまだまだ元気だと、そう信じていました。
17歳の誕生日から22日目。私はラスクの大好きなお芋を一緒に分けて食べました。いっぱい食べさせてあげたいけれど、年齢のこともあり、多く食べすぎて、お腹を壊したりするといけないと、量は控えめにしていました。
「また今度一緒に食べようね」
そう言って頭を撫でた次の日から、ラスクは何も食べることも、飲むこともできなくなりました。
 
急にほとんど立つこともできなくなり、何も口にできなくなった。それは、たぶんお別れが近いのだろうと察しました。
その日はどうしても外せない予定があったため、私は泣きそうになりながらラスクを家族に任せて外出しました。
きっと大丈夫。帰ったらまた一緒にいられる、そう思いながら、急いで帰宅すると、ラスクは「はぁっ、はぁっ」と苦しそうに呼吸をしながら横になっていました。
相変わらず、何も食べられず、水もほんの少し舐めるくらい。
私は側に座って話しかけていました。
 
 
次の日、朝起きて、き急いでラスクの元に行ってみると、ラスクは相変わらず「はぁっ、はぁっ」と呼吸を続けています。
ホッとして「おはよう」と声をかけると、出勤の支度をします。そして、ラスクにちょっと酷いかもしれない、こんなことを言いました。
「急いで帰ってくるからね。待っててね」
もし、この言葉のせいで苦しい時間が長くなってしまったらどうしよう? そんな気持ちもありましたが、どうしてもこのままお別れはしたくなかったのです。
 
仕事が終わって家に着くと、私は恐る恐る、部屋に入っていきました。するとラスクは「はぁっ、はぁっ」と呼吸しながら、なんとか顔を持ち上げようとしてくれたのです。急いで隣に行くと、「大丈夫、私だよ。帰ってきたからね」と声をかけます。すると、私だとわかったのか、頭をコテンと倒してそのまま横になり、呼吸を続けていました。
 
急いでごはんを食べ、お風呂から出ると、またラスクの隣に座り込みました。明日は休み。最後までラスクと一緒にいようと決めていました。
 
ここまで読んでいただいた方の中には、なぜしこりを見つけた時のように、すぐに動物病院へ連れていかなかったのかと思われる人もいるかもしれません。それは、私たち家族で決めていたことがあるからなのです。
私たちは、もし、ラスクが老衰で危なくなった時は、病院に連れて行かず、無理に延命することなく家で見送ると決めていたのです。ラスクは家にいることが好きだったのに、もし病院へ行って入院と言われたら? 点滴などで栄養だけを摂取させることで、つらい時間が伸びたら? そう考えると、それはラスクにとって望ましいことではないと思ったのです。
 
ですから、今回のこの状態では病院には行かないでただ側で見守っていたのです。
 
 
私はラスクの手をさすり、頭や背中を撫でながら話しかけます。
「あの公園にまた遊びに行きたいね」
「おととい一緒に食べたお芋、美味しかったね」
「うちに来てくれてありがとうね」
 
もしかすると、ラスクにとっては迷惑な話かもしれません。呼吸も苦しいのに、側で話をして撫でられて。それでも私はラスクの名前を呼び続けました。
 
ラスクは時々目を瞑りながら、それでもほとんどの時間、目を開けて私のほうをちらりと見たりしていました。
そして、ラスクの呼吸が「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ふぅーーー」と吐ききるようにして、その後吸うことはありませんでした。
私はハッとして、ラスクの目を覗き込みました。すると、ラスクの目の奥、光がすぅーっと消えて行くのが見えたのです。あぁ、逝ってしまった。涙が溢れて、私はただひたすら「ありがとう」を繰り返していました。
 
 
私はしばらくの間、というより今も、あのラスクの目からは光が消える瞬間が忘れられず、何度も頭の中でその時のことが再生されるのです。
あれはなんなのだろう? よく、この身体は借り物だ、と言います。あれを見ると、まさにそうなのだろうと思わされます。いわゆる魂が抜ける瞬間だったのでしょうか? そもそも、目の奥の光が魂なのか? では、目の前にいるラスクの身体はもうラスクではないのか? ずっと答えは出ないだろうとわかっていますが、どうも気になってしまいます。
 
 
 
また犬を飼いたいか? と聞かれると、飼いたいのだけれど、ラスクの目の光が消えていく瞬間を見つめた私にとってはまだ犬を飼うだけの気持ちがない、というのが正直なところです。
そして、私たちの飼い犬は、今もラスクなのだと思います。
本当に大切な17年間でした。
 
忘れられない日々です。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
遠藤 美紀(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

千葉県在住。
歯科衛生士であり、セラピストでもある。
文章も書ける歯科衛生士を目指して奮闘中。

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2023-09-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.230

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