暇であることが、つらい。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
渡辺(ライティングゼミ1月コース)
はじめは小学生の頃だった。当時は小学5年生くらいで、昼の3時くらいに6時間目の授業が終わっていた。ホームルームが終わると、その足で友達と外で遊んだり、あるいは水泳や野球のような習い事をしたりして、なんだかんだ忙しかった。傍から見れば能天気な日常だっただろうけれども、私自身は至って真剣に、日々起きることを受け入れていた。
ちょうどそのころ、野球の習い事をやめた。
元々運動は得意ではなかったし、朝の6時に集合して、夕方5時に終わるという毎週末のスケジュールは、私には向いていなかった。なにより、朝8時から始まるEテレのアニメ番組を毎回のように見逃して、拷問的ともいえる校庭ランニングに勤しまなければならない道理が、私には理解できなかった。
母親には、中学受験への注力、などと適当な理由をつけて辞めさせてもらった。私は小学5年生にしてようやく、週末の自由を手にした。
最初は快感でしかなかった。朝から好きなアニメを見ることができる。それだけでも、今まではあり得ない待遇だった。アニメを見終わってもそのあと特にやることはないので、引き続きいろんなチャンネルに切り替えたりして、一日中テレビを見続ける生活が続いた。
だがそんな生活も、半年ちょっとで飽きてしまった。アニメのほうは4か月くらいでエピソードが一周するらしく、もう聞いたことがあるような話をもう一度聞かされる羽目になった。そして、土日のテレビ番組というのは夕方以降に力点があるようで、特に午前中の番組というのはそれなりに穏やかで、悪く言ってしまえば退屈なものが多かった。(小学生に「ローカル路線バスの旅」が魅力的に映ることはほとんどない)
ついに私はテレビを見ることをやめた。散歩をしたり、絵を描いたりして、早く平日にならないかと、祈るように時計を眺めるようになった。休日は退屈で、つまらない。平日は、友達がいて、習い事があって、授業があって、忙しい。そっちのほうが、楽しい。
私は、自分が圧倒的に時間を持て余しているという事実に気がついた。
ここは、多くの人の分岐点になる部分であると思う。
もしあなたが、直近で何もやるべきことがない立場になったとき、何を思うだろうか。
忙しなく何か新しく、やるべきことを探すだろうか。自分の趣味を持っている人ならば、存分にそれを楽しむのかもしれない。喜んで何もしないことを選択する人もいるのだろう。
これは、どの選択が正しいと言いたいのではない。
いや、正確には、以前なら何か新しくやるべきことを探す人を、正しいと言っていたかもしれない。何故なら、何もしない時間は非生産的で、無駄であって、人生の浪費でしかないと、本気で考えていたからだ。
私は小学5年生の時点で、この考えを固めていた。そして、それは実行された。
野球をやめるためだけに言い訳として始めた中学受験に、本気で打ち込むようになった。何もしない時間があるなら、少しでも将来に備えたほうが合理的だ。そう考えた。そうして、週末は退屈なものではなくなった。朝から塾に行って、気が付いたら夜になっていた。退屈な土日をやり過ごすために、中学受験は最高の薬となった。
結果的に中学受験は成功したが、暇と退屈から逃れるための攻防は、その後も続いた。中学時代は部活と小説を読むことでやりすごし、高校上がるとすぐに大学受験を意識した。勉強が最高の退屈しのぎであることを知っていたからだ。ちょうどコロナ禍が始まったことも作用した。あれほど暇で退屈だった時代は、後にも先にもないだろう。
私は暇を克服したと思った。暇に対して完璧に対処する術を身につけたと考えた。しかし、その確信は案外簡単に崩された。
晴れて大学に入学するも、私の学部は授業数がかなり少なかった。他の学部では夕方まで授業を受けたり、必要な資格を取る必要があったりして、それなりに忙しそうだった。だが、私にとって、暇であることはそこまで憂慮すべきことではなかった。対処法を知っていたからだ。私は入学と同時に図書館で専門書を読んでみたり、東京中の美術館に行ってみたり、将来何かしらの役に立つだろうと思ってTOEICの勉強をしたり、あるいは単に金を稼ぐためにアルバイトをしたりして、大学の前半を消化した。
特に暇で困ることはなかった。
そのうち、なんとなく旅行をしてみようと思った。
長期の旅行をしたことはなかったし、社会人になってそんなに贅沢に時間を使える機会なんてないだろうという、安直で平凡な理由ではあった。行先は九州と山陰にした。その理由も安直で、ただ行ったことがなかったというだけだ。
東京から博多まで飛行機で飛び、博多からは熊本、長崎、さらに船で海を渡って山口、島根、兵庫へと至る計画を組んだ。そして旅程すべてをローカル線で進むことにした。
そして、私はここにおいて、ある種の憔悴状態を経験することになった。
博多から長崎までの道のりは、にぎやかだった。電車の本数も多いし、駅に降り立てば食事処や居酒屋も山ほどある。人と話すにも苦労しないし、ただ街を眺めているだけでも面白かった。だが、長崎から先は、人も街もあまり見かけなくなった。ひたすら海か山だけの景色、ほとんどいない乗客、ついに退屈になった。
私はこの旅で、ほとんど何も持ってきていなかった。最低限の着替えと財布、スマートフォンだけ。しかも充電器を忘れたせいでスマホはほとんど充電がない。私にはできることが何もなくなった。
普段の生活ならば、あるいはスマホの充電ができるならば、SNSを見るか、スマホに入っているTOEICの勉強アプリを見るかして、時間の経過を待った。だが、今は何もできない。何も物事が進まない。私は何も進歩しない。ただ今日のこの時間が無駄に流れていっているように感じられた。
結局のところ、私は暇を克服したわけではなくて、単に暇から逃れるための手段を大量に得たというだけのことだった。暇な時間にはなにか将来の糧になることをした方が合理的だという考え方もまた、何も起こらない時間に対する恐怖から逃れるための、言い訳だった。決してこの考え方が悪だというわけではないとは思うが、スマホや本など、何らかの与えられた道具がなければ根を上げてしまう心理状態が、健康的であるようには思えない。ただ何もしない時間というのも、休息として必要なはずだ。
その旅行の後、暇を楽しめるようになるまでは何年も費やすことになった。小学5年生から始まって成人するまでの間染みついていた強迫観念を取り払うのは、容易ではなかったのだ。
最近イタリア人の休み方がすごい、だとかいう話を聞くことが多かった。彼らは何か月にもわたる休み期間の間、何もしないのだという。ただ海岸に寝そべったり、本を読んだりしているだけらしい。(本といっても、啓蒙書やビジネス書ではもちろんない)
人は、ずっと走り続けることはできない。同様に、ずっと考え続けることもできない。休息や睡眠を挟んで、ようやくパフォーマンスが発揮される仕組みの生き物だ。何もしない、暇を恐れないといったことも、生きていくうえで必要なことなのかもしれない。
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