夢は傷跡
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:ランブイエ(ライティングゼミ1DAY)
昨夜、K先生の夢を見た。
京都からの帰りの電車でうっかり寝ていて、ふと目が覚めた。その瞬間、右側に人の体温を感じた。驚いて見ると、K先生が隣にいた。「あら、懐かしい」と思った。夢の中のことなのに、そのぬくもりだけは妙に生々しく、目が覚めてからも右肩のあたりに残っていた。
夢の内容は、もう思い出せない。何を話したのかも曖昧だ。それなのに、右肩に残った温もりだけが消えなかった。私は朝になっても、そのことが気になって仕方がなかった。
私が建築を学んでいた大学二年の時、K先生は企業の設計部を辞めて、大学の助手として赴任された。初めて強く印象に残ったのは、一回生最後の設計課題「製図棟」の作品講評会である。全員の発表が終わり、意見を求められた先生は、「意外に大したことないね」といったようなことを言われたのを記憶している。
後年、その話をすると、先生は笑って「そんなひどいことは言っていない」とおっしゃった。きっと本当にそうだったのだろう。ただ、その時の私には、たしかにそう聞こえたのだ。
なぜそう聞こえたのか。先生はいつも関東弁だった。関西で育った私には、その言い方がどこか意味ありげに感じられた。「いいんじゃないの」と言われても、こちらは「つまり、あまり良くないのだな」と受け取ってしまう。
でも、今振り返ると、そのずれが良かったのかもしれない。先生に見ていただくたびに、私は悔しくなって奮起した。次はもっと良いものをつくろうと思った。褒められて育ったというより、刺激されて育ったのだと思う。ゼミ担当の教授はあまり大学に来られなかったから、実際にはいつもK先生に見ていただいていた。
企業に就職したあと、今度は私が助手として大学に戻ることになった。その時、K先生に相談しなかったけれど、それでも先生は良き相談相手だった。何を研究したらよいのかわからず戸惑っていた私を、学会に連れて行ってくださった。それは私にとって新鮮で、とても楽しかった。けれど、その嬉々とした私の態度がよくなかったのか、あるいは昭和という時代の空気だったのか、「あいつは女を連れて学会に行った」などと揶揄され、先生にはずいぶん迷惑をかけることになった。
この出来事は、私の中で長く消えなかった。先生に悪気はなくても、私に軽率さがなくても、時代や周囲の目は、人の関係に勝手な意味を与えてしまう。そしてその意味づけは、あとから静かに人の人生に入り込み、進路まで変えてしまうことがある。
だから、誤解されないようにしようと思って、私は結婚することにした。だが、その結果として今度は仕事を辞めることになるとは、その時は思いもしなかった。あの時代、女性が仕事を続けることは、本人の意思だけではどうにもならないところがあった。ひとつの選択が、別の断念を連れてくる。私の人生にも、そういうことがあった。
ただ、今思えば、結婚できたのはK先生のおかげだった。反対していた私の家族全員に会って、説得してくださったのである。そこまでしてくださる人がどれほどいるだろう。私は、公私にわたって本当にお世話になった。足を向けて寝られない、とはこういう時に使う言葉なのだと思う。
それからもうずいぶん経つ。先生が学会の副会長を辞められ、そのあと私がその役目を引き継ぐことになった。なんとも不思議なご縁である。先生のあとに、自分が立つことになるなど、若い頃の私には想像もつかなかった。
先生のことを思い出す時、感謝だけでは終わらない。迷惑をかけてしまったことも、十分に報いることができなかったことも、今も胸の奥に薄く残っている。ふだんは見えないだけで、消えたわけではない。
だから、昨夜の夢は、ただ懐かしいだけの夢ではなかった。先生はもうこの世にはいない。私が故人の夢を見る時は、不思議といつも命日だった。けれど今回は、そういう日ではない。それなのに先生は来られた。しかも昔の場面の中ではなく、昨夜の私の隣にいた。ただ黙って、右側の温もりを残していった。
忘れたつもりでも、乗り越えたつもりでも、ほんとうには消えていない出来事がある。昨夜の夢は、まさにそうだった。
先生は私の右側にいて、何も言わなかった。責める言葉も、教える言葉もなかった。ただ温もりだけが残った。その温もりに触れて、私はようやく気づいた。申し訳なさも、悔しさも、返しきれなかった恩も、あの時代に傷ついた自分自身の記憶も、すべてまだそこにあった。
夢は傷跡だ。
それは、治っていないという意味ではない。確かに生きたという印が、まだ心に残っているということだ。
そう思った時、右側に残る温もりの意味が、少しだけ変わった。あれは傷の痛みそのものではなく、傷跡にそっと手を当てるようなものだったのかもしれない。先生は、私の中に残った消えないものを、責めるためではなく、静かに撫でるために来てくださったのではないか。
先生、どうか安らかにお休みください。
ご苦労の多い人生でいらしたことは、よく存じています。
もし何か、まだ私に伝えたいことがおありなら、またじっくりお話しください。
私はきっと、まず右側の温もりに気づきます。
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院カフェSHIBUYA
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00







