ゼミ

弱い犬が教えてくれた人生観《週刊READING LIFE Vol.372「弱い犬ほどよく吠える 」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

中学生か高校生の頃の話だ。家の近所で飼われている茶色の毛並みの中型犬で、やたら吠える犬がいた。つながれているので敷地内から出てくることはなく、追いかけられたり噛まれたりする危険はなかったが、毎回吠えられるのは気持ちの良いものではなかった。そのため、いつも足早にその家の前を通り過ぎていた。家族に聞いてみたところ「あそこの家の犬、よく吠えるよね」と言っていたので、どうやら被害に遭っていたのは私だけではなかったようだ。

確かテレビの番組だったと記憶している。吠える犬への対処法がいくつか紹介されている番組を見て、近所の犬のことが思い浮かび、「試してみよう」と思った。

次の日も私の姿を見た途端、犬が吠え始めた。よし、実験だ。ゆっくりと近づき、犬の前に立った。犬は相変わらず大きな声で吠えていたが、構わず立ち続けた。そして犬の目をジッと見た。最初は威勢良く吠えていた声が徐々に小さくなり、そしてピタッと止まった。時間にして数分のことだ。

それ以降、私がその家の前を通っても吠えられることはなかった。私がやったことといえば、安全な距離をとった上で、犬の真正面に立ち、犬の目をジッと見続けただけだ。

「弱い犬ほどよく吠える」と言われるけれど、なぜあの犬は道行く人に吠えていたのか、そして私との数分の対峙から何を感じ取って、それ以降吠えなくなったかの真相は定かではない。ただ「吠える」という行為では、その場をコントロールすることはできないと悟ったのだろうということは想像できる。

よく吠える近所の犬を思い出すとき、同時に旅先のアラスカで出会った、吠える以外のボディーランゲージで意思表示をした犬のことを思い出す。鳴いたり吠えたりはしないものの、しっかりと意思の伝わるものでありながら、そこはかとなく気遣いを感じさせるものだった。

今思えば、私達人間社会でもお手本にできるコミュニケーション方法だった。

 

 

 

私がアラスカに行ったのは2015年のことだ。1週間程の滞在だったが、大自然の中で過ごす日もあれば、都市部で過ごす日もあり、色々な景色のアラスカを楽しむことができた。夏の白夜の時期だったため、夜になってもそこはかとなく明るく、多くの人達が街角の至るところで短い夏を楽しんでいた。犬連れの人も多く、土地柄だろうか、出会う犬たちは中型犬か大型犬だった。

私は犬を見ると触りたくなる質で、気になる犬に出会うと飼い主さんに「なでてもいいですか?」と確認して、なでさせてもらっている。アラスカでもつなたい英語で確認をして、「もちろん!」と返ってきたら、なでさせてもらった。

ある日の夕暮れ、談笑している老婦人の足下に、大型犬が寝そべっていた。きっと狼犬の血を受け継いでいるに違いない、立派な体軀とシャープな顔立ちに見とれた。なんてきれいな犬なんだろう。近くで見たい、なんならなでたいと思って近づいたら、犬が私に気がついた。そして少し私から離れる素振りを見せた。「あぁ、この子は近寄られたくないんだ。触られたくないんだ」と分かり、そのまま素通りすることにした。

避けられたことは残念に思ったけれども、あからさまな拒絶というよりは、少し体をずらす程度の動作であったこと。また吠えたり唸ったりせず、まるで「申し訳ないのだけれど、知らない人はちょっと無理なんです……」とでもいうような困り顔がなんとも愛らしかった。飼い主さんに大切に育てられていることが伝わってくるとともに、聡明さを感じさせられる行為だった。

「私もこれくらいさりげない行動ができたらいいんだけどな……」

私は好き嫌いがハッキリしているため、それが表情や行動に出やすい。子供のとき、「顔に出ているよ」とよく注意されたものだ。今では子供のときほど露骨ではないものの、苦手な人と話すとき、表情や口調が固くなっているのが自分でも分かる。自分で分かるくらいなのだから、きっと相手や周囲には伝わっているだろう。自分には駄目なところや、できていないことはたくさんあるし、自分の考えが常に正しいはずがないことを分かっているのに、いざ気にくわない人や苦手な人を目の前にすると、うまく立ち回ることができない。そしてそんな自分に嫌気が差して自己嫌悪に陥る。

アラスカから帰国して以降、人とのコミュニケーションや距離感で悩むとき、よく吠えていた近所の茶色の犬とアラスカで出会った犬のことが、頭にちらつくようになった。

 

 

 

「弱い犬ほどよく吠える」は、犬に対して言うこともあるが、人を揶揄するときにも使われる。自分はできる人間なのだと誇示するために、自分は間違っていないことを周囲にアピールするために、自分は弱い人間ではないことをことさら強調するかのように振る舞う人を表現する言葉だ。

ここでいう「弱さ」とは能力面や体力面の弱さではなく、自信のなさや精神的な不安定さを指すと言える。自信がないゆえに言葉で飾りたて、時に周囲に対し攻撃的な言葉を使って、「自分は悪くない、正しいんだ!」とアピールすることで、自分を正当化し、周囲から自分を防衛しようとする。

じゃあ、弱い犬がよく吠えるというならば、強い犬はどうなのかというと、「吠えない」だ。「強い人」の解釈は色々あるが、例えば自分に自信がある人、自分軸を持っている人が当てはまる。そういう人は、イニシアティブをとろうと躍起になって話すのではなく、言葉を選んで必要なことを話すに留めるまでだ。余裕のある態度が周囲を落ち着かせ、実績を積み重ねることで「この人であれば大丈夫」と思わせる。

無駄に話さないことの利点は他にもある。言葉数が少ない分、反対に発せられる言葉に重みが出てくる。時に人はしゃべりすぎた結果、墓穴を掘ったりしてしまうものだが、そんな危険も回避することができる。

言葉を選んで言い過ぎないこと、人に不快な思いをさせないよう自分をコントロールして感情を出しすぎないこと、等身大の自分でいることを意識して誇張しすぎないこと。

どれも大切なことだ。そんなことは百も承知なのだ。それなのに、気がついたらいつの間にかアラスカの犬ではなく、近所の茶色の犬になってしまうのは、なぜなのだろう……

 

 

 

「あっ…… 今自分は茶色の良く吠える犬になっているな」と気がつくことがあるのだが、その状態になるのは、職場であることが大半だ。

なぜ私は職場で「弱い犬ほどよく吠える」状態になってしまうのか。思いを巡らした結果、私は職場では「べき論」で動いているからだと気がついた。「仕事は実績を上げなければいけないのだから、こうすべき」「お給料をもらっているのだから、こうあるべき」理想とする姿は間違っていないだろう。ただ「べき」という、そうでなければいけないという許容度の低い考えのため、そうでなかったときの逃げ道がなくなってしまう。現実が「べき」の状態であれば問題ないが、現実と理想が乖離している場合、その穴埋めを何かでしなければいけないことになる。そんなとき、私は茶色のよく吠える犬になって、虚勢を張っているのだ。

翻ってプライベートではどうだろうと考えてみると、アラスカの犬になれているとは断言できないが、吠えてはいない。なぜか。「べき論」で動いていないからだ。やりたいならやればいいし、やりたくないのであればやらなければいい。やりたくないけどやった方がいいと思うなら、やればいい。

前からこの思考だったわけではない。30代まではプライベートでも「べき論」が先行していた。40歳前後だったと思う。それまでも十分自由に生きていたけれど、では幸せかと問われれば「幸せです」と断言できなかった。せめてプライベートは楽しくありたいと思い、興味を持ったことに挑戦し、行ってみたいところに足を運び、会いたい人に会いに行った。「こうすべき」という思いが生まれたら、「なんでそう思うの?」「それ、本当? 私の本心?」と自分に問うようにした。そうしたら、いつのまにか私の中の「べき論」が無くなっていた。自分で自分を縛り、無駄に生きづらい状態にしていたことに気がついた。

プライベートでは「べき論」を撤廃できたが、職場ではできていないのが目下の課題だ。なぜ職場ではできないのか。それは、「仕事には理想と現実にギャップがあるもの」「仕事から努力や根性は切り離せないもの」と自分が思い込んでいるからだ。仕事では苦労してこそやりがいが感じられるものと自分で定義づけしているからだ。プライベートのように第一の目標を「楽しむ」にしていないからだということに気がついた。

「仕事=楽しむ」

私にとってはなかなかハードルの高いお題だ。そう思っている時点で、難易度は高い。でもプライベートでは試行錯誤をしながらも、自分の理想としていた状態に到達できた。それなら仕事もできるんじゃないか。頑張ってみるか。私は戌年生まれだ。弱い犬のままじゃなくて、強い犬にだってなれるはずだ。

                                                                                                                                   

ライタープロフィール

松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

兵庫県生まれ。東京都在住。

2023年6月より天狼院書店のライティング講座を受講中。

「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。趣味は通算20年以上続けている弓道。弓道と同じくらい、ライティングも長く続けたいと思い、奮闘中。

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